就職同時、まだ博多弁が抜けなかったころ、早稲田の一文出で大変な読書家の同期とよく話していた。彼は大いにいいやつで、こんなこんな本が読みたい、と言うと、遅くとも1週間以内に、ベストマッチの本を持って来てくれるのだった。こちらは言った事も忘れているというのに。綾辻行人も、恩田陸も、石田衣良も乙一も、最初はその同期に貸して貰った。
私がシャロッキアンであることを面白がり、シャロッキアンがどんな議論をしているかも当然のように知っていた彼は、ある日、私に囁いた。
「蜜の味」って知ってるか?いっぱしのシャロッキアンであることを自認していた私も、知らなかった。彼は言った。俺が読んだ中で、一番面白かったパスティーシュだ。ハヤカワで出てるから探してみい。
私は、探した。大きな書店はもちろん、町の小さな本屋に至るまで。本屋に行けば、ハヤカワのコーナーで念のために探す、が習慣になった。関西には、神保町のように有名な古書街はないが、古本屋に行っては見てみた。どうしても読みたかった。インターネットが普及してからは検索してもみたが、やはり絶版。ほとんど諦めていたというのもあり、そればっかりに熱中していた訳でもないので、探し方が甘かった部分もあろうが、いつもその書名は頭にあった。
「蜜の味」があった。ついに見つけた。その瞬間、頭の中で何かがスパークした。小さな火花が炸裂した。私は声こそ出さなかったが、顔の前で、指を鳴らしていた。目が大きく開き、高揚しているのが分かった。確かにハヤカワだった。落ち着いてきて、その棚を見直すと、これも絶版のパスティーシュ、パロディがいくつかあった。もう1も2もない。焦って買った。こんな感じの、よく出るんですか?20年間探してたんです。いや、あまり入って来ないですねー。私と同い年くらいだろうか、の店員が答える。私が興奮しているのにちょっと驚いている。ともかく、包みを提げて、後生大事とはまさにこのこと、で提げて外に出たら、カレー屋の前に灰皿があったのでゆっくり煙草を喫む。まだとても実感が湧かない。
もう神田神保町での今日は、終わってしまった。もう用が無い。それでいい。有名な喫茶店「さぼうる」に入り、しげしげと眺める。パラっとめくってみる。ここで読む気にはならない。電車に乗って、ひと駅前で降りて、1回行ってみたいと思っていた店を探し、回り道して歩いて帰る。運がいい気がした。こっちと思う方向にしばらく歩いて順調に見つかった。住宅街にあるが、思った通り小粋な店だ。また歩く。いつもバスに乗って通るだけだが、歩いてみると意外にセンスの良さそうな店がそこここにある。人はあまり通らない。誰もいない道で、バカヤロー、こんな本、俺じゃなきゃ誰も買わねえぞ、と口に出す。緑豊かな季節、明るく時折さわやかな風が吹く夕方前の、街路樹が立ち並ぶ道、痛快な気分だった。
改めて発行年を見ると、昭和57年、1982年だ。私が存在を知ったのは、日本で出版されてから10年くらいのころな訳だが、パスティーシュの運命もまた私は知っている。ものにもよるが、さして有名な作家が書いた訳でもなし、しかも外書でジャンルは極端に狭くシリーズでもない本は、10年も経てば忘れ去られる。当時はブックオフのようなものも無かった。いまブックオフに行くと、入社したころに求めたパスティーシュは散見されるが、さらに10年前のものは、やはり出ないだろう。買っておいて良かった、と思う絶版ものをどれだけ持っていることか。
きょうはこれで満足だ。まだ余韻が残っている。たとえ「蜜の味」がつまらなくとも構わない。そんなレベルではない。とりあえず、月曜はかの同期にメールしてみよう。おそらくは、覚えてないだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿