2022年4月16日土曜日

4月書評の5

◼️ トーマス・マン「トニオ・クレーガー」

鮮烈な印象を残す自伝的作品。リザヴェーダの一撃がいいね。

マンはですね、某有名作家の某めっちゃ売れた北欧の国名がタイトルにつく小説で主人公が読んでたから気にはなってたけどもここまで手に取る機会がありませんでした。違ったっけ?

さて、マン初読みはコンパクトな代表作。北ドイツのリューベックと思われる港町から話は始まる。

少年のトニオは学友の闊達な美少年、ハンスを愛していた。その後16歳の時、美少女インゲに強く魅了された。どちらも豊かな金髪と碧眼。トニオは黒髪に茶色の目。やがて父が亡くなり、南の国出身の母は再婚してトニオは独りになり作家として身を立てる。

友人の女流画家・リザヴェータに「あなたは単なる一般人よ」とやり込められたトニオはデンマークへ旅行する。デンマークへ入国する前に故郷の街の実家だった建物、現在は公立図書館に立ち寄るが、警官に犯罪者と疑われてしまう。

デンマークで過ごすトニオ。ある日多くの旅行者が集まったパーティーがあり、トニオは少年の時恋焦がれた2人を眼にするー。

場面の描き方が鮮やかだなと思う。最初は金髪碧眼で水平服を着た美少年ハンスにくっつき他の友人からの人気に嫉妬する。いかにもその年代らしい焼きもち、誰もが抱いたことのある気持ちが初々しく、ちょっといたたまれない。また港町をぐるっと歩くのも清々しく、買い食いすら美しい感じがする。

少年は、恋する少女を理想化する。金髪のインゲ。結局最後までまともに話す機会は見られない。

大人になってからはもう。実はドイツの作家が書く小説だから、理屈っぽいんじゃないか、と思っていたらやはりというか、トニオがリザヴェータにくどくどいう話のなんと長いこと。さっぱり分かんないし。笑えてしまう。で、掛け値なしにいいヤツ、のこの女友だちに、この上ない柔らかい言い方で

「あなたは単なる一般人よ」

とやられてしまい、傷つくわけです。リザヴェータはトニオを好意的に見ており、オトナになってつきあってる感じ。トニオもくどくどしく自分の芸術家としての高みを論じつつ、誰かに、リザヴェータが口にしたような言葉を投げて欲しかったのではないかと思える。


故郷を訪問するくだりは共感する。かつて属していたあのシーンも友人・知り合いたちも、自分のものだった住まいもなにもなくなってしまった、土地はあって、当時の匂いはある、というのは、一旦出て行ってそれなりに長い時間が経った後の帰省では誰もが感じることかも知れない。ちょっとコミカルに落としているのもいい。このエピソードは実体験に基づいているとか。

そしてクライマックスは、2人が再び現れる、まさに幻想と思えるような場面。9月、デンマークの海岸にある保養地。いきなりのにぎにぎしさに夜のダンスパーティ、きらきらしく映える金髪碧眼に蘇る過去のイメージ。

この長くない小説にはさまざまな要素が絡んでいるなと思わせる。でもストーリーの表層に表れている流れを追うだけでも充分魅力的ではある。

思春期と大人の心のうちで、庶民というよりは上流階級の、特権意識が少し突き出ているベース。そこに裂け目がある。

長くなく読みやすく、エロティシズムや主張が強くないからか、日本でも大変愛されている本で、途切れることなく邦訳が出ているとか。私が読んだのも2018年の出版。ドイツでマンの作品は常に映像化、関連書籍化の対象となっているとか。日本の夏目漱石のようなものなのかなと思ふ。

主人公の「トニオ」、このファーストネームはドイツでは外国風の名前と作中に出てくる。自我を形成する大事な要素。ブラック・ジャックに出てくるイタリア人少年と同じ名前。手塚治虫はたぶん「トニオ・クレーガー」から取ったんだろうなあと思いが飛んだ。



◼️ ヘンリク・イプセン「幽霊」

何が「幽霊」なのか。時代の、ゴースト。

ムンクの画集を見ていて、「幽霊」の一場面を描いた作品があったから読んでみたくなった。同じノルウェー出身のイプセンとムンク、作品どうしのなんらかの繋がりが見えればいいな、と借りてきた。

ノルウェーのフィヨルドの港町。アルヴィング夫人は屋敷で、牧師のマンデルスと、翌日の故アルヴィング大尉の事業を記念した孤児院の開所式について話していた。大尉は放蕩者で、夫人は一時家を出てマンデルスのところへ駆け込んだ時、牧師に正道を説かれ家に戻った経緯があった。

その後大尉も立ち直り、立派な事業がうまく行ったかに見えていた。しかし夫人は、大尉は変わらずだらしのない性格で事業は自分がすべて手掛けていたこと、女中に手を出して子を産ませたこと、性病に罹っていたことを露わにする。

パリでの画家修行から帰省していた夫人の一人息子・オスヴァルは、女中のレギーネと結婚したいと突然言い出す、そして、火事がー。


人生というのは、様々なものを含み込んで流れた後に振り返るもの、なのだろうか。

アルヴィング夫人は自分の人生に感じてきた矛盾をマンデルスにぶつける。世間体、因襲、宗教上絶対の常識とされていることへの根本的な疑問ー。その幽霊は溺愛する息子のオスヴァルにも決定的な影響を及ぼすー。損得勘定にさといレギーネもまた身の上を知り、出奔する。

「人形の家」はあらすじしか知らないけども、正直ゾッとした覚えがある。自分にもそんなところはあるのだろうかと。他の小説の下敷きになっているのを感じたこともある。

何もかもが灰色のこの戯曲は当時の美徳に激しく斬り込むものであったため、強い忌避感を巻き起こしたそうだ。

「イプセン『幽霊』からの一場面」は、1906年に「幽霊」をベルリンで上演する際、芸術監督が依頼した舞台美術のムードスケッチらしい。既成道徳、市民社会への反抗心を持ち、人間内部の世界を描こうとしたムンクはどう向き合ったのか。赤みを帯びた部屋に、アルヴィング夫人、オスヴァルor牧師、レギーネ?と窓際にも女性がいるようだ。後ろ姿のアルヴィング夫人はそうだと思うけども奥の人々はもうひとつはっきりしない。愛知県美術館所蔵だそうだ。

ドラマとしては救いがなく、暗い。1881年という時代に、男性のイプセンが投げかけた本質は鋭かったのだろう。

私の場合、シャーロック・ホームズの時期とも重なっていると考えてしまう。ホームズものにも当時の社会・家庭規範が読み取れる。19世紀末は特に様々な考え方が多方面に出てきた時代だと改めて思ってしまう。

「ブリキの太鼓」でカンヌ映画祭最高賞パルム・ドールを取ったフォルカー・シュレンドルフ監督の「魔王」という映画を観たときに、「何が魔王なのか」と考えたことがあった。まじめな男が、ナチスのいう正義の方針に従い子供たちを集める話。

この「幽霊」という言葉も深く広く考えられるかも知れないなと感じた。

「人形の家」も読んでみようかな。

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