福岡への行きの格好は、パパが半袖Tシャツに薄いパーカーに春のもう少ししっかりしたハーフコート風の上着。息子がランニング下着に長袖Tシャツにしっかりめのパーカー。家を朝出るときはネックウォーマー必要だった。たまたまその日の観光が海沿いの福岡ドームタワーで風が強かったから、そのままの格好でちょうどだった。
しかし福岡は気温が高くて、上着はとてもいらなかった。九州イコール南国だから、というなかれ。九州だから暖かい、というのは宮崎以南である。福岡は日本海性気候なので雪は降るし、冬は関西の方がよほど暖かい。
さて2日め土曜日。我が息子は車酔いに極端に弱く、ゆえに遠出はやめにして、宗像から来た弟とボウリングに行く。大橋シティボウル。きれいではないがふつうに楽しめる。息子は人生初ボウリング。iPadでゲームやりながらやる気なさそうに投げてたが、なぜか不思議な変化をして8本や9本は倒れる。しかしストライクやスペアを出そうとしてリキむともうダメでガータの連続というわかりやすいパターン。まあストライクを1回取ったからよしとしよう。パパは妻と結婚前に?して以来20年ぶりくらいで、ハイスコア193なのにやっと100そこそこ。まあこんなもんか。
その後卓球。弟は1回息子に負けたが、私は負けず。まだまだだ。卓球で座って審判やってる時に、頭の高さに跳んで来たボールをキャッチしようとしたら、脚の向こうずねを卓球台の下の補強金属にカーンと当ててしまい、まだ腫れてて痛い。
昼ごはんは筑紫野イオンに行く途中に博多ラーメンでもとリクエスト。しかしなかなかそれっぽいのが見つからず、やや焦った弟は「麺」の字を見てある店のパーキングへと急左折。ところがそこは担々麺の店だった。息子が辛いの食べる、と言い、大人2人は苦手ながらも、これも成り行きと食べることに。
弟、辛さ全くなし、パパは辛さ控えめ、息子が辛さふつうで頼む。
パパの黒胡麻担々麺はなかなか美味かった。辛さは感じたがぜんぜん大丈夫。息子は苦戦。メニューを見ると「『通常レベル』から急に辛さが増します」と書いてある。唇が焼けそうとか言いながら完食。隣のコンビニで甘みのお菓子を買ってようやく収まったらしい。ちなみに100mくらい先、すぐそこに博多ラーメンの店舗があり、それなのになぜか担々麺を食べたボクたちでした。人生こんなもんだ。思い出に残るな。
筑紫野イオンでアニメイト行ってスポーツ店舗行って、祖父にバレーボールTシャツをかってもらう。そこからバッティングセンター。息子は最初打てなかったが、バット変えてから当たるようになった。私も1回打ったが、なかなか調子出ず。まともに打ち返すと手が衝撃で痛い。息子は3回打って、親指の根元の皮がむけた。
やはり見方はさまざま。息子の打球は、中には飛ぶのもあったけど、しっかりバットスイングしているものは少ない。やっとこさっとこ当てた、というのもあった。後から打っていた、おそらく中学野球部の子はさすがのとらえ方だった。父、つまりおじいちゃんは、けっこう当たってたけどまだまだだ、という言い方をしていた。息子は口を尖らせて、かなり打ち返したよ、という意味のことを言っていた。
父から北支にいた頃の話を少し聞いた。父の父、つまり私の祖父のアルバムを見た時、小さな父を連れて、渡支前に都府楼で、という写真があった。詳しい記述はなかったが、父によれば、昭和16年に中国へ旅行したところ、アメリカと開戦してしまったから帰れなくなったという。電力会社の技術者だった祖父は、日本軍占領地の電力関係の仕事をし、終戦後は傅作義という軍閥?のもとに囚われて働いたとアルバムにあった。父の記憶では、ある日トラックが来て、引き揚げるからみんな乗れ、と突然言われ日本へ帰って来たという。行き先は包頭、厚和、大同と北部ばかりだったとか。
時間がなかったこともあり、それだけしか聞けなかった。
母宅に帰って、しばしのんびり。いつも何もない山に住んでいる身としては、平地でなんでもそばにあるのがいい。歩いてすぐの王将に餃子の持ち帰りを7人分頼んで晩ご飯は母弟と餃子パーティー。オールスター感謝祭を観ながら42個全部食べきった。
2泊3日と言ってもすぐ過ぎる。翌朝、パパはいつも通り起きて朝ごはん。昨夜母が作ってくれた好物のグリーンピースごはん。春の味だ。爆睡中の息子をおいてさっさと井尻の六つ角の方へ散歩に行く。最近購入した臭いのほぼない電子たばこ、Ploom TECKは、関西では限られた店舗でしか扱っていない。4月16日には大阪府内のコンビニ販売も始まるというが、福岡市内のコンビニではすでにたばこカプセルを売っているのだ。母宅からまっすぐしばらく歩けば福岡市。黒人の日本語ペラペラの女子店員に言って買った。
帰って荷物まとめる。着てきた上着は息子の分も詰めてしまう。もういらない。で、宅急便。行きより500円安い。なんじゃそりゃ。
息子を起こして、残った時間で小中学校回り。すでに葉桜になりそうだが、学校はやはりきれい。小学校は、「夜間は関係者以外立ち入り禁止」で要するに入るの自由。裏の運動場が無くなってたり、体育館やプール、砂場や遊具がそのままだったりと感慨深い。グラウンドの向こうには電波塔。
昔はもっとどでかいのが友人宅の近く、田んぼの真ん中に立っていた。よく塔のふもとで遊んだものだ。いまは数百メートルずれた場所の送信所の中に、新しい無機質なタイプの塔が立っている。やはり無線塔があってのこの地域だと思う。
中学校はすごくデラックスな体育館が、昔の砂場や屋外運動部室、バスケットコートのところにドデーンと建っていた。すごい。こんな体育館で練習したかった。
かつて通った道を辿り、弟とこんな道あったなあと話しながら、昔からある家を確認したりして帰り、早々に博多駅へ。酔い止め飲ませて、飲み物とおにぎり買って乗り込む。一番前取ったはずが、進行方向間違えたか最後列。まあいいや。
この遠征中ヒマがあればずっとゲームをしていた息子は、帰りさすがに退屈になったのか、私の膝に頭を乗っけて爆睡。さすがに重い。
関西は、少し涼しかった。楽しかった。やはり1泊は短かすぎる。2泊は冗長なところもあるけれどやはりのんびりできる。また行こう。
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