2018年4月22日日曜日

熱投







週半ばに、久々に飲みに行った、後輩たちと。ビール2杯と、にごり日本酒、あとは辛いジンジャーエール。


会話も楽しいけど、なにせ酒って、3月末以来の3週間ぶりくらい。筋トレお休みも同じ。だって福岡でもずっとしてたからね。


でも、たまにはトレーニングもお休みにした方がよろしい。食事はふだん無理はしていないけど、お昼は食堂のヘルシー弁当を続けてるし、間食はしないことにしているから、こういう時くらいと、あまり食べない後輩たちをよそに、独りでパクパク。最後に頼んだドライフルーツも美味しくいただいた。


翌日の帰り、気温も上がって、春夏スーツ上着で気持ちいい季節。ごく細い三日月が出ていた。私は北西の自宅方向に上がって行くのだが、月の角度も低く、まるで月に向かって歩いていくようだった。「サキ短編集」読了。次は好きな豊島ミホの女子高生もの「リテイクシックスティーン」。


前書いた、Yahooショッピングに使えるTポイントで、本買っちゃった。

「シャーロック・ホームズの蒐集」

「女子高生探偵シャーロット・ホームズの帰還 上下」

「月に吠えらんねえ 2

「百年文庫絆」


最後は北村薫の「いとま申して」と迷ったが、百年文庫の方がたぶん出回らないからな、と思った。うふふ。楽しいねえ。読みたいのばかりだし。


帰って、ハッと気づいてCSをつける。松坂が投げていた。ストレートだけでは勝負せず、ツーシームと、数種類のスライダーで打ち取っていく。62安打2失点101球。ここで息子帰る。ああ松坂見たかったぁ!と言ってたら7回も出てきた。おお!


ロサリオをショートゴロに打ち取るも、福留に12塁間を割られ、フォアボール。コーチが出たが交代はなし。明らかに上ずってきている。大山は3-1からスライダーを打ってセンターフライ、次の梅野はセンター前ヒットで満塁。小野に代打上本。松坂は粘った。2ストライクめはめいっぱいのストレートか2シームをインコースに持って行って上本はびっくりしたようにファール。追い込んで2-2。息子が、三振だったらカッコいいな、私はいやそんな力はないだろう、と言った。しかし!松坂はどこに隠していたのか、高速スライダーで空振り三振を奪った。素晴らしいボールだった。


ひと昔前の野球を知る人にとって、松坂は甲子園のヒーロー。もちろん日本のプロ野球とメジャーで活躍した、ちょっと入れ込み具合が違う選手。誰もが応援していたと思う。ドームでも、中日ファンが声を出して盛り上げていた。7回の投げ終わりは本当に盛り上がった。


スライダーで何とか打ち取るしかない、ようにも見えるが、松坂から、なんとしても抑えよう、生き延びよう、という気持ちが感じられた。熱投だった。

 

8回、松坂交代、リリーフは岩瀬。えらい高年齢なリレーだこと。中日は打てず、松坂には黒星がつくこととなった。あーあ。1点差をせめて同点に出来ていれば。連敗中のチームもこんなにプラスのパワーを得られるチャンスはなかったのに。阪神の金本監督がこの雰囲気を切ろうとしたのか、ふだん以上に小刻みな投手リレーをしたのが印象に残った。


金曜日、ちょっと詰まる。しかし電車で同僚と話しながら帰ったら、気分が軽くなった。デスクワークしてると気付かないが、この日から25度以上の夏日が続くとか。夕方の暖かい風を気持ちよく感じていた。


土曜日、iPhoneのバッテリーを交換に行った。最初キャリアのショップに行ったら扱ってないからアップルの代理店行きなはれとけんもほろろの無愛想な対応を受け、三宮の代理店に電話したら留守電で、しばらく入らないので数ヶ月してから電話してくださいと。アホかーアップル日本をなめてるだろう、としばらくほっといて、会社の人に聞いたら、正規のルートではないが、主要駅なら業者があると教えてもらい、ごく近くの店を前日に予約して行って、30分で交換終わった。あっさり。バッテリーの持ちがいいこと。これで突然の使用不能やガタ減りに悩まされなくともいい。待ち時間に「リテイク・シックスティーン」読了。アガサ・クリスティ「七つの時計殺人事件」読み始める。すでに今月14冊めだ。


帰ったら、買った本が届いていた。さっそく「月に吠えらんねえ」2巻読み始めた。相変わらずわけわからんと思ったが、途中、室生犀星の戦時中のビルマの旅に続き、中原中也が主人公の章があって、ここは素晴らしかった。最後に酔っ払った萩原朔太郎が傷ついた中也にひざまくらをしてもらい「汚れつちまつた悲しみに」やってよ、と言い、中也は口ずさみ始める。感じ入った。詩を伝える手段にこんな演出もあるのかと。書評を上げたら、いつも本を借りる友人が持っている、と。めっちゃラッキーだ(笑)。やった。


日曜日はお留守番でひがな一日家。図書館行こうかとも思ったがサボる。んー、ポール・オースター「ムーン・パレス」借りたいけどなあ。まあいつでも借りれるさー。ライオンズがマリーンズに速攻で点差を付けるのを観て、阪神が巨人に3連敗するのを観て・・。L秋山の盗塁と、浅村のホームランと、G岡本のバックスクリーンへのホームラン観て満足。巨人は岡本や吉川が育ち、FAで来た野上もいい感じ。上がってくるだろう。


阪神は、スタメンの平均年齢が相変わらず高し。高卒若手は育っておらず、3連戦先発崩壊で3連敗。どうなることやら。


夕方、黄昏時、逢魔が時、いつもどおりワンコの散歩。夕方は風が強く寒いので半そでTの上に長袖Tを着て、薄いパーカーでちょうどいい。夕焼けにうっすら染まる街を観るのが好きだ。スマホではうまく撮れない。人間の眼は機械よりはるかに優秀だと、改めて思う。山の方に行くとあまり人とはいきあわなくて孤独である。犬と自分との時間を楽しむ。さて、GW前にやっちゃうことを急いでやる週だ。

2018年4月15日日曜日

読書行動の2





先日の血液検査の時、医務室で体重計ってみたら60kgだった。久々の50kg台出るか?^_^

いまのトレーニングと食事を続けていればそうなるだろうなと思う。いま身体はやせるターンに入っている。やはり人間は習慣性だと思う。


目下の悩みというか考え事が、Yahoo!Tポイント提携で、期間限定Yahoo!ショッピングのみ使用可のポイントで何の本を買おうかということ。最初は「銀河鉄道の父」とか「たゆたえども沈まず」の単行本を買おうと思っていたけど、ホームズものの新刊文庫にしようと思っている。3500円以上で送料無料。まだ余るから北村薫「太宰治の辞書」か朱雀門出「首ざぶとん」でも買っとこか。北村薫未読の文庫とか、百年文庫とか。「月に吠えらんねえ」も欲しいなあ。うわーどうしよ。月末まで。

 

金曜日、ホームズものの1日めは185ページ。さすがに電車で立ったまま読むのは重くてつらい。ようは、明治の昔日本人が訳した原典、原典を元にして日本版に直した翻案など原典を集めたもののようだ。一番古いのは明治27年で、本国でドイルがホームズ第1作「緋色の研究」を発表した1887年から7年後の1894年。結構早いな。掲載されているのは「唇の捩れた男」。それから「緋色の研究」のアメリカ部分抜き、この2つはだいぶ日本語が古く、ちと読むのに時間がかかる。次の「黄色い顔」に行くと、だいぶ変わってきた。このへん夏目漱石「吾輩は猫である」がヒットしたころで平易な言葉に変わりつつあることを感じさせる。一話読み終わっては解説を読む。栞はロンドンのシャーロックホームズ博物館で買ってきてもらったものでほくほく。


なでしこジャパン、オーストラリア戦、後半すごくいい形で先制、しかし終了間際に追いつかれる。このままでも12位確定なので残り数分はステイでワールドカップ出場決定。


男子にこれが、出来るか?と考えたら。もちろん、男子と女子ではサッカーが違う。イスラム教の国を中心として女子スポーツがあまり推奨されない国と地域がある、という環境ももちろん存在する。


でも、世界一を争おうかという手強いオーストラリアや闘争心むき出しの韓国に対して、落ち着いて自分たちのサッカーを進めている。局地戦でも、たびたび上手い、と思う。個人的にはMVPはセンターバックの市瀬だと思う。実に頼もしかった。攻撃の殊勲者は岩淵。ブッチ、うまい。


男子にこれが、出来るか?監督も選手も、こんなに頼もしくはない。ハリルホジッチが解任され、報道かまびすしい時機だから余計そう思う。この日も寝るのが遅くなってやばい。


14日土曜日になり、早起きして息子を見送った後、しばしうつらうつらとして、いつもの時間に三ノ宮のブックオフ。たまに行くが、広いし、西宮とはやはり品揃えが違う。特に洋書に見るものがある。久々に、たくさん買ってしまった。


シェイクスピア「お気に召すまま」

サキ「サキ短編集」

宮沢賢治詩集

佐藤亜樹「天使」

高田崇史「鬼神伝 神の巻」

                「鬼神伝 龍の巻」

清家雪子「月に吠えらんねえ」1


帰りのバッグが重かった。ただでさえ分厚い単行本入れているのに。でも欲しかったのばかり。嬉しい。「月に吠えらんねえ」も半値以下だったし。まずは楽しみ。「文豪ストレイドッグス」はもう100円で出てたけど、どんなもんだろか。


で、帰って昼ごはん食べて、ワンコ2頭とソファで爆睡。ここ2週間は特によく読んで、ずっと寝不足だった。まあどこかで昼寝するか、早寝するかと思ってたので。気温的にもちょうどよく、ワンコの毛布で気持ちよく眠った。眼が覚めると、天気予報通り雨が降って、阪神が負けていた。


雨は降り続く。風も吹いて外が気になる。夜筋トレの際、わき腹がピキッときて痛む。でもなんとかいつものメニューこなす。バンテリン塗って、深夜までシャーロック・ホームズ読んでいた。


日曜日、雨は朝には止むと予報で言っていたのに全然降ってた。でもいつものバスで西宮北口へ。昨日お金遣ったからきょうは節約デー。図書館行ってホームズ読む。終わりそうだ。タバコ吸って100円缶コーヒー飲んで帰りもバス。帰りはさすがに雨止む。


昼ごはんのカップやきそば食べてホームズ。午後早くついに読了。最初の方は文体が昔風で難しかったけど、後の方の作品は平易で、普通の訳本読んでるような感じだった。


書評は、言いたいことと取り挙げたいことの折り合いが難しかった。長くなったし原典を調べなければならなかったりして、2時間かけてもういいやとさっさと送った。献本は書評審査がある。アップはまだ先である。


なんか疲れて気が抜けたんで「月に吠えらんねえ」読むことにする。さすがモーニングアフタヌーンは実験的作品が多い。北原白秋、室生犀星、そして萩原朔太郎を中心に、文豪がたくさん。スジはわけわからん。たくさん詩が出てくる。わざとか?詩歌界の女王与謝野晶子も出演。しかし小説界のアイドルは分からんかった。誰だろう?


この1週間は、読了~書評アップに追われてて寝不足だった。ホームズも集中して読み込んで疲れがドッと出た。次はラノベを身体が求めている。「鬼神伝 神の巻」でも読もうっと。その次にサキ短編集かなあ。


読書生活は終わりがないのでした。。でも楽しい。


2018年4月14日土曜日

読書行動 1





ひどく冷たい風が吹く48Sundayはブックオフに行って数冊売って物色。


文豪マンガ「月に吠えらんねえ」読んでみたいが見当たらず。これフツーに買ったら1800円もするんだよねえ。


100円コーナーはあまり惹かれるものがなく先日書評読んで興味を持った「ジキル博士とハイド氏」、美術関係読みたいなーという気持ちに合った「モジリアーニ・スキャンダル」に、ひさびさに長野まゆみを購入「カンパネルラ」。宮沢賢治風味が特徴の著者だけに期待。


先日再読した「六の宮の姫君」で出てきたチェーホフ「かもめ」は260円、太宰治「新樹の言葉」は360円、そして知念実希人「黒猫の小夜曲」は510円・・。うーんいまお金ないタイミングだから次にしよう。「新樹の言葉」は書評を読むと、イケてないようなので再考かな。


最近は本当に新しい作品には目を惹かれない。まあ待ってるのが出てくると一気に買うことになるんだけど。


夜、息子に「見た目若いけど」と言われてちょっと嬉しかった。


書評サイトで京都本特集の掲示板が起ち上がったから探してみた。もちろん「京都寺町三条のホームズ」は投下。ほか「等伯」や芥川龍之介など。最近は大正昭和の文豪作品を読むこともあって多めだが、去年一昨年はほとんどなかった。びっくり。森見登美彦もかなり前にしか読んでおらず。


日曜日に「1973年のピンボール」読了。たまのハルキはいい心地。深夜までかかって「ジキル博士とハイド氏」読了。思ったより恐怖をあおっている。読み物としては面白い。1886年の作品で、この翌年にシャーロック・ホームズの第1作「緋色の研究」が発表された。私は昔ウェルズの「透明人間」、ちなみに1897年の作品を読んだが、知性と論理を重視しているところが似ているな、と感じた。


で、その次の日、つまり月曜日、長野まゆみ「カンパネルラ」を行き帰り昼休み+家で読了。遅くまでかかって書評を書く。ベッドで強烈な眠気に何度も意識を失いながらアップ。果たして文章乱れたりしてないだろうか・・と思いつつ眠りに落ちる。後で見ると思いのほかまともなことを書いていた。ともかく寝不足。明日こそは早く寝るぞーといさんだものの、なでしこのワールドカップ予選の韓国戦を2430まで観たので遅くなる。ガチの試合。で、スタメン11人のうち9人は話をきいたことのある選手たち。韓国もチャン・スルギにチ・ソヨンとなでしこリーグで知る選手がいた。気持ちも入る。0-0のドロー。韓国は守備が固かった。どちらも攻撃がいまいち。ガチの試合、けっこうな肉弾戦になった。


ひとつ言えば、アジアのステージで肉弾戦はやめといたほうがいいと思う。世界に行くと通用しないからだ。男子の中国が、北朝鮮が、日本相手のときの韓国が、世界に通用してるだろうか?それよりは、世界の中での特性を生かしたサッカーをすべきだと思うが、またしかし、何かを懸けたガチの試合はそうそう出来るものではない。ここで経験して良かったかなと思う。


眠くてベッドに行ったら、深夜息子の靭帯損傷の包帯を巻き直す事態発生。この日も遅い。読書は「モジリアーニ・スキャンダル」んー、もひとつ感。


水曜日、血液検査の結果が出たと医務室。今回もまったく問題なし、だが、強いて言えば血中の水分が少なめ。冬だからね、と先生はおっしゃったが、年をとると喉が乾くのを感知できずつい水分の補給を怠って、暑くないのに熱中症になる人もいると聞く。たしかにあまり飲んでない。ちょっとだけ意識しよう。「モジリアーニ・スキャンダル」2日で340ページ一気に読了。サスペンスお色気風味でモジリアーニについてのうんちくはなし。ガクッ。書評書いてたらまた遅くなった。


書評サイトで、最近2つ立て続けにプレゼントされている。片方はインドリダソンという最近売れてるアイスランド人ミステリ作家の文庫本。片方は「早い者勝ち!」の本で今もまだ残っている子育て本だった。で、シャーロック・ホームズものが出たのでまた応募。希望者も多いし当たらんやろと思ってたらなんと当選。500ページ超の大もの。嬉しいが、大変だ。書評書くのがマストだし。でも届いたのを見たときは嬉しかった。これってさー、4500円もするんだよ。最近外国書籍は高いと思うがこれは高すぎる。かなり得した気分だ。


翌日は室生犀星「蜜のあわれ」読了。会話だけで構成された、幻想的、ちょい倒錯的でコミカルな作品だった。金魚であり少女の、赤子(あかこ)。二階堂ふみで映画化もされている。ちと興味ありかな。で、ホームズ早速読み出してまた寝不足。ちょっとやばいなあ。


(続く)

2018年4月7日土曜日

3月書評の4




春日北小学校。昔住んでいた家から、通っていた小学校と同じくらいの距離にある。姉が1年だけ通い、小学校が新設されてそちらへ通った。
野球クラブでよく試合の会場になった。懐かしすぎる。

今週は中央アジアの国の映画が2つ同時期公開されていて、続けて観てきた。

「花咲くころ」ジョージア(グルジア)

1992年の内戦時、首都トビリシが舞台。エカとナティア、2人の少女の姿を描く。学校、家庭、社会・・。女流監督、衣装や髪型にこだわり、美しく丁寧な作品。宴でエカがナティアのために伝統的な舞を踊る場面には感動してしまった。

「馬を放つ」キルギスほか

始まって、ああ、この光だ、と久々に巡り会った感覚に安心した。画面の色が自然光に近い、落ち着いた、好きな彩り。

キルギスの名匠、アクタン・アリム・クバト監督の作品はもう16〜17年も前に小さな劇場で「旅立ちの汽笛」を観て刺激を受けた。


冒頭の光の色とは別に、画家志望だったという監督は、優れた色彩感覚の持ち主だと思う。チャン・イーモウや北野武も印象的な色を散りばめるが、この監督は赤系。場面ごとに探すのが今回も鑑賞中の楽しみの1つだった。


天山山脈の麓の村。ケンタウロスとあだ名される50男は、耳が不自由でしゃべれない妻との間に5才の息子がいた。息子は言葉を発することがなかったが、妻は優しく美しく、幸せな家庭だった。そのころ村では、夜に飼い馬を盗み野に放つという事件が相次ぐ。


ベテラン監督だけに、まっすぐでないストーリーやキャラクター立てやその配置、宗教などをバランス良く取り入れている。カットなども映画的な面白さがある。


寓話的な面もあり、物語の要素すべてが現代の我々から見てスッキリしているわけではないが、これがキルギスだ!という作品だ。満足した。観て良かった。


さて、前フリが長くなったが、3月の読書は15作品18冊。復巻が2つあった。四半期で40作品。まずまずかな。今年の特徴として大正昭和初期が多い。なんかランキングで苦労しそうだが・・まあその時の感覚なので。確かにも少し現代ものも読みたいかな。

羅貫中「三国志」上中下


三国志とワインの知識は苦手分野だった。ひとつカシコくなったかな。


漢の景帝の血を引く28歳の劉備玄徳は貧しい暮らしに甘んじていた。黄巾の反乱軍を討伐する義勇兵募集の立札の前で、玄徳はあばれ馬のように威勢のいい張飛翼徳に出逢う。さらに居酒屋で意気投合した関羽雲長を加えた3人は桃畑で兄弟の契りを結ぶー。


漢が分裂し魏呉蜀の三国が相争う時代。英雄が現れては活躍を見せるが、失われるときには大きな歴史の前で少しの哀切が感じられる。


息子が読んでたので、ちゃんと読んだことのなかった三国志を理解するいい機会だと一気に読んだ。やっぱり面白い。


謀略に長け冷酷な魏の曹操が悪役で、徳がありどこかナイーブな劉備玄徳が苦難を味わいながら、豪快で強い義兄弟の関羽、張飛そして趙雲といった仲間たちと戦い抜く。思い入れを誘う設定である。そしてこのセットでは上巻の最後の方に、スーパー軍師諸葛亮孔明が登場して玄徳につく。


中巻ではなんといっても赤壁の戦い、そして下巻では活躍した主役たちが次々と世を去っていく。やっぱ関羽が亡くなるときはちと残念な気がしたな。


三国志はNHKの人形劇で断片的に観ていた覚えがある。孔明が戦わずして10万本の矢を得たエピソードは覚えている。


孔明が南蛮を平定するところは痛快かつファンタジーっぽくて楽しく、星落つ秋風五丈原の章や「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」のくだりも、三国志という壮大な物語に浸って読めた。それこそ孔明と司馬仲達など、実力のあるライバル同士のせめぎ合いもワクワクした。大雨により仲達を取り逃がした時の孔明のセリフ「事を諮るは人に在り、事を成すは天に在り、ーとはこのことか。」も、これぞ戦国ものという感じで、響いた。


裏切りと残酷さが頻繁にあるから、温情や義理、徳も浮き彫りになるのだが、計略はいいけどちと悪い方多すぎだなと(笑)。諸葛亮が死んだ後はさほど興は惹かれなかったが、終わりが大団円でないのが逆にリアルっぽかった。


三国志は、魏呉蜀統一の政権、晋に仕えた陳寿が書いた正史で、そもそも西暦200年代に書かれた話。我々が読んでいるのは14世紀の後半に羅貫中が平易に直した小説の「三国志通俗演義」だそうだ。


「入り」に少年文庫はジャストフィットだね。


安倍龍太郎「等伯」上下


「松林図屏風」観たくなったな。直木賞受賞作品。狩野永徳としのぎを削った天才等伯の生涯。


能登の七尾に生まれた信春(後の等伯)は武家から絵仏師の長谷川家へ養子に出される。33歳となり、絵仏師として名声を得て妻子もいたが、狩野永徳の絵を見て、都に出て修行を積みたい気持ちが強くなっていた。そんな折、生家の兄・武之丞から都へ出るために主家・畠山氏の使いとなることを持ちかけられる。


ドンと本格派の絵師の生涯。上下巻読み通すと重みと読み応えがある。あちこちで迷って道を間違え、感情的にもなりと、かなり人間的だ。


時は戦国時代末期、等伯の人生と並行して織田信長、豊臣秀吉の動きと世相が描かれるので興味を惹き、スピード感も付加される。また等伯には次々と困難が襲うから話の波も多分にある。


狩野永徳を主人公にした山本兼一「花鳥の夢」に、いかに永徳が天才性を宿した等伯を認め疎んじていたかが描かれていた。等伯側から見ると、いや永徳、意地悪でよろしくないなー(笑)と思わせる。


等伯の苦しみは何度も繰り返し描かれるが、天才的なだけに、周囲の人々も好意的な者が多くそれなりに幸せにも見える。読み手をほっとさせる部分でもあるが、難を言えばうまく収まっていてクセが無い。そんな印象を受けた。また、やや劇的にも過ぎるかな。でも楽しめたのもまた確か。


京都には等伯の作品も多くある。春だし訪ね歩いくのもいいな。また国宝「松林図屏風」は解説で「日本水墨画史上の傑作」と書かれている。東京国立博物館だそうだが、観てみたくなった。来ないかな。


芥川龍之介「地獄変・偸盗」


独特の闇の表現。人情味も少し。芥川の王朝もの。「六の宮の姫君」を楽しみに読み進めた。


検非違使の下僕をしていた太郎は、盗人の疑いをかけられて獄に入れられた弟の次郎を救い出すため、妖艶な女、沙金が率いる盗賊団に入った。太郎と次郎はともに沙金に想いを寄せ、抜き差しならない感情が太郎に芽生えていた。ある夜、盗賊団は藤判官の家に押し込みをかけるー。(偸盗)


芥川龍之介は、教科書に載っていた「羅生門」の印象が強い。誰もいない、荒んだ京の都、どこか切れのある、暗黒、闇、黒のイメージ。花の都の黒が際立つ感じ。


王朝ものというのは、平安時代に材料を得た歴史小説で、「今昔物語」「宇治拾遺物語」出典の説話集をもとにした六篇、「偸盗」「地獄変」「竜」「往生絵巻」「藪の中」「六の宮の姫君」が収録されている。


「偸盗」はドラマっぽいが、キャストと雰囲気に上手な異世界感が作られ、陰謀もありなかなか面白かった。盗賊団が集まる羅生門の雰囲気も良い。


「地獄変」は有名な話で、絵師の異能天才さと迫力で 押す話だな、と思ったが 、んーまあこんな感じかと。


「竜」はコミカルで面白く、「藪の中」はちょっとアダルトなテーマに斬り込んでいる。


そして解説にもあるように王朝ものの白眉として人気のある「六の宮の姫君」だが・・。儚い話ではあるが、もうひとつインパクトがなかったってところだろうか。この作品に関しては、続いて読む予定の作品で理解を深めたいと思っている。


教科書で与えられた印象は今読んでも感じる。しかし古典に発想を得て人の世の、どうしようもない矛盾や脆さ、言い換えれば闇、を醸し出す芥川の良さを、多少は深く理解できるようになったのかな、なんて思う。


この短さ、捻り方というか様々な要素を取り込み分かりやすい筋立てではないストーリー、短くダークな印象を残す文章は、心のどこかを刺激し、憶える。もっと読んでみよう。

3月書評の3





手前百道浜のマリゾン、向こう真ん中は、金印が出た志賀島。島から右手に海の中道がある。志賀島の左手は能古島。

全部、小学生の時から実によく行った。大学生の時には、海の中道深夜ドライブの時、前を走る車がサンルーフ開けて打ち上げ花火上げたりしてたな。ひょっとして、2度と行くことないかも。

夏目漱石「文鳥・夢十夜」


ふと手に取った漱石。ところどころ面白かった。


作家の鈴木三重吉に勧められて文鳥を飼うことにした。綺麗だと感心し、いくらか世話をするとよく千代々々と鳴くようになった。しかし・・(文鳥)


小品が詰まった一冊。「夢十夜」はタイトル通り、第一夜から第十夜まで、夢の話が書き連ねてある。「永日小品」という100ページくらいのくくりがあるが、その中身はまた、短い作品が多く入っている章のような感じだ。身の回りのことの創作、またイギリス留学時代のことなどなど、著者自身の体験を小説化しているものも多い。


また重い病気で喀血し入院していた時のことが多く語られている。病院での出来事の描写や、死を意識して感じることなどが赤裸々に述べられている。


過日「草枕」を読んだときはどうにも合わず、後で漱石ファンの後輩から「また難しいとこ読みましたね~」と言われたが、今回もそちらサイドの作品だったかな。うまく浸み込んで来ず、読むのに時間がかかった。


小説として面白かったのはやはり「文鳥」「永日小品」の中の「モナリサ」そしてラストの「手紙」かな。「手紙」は夏目が持つさわやかさとも言える感覚があった。


ソーダ水を昔は平野水と呼び、もとは兵庫県の平野温泉から湧き出た炭酸水を清涼飲料として売り出した時の商品名だった、というのにへーっと思ったり、「爺々汚い(じじむさい)」という言葉がこの時代からあったのか、とびっくりしたり、ところどころ楽しめたかな。


小品を読むと、漱石は少し粗っぽく、どこか太宰治に似ていたり、幻想的だったりする。体系的に読んでみようかな。


ゴーゴリ「外套・鼻」


小説らしい話と、不可思議コミカルな作品の2本だて。


ペテルブルクの下級役人、アカーキイ・アカーキエヴィッチ・バシマチキンは人付き合いもせず、質素で素朴な生活を送っていた。ある日、傷んでいた外套の背中や肩の部分がすりきれそうになっていたため、仕立屋に行き、新しい外套を作ることにした。彼はなんとか金を工面し、材料も仕立屋とともに買い、そしてついに外套は出来上がってきたー。(外套)


ゴーゴリを読むのは初めて。こちらでこの本の書評を見て興味を持った。


「外套」は、素朴な小役人が外套を作るという、主人公と周囲からすれば大事件とも言える出来事に、富裕層から見ればなんてことないことに人生までも翻弄されてしまう話である。話の中に当時のペテルブルクでの暮らしや役人の性質、人間味などがほの見え、人生の矛盾を扱う、短くて小説らしい小説だと思った。


「鼻」はまあ、床屋という市井の家で朝のパンを焼いたら中から鼻が出た、というエキセントリックな出だしの、鼻をなくした、やはり役人のコワリョフの七転八倒ぶりをコミカルに、ファンタジーチックに描いている。


アカーキイ・アカーキエヴィッチは変わり者と見られているが純朴な印象があるのに対して、コワリョフは女色を好み自らを尊大に見せる。それぞれのキャラクターが辿る成り行きには、深みを感じさせるものがある。


1830~40年代の作品で、訳者の解題は昭和12年に書かれたもの。ゴーゴリの他の作品も読んでみたくなった。


阿刀田高「新約聖書を知っていますか」


「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」

この言葉にはえもいわれぬ感銘を受けた。


懺悔告白します。いやー私は聖書のことを知らなさすぎました。数々啓発されました、なんて思ってしまった一冊。


阿刀田氏のシリーズ、「ギリシア神話を知っていますか」「コーランを知っていますか」「旧約聖書を知っていますか」に続き、今回は「新約聖書」にトライ。旧約聖書はイスラエル建国史とも言える内容だが、新約聖書はおおざっぱに言って神の子、救世主イエスとその使徒たちのお話である。


1話が「受胎告知」マリアと天使ガブリエルですね。第2話が「妖女サロメ」、イエスの活動と十二使徒の話を挟んで、第5話「イエスの変容」、第6話「ゴルゴタへの道」では最後の晩餐と磔刑、第7話「ピエタと女たち」で復活を扱っている。


「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」は十字架に懸けられたイエスが叫んだ言葉で、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになるのですか」という意味である。なんか音韻的にも何かが漂ってきそうだ。


内容は超ダイジェスト版とも言えるもので、いつも通り阿刀田氏は読みやすさを意識して書き下してあるのだが、実際にイタリア、イスラエル、トルコを旅して、おそらくは多くの文献にあたり、これまでのシリーズよりもやや慎重に解釈の判断をし、真摯な文面で書き綴っている。破天荒さはうかがえないが、優しい文章に深みがあるようだ。


「受胎告知」は大原美術館でエル・グレコのものを、大阪でティツィアーノのものを見た。数々の名作を引くまでもなく、絵画鑑賞に旧約聖書、新約聖書、さらにはギリシア神話の知識は欠かせない。裏切り者ユダについては、太宰治が「駈込み訴へ」で小説化しているし、マンガに至るまでさまざまな逸話が取り挙げられている。


色んなもので目にしてるから、読む前は少しくらいの知識はあるかと思っていたのだが、この本を読んで、こんなに知らんことあったのかと思った次第である。読んでよかった。


阿刀田氏は、明日は磔の刑になるという日、ゲッセマネの園で悶え苦しんで神へ祈るイエスが一番好きだという。「感動的である。一番人間らしく、崇高に映るからである。」死への恐怖におののき、神に問いかけ、祈り、克服しようとするイエス。たしかにドラマのようで心に残る。磔にされ死を前にした時の神への呼びかけも、この時の心情に類するものだろうと思う。


今回も、面白かった。阿刀田氏には、脱帽だ。


宮沢賢治「注文の多い料理店」


イーハトーヴの世界。なんか独特の迫力を感じるんだよな。いつも。


一郎のうちに、山猫からはがきが届いた。「あしためんどなさいばんしますから、おいでんなさい。」

一郎は喜んで谷川に沿ったこみちをのぼり、山猫のところへ行った。山猫から「あなたのお考えをうかがいたい」と言われた「めんどうなあらそい」とはー。(どんぐりと山猫)


宮沢賢治が刊行した唯一の童話集。ちなみに存命中に刊行されたのは詩集「春と修羅」とこの作品の2つだけで、自費出版したはいいがさっぱり売れなかったそうだ。


「どんぐりと山猫」「狼森と笊森、盗森」「注文の多い料理店」「烏の北斗七星」「水仙月の四日」「山男の四月」「かしわばやしの夜」「月夜のでんしんばしら」「鹿踊りのはじまり」の9編の童話が収録されている。1924年、大正13年に出版されたものそのままの並びとし、宮沢賢治自身の序、そして巻末にはやはり賢治による一話ごとの短い解説が収められている。挿絵も当時のものを採用している。


どれも良かったけど、やはり表題作と、「月夜のでんしんばしら」が心に残った。シチュエーションが似ている「シグナルとシグナレス」を思い出しながら読んだ。


詳しめの解釈が掲載されているが、たしかにストレートで意味の掴める話ばかりでもないし、イーハトーヴと言われても、と、当時の岩手県で売れなかったのも分かるような気がする。


「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」などを読んでいると、ドリームランドとしての岩手県、その日常の姿と、自然の厳しさ、美しさなとに迫力を感じる。今回も、コミカルで微笑ましい話が多いながら、そういった雰囲気をたしかに感じた。やはりいいですね、宮沢賢治。「雪狼(ゆきおいの)」などという言葉も好みである。また賢治が鉱物を好きなのは有名な話だが、解説にあるように理科、理系の冷徹な目線で捉えられた童話は面白みと深さを持つ。賢治の描く世界はまさにひとつの空間ともいうべきものを作っていて、皆に好かれる、イーハトーヴを持っている。


序文の言葉がホントに魅力的だ。

「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいに、すきとおった風を食べ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。」


この本は保存版。「春と修羅」も読みたいな。




3月書評の2





福岡タワー。高さは234メートル。展望台は123メートル。大学在学時の「よかとピア」の時できた。当時確かに出かけた。昇ったの今回初めてじゃないかなあ。

昨春、あべのハルカス288m昇ったけど、福岡の海島街並みはやはり大阪とは違うわね。

井上靖「わが母の記


老いて老耄とした母と過ごした日々。散文的な作品。2012年に映画化されたそうだ。


井上靖は父を亡くしてから10数年間、兄弟姉妹で老いて痴呆が始まった母・八重の世話をして過ごした。時に突飛な行動をしたりわがままを言う母は何を思っていたのか。東京の自宅で、郷里の伊豆で、滞在先の軽井沢で、独特の視点で母の、そして自分の人生に思いを馳せるー。


ここで出て来る「おばあちゃん」八重は昭和48年に亡くなっている。作品は昭和50年に書かれたものだ。おばあちゃんをめぐる家族内の事件などを淡々と追いながら、筆者の家族・親族の事をも描き出している。「おばあちゃん」母が亡くなったのは著者66歳の時。自分と父母の人生を振り返るタイミングだったのだろうと思う。母のために懸命になる兄弟姉妹と、祖母と距離が近い孫たちの姿も描写されており、親族が親しかった時代を感じさせる。


淡々とした随筆、日記のような作品で、正直これをどのように映画化したのか想像するのが難しい。明るい話ではないが、なにかと考えさせられた。


ここからは自分の話。祖母が痴呆症であったことを思い出す。同居していたから、老耄としていくのをつぶさに見ていた。福岡でいなくなって熊本で見つかったこともあり、家から出せない状態で、母は大変だったと思う。私は大学生の頃。遊びたい盛りで、正直あまり面倒を見なかった。そのわりには、父や叔父のことはもう我が子と認識しないこともある祖母が、なぜか私のことは分かるようで、いつも穏やかだった。


その時期は祖母の世話が家族の現実で、また若くあまり深く考えることもなかった私は、当然ながら著者のような視点で見ることはなかった。


だいぶ経って、写真好きだった祖父のアルバム類を整理していて祖母の日記も発見し、祖父母がどんな人生を送ったかがおぼろに見えた時、なんとも言えない感慨を覚えた。電力会社の祖父は戦争期、家族を連れて仕事でいまの中国北部に渡り、終戦後は1年間当地の軍閥に捕らわれて過ごした。若い夫婦は、5人の子供たちをもうけ、自分たちが主人公の家族生活を送り、人生を走り抜けて、老いた。


きっといつか、また考え、祖父母の、そして父と母の人生を振り返り組み立てて、自分が生きた時代を振り返る時が来るのだろう。


なんかまじっと書いちゃった。


板東としえ「天使の創造」


1冊の本には、色々な要素を詰められるものだ。子育てする母。現実と、幼子の想いと、母の迷い。


茨城のつくばに住む夏希は、夫と2歳になる風馬と暮らしているが、成長するにつれだんだん風馬が手に負えなくなってきたと感じていた。母親学級に参加した夏希は、子供のころ同じ保育園だった春香、美月と偶然再会する。(第二章 天使か悪魔か)


上手に構成した作品だな、という気がする。最初の散文詩のような数ページから、夏希の保育園時代の第一章、夏希の子育ての第二章、家族、また家族同士の触れ合いの中で、風馬ら子供たちの体験を童話っぽく描いた第三章。そして第四章では、事件が起きる。


夏希の保育園時代の話は、現代の問題をいくつか表出させていて、少し胸が痛くなる。第二章、第三章では子育ての悩みを織り込みつつ微笑ましいファンタジー童話がやや平坦に続き、第四章では刺すようなエピソードがやって来る。


第四章の後の方は少し宗教的、宇宙観的な話が長い。著者がインドで学んだという瞑想の考え方が大いに入ってるんだろうと思う。理屈が多いので正直ちょっと読むのが停滞気味になるけれど、印象としては、書いてあることを解読できるくらいの、余裕を持った読み方はできるかな、といった感じである。


我々子育て経験旦那族からすると、例えば妻を手伝おうと思っても、妻が台所は自分の城のような感覚を持っていたりだとか、妻として母としての夏希の思いに経験からうなずけたり、ダンナに対してやっぱりそう思ってたか、という部分もあるなと思った。また一方、ママ友との関係性について突っ込んだ独白がところどころにあって、人間的で、重層的な描き方だなと思わせる。


病気を通して、いまの自分や夫婦関係を考える、というと簡単だが、実際には大変で、葛藤もあると思える。全体として喜怒哀楽をうまく抑制して出しながら、うまく波をつけながら、前向きに受け止められるようにまとめられていると感じた。


子育てってあっという間に過ぎつつあり、面倒なことは棚上げにしたこともあったけれど、このような作品を読むと、懐かしく、愛おしく、キラキラした時間だったんだなと思う(ちょっと恥ずかしい)。私はまたこの時期が東京だったから人生の想い出としてなおさら。同時にもっと向き合うことも出来たんじゃないかと、ちょっと反省したりするのでした。


ナサニエル・フィルブリック

「白鯨との闘い」


迫力、限界、そして・・。めっちゃ面白くてすぐに読み切った。


アメリカ・マサチューセッツ州沖に浮かぶナンタケット島を出発した捕鯨船エセックス号は、182011月、太平洋上で鯨と格闘していた。ボートが破損して母船に戻り、懸命に修理していた一等航海士オウエン・チェイスは別の巨大なマッコウクジラが母船に近づくのに気がついたが、最初は危険を感じなかった。しかし次の瞬間、クジラは信じられない行動に出たー。


エセックス号とその乗組員が恐るべき運命を辿った事件を追い、当時の手記から再現したルポルタージュである。世界的名作「白鯨」を書いたメルヴィルはこの事件を題材とし、アメリカではかつて非常に有名な話だったそうだ。


巨大なクジラに襲われ、沈没した母船、太平洋上を漂うボートには苦難の運命が待っていた。判断ミス、流布された風説、飢えと渇き、無人島への上陸、さらに漂流、そしてカニバリズム。


「エンデュアランス号の遭難」ほか私はこの手のものをいくつか読んでいる。井上靖「おろしや国粋夢譚」もそうだ。普段暮らしていると遭遇しようのない危機やその中の知恵、起こるべくして起きたことなどはかなり興味深い。


本書は遭難ものとしてもそうだが、その前の時代的なクジラ漁の迫力がすごいと思う。目の前の巨大な生物が尾びれを振ったりアゴでかじっただけで、漁に使うホエールボートは転覆したり破損したりする。その恐怖もたいがいと思うのに、母船を巨大クジラが襲うなんて衝撃がでかい。


限界を見る漂流生活とショッキングな展開も含め、最近になく集中できて、あっという間に読み切った。著者は非常によく研究したようで、クジラの生態や当時の漁、さらにナンタケットの文化などをよく分析していると思う。


たまたまブックオフで見かけた一冊だったけど当たったな。これだからやめられないな。


百瀬しのぶ「おくりびと


そういえば観てなかった映画のノベライズ。コンパクトで読みやすかった。


チェロ奏者の大悟は、所属している楽団が解散となり、妻の美香とともに故郷の山形に帰る。「旅のお手伝い」亡き母の家で見つけた求人情報をあてにして行ってみると、仕事は、遺体を扱う納棺師だったー。


父は女と出奔、育ててくれた母は亡くなり、チェロの道を捨てた大悟が、周囲の無理解に苦しみながらも、納棺師という仕事を通じて光を見出していく物語。たぶん映画はもっと仕掛けがしてあって長いんだろうけど、小説は短くエッセンスのみが綴られている、と思う。小道具もたくさん、そしてラストは、親子の行き違いと新たな命、きれいに締めてある。


映画の方はアカデミー賞外国語映画賞、モントリオール映画祭グランプリなどを獲得した。その時、美香役の広末涼子が「エキサイティングでファンタスティックで・・」とインタビューに答えていた。


広末涼子というのは、私の体験では、女子にはあまり好かれないタイプで、どちらかの受賞報道の翌日、いつもは温厚な映画好き女子が、広末涼子、ムリに英語使うことないんですよねー、とぷりぷりして私に言ってきたという思い出がある。私なんかはかなり昔、さくら銀行のポスターを見てかわいいなあと思っていたのだが。


小説を読む限り、チェロ、山形の自然と四季、日本の習慣、死生観などが詰まった優しいストーリー。外国で受けたわけも何となくわかる。


機会があればDVDで観てみようかな。