豊島ミホ「青空チェリー」
ふうむ。エッセイ「底辺女子高生」などの豊島ミホのデビュー作。作家の特徴は色々あるものだと思う。なかなか面白い。次は「檸檬のころ」を読もう。
首都の大学に通う21歳の麻美は、交際している教授に、新幹線の切符を渡され、夏の間四国の実家に帰るよう言い渡される。日本は戦争をしていた。田舎に帰った麻美は、幼なじみの映二と付き合うようになる。(「ハニィ、空が灼けているよ」)
正直言って、最初の作品はもひとつ分からず、「女による女のためのR-18文学賞」読者賞だったという短編の表題作は、うーむ、という気になった。最後の「誓いじゃないけど僕は思った」で初めて、この作家の良さを認識し、すると前2作もちょっと見えてきた。
豊島ミホの特徴をひと言で言うと、「空気感」だと思う。早稲田大在学中に書いたという本作は、設定や会話が若かったり、エロだったり、主人公の女の子が、可憐と言うよりはちょっと不思議ちゃんだったりするのだが、風景、光景、それに絡む思い出、などの部分で作る空気感は、独特の、みずみずしいものがある。
「誓い」にはミョーに共感しちゃったし。男のこの部分を共感させるこの女性作家ってなんなのよ、とか思った。
感覚というと簡単だけれど、言葉、文章、物語の感覚は本当に千差万別だ。豊島ミホは、前の作品の、新海誠のように、緻密に計算してないようにも思える。もう少し読みたい、と思った。
アレクサンドル・イサーエヴィチ・ソルジェニーツィン
「イワン・デニーソヴィチの一日」
再びノーベル賞。壮絶で文学的な作品。ソ連時代の収容所生活。色々な意味で、時代と歴史を感じる。
元農民のイワン(シューホフ)は、第二次大戦中ドイツ軍の捕虜となり脱走して友軍に戻ったところをスパイ罪で捕らえられ、すでに酷寒の収容所で8年を暮らしている。過酷な収容所生活を上手く立ち回って生き抜く、シューホフの「幸福な」一日とは。
早朝5時起床、薄い粥や野菜スープを食べるだけで、酷寒の中厳しい労働を強いられる囚人たち。様々な出身の者がいて、少しでも得をするよう知恵を使って立ち回る。厳しい規則はあるが、どこでどのように反抗すれば許されるか、まで微に入り細に入り描いてある。
そこにはある種の明るさとたくましさがあり、語り口も淡々としている。長い刑期のため、家族とも離れて、自分とは、というところにまでほんのりと迫る。
なるほど、これは文学的だ。世界的ベストセラーだとか。なんか納得。
ソルジェニーツィンはソ連の作家で、軍に居たとき、手紙でスターリン批判をしてしまい、カザブスタンの政治犯収容所などで8年を過ごした。その体験をベースとしたこの物語が出版されたのは1962年。スターリン批判をしたフルシチョフ首相らの尽力で出版されると国内外に反響を巻き起こした、ということだ。
フルシチョフが失脚するとまたソルジェニーツィンは不遇となる。そりゃそうだろうな。当時のソ連に居て、ここまで赤裸々なことを書いた日には。1970年にノーベル賞を受賞したが、授賞式には実質的に出ることが出来ず、メッセージを寄せただけだったとか。そして、1974年には国外追放となってしまう。
読んでて日本軍のイギリスの捕虜生活を描いた「アーロン収容所」を思い出した。もちろん残酷な部分もあるのだが、知恵を使って食料品や酒を盗み出す捕虜たちのたくましさが書いてある。
抑制された文章で、武骨に綴る生活と想い。うーん、軽々に言ってはいけないかも知れないが、良いものに触れた、と思う。
1972年の訳だが、解説や言葉遣いにも時代が見える一方、やはり新訳した方が、と思う部分もあった。
原田マハ
「モネのあしあと 私の印象派鑑賞術」
雪がしんしんと降る夜は、夜ふかししたくなる。「ジヴェルニーの食卓」を書いた原田マハがモネの絵を紹介し背景を説明したもの。モネ愛に溢れている。やっぱ活き活きしてるな。
パリで生まれたモネが活躍した時代背景、印象派の新しい潮流、モネが描いた環境と人生などを追い、最後のほうにフランスでのモネに絡んだ観光の仕方、国内でモネ作品を置いている美術館などが紹介されている。
原田マハはもと美術館に勤めていて、キュレーターも経験した異色の作家。「楽園のカンヴァス」をはじめとして彼女の美術ものの作品はとてもいいと思う。今回は、昨年日本を巡回した、マルモッタン・モネ美術館の作品展の際の講演をまとめたものである。
私は印象派はちょっと斜めから見てしまうたちで、モネの作品はかつて神戸でも大原美術館でもだいぶ見たからいいや、人多いだろうし、とこの展覧会をスルーしてしまったが、この本を読んで、行っときゃよかったと後悔している(笑)。
自然を愛したモネ、庭を愛し、喜びあふれる絵を生み出したモネ。私も好きだ。いい本だった。絵が白黒でなく全部カラーだったらもっと良かった。
もう1回、パリ行きたい!
安部公房「壁」
うーん、「壁」が大きなテーマになってるようではあるが・・。大半は分からない(笑)。昭和26年の芥川賞。
ある日、「ぼく」が目覚めてみると、胸のあたりに異常を感じる。「ぼく」は自分の名前をどうしても思い出せず、身分証などを見ても名前は消えていた。オフィスに出勤してみると、席では自分に似た、ぼくの「名刺」が仕事をしていた。(「S・カルマ氏の犯罪」)
安部公房は、幻想文学、という定評があるらしいが、この作品は、確かに幻想的な部分もあるが、なんかシニカルで、暗喩的で、どこか星新一的、またハルキ的なものも感じる。このあとぼくは、胸に風景や動物を盗むとして裁判を受けたり、身に付けるものや文房具の反乱に遭ったりする。うーん、理解しようとするのは間違いかも。
この本には、先に挙げたもののほか、「バベルの塔の狸」「赤い繭」と、ざっくりと3つの全く違う話が収録されている。どれかというと、2話めは分かりやすい。3話めはちょい江戸川乱歩が入っている。
安部公房は、三島由紀夫らとともに戦後派として活躍し、「砂の女」などが海外でも評価され、1968年にはフランスの最優秀外国文学賞を受賞したりしている。私は「砂の女」を読んだが、昆虫好きな一介の教師が、不可思議な世界に入り込むというストーリーで、大きく暗澹としたものを感じた。「燃え尽きた地図」はアメリカで評価されたそうである。
まあ、文学に対する理解の一助にはなったかな。かな?
豊島ミホ「青空チェリー」
ふうむ。エッセイ「底辺女子高生」などの豊島ミホのデビュー作。作家の特徴は色々あるものだと思う。なかなか面白い。次は「檸檬のころ」を読もう。
首都の大学に通う21歳の麻美は、交際している教授に、新幹線の切符を渡され、夏の間四国の実家に帰るよう言い渡される。日本は戦争をしていた。田舎に帰った麻美は、幼なじみの映二と付き合うようになる。(「ハニィ、空が灼けているよ」)
正直言って、最初の作品はもひとつ分からず、「女による女のためのR-18文学賞」読者賞だったという短編の表題作は、うーむ、という気になった。最後の「誓いじゃないけど僕は思った」で初めて、この作家の良さを認識し、すると前2作もちょっと見えてきた。
豊島ミホの特徴をひと言で言うと、「空気感」だと思う。早稲田大在学中に書いたという本作は、設定や会話が若かったり、エロだったり、主人公の女の子が、可憐と言うよりはちょっと不思議ちゃんだったりするのだが、風景、光景、それに絡む思い出、などの部分で作る空気感は、独特の、みずみずしいものがある。
「誓い」にはミョーに共感しちゃったし。男のこの部分を共感させるこの女性作家ってなんなのよ、とか思った。
感覚というと簡単だけれど、言葉、文章、物語の感覚は本当に千差万別だ。豊島ミホは、前の作品の、新海誠のように、緻密に計算してないようにも思える。もう少し読みたい、と思った。
アレクサンドル・イサーエヴィチ・ソルジェニーツィン
「イワン・デニーソヴィチの一日」
再びノーベル賞。壮絶で文学的な作品。ソ連時代の収容所生活。色々な意味で、時代と歴史を感じる。
元農民のイワン(シューホフ)は、第二次大戦中ドイツ軍の捕虜となり脱走して友軍に戻ったところをスパイ罪で捕らえられ、すでに酷寒の収容所で8年を暮らしている。過酷な収容所生活を上手く立ち回って生き抜く、シューホフの「幸福な」一日とは。
早朝5時起床、薄い粥や野菜スープを食べるだけで、酷寒の中厳しい労働を強いられる囚人たち。様々な出身の者がいて、少しでも得をするよう知恵を使って立ち回る。厳しい規則はあるが、どこでどのように反抗すれば許されるか、まで微に入り細に入り描いてある。
そこにはある種の明るさとたくましさがあり、語り口も淡々としている。長い刑期のため、家族とも離れて、自分とは、というところにまでほんのりと迫る。
なるほど、これは文学的だ。世界的ベストセラーだとか。なんか納得。
ソルジェニーツィンはソ連の作家で、軍に居たとき、手紙でスターリン批判をしてしまい、カザブスタンの政治犯収容所などで8年を過ごした。その体験をベースとしたこの物語が出版されたのは1962年。スターリン批判をしたフルシチョフ首相らの尽力で出版されると国内外に反響を巻き起こした、ということだ。
フルシチョフが失脚するとまたソルジェニーツィンは不遇となる。そりゃそうだろうな。当時のソ連に居て、ここまで赤裸々なことを書いた日には。1970年にノーベル賞を受賞したが、授賞式には実質的に出ることが出来ず、メッセージを寄せただけだったとか。そして、1974年には国外追放となってしまう。
読んでて日本軍のイギリスの捕虜生活を描いた「アーロン収容所」を思い出した。もちろん残酷な部分もあるのだが、知恵を使って食料品や酒を盗み出す捕虜たちのたくましさが書いてある。
抑制された文章で、武骨に綴る生活と想い。うーん、軽々に言ってはいけないかも知れないが、良いものに触れた、と思う。
1972年の訳だが、解説や言葉遣いにも時代が見える一方、やはり新訳した方が、と思う部分もあった。
原田マハ
「モネのあしあと 私の印象派鑑賞術」
雪がしんしんと降る夜は、夜ふかししたくなる。「ジヴェルニーの食卓」を書いた原田マハがモネの絵を紹介し背景を説明したもの。モネ愛に溢れている。やっぱ活き活きしてるな。
パリで生まれたモネが活躍した時代背景、印象派の新しい潮流、モネが描いた環境と人生などを追い、最後のほうにフランスでのモネに絡んだ観光の仕方、国内でモネ作品を置いている美術館などが紹介されている。
原田マハはもと美術館に勤めていて、キュレーターも経験した異色の作家。「楽園のカンヴァス」をはじめとして彼女の美術ものの作品はとてもいいと思う。今回は、昨年日本を巡回した、マルモッタン・モネ美術館の作品展の際の講演をまとめたものである。
私は印象派はちょっと斜めから見てしまうたちで、モネの作品はかつて神戸でも大原美術館でもだいぶ見たからいいや、人多いだろうし、とこの展覧会をスルーしてしまったが、この本を読んで、行っときゃよかったと後悔している(笑)。
自然を愛したモネ、庭を愛し、喜びあふれる絵を生み出したモネ。私も好きだ。いい本だった。絵が白黒でなく全部カラーだったらもっと良かった。
もう1回、パリ行きたい!
安部公房「壁」
うーん、「壁」が大きなテーマになってるようではあるが・・。大半は分からない(笑)。昭和26年の芥川賞。
ある日、「ぼく」が目覚めてみると、胸のあたりに異常を感じる。「ぼく」は自分の名前をどうしても思い出せず、身分証などを見ても名前は消えていた。オフィスに出勤してみると、席では自分に似た、ぼくの「名刺」が仕事をしていた。(「S・カルマ氏の犯罪」)
安部公房は、幻想文学、という定評があるらしいが、この作品は、確かに幻想的な部分もあるが、なんかシニカルで、暗喩的で、どこか星新一的、またハルキ的なものも感じる。このあとぼくは、胸に風景や動物を盗むとして裁判を受けたり、身に付けるものや文房具の反乱に遭ったりする。うーん、理解しようとするのは間違いかも。
この本には、先に挙げたもののほか、「バベルの塔の狸」「赤い繭」と、ざっくりと3つの全く違う話が収録されている。どれかというと、2話めは分かりやすい。3話めはちょい江戸川乱歩が入っている。
安部公房は、三島由紀夫らとともに戦後派として活躍し、「砂の女」などが海外でも評価され、1968年にはフランスの最優秀外国文学賞を受賞したりしている。私は「砂の女」を読んだが、昆虫好きな一介の教師が、不可思議な世界に入り込むというストーリーで、大きく暗澹としたものを感じた。「燃え尽きた地図」はアメリカで評価されたそうである。
まあ、文学に対する理解の一助にはなったかな。かな?