プロ野球のクライマックスシリーズは独特の緊迫感があって面白い。この制度のメリットデメリットについては総括が必要かな。いずれ書いてみよう。
絲山秋子「沖で待つ」
芥川賞の表題作を含む短編集。同年代の会社員の、若いころ。懐かしいな、と思わせる佳作。
住宅設備機器メーカーに女性総合職として就職した及川は、福岡支社への配属に、同期でともに関東人の牧原太・太っちゃんと嘆き合うが、仕事を始めると環境にも慣れ、会社ライフを楽しむようになる。やがて太っちゃんは結婚、お互い関東に転勤となり、久しぶりに再会した時、太っちゃんは、及川に、ある協約をもちかける。(「沖で待つ」)
右も左も分からない新入社員だった若者が仕事を覚え、土地にも慣れて、会社でのプライベートを含めた連帯感のようなものを掴んでいき、やがて若手ではなくなるー、という流れを追ったものだ。男女雇用機会均等法が施行されて数年、まだまだ女性総合職も少ない時代、会社としてもその扱い方が分からないような状況も記してある。著者は私の一つ上にあたる。バブル崩壊直後でまだ余裕があった頃だ。
まさに私はそのころ若手社員だったわけだが、無性に懐かしさをそそる。仕事をなんとかして覚え、職場では集団行動当たり前で色んなものをみなと共有出来たころ。女性総合職の先輩も同期もいて、飲みに行ってしゃべり倒した時間。
物語は「協約」を巡り急展開する。そこはやはりフィクショナルなわけだが、ターニングポイントとなる出来事にも現実を重ねて思いを馳せてしまう。
絲山作品は、デビュー作「イッツ・オンリートーク」「袋小路の男」と読み、どちらかというと軽妙で現実的、エロチックさを含む女性的なところを感じていたので、今回のようなバブル世代メモリーのような、あまり色気のないストレートな語りは意外だった。でも「沖で待つ」は佳作だと、素直に思った。
カズオ・イシグロ「遠い山なみの光」
うむ、しっとりしている。戦後間もない長崎、時代の狭間。カズオ・イシグロの長編デビュー作。王立文学協会賞。
戦後間もない長崎で夫とともに暮らす妊婦の悦子は、空き地の外れの一軒家に娘の由里子と住んでいる佐知子と親しくなり、仕事の口を世話してほしい、と頼まれる。由里子は小学校へ行っておらず、女の人が自分を連れに来る、と不穏なことを口にしていたー。
そろそろあるかな、と思って本屋に行ってみたら、あまりハデではなかったが一角にカズオ・イシグロコーナーが設置されていた。さすが出版社、書店ともに対応が早い。これともう1冊、初期のものを買ってきた。
さて、いくつかの暗合を駆使した物語である。順調に出世しているサラリーマンの夫と暮らし子宝に恵まれる悦子、子供のことも放ったらかし気味で、奔放に生きる、危なっかしい佐知子。その姿を、いまはイギリスに暮らす悦子が振り返る構造だ。
悦子と佐知子の会話は噛み合ってなく、由里子も悦子には打ち解けない。もう一つ。時代のギャップを物語るキーパースンとして、戦前教師をしていた悦子の夫の父がいる。冷静で、かつ誠実だから、そのギャップが余計に際立つ。悦子と佐知子、夫の父と夫、ままならない会話がこの作品のエッセンスだと思う。
ニュースによれば、カズオ・イシグロは日本語の聞き取りはある程度出来るが、ライティング、スピーキングは出来ないという。取材も丹念だと思うし、訳者の手腕もあろうが、日本人が読んでどこかふうむ、と思えるストーリーを描けるのは少しびっくりだった。
会話で進むプロットで、落ち着いている感じだが、向き合うものは見えてきて考えさせられる。この作品で最初の賞を取っているが、イギリスではどう受け止められたのか、と思うな。悦子の夫の父の感じ方は、ちょっと、と思う方面もあるように書かれているけど、それだけではない、と訴えかけているようにも見える。
長崎への郷愁は、好ましく思える。また、ちょっと階級を意識しているような部分はイギリス的か。
かつての実家の近くに広い庭の家があり、大きな落葉松があった。古い実家の2階の窓から、またあぜ道をつたって近づいたところから、天を目指してまっすぐに立っている落葉松を見ていると、その庭の西洋的な雰囲気とあいまって、子ども心にも感じるものがあった。今回の作品は私に、その心象風景を思い出させた。
望月麻衣「京都寺町三条のホームズ5
シャーロッキアンの宴と春の嵐」
天橋立・城崎温泉への旅あり、シャーロッキアンあり、サッカー京都サンガとのコラボあり、宿敵・円生との緊迫感あふれる対決あり。今回もたくさん詰まった巻。
京都寺町三条の骨董品店・蔵のバイトの女子高生真城葵はゲームで城崎温泉の宿泊券を貰い、友人の香織、俳優の梶原秋人、そして蔵のホームズこと家頭清貴とその父という一行で天橋立を見た後城崎へと向かう。城崎の宿には香織の姉で斎王代の美女・佐織がアルバイトをしていた。佐織は清貴に相談があるというー。
今回はシャーロッキアンの集いが描かれていて、とても楽しかった。何回同じことを聴いても面白く感じるのがシャーロッキアン。先に書いたように、話も多く少し分厚い。折り詰めのような巻。ほんのちょっとだがお色気さえあります。今回は特に、ラノベ〜って感じがしたかな。ちょっとホームズのセリフも若いというか幼いし。恋もふんだんに散りばめられて、にぎにぎしい。すらっと読めました。
ジョン・ウィンダム「トリフィド時代」
トリフィ〜ド時代〜♪
トリフィド時代が〜夢なんて〜♪
てな鼻歌を歌いながら、破滅ものの古典SFを読みこむ。2曲とも分かる人はもうトシですな。
地球が緑の大流星群の中を通った。その光を見たものは、翌日、みな盲目になったー。
目のケガで入院していて難を逃れたビルは、混乱のさなか、やはり流星を見なかった女流作家、ジョゼラと出会い、行動をともにする。街では、三本足で歩き、毒の刺毛のある触手のようなもので人を襲う、トリフィドという植物が活気付いていた。
1951年の作で、大変な人気を博したSF。世の殆どの人間が盲目となり、少数の目が見えるものたちは、どう行動するのかー。舞台はイギリスである。さらには、トリフィドとという、うまく管理出来ている時は有用だが、秩序が失われるとやっかい極まりなく危険で、なぜか人のいるところに集まり、知能もあるような、そしてちょっとコミカルな植物が、2つめの主要要素として危機を煽る。
人間たちは、コミュニティと自分たちのルールを作り、武装するものも現れる。まだ食糧やガソリンなどがあるうちはいいが、この先どうなるのか、という後戻りのできない破滅的な状況のなかで人間を描いていくストーリーである。
確かに巧妙で、興味深い。「宇宙戦争」などでもそうだが、こういった危難が襲うものはロードムービーっぽいんだな、と思いながら、読み進んだ。続編読んでみたい気もするが、それを作ったら破滅ものではなくなるかな(笑)。ジョン・ウィンダムは他にも佳作があるらしいので、心に引っ掛けておこうと思ったのでした。
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