気がつけば、昨年の12月の書評上げるのを忘れていた。ご挨拶は後。取り敢えずスタート!
H・G・ウェルズ「宇宙戦争」
古典であり名作。火星人は強大な戦力で、地球を容赦なく破壊殺戮しまくり。血湧き肉躍りました。
「私」が住んでいる、ロンドン郊外のウォーキングで、宇宙から飛来した円筒形金属の物体が見つかる。それは落下の衝撃で出来た大きなくぼみの中にあり、円筒形の縁が、ゆっくりと回転していたー。
1898年発表、シャーロック・ホームズの時代と同じですな。場所もイングランドと一緒。「私」は行く先々で火星人が乗り込む長足の殺人機械と出会い、逃げ惑い、時には目と鼻の先で隠れ、その攻撃力に翻弄される。全体にその時代の科学小説の匂いがするが、多くの描写はそのような状態に置かれた時の人間の行動に割かれている。
1938年、オーソンのほうのウェルズが、アメリカでラジオドラマにしたところ、あまりの迫真性に全米で一大パニックが起きたというのは有名な話である。今回は2005年にスピルバーグが映画化されるのに伴いリバイバル発売されたもののようだ。ちゃんと新訳版にしてるみたいなのでGOODである。
ウェルズは、ジューヌ・ヴェルヌと並ぶ科学小説の祖で、「タイムマシン」「透明人間」ほかを著している。「透明人間」は昔読んだな。
まあ、こういうのは、醒めた目で読むのではなく、登場人物になったつもりで、単純に楽しむのが良いと思う。
背景を知るために、ウィキペディアで引いたら、最初の飛来地となったウォーキングには火星人の殺戮機械のオブジェがあるとかで、なかなか興味深かった。写真を見たい人は引いてみましょう。
北村薫「太宰治の辞書」
この感慨を、どこから話していいのか分からない。17年ぶりの続編。「円紫さんと私」シリーズ最新刊。
大学を卒業し出版社に勤め始めてから20数年、40代の私は、仕事を続けながら、中学で野球部に入っている息子と夫と、小田急沿線の一戸建てに暮らしている。ふとしたことからピエール・ロチを思い出した私は、ロチが参加した舞踏会をモデルにしたという、芥川龍之介の「舞踏会」について考察を始める。(「花火」)
70ページくらいの、短編というよりは章が3つ連なっている「私」が主人公のストーリー。前作「朝霧」で、「私」は大学を卒業したばかりだった。今回は、結婚して子を設け、順調な人生を歩んでいる、落ち着いて、探究心旺盛な「私」の「文学の謎追求の顛末」が語られる。今回は、芥川龍之介と太宰治に絡み、当時の著名な文人もたくさん登場する。
いやーちょっと感覚的で内容が小難しい部分もあり、1ページ読むのに結構時間がかかったりする。しかし、これこれ、これだよ、と声が出そうになる、本好き必読の、味わい深い作品である。
地元で高校の教員になっている、親友の正ちゃんとの懐かしい、軽妙な会話も再登場。そして、第3章に、満を持して、円紫さんが大登場と、心にくいほどの演出だ。
今回も、北村薫の、女性作家と見紛うばかりの文調と安心できる空気感、文学への深い洞察と、大人らしい追跡と、良き仕上がりになっている。読み終えて、最初の方をナナメに再読すると、最初の方から、ラストの章へのフリとも言える文章が目に付き、まさに一冊トータルでの作品、ということに驚かされる。ただ懐かしいだけの後日譚では全くない。
シリーズはいつか読み返そう。形としては、ただ一度だけの復活とも思えるが、内容的には続きそうにも感じる。ぜひこの感じで続けて欲しい。
江國香織「つめたいよるに」
キレキレだと思う。江國香織24歳の時の、初短編集。最初でキュン、ガツンと来る。
愛犬が死んだ翌日、泣きながらアルバイトに行く途中、「私」は19歳くらいの、親切な男の子に電車の席を譲ってもらう。(「デューク」)
ショートショート、と言ってもいいくらいの話が21編収められている。ファンタジーっぽいものも多く、怪談めいたものもある。児童小説そのもののストーリーもいくつかある。さらには、女子ものもある。
一つ、と言われたら、フェミニンものの「ねぎを刻む」かな。
私は直木賞ものをよく読むが、短編集もけっこう多い。どうも分からない、と話していた時に、短編のポイントを教えてもらい、江國香織を推薦された。ちょっと時間が経ったが、少し分かった気分だ。
江國香織は、この中に収められている「草之丞の話」で童話の賞を取り注目された。その後次々とヒット作を生み出し、「号泣する準備はできていた」で直木賞を受賞した。他にも、「冷静と情熱のあいだ」「泳ぐのに安全でも適切でもありません」など耳なじみのある作品がたくさんある。
私は「号泣」と「きらきらひかる」は読んだ。当時、今回ほどのものは感じなくて正直興味を失っていたが、最近美術エッセイ「日のあたる白い壁」を読んで、その表現のセンスに感じ入って再び関心が湧いた。
この作品は、そこかしこの表現もそうだけれど、江國香織の物語の創作センスに触れるような感じでなかなか興味深かった。表紙もいいね。これを分かるのは、そういう年代だからと言えなくもないけど(笑)。次は「こうばしい日々」かな。
魯迅「阿Q正伝」
ほー、へー、これが魯迅かー。たまたま行き当たって、教科書に載っている作品を読んでみた。
デビュー作である「狂人日記」を始めとして、日本留学時代の師のことを綴った作品「藤野先生」そして名高い「阿Q正伝」。これらは、短編である。ほぼ1920年前後の作品ばかりで、訳者あとがきの年は1961年となっている。
魯迅は、留学して仙台の医学学校に学んだ。その際に見た日露戦争の映像で、ロシアのスパイとして処刑された中国人と、処刑の場面をただ面白そうに眺めるだけの中国人の一団を見て衝撃を受けたという。「藤野先生」には、そのことが書かれている。
「阿Q正伝」は、無知蒙昧な阿Qの姿とその成り行き、庶民の姿を描くことで中華民族の病態を表しているという。他の作品も、辛亥革命という時代背景のもと、知識層でも生活に苦しむ描写が多い。
そのモチーフもさることながら文学性も評価されていて、デビュー作は反儒教的精神から、熱狂的に受け入れられたそうだ。
どれかと言われたら「孤独者」か、寓話風の「眉間尺」かな。
本読みはよくどうでもいいことに悩むが、その一つに、大衆小説ばかりで、名作を読まなくていいんだろか、という事があり、ちょっと手に取ってみた。まあこのテイストをいきなり分かるかというのは、うーん、難しかったけれど、ちょっと満足だったりする。(笑)
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