2020年6月29日月曜日

6月書評の5




くるみケーキ。やっぱり美味かった。

年が明けたと思ったら、もう今年も半分終わり。ここまで早かった。やはり、コロナの半年ということになるだろう。

年末年始に京都へだいぶ行って、福岡もギリ往復しておいたのが良い方に作用したかな。

この金土日は「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3」、「キングコング」そしてオフコース武道館コンサートとテルビ観ることが多かった。武道館ライブは中学生の頃覚えてるそのまま。「一億の夜を越えて」「逃すなチャンスを」「YES/NO」あたりは興奮した〜。昔はギターのスコアを持っていたけどもうとっくに無い。「さよなら」のアコースティックギターパートを練習したり、間奏のエレキギターパート練習したり。

過去を懐かしむのは、すでにないものをないと知って、もう2度とまみえることのないそれに想いを馳せること。少しでも知っているもの発見できたら、より想いは強まる。

最近友人にそんなことを言った。


◼️島本理生「ファーストラヴ」


丁寧に織り成すものがある。島本理生が描きたいものがつながっているようにも感じる。これも「力」か。直木賞受賞作。


10代にして文壇デビューした島本理生の、30代での受賞作品。最初は、見出しに書く言葉が見つからなかった。少なくともどーんと感銘を与える作品ではない。


アナウンサー試験の帰り、女子大生の聖山環菜は、画家の父を包丁で刺殺した。臨床心理士の真壁由紀は、この事件をノンフィクション本にすべく環菜と面会する。カメラマンの夫・我聞の弟でこの事件の弁護士の迦葉(かしょう)と協力しながら調査を進めるー。


性的な問題、親と子の、深刻な闇。環菜の事件の背景と並び、由紀の、そして迦葉の過去、さらに2人の関係が絡む。最初はただの不安定で弱気で子どもに見えた環菜、そして関係者から少しずつ事実が引き出されていく。


さて、私にとって直木賞はよき指標で、「邂逅の森」「恋歌」「対岸の彼女」ほか心の動く作品にいくつも出会ってきた。「宝島」や「蜜蜂と遠雷」など、すごい熱量だった。もちろん、今ひとつなのもふつうにあった。評価高いのかもだけど、私には合わないな、というのも。


おおむね受賞作に共通しているのは、物語を丁寧に、重層的に織り成しているということという感触がある。


今作は上記のようであることは間違いない。さらに人間的、社会的な部分も糸として複雑に、しかし明確に織り込まれている。


ただちょっと粗いな、と思う部分もあった。クライマックスには、劇的に変わりすぎだろう、とか、両親の設定の違和感だとか。


島本理生の初期作品は幼い恋愛感情を鋭く表していて、非常に好ましい。大人になった筆致は、読み手として書き手の昔のイメージにこだわりすぎてもいけない、と自戒しても、好みというわけではない。


でも、著者が恋愛とセックスに関係させたいものを求めているのは分かる気がする。今回もよく取材しているようだ。初期作品は、抑えの効かない初恋の感情へのこだわりも見られた。抗いがたいものと救いだろうか。


また、現実の恋愛と作品の恋愛とはかけ離れている部分、それを細かく散らされる表現でよりリアル感を抱けるようにしている、気がする。


今作が醸し出すもの、これも「力」かと思う。でも、まだ目指すものは昇華していない、のではないかという感触も強い。まだまだ先を見てみたいと、勝手に、思っている。結局ファンなんだなっ。^_^




◼️瀬尾まいこ「図書館の神様」


セオマイコー2冊め。うん、これこれ、という感じ。女性が自然、ナチュラルなのです。


特に会話が、隣で女子ともだちが話している感じがする。いい子で、ナチュラル。ただその自然をまとっている良い女子は、葛藤とストレス、不自然さを隠し持っている。


清(キヨ)は大学出たて、海の近い高校の新任講師。高校時代はバレーボール部、ずば抜けて上手いセッターだったが、試合でヘマをした部員に厳しいことを言い、翌日その子が自殺してしまったという過去を持つ。体育大学進学を取りやめ、バレーもやめた。講師で来てみると、なんと部員が垣内という男子1人の文芸部の顧問にさせられた清。プライベートでは、不倫の恋をしていたー。


恋をする、というのは相手をよく知ることかなと思う。仲良さめの女子でも、恋愛相手となると、素の部分が見えてくることが多いし、それは必ずしも理にかなっていない。そんな事を考えさせるような話だ。


薄いのがまた良い。真面目で、でもストレートで体育会系的資質の清をうまくいなすところは賢くお姉さん持ちなのかなと思わせる垣内君と、長い期間をかけて関係を育んでいくのが爽やかだ。しょっちゅう実家から遊びに来る姉想いの弟・拓海の存在感も抜群。そして優しい不倫相手に溺れる清ー。表面的には穏やか、波はそうない。だけど、胎動しているものは岐路を呼び、シビア。


清に会ったとき、そうそうこれこれ、という感じがした。「強運の持ち主」の主人公によく似ている。人生大してこだわりなく、目の前のことをしのぐ日々、という姿勢。力みがないように見える形。


個人的に、垣内くんが、私も大好きな川端康成を研究してるのがGOOD。山本周五郎「さぶ」も夏目漱石「こころ」もいい。「こころ」の朗読を聴いて卒倒した生徒の体験を聞いた後、清が秘められてきたはずの過去をさらっと主役級でもない子に話してしまうことにもほう、と思った。


ふむふむ。清を見ながら、自己の過去を振り返る。後味が抜群に良い、そんな物語だね!

2020年6月26日金曜日

6月書評の4




日曜日の朝からやったオンライン同窓会。なんと瞬間的に80人もの会となった。

リモートのいいところはいっぱいある。
出かけないでいい。自宅で気軽、気楽、席を外すのも簡単。そしてやはり、距離の問題を一気に解決する。

そもそも同窓会は、福岡、関西、首都圏で個別に総会を開いていた。私も関西以外は行ったことがない。まず、ここに境界がなくなった。今回は同学年総会。主要な3エリアのほか、愛知や鳥取からも参加。ふだん首都圏の飲み会には行きにくいであろう神奈川県の西寄りの人も多かった。

で、当然ながら、海外組も参加できた。アメリカ2人、タイ1人。コロナ禍の中、またそうでなくとも、なかなか帰国もままならない人たち。何も起こらなくてふつうに同窓会総会やってたら出られなかった、みなどこかで気にしつつもスルーしていた状況が劇的に変わった。

念願の同窓会、との言葉にはやりがいを感じたし、世界の変遷を実感した。

あーあ、終わった、と今はやや虚脱状態、いわゆるロス。平日も休日も空いた時間をだいぶ注ぎ込んでたし、連絡も頻繁だったからね。まあ良かった。

これからどうなってくのか。リアルの総会が行われても、同期のオンラインは維持したいかな。


◼️堀内興一「昔話 北海道 3集」


憑き物、美しさ、説話風、緊張感。胆振地方を中心にした第3集も北海道らしさを堪能できる。


2集の2年後に出ている第3集。今でこそアイヌ、北海道の民話は多く出ている印象があるが、昭和53年発行の本書は嚆矢的存在なのだろうか。反響があったように思える。今回は胆振地方、北海道を人間の首より上としたら、くいっと曲がった内側、のどぼとけとアゴの中間あたり。室蘭を中心とした地域、の話のようだ。


「アトカニ崖に現れた二つの月」

「義経の隠れ住んだ滝」

「お神酒徳利に住む中島の守護神」

「悪疾をなおす女神」

「熊が超えていった山」

「シシャモののぼる川」

「トシ坊とコロポックルの話」


7篇が収録されている。


モルエランのコタンに住む気のいい若者、カルコトルの顔に、赤いトカゲ形のあざができた。時を同じくしてコタンで食物がなくなる事件が頻発し、隣のコタンと諍いが起きる。カルコトルの妹・カナツは兄の目つきがおかしいことに気がつき、オイナ・カムイ(文化神)に相談するー。

(アトカニ崖に現れた二つの月)


なにやらホラーっぽいスタートの冒頭作。オイナ・カムイはニツネ・カムイ(魔神)の化身である偽の月を射ようとするが・・。


義経伝説はとても多い印象があるが、今回はアイヌに対し居丈高な義経がぎゃふんとなる話。平泉を経て弁慶(表記は弁景)も存命だ。


洞爺湖の中島は、第1集冒頭の話とよく似ている。登別温泉の悪疾治癒の神は醜く鈍い母キルテキから生まれた美しく働き者の娘ケトルクシ。不思議で、最後まで回収できてないところが民話らしい。


山を越える熊は天地創造の神サマイクルカムイに仕えた、プライドの高い弟子ヘペレの末路。中華古典の昔話のように説話めいている。


天上界からタンチョウヅルに姿を変え下界に降りたクヌンチが人間の男に恋をする、まさに鶴の恩返し、シシャモの川。


そして有珠山爆発という緊張感の中、少年トシ坊と理解者ケイ子の心温まる最終話。宮沢賢治風で、なんとも言えず後味が良く締まった。


北海道の自然と歴史と、民話の心地よい神話性を感じつつ、11冊読み切る読書は爽やかさをもたらしてくれる。残りの2冊はとっておいてまた来月かな。


◼️堀内興一「昔話 北海道 2集」


全てが違った、北の大地を思い出す。のびやかで大きく、ちょっと切ない民話2nd


1集の6年後に出された第2集。書き手が童話作家の森野正子さんから変わった。2段のページ構成もなくなり、気のせいか話も、阿寒湖のマリモ、などメジャーどころが入ってきたかな。第1集、売れたのではと推察される。^_^まあともかく、第5集まで長く積んでたこの薄い紙冊子、ほっとくとまた読まなくなるので、少しムチを入れることに。相変わらず楽しいぞ。


「シコツ湖のあめうお」

「西海岸のあわび」

「積丹半島の嘔吐岩」

「層雲峡のパウチ・チャシ」

「斜里の化物」

「摩周湖の中島」

「阿寒湖のマリモ」

「久蔵とコロポックル」


8編。巨大あめうおに立ち向かうは若者ポンオアイヌルシクル。「あわび」は女神カムイカッケマツとカイナとの間の、美しい愛の話。「嘔吐岩」の主役はウミヘビの化身、悪者のウエングル。カチカチ山のように民話らしく残酷。


着物仕立ての求道者パウチ、「斜里の化物」はイペランケと優しい夫、麗しいアザラシ、少し哀しいストーリー。摩周湖は義経伝説。マリモは数万年前のこと、とあるのに社会派でコミカルな語り口。そして久蔵は、明治初期、シュママップト(島松)に入植し、北海道稲作の父ともいえる実在の人物、中山久蔵にまつわる一篇だ。


かわいいマリモもアイヌの間ではトーラサンペ(湖の妖怪)と呼ばれ忌み怖れられていたんだとか。


霧の摩周湖。妻と行った時には湖面がきれいに見えて、いい思い出。前回よりも道東よりの話が多いかな。九州生まれ育ちの私、初めて北海道をゆっくり回ったのは社会人になってから。札幌や函館でなく、最初に女満別に降り立ったからか、北海道はまるで北の異国のようで、ホントに新鮮だった。ひとつひとつ読むたびにその感覚が甦ってきて、すぐにでも行きたくなる。


良き本だなあ。


6月書評の3






妻がお菓子を作るようになった。いまその波。とても好きなのでぜひ作って欲しい。パクッとナチュラルに普段食べ出来る生活がお気に入り。



◼️ジャック・リッチー「クライム・マシン」


ユーモア&ミステリー&ちょっとホラー。短編の才、ここに凝縮せり。楽しい。


アメリカの短編の鬼才、ジャック・リッチーの作品集。現実にあるわけないよな、と思わせたり、幻想の世界に行ったり、ヴァンパイヤまで出てきたりとまた幅広い設定で飽きさせない。書評を見かけてからチェックしていた。


殺し屋リーヴズのもとに、タイムマシンであなたの殺しを見ていた、というヘンリーが現れる。事細かで自分以外には知り得ないはずの描写を聞いて、リーヴズは口止め料を払った上にタイムマシンを買い取りたいと申し出る。ヘンリーの倉庫に行ったリーヴズはからくりを探すがー。(クライム・マシン)


丁寧に出口を封じ、オチに持っていく手際の良さにすっきりとしたものを感じる。信じさせる。社会的な「日当22セント」はラストに笑える。どんでん返しもの「エミリーがいない」、タイトルに惹かれる「切り裂きジャックの末裔」も興味深い。


ミルウォーキー署のターンバックル部長刑事がピントの外れた活躍?をする「こんな日もあるさ」、幻想的な「縛り首の木」もいいアクセント。そして4つの短編ではカーデュラという吸血鬼が夜専門の探偵をするシリーズもコミカルで面白い。テレビドラマにできそうだ。


ラストの「デブローの怪物」もクールで黒さを感じさせ、気が利いていると思う。


共通しているのはタッチがハードボイルド、ということ。殺人も多く、犯罪の緊張感がある中で、ユーモアと早く分かりやすい展開と明確で理知的なものを感じさせるオチがハマる。


実は最初の表題作は凝っててやや長いかな、とも思った。でも後に続く作品はとっとことっとこ読めてオチでキレを味わった。こんなにクリミナルではないけど、収まりの上手さにちょっとだけサキの短編を思い出したかな。



◼️「論語」


漢詩から四書五経へ。年代の古さを実感。カッコいいな、孔子。


日本の古典を読むようになって、源氏物語や枕草子が白氏文集の影響を受けていることから漢詩の本を読んでみたら、その美しさにけっこうハマった。白居易や李白、杜甫は唐代の人。で、今回から四書五経に突入してみたんだけど、孔子様は紀元前500年くらいで唐詩の彼らが活躍した時代より1200年も古い。


漢詩とは違って、今回漢文的な難しさを実感。でも言葉はカッコいいな、と。



◇子曰く、学びて時(つね)に之を習う。亦説(よろこ)ばしからずや。朋遠方より来たる有り。亦楽しからずや。人、知らずして慍(いか)らず。亦君子ならずやと。


老先生の教え。不遇の時であっても学ぶことを続け、常に復習する。それは、いつの日にか世に立つときのためである。なんと心が浮きたつではないか。

突然、友人が私を忘れずに訪ねてくれた。おう、あんなに遠いところから。なんと楽しいではないか。他人が私の才能を知らないとしても不満を抱かない。それが教養人というものではないか。


孔子が任官したのは遅く、50代。30代でおそらく私塾、学校を開き、多くの弟子を教えたが、長く不遇だった。これはその頃の言葉と思われる。孔子やその高弟の言葉をまとめた「論語」の、最初の文。



◇女君子儒と為れ、小人儒と為る無かれ


「教養人であれ、知識人に終わるなかれ」



女は「なんじ」、儒は宗教者の集団。孔子はさかんに知識だけでなく道徳を身につけよ、と強調している。詩書礼楽、詩書を学んで礼法を身につけ、音楽の調和に従って均衡のとれたありかたを養う。


昔読んだ探偵小説で探偵が事件担当の警部を評した言葉を思い出す。

「もっとも扱いにくいのは、小才のある馬鹿だ。」


雑学、浅い知識好きな私には痛いし、心しておく言葉ですな。


50代で魯国の高官となった孔子は、道徳に重きを置いた政策を実施、国力は上がった。しかし水清ければ魚棲まず、のたとえではないが、道徳的すぎて、窮屈感が出てきたところへ、国力を殺ごうとライバルの斉が喜び組ならぬ美女歌舞団を送り込んできた。執政の季桓子が美女に溺れ3日間政庁へ来ず、孔子は絶望、辞職する。

 

◇子曰く、学びて思わざれば則ち罔(くら)し。思いて学ばざれば則ち殆(あやう)うし


知識や情報をたくさん得ても思考しなければ、どう活かせばいいのか分からない。逆に思考するばかりで知識や情報がなければ、独善的になってしまう。



バランスが大事ということね。



◇子曰く、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず。


賢人は迷わない。人格者は心静かである。勇者は恐れない。


ともに流浪の旅をした顔淵、子貢、子路といった弟子たちのことを言っている。弟子たちとの旅は充実していたとか。うーん言葉がカッコいい!


◇吾日に吾が身を三省す


私は毎日いろいろと反省する。


三省は三回ではなく何度も。これは習って、ずっと覚えていた。なんか口になじむんだよねー。


◇子曰く、君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず。


教養人は、和合はするが雷同はしない。知識人は雷同はするが和合はしない。


聞いたことある。改めて読むとちょっと感じるところはあったかな。ソフトバンクホークスの王さんは子供のころ父親さんに「友だちを大事にしろ、でも意見は言わなくてはいけない」と諭されていたとか。ちょっと違うかな^_^


◇義を見て為さざるは勇なきなり


正しいものと分かっておりながら、実行しないのは勇気がないからである。


これも有名ではあるが、うーん、善悪の話だけではない気がする。



温故知新、巧言令色鮮なし仁、など「論語」にはよく聞く言葉、ことわざも非常に多い。

また、まごころである信、思いやりの恕を大事にしているのが心に残る。


もとの魯にある孔子の墓には世界中から人が訪れるとか。


わが身に照らしてホント心する言葉で締め。



◇駟(し)も舌に及ばず。


ひとたび口に出したことば(舌)は駟馬(四頭立ての馬車)で追いかけても追いつけない。


つまりは失言は取り返せない場合もあるということ。こわ。気をつけよう。


漢詩も簡単だとはとても言えないが、さすがに漢詩よりミレニアム以上前の論語は言葉が難しいな、という感触。でも世に流布されている言葉、ことわざなど論語由来のものは多くて勉強になる。次は詩経が読みたいかな。

6月書評の2






6月の満月はストロベリー・ムーン。おまけに今年いちばんのスーパームーンだったとか。

オルハン・パムク、川端康成。両ノーベル賞作家の作品はずっと読み続けていたいなあ。


◼️森野正子「昔話 北海道  1集」


地名、人名、神様の名前などの、なんとも言えないエキゾチックな響きに惹かれる。


ほんの薄い冊子で第5集まである。1つめは北海道の内浦湾あたり、北海道の、人に例えれば「首」の内側の部分付近で取材した話を童話作家の森野氏が書いたものとのこと。


サクーコタンの酋長の三番めの息子は、身体は大きいのにヤリ投げも弓も、クマとの格闘も鹿の生捕りもみんなへたくそ。酋長の一族には、出来の悪い者は狼や熊がうようよいる谷へ投げ込む、というオキテがあった。酋長に遠いところへ逃げろ、と通告された三番息子は旅立ち、大きな川に辿り着く。すると川の向こう岸に同じような若者がいて、「(ここまで)とんでおいでよう」と呼びかけてきたー。(洞爺湖の中島)


この冒頭作は微笑みを浮かべて終わる話。以下、


「登別温泉の神」

「伊達市の館山ぎつね」

「伊達市有珠のチャランケ岩」

「北湯沢の天狗岩」

「豊浦町の波かむり岩」

「豊浦町礼文華の岩屋観音」

「カエルにされた酋長」

「噴火湾のアッコロカムイ(大ダコ)」

「大岸の金敷岩」

「室蘭のイタンキ浜」


という11篇が収録されている。岩が多いかな(笑)。


悲しい話あり、ロミオとジュリエット話あり。アッコロカムイは、ある意味壮大なSF話である。サマイクルカムイ(天地創造の神)、暁の明星、また当時深刻な脅威であったろう疱瘡、天然痘の神アブカシカムイ、アイヌ人の英雄ポイヤウンペ、象徴的な白い兎エペトケ、さらにコロポックルも活躍するフェアリーテイルズ。


キムントー(洞爺湖)、サクーコタン(積丹)、モルーラン(室蘭)・・北海道、沖縄、はたまたアラスカ、トルコなどの地名人名の人間くさくて不思議な響き。文化が混ざり合う場所には魅惑的なエキゾチックさを感じてしまう。



妻と2人の頃あちこち巡った北海道、当地で買い求めてから本当に長いこと積んでいた。3度の引っ越しにも捨て去られず、私の本棚に座っていた冊子はまだ新品同様。第2集が楽しみだ。



◼️オルハン・パムク「白い城」


パムクの国際的知名度を一気に高めた作品。オスマン帝国の奴婢と学者、分身との相克。

・・辛抱強く読むべし。


先に読んだ著者の「新しい人生」はトルコ史上最速の売行きを記録した、それは「白い城」がアメリカ紙の外国語小説賞を取り、パムクの小説を読むのがインテリの証、という空気が生まれたためだとか。パムクはデビュー作「ジュヴデット・ベイと息子たち」でトルコで最高権威の文学賞を受賞、3年後に発表されたこの作品は多くの国で翻訳出版された。モノが違う、という流れですな。


トルコの西欧化を前衛的な作風で描く・・「新しい人生」の解説には続きがあって、流行りに乗ってこの作品を買った人には読むのを断念したり「よくわからなかった」という人が多かった、らしい。今作「白い城」も訳者あとがきに「・・読み終えた『辛抱強い読者』は・・」というくだりがある(苦笑)。そう、時間がかかった。


17世紀、イタリア人の「わたし」はヴェネツィアからナポリに向かう途中、オスマン・トルコの海賊船に襲われ、捕らわれの身となる。学のある「わたし」の行く先は容貌が酷似したトルコ人学者の奴隷だった。師、と呼ばれるトルコ人学者とともに、「わたし」は新しい花火の開発や天文学などに精を出すが、癇癪持ちでプライドの高い師との生活に嫌気がさし逃亡、数ヶ月のち見つかって連れ戻される。折しもイスタンブールでは、ペストが発生・流行していたー。


オスマン帝国とイタリアの都市らキリスト教勢力との戦いは塩野七生氏の著作などで興味深く読んだ。イスラム側をベースに、双方のいわば代表が密着した暮らしや社会活動。学問の道でも人間としても、宗教的にも、微妙で人間的なものが錯綜する。両者を双子のように設定するのはまるで寓話のような分かりやすい表象だ。実在したメフメト四世や王宮の性質も興味深い。


と解題風に書くとなにやら理解した気になる(笑)。ペストだったり、後に出てくる、なにやら巨神兵的新兵器などトピックがあるときはさらさらと読み進むのだが、師と「わたし」との関係性や、戦地での審問シーンなどはしつこくて哲学的、宗教的で難渋した。


パムクは著作のボトムに惹かれるし、うまく仕掛けを編み出すし、ドラマの流れはあるし、オチもきちんとつける人、という印象がある。その職人的構成がとても好ましい。


ただ、「新しい人生」など初期の作品はちと小難しいようだ。思索的なのが先行している。「私の名は赤」「雪」、そして最新作の「赤い髪の女」などはそのへんもう少しこなれているように見える。


まあ、まだまだ読んだ数も少ないし。パムク作品を追究するのもまた楽し。次は何を読もうかな。


6月書評の1







ヤマボウシが咲く季節なのか。カエルのオブジェはなかなかヒット。

緊急事態宣言は解除され、私も基本出社。しかしテレワークも挟み込んでいる。古いのか、どちらかというとテレワーク苦手である。

◼️川端康成「たまゆら」


これだなあ、と思いながら読む。うまくいかない男女の機微を、絶品の文章で。


図書館が開いたのでさっそく借りてきた。実はNHK朝ドラに川端が書き下ろした同名の作品と思っていたので短編集、というのにびっくりして、収録の短編とはまったく別作品ということを知った。でも、この短編集、馥郁として実に心になじんだ。


長くとも20ページほどの話が10篇収録されている、著者自選、昭和30年出版の短篇集。さまざまな設定で、いずれもうまくいかない男女の機微をモチーフとしている。


再婚した夫とは、どこか噛み合わない京子。死んだ前の夫は病気で寝たきりとなり、京子は鏡台の鏡を外して、夫に外の風景を見せていた。畑仕事をする京子を鏡の中で見ていた前夫。高原での療養中、鏡を間に置いた前夫との儚い日々を想い出す京子。ある日妊娠が分かるー。(水月)


冒頭のこの作品は鏡という妖しさ、奥深さのある小道具を上手に使って彩りのある過去の世界を作り上げている。


ラストの表題作、「たまゆら」も勾玉が触れ合って発する微かな音を中心に置いている。川端の短編ではある物、ことを支点に展開する話はよくあるが、殊に冴えが感じられた。


その話の作り方と同時に、今回色の対比の文章に目が止まる。


「私は箱根で萩を見ても、堀端の夜の薄赤い萩とほの白い月子の手を、さっそく思い出すにきまっている。」(明月)



「川岸の柚子の葉の色濃いそばに柿の若葉が明るかった。」(故郷)


「オレンジ色の空が火山灰でも降るように垂れていた。その空の裾には紫色がにじんでいた。町の電燈だけが生き生きとしていた。」(小春日)


柿の若葉、はわずか数日の間。山の新緑が落ち着く頃、黄緑の葉が一斉に繁り、すぐに深緑となる。そして黄色の花が咲く。


物語進行の間に風景描写が挟まるのはふつうのこと。ワトスン君もホームズ物語の中で何度も印象的な描写をしている。今回は、短篇といういわば行きずりに触れる形式の、微妙な物語の中ですっきりとした印象や妖しメッセージをこちらに放つ。色、は空想の強い構成要素で、今回さりげなくもより鮮やかに思えた。


まあここのところごてごてしたミステリーや軽い随筆が多かったので、よく練られてかつ感性をくすぐる小説たちに再会し、頭と心が潤った思い。これこれ、この感覚だよ〜と嬉しくなった。



◼️京極夏彦「今昔百鬼拾遺  河童」


整然の真逆を行くミステリー。でもラストで納得感があるのはさすが。


先日読んだ「天狗」のシリーズをたまたま入手。出版は「鬼」、「河童」、「天狗」の順だとか。また著者の百鬼夜行シリーズのスピンオフのような作品だという情報もあり、登場せずに名前だけ出てくる人物の、雲をつかむような情報と、「百鬼拾遺」というタイトルにも妙になるほどと思ったりした。


昭和29年、千葉の田舎の川で次々と水死体が上がる。死体は頭部に打撲痕があり、また意図的にベルトなどが切られ、いずれも尻を出した状態だった。折しも男風呂ののぞき魔事件があり、尻を触ったり尻子玉を抜くという河童伝説を思い出させる状況だった。実家が千葉の女子高生・呉美由紀は現場付近を訪れ、新たな水死体を発見する。


さてこの話、最初は元警察官で探偵事務所に勤める益田が粘っこい口調で事件のあらましを語り、関係者も多く、すっきりしないうちにどんどんと展開していく。まあ間違いなくわざと混沌とさせていて、ラストの謎解きを際立たせている。また河童伝説は詳しい変人の先生も出て来てから騒ぎの内に色々な知識が並べ立てられる。先の戦争前後の限界集落と河童の話が相まっておどろおどろしい中に、コミカルさと、黒さが垣間見える。


この作品の前に読んだ宮本輝「草花の静かな誓い」が、現代アメリカのセレブ社会を舞台にして、ごく整然としたミステリーだったから、真逆の構成に笑ってしまったというか。「百鬼夜行」のファンには楽屋落ちネタも多いようだ。


天狗、鬼とも物語が奥に内包している社会状況などはどうもしっくりこないものがあるのだが、やや衒学的でありながらもエンタテインメント・ミステリーとして立っているのは間違いない。


ちょっと見分かるような分からないような複雑な事件を作り、漂う妖しい雰囲気の中、納得感ある謎解きを提示して見せるのはさすが、という感に今回打たれた。でも残る「鬼」を探して読むほどではないかな。

5月書評の9







前回からだいぶサボってしまった。後で詳しく書くけれど、オンライン同窓会の幹事をしていたのである。で、5月最後の書評がいまになったと笑。

5月は結局14作品14冊。来月終わりで上半期ランキングか。早いな毎年。

◼️宮本輝「草花たちの静かな誓い」


井井たる小説。なにがポイントなのかが明確。著者初のミステリーとか。


巨匠宮本輝は「螢川」「葡萄と郷愁」しか多分読んでいない。以前は舞台装置と主人公の境遇など、画面を灰色や黒に塗りつぶし、そこに一点の光を見せる人というイメージだった。


久々に読むと、宮本輝もこんなん書くのか、という感じの、大衆ミステリーっぽいテイスト。



小畑弦矢は、日本滞在中に急逝した叔母の菊枝・オルコットの遺骨とともに叔母の家があるロサンゼルスに飛ぶ。弦矢は叔母夫婦の世話で、当地の大学に留学していた。顧問弁護士に会った弦矢は、自分が叔母の死により巨額の遺産を得たことを知らされる。ただ、遺言書には、叔母の娘・レイラがもし見つかったら、遺産を分け与えてほしいと記されていた。弦矢は、レイラは6歳になってすぐ、白血病で死んだと聞かされていたが、真実は違っていたー。


手がかりの手紙も、なかなか開かないからくり箱の中から見つかった。レイラは実際はスーパーで行方不明となり27年間見つかっていなかった。弦矢は、巨漢の探偵、ニコライ・ベロセルスキーにレイラの捜索を依頼する。


まあ、これでレイラが出て来なきゃあ、もしくはそれなりに説得力のある行く末がなければ嘘でしょう、となる。


最初はなかなか見えてこなかったものが、意外に早く明らかになる。だから先が見える。あまり残酷、とか悲惨、とかではないが、最後の方は予想できたとはいえ読むのに苦痛を伴った。納得できるようにか、うまい噛み合わせは感じられる。


先は読める、そうなると理由は一つしかない、という状況。読んだ感想で先に来るのは「整然とした」というもの。


当地のまあ、超セレブたちが住む豪邸、住宅街の様子を落ち着きの感じられる調子で描写している。また出てくる人がみな善人だ。菊枝と、その夫で弦矢にとっての恩人でもある故人のイアン。叔母の弁護士スーザン、日系の庭師ダニエル、掃除婦のロザンヌに探偵のニコ。そして全ての真相を明かすモントリオールの夫妻。しかしほんの少しの歪みが人生を大きく狂わせていく。


遺産の受取人となり、オルコット家の豪邸で過ごす弦矢の独り言はやや荒っぽく、ニコの口調とともに、のんびりとした街の中で良い異質さを感じさせる。豪邸、異国、理解しがたい状況の中での不安も漂ってくる。


ミステリーとしての満足感は薄まっているかな?とも思うけれど、良く整えられた話ではあるな、とは思った。