2020年5月30日土曜日

5月書評の8





妻がスコーンを買ってきたので深い色のマーマレードで食す。スコーン大好き。

皮膚科行って薬をもらい、整形外科で首の牽引リハビリをして、買い物をして帰る。もう夏。来週から短パンだなっ。

◼️北村薫「遠い唇」


ミニ・ミステリ、オマージュ、コミカルな話。軽くも深くも味わえる本。


北村薫のよさは、なんだろう。日常の謎解き、味のあるトリック、文学への造詣の深さ、軽妙でかつ心の柔らかい部分に染み込んでくるような会話やストーリーの流れ・・。


この本には独立の短編と、江戸川乱歩「二銭銅貨」へのオマージュ、「八月の六日間」、「冬のオペラ」といった自作のスピンオフなどといった小篇が盛り込まれている。


冒頭の表題作はほんの短い作品だが、暗号解読とほのかな恋情、郷愁が含んであってよく発酵したワインのように滋味深い。可愛らしい恋愛の残滓、断片があったかと思うと、宇宙人が出来して「吾輩は猫である」とか「走れメロス」で遊びだすコントのような話があり、「冬のオペラ」の名探偵・巫(かんなぎ)弓彦が登場するラストの殺人事件「ビスケット」は、謎解きがまたかなり文学的。どこかキュートがあるところも小憎らしい。


大雑把にいうと、作品というのはネタ勝負みたいなところがあって、時々ハッとはさせられるけれど、ダイナミックで読み手の目を惹く仕掛けは不可欠だ。北村薫にももちろんそういった作品はある。ただしっとりとした文章で、料理飲み物が織り成す美味しさのハーモニーのようなものを出していける人ではないかなと思う。


まあその、「八月の六日間」も「冬のオペラ」もだいぶ前に読んだんで、波長の同期というのは感じることができなかったが、軽くも楽しめる作品集だ。


未読のものもまだまだある北村作品は折にふれ読んでいきたい。またそのこっくりとした物語を舌で転がすように味わいたい。




◼️京極夏彦「今昔百鬼拾遺  天狗」


近代から現代へ移行期、若い女2人の死体とさらに2人の不明者、衣服の謎も2つ。一気の解決は読みどころ。


京極夏彦は「姑獲鳥の夏」で感嘆し、「笑う伊右衛門」を愉しみ、先日は「遠野物語remix」を興味深く読んだ。今回「鬼」と「河童」の連作なのかな。


戦後しばらくの頃、女子高校生の呉美由紀は、探偵事務所で出会ったお嬢さま中のお嬢さま、二十歳の篠村美弥子と懇意になる。美弥子の友人、是枝美智栄が高尾山に出掛けたまま行方不明となり、数ヶ月後、別の山で美弥子が美智栄にあげた服を着た別の女、葛城コウの白骨死体が見つかったというー。


さらに物語には高尾山で首つり自殺した女性、2ヶ月前失踪した教師の女性が出てくる。高尾山では葛城のものと思われる、寺社参りに着用するような菅笠や白衣が見つかった。


4人の女、2つの死体。そして衣装。ややこしい事態。探偵役は美由紀の知人で新聞記者の中禅寺敦子。さて、どういうトリックなのか?


技術を凝らした創作ミステリー、という感想である。


まだ世情騒然としていたころ、幕末期の祖先と繋がりが見えていた時代、華族などの身分制度が廃止されたが社会的意識は残っていた社会がベース。そこに現代にも通ずる恋愛関係があり、男尊女卑の根強い風潮とそれに反発する感情エネルギーが媒体となっている。天狗伝説を基にするおどろおどろしさの演出も著者らしい。


終盤一気の謎解きには惹きつけられたし、こんがらがった糸をほぐすのはなるほど感がいや増した。美由紀の高校生らしいタンカも面白い。


高尾山に行って穴に落ちた美弥子と美由紀の会話シーンがたるいかな、と、感じたのと、まあやっぱ、少しややこしすぎるかな、というのはあった。


川端康成は処女作を超えるのは難しい、と書いたし、過去名作を残している人の作品はハードル高めになってしまうものだな、ともちょっと思う。シリーズ他作品の状況や登場人物のことがだいぶ語られているので、他の2作も読もうかという気になる。そのへん、綾辻行人の館シリーズっぽいかも。

5月書評の7




「肉まんを新大阪で」読んで、翌日豚まんを買ってきてかぶりつく。幸せだぜー!

◼️平松洋子「肉まんを新大阪で」


食べ歩きのできない時期に、食のエッセイを読んで、想像をふくらませる。いつかきっと!


いつもながら、平松洋子氏は落ち着いてしっとりとした楽しい食エッセイを書く。読んでていくつも心が引っ掛けられるような感覚を味わう。コロナウィルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が、関西で解除された翌日に読了。ただちにあちこち出掛けられるわけではないが、愉しい気持ちが広がるな。


いくつも羅列してみます〜。


◇「ブルドックの威力」

ベルギー人が日本のカキフライの美味さに異常に感動し、この素晴らしいソースはなんだ!というのでお店に聞いたら厨房から手書きの紙が来て「ブルドック中濃ソース」だと。

私はとんかつソースを色んなものにかけて食べる。特にフライものには最強、文中にあるポテトサラダにかけることも、焼き物野菜にもよく合ったりする。ベタッとしたソースは美味い。分かる〜!という感覚。



◇「豚肉を帯広で」

帯広名物、豚丼の有名店。まだ子供がいない頃、われわれ夫婦は北海ダーと呼ばれ?長い休みといえば北海道に行っていた。その中でも強く覚えている味の一つ。帯広はマルセイバターサンドの六花亭本店も想い出だが、帯広名物豚丼の味は忘れられない。駅前の名店ぱんちょう。店で食べ、テイクアウトして空港の待合で食べ、帰った後デパートのフェアで買って食した。濃いタレと重ねられた豚肉がごはんに合う絶品。



◇「コッペパンを盛岡で」

甘味から惣菜まで挟み込む。美味しそう彩られたコッペパン。単純に食欲が湧くし、なにかしら高校時代を思い出す。紹介されてる中ではあんバターと、やはりスパゲティナポリタン食べたい!コッペパンが盛岡のソウルフードとは知らなかった。ちなみにこの篇の舞台「福田パン」の創業者は宮沢賢治の教え子だったとか。賢治のふるさと岩手は未だ未踏の地。いつかイーハトーブスペシャル旅程の中でぜひ味わってみたい。


◇「大仏さまの奈良漬け」

瓜の漬物大好き。関西のチョー有名スポット・東大寺へは1時間半くらい。昨秋正倉院展で久々に再訪した。ここは阿修羅像の興福寺も春日大社も歩いて回れるザ・観光地だが、東大寺南大門の参道に奈良漬けの有名店があるのは見逃していた。まあ名前から考えてみれば奈良の名物であってもしごく当然。こりゃ次は買って帰らなければ。



◇「冬の湖北へ」

琵琶湖近く、余呉湖の真冬。関西でもとても寒いところである。そこの宿屋でなれずし、鮒ずしなどのフルコースを味わう。豪華な晩餐を味わうための旅行、宿泊というのが妙に胸に沁みた。ビジネスライクな東京出張ばかりしてるからかな。また湖北の冬、というのがそそる。ワカサギ釣りができるのもベリーグッド。鮒ずしはかなり昔、琵琶湖近くで味わったことがある。クセのある匂い、味が懐かしい。ああ行きたいな〜。



◇「冬のアイスクリーム」

さすが食通、アイスも詳しい。お気に入りは金沢「四十萬谷本舗」のジェラート。五郎島金時、奥能登ミルク、さらに加賀いり茶、加賀の味平かぼちゃ、加賀金城味噌といろんな味がある。いつか室生犀星の旅に行ったら食べてみたい。最後に、著者は遠い昔のアイスケーキを思い出すー。

私も子どものころ4人兄弟でワクワクしながらクリスマスの、ドライアイス入りの箱のアイスケーキを食べていた。発泡スチロールの箱に水を入れてシャンメリーを冷やしたものだ。息子と妻と、隣家の女の子とそのお母さんとのクリスマスでもあったなあ。


◇「まだ飽きません」

平松さん、週に一度は白菜と豚肉の重ね煮を作っているそうだ。白菜、バラ肉を交互に敷き重ね、ごま油、酒、しょうゆを垂らして蓋してことこと煮るだけ。三十分で汁気がたふたふ充ちているってー。心で舌鼓。この鍋はどこかで見て、1回作りたいな、と思ったまま。


◇「あさり飯の仕掛け」

満開の桜の時期、安くて多い有明産のあさりを買った平松氏、酒蒸しと、あさりご飯を作る。あさりと米をいっしよに炊くとあさりの身に火が入りすぎて縮み、ショボくなる。ふっくらした食感を保ったまま食べるためにひと工夫ー。春は過ぎたけど、貝のうまみが、読んでて口に広がる。


◇「夢の空き缶」

大きなクッキーの缶。平松さんは裁縫箱として使っていたが歪みと錆でついに処分。そこから子どもの頃の回想へ飛ぶ。青と白のツートンカラー、浮き輪マーク。泉屋のクッキー缶は着せ替え人形の衣装部屋。神戸凮月堂のゴーフルの丸缶にはお手玉、ゴム跳びのゴム。セロハンテープを引っ張ってはがしたり、蓋を閉めるとき、ふわっと空気が逃げる感触に、あったなあ、と。母の裁縫箱、子どもの雑物入れ、福岡では当地のお菓子、チロリアンの缶。チロル地方の民族衣装の少年少女が踊り、蓋は赤と青が風車のように均等に配されたデザインだった。このコラムは食そのものの話ではないが、表現といい、内容といい郷愁をそそりほんのりと良い気分にさせる名篇だと思った。

5月書評の6







ステイホーム中は、街に降りるのも週2回くらい、本屋も図書館もお休みだった。そんな中、意外に活用できたのが、地元の「本の交換棚」。2冊置いたら1冊持って帰れるシステムで番人がいるわけではないが、ブックオフ等に売れないようカバーは外されている。

ただのどこにでもある本棚。だけどこれがなかなかいい本、また比較的新しい新刊文庫が発掘できるのだ。本の始末にもなるし、かなり重宝している。また基本自由なのがいいですね。

おかげで目標の積ん読解消ができなかった笑。

◼️長野まゆみ「宇宙百貨活劇」


たまに長野まゆみの世界に入りたくなる。宇宙、気象、鉱石、鳥不思議な飲み物食べ物に美少年。


今回主人公の少年たちは、著者にしては幼いかも。10才よりまだ下かもしれない。美少年ものではほとんど女性を出なさかったりするが、さすがに幼いからか、お母さんも重要なキャラクターだ。


ミケシュとロビンは双子の兄弟。シティでは月の祭、ムーンフェスタが開かれ、シフォンに蜂蜜を溶かしたムーンケーキを売る露店の天幕テントが並び、子供たちはみんな、光る石をいれた、特別のカネット壜入りソォダ水を買ってもらう。ムーンドロップというそのソォダ水、中の石は柘榴石ガアネットに似て、黄色く透徹ったすきとおったガラス玉で、炭酸に科学反応し、夜道ではランプの代わりになるくらい煌く。ロビンと大ゲンカしていたミケシュは、大きな月ロケットがある広場で、ロビンと出会う。

(ムーンドロップの夜)


まあちょっと長野まゆみの文章風にあらすじを書いてみた。独自の世界を構築し、主人公の少年たちを存分に動かして不思議な冒険をさせる。少年ならではの葛藤も、なんか外国の寄宿舎もの少女マンガっぽく織り込まれたりする。ショートショートといってもいいくらいの短くかわいい話が15篇。「南の島のドロップ」「月うさぎ」が良かったかな。


この人はとにかく宮沢賢治好き、つまり鉱物好き、天文、気象、植物、鳥などが好き、ひと頃のさだまさし以上に文豪風当て字的な漢字好き。自分でも当て字を感覚的に作ってしまうようだ。


さらには、私が知る限り桜庭一樹も相当なものだが、この人もまた変わった名前好きでもある。「黒蜜糖」とか「銀色」とか「蜜蜂」とか。そもそも代表作の「少年アリス」もなんか逆説的だ。まあ名前が発する薄いオーラがまた物語の青くて甘い不思議さかげんをいや増してて好ましいのだけれど。


その辺は、今作の全体の3分の1を占める約60ページにもわたって「言葉のブリキ罐」と題して自ら解説している。巻末付録とはとても言えない(笑)。やはり言葉と物語世界には強いこだわりがあるようだ。


ひとつスン、と胸に落ちたのは、「高校時代にヘッセの『デミアン』を読んで、卵から生まれる少年というイメージが私の中に定着した。以来、少年と鳥は強く結びついている。」という部分。「デミアン」はこむつかしくもあり、かなり不思議で、でも強い力を持った作品だった。宮沢賢治っぽいなと思わせる人気作「少年アリス」では主人公は黒鶫クロツグミに変身させられる。



作品には夢見がちな女性っぽい感じもするが、私は長野まゆみの独自世界とその筆致が気に入っている。こっくりとして味わい、彩り共にあり、個性という意味で一頭地を抜いていると思う。


たまたま当たった解題企画、相当楽しめた。まだまだ独走してほしい。



◼️ジェローム・K・ジェローム

「ボートの三人男」


叙事的な叙情、あれ?テムズ川の舟遊び。イギリスの代表的なユーモア小説で、日本の弥次さん喜多さんをもう少しイギリス田園的にした感じかな。


ぼくことジムと、ジョージ、ハリス、そしてぼくの飼い犬のフォックステリア、モンモランシーは、ロンドン南西のキングストン・アポン・テムズから北西方向のオックスフォードまでボートで遡ることにする。舟をロープで曳いたり、漕いだりして進む遡上の旅。海と違って陸地は近く、舟を留めて普通に上陸しながらののんきな行程。


スラップスティックな舟遊び劇。昔、「ブッシュマン」という映画があった。ボツワナの砂漠に住むブッシュマンに同行する白人の男がとんでもないドジで、しじゅう何かをひっくり返したり転んだりするドタバタコメディの面も強かった。まさにそれを思い出した。


ジョージもハリスもそして1人まともぶってはいるがぼくも、3人揃って準備から料理から、ホテル捜索、パイナップル缶を開けるのにもなにかとひと騒動を起こす人たち。さらにぼくの住む界隈で問題児の悪大将、でもどこかかわいげのあるモンモランシーも同じ意味で大活躍する。


ちょっと調べたが、web地図上ではキングストン・アポン・テムズからオックスフォードまでは直線距離でも70キロくらいに見える。まして蛇行する川なら100キロ強はありそうだ。2週間の予定の舟旅、まあ岸辺も歩くし街にも行くし、ホテルにも泊まることのある舟遊び、の雰囲気は余すところなく紹介されている。


途中でウィンザー城近く、ラミニード付近の小島では12156月、ジョン王によって起草された憲法の草分け、マグナ・カルタに遠大な想いを馳せる。それでいてボールターやクッカムの自然、またウォーグレイヴ、シップレイクの町の古画のような眺めなど、折々に美しい風景描写が挟み込まれる。終盤のストリートリーとゴアリング、風光明媚な街並みを両岸に見ながらの雰囲気もいい。


沢山の食料食材を買い込み、ストーブで料理しながら、ティータイムを楽しみながら、お酒を呑みながら、楽しい紳士の優雅さ漂うレジャー、時にシニカルな人生への見立ても織り込まれる。


この本を知ったのは鳥&自然マンガ「とりぱん」。著者漫画家の愛書だそう。


1889年、シャーロック・ホームズ活躍の時代に発表され人気となり、今日までポピュラーな名著とされ愛されている。ロンドンに生まれたジェロームは実際に3人で舟遊びをしており、自分も含めてモデルがいるとか。ユーモアを交えて、イギリスの田園風景の中を巡る美しく愉しくドタバタでライトな遊びは、一つの典型的な憧憬を読む人に生んでいるのではなかろうか。実際この作品が売れてから、テムズ川の貸し舟の数がかなり増えたらしい。


私もイメージ的に「眺めのいい部屋」なんかで見た緑濃い田園の輝きっぽい光景が浮かんだ。笑いと、皮肉と、美しい景色、歴史と人生がうまく織り成された作品は読んでてクスッとなったり、ふむふむと読み込んだり、絵画のような想像に浸ったり。


オックスフォードでターンし、今度は早い下りの旅だが・・自然の中で過ごしすぎた紳士たちは耐えきれなかったのであったー。ラストも秀逸。分かる分かる、という感じで読み手は微笑みつつ読了した。

5月書評の5




高校の同窓会が、今年はコロナで開催中止になったという。卒業30年めの代が幹事学年。我々はこの仕事をきっかけにすっごく仲良くなり、今も続いている。

高校球児ではないけれど、幹事学年もまた1年きり。かわいそうだね。

で、仲のいい我が学年は、オンライン同窓会を企画中。私もそれなりの役目を負い、毎日LINEやメッセで打ち合わせの日々。毎週末にオンラインで打ち合わせ。

オンラインにはいいところもある。同窓会には参加したいけど帰国できなかった海外の人と気軽につなげるのだ。時代は移ったと言っていい。

さて、もうしばらくがんばろうかね。

◼️青木玉「幸田文の箪笥の引き出し」


母・幸田文ときもの。娘・玉による佳作。写真は彩深く、文は胸にしみわたる。働きもののスーパーな母・幸田文の生きるエネルギーとセンスが伝わる佳作。読了後いい気分で、本との出会いは不思議だと考える。


すごくいい。和服についてはまったくの素人だが、川端康成や谷崎潤一郎が丁寧に描写するのを読んで少しは分かるようになってみたいという漠然とした思いがあった。また和のデザインが織り成すものは鮮やかで感性をつつくのでけっこう好き。


街の商業ビルの一角に本棚があり、2冊持ってきたら1冊取っていい、というルールで交換を推奨している。その棚で偶然見つけたこの本に呼ばれた。出会いは不思議だ。すごくいい。いまの悩み、この本の佳さをどう伝えようか。


見出しの通り、きもの、身に付けるものについて、娘の青木玉が母・幸田文の想い出を情趣たっぷりに綴ったエッセイ集。幸田文は幸田露伴の娘で、結婚して玉を設けたが、夫の商売がうまくいかず協議離婚、玉を連れて東京・小石川の父の家に戻った。戦時は老いた父と娘を連れて長野へ疎開、戦後東京へ戻って焼けた家を再建した。自分がすべての中心となって切り回す家族。その人生がこの本のベースとなっている。


冒頭の「赤姫」。玉の結婚の衣装を考える。文の言い分はのっけからてきぱきして、オリジナリティがあって的確。


「(振袖の色は)あんたの好みはピンクだろうが、淡い色はよほど図柄がきっぱりしてないと、ぼやけて駄目だね」


と赤の羽二重を見に行く。五月の光を反射して鮮やかな赤の布を見た瞬間。


「ああいい風合いだ。これにしなさい。もう他のものを考えることは無い、これに白い花を散らそう。下に紅があるから、真白な所も少し紅が透けるところもあって綺麗だよ、きっと」


この考え通りに晴れの着物があつらえられる。その写真が鮮やか。その時に文が自分用に作った紫の着物も、かつて文自身が結婚した時の黒に松、鶴の婚礼衣装の写真もあって目が奪われる。


文才はもちろん、「手まめ小器用、センス抜群の親」、「龍の勢いに蛇は及ばない」と玉が評している幸田文。


「誰が袖」では玉の羽織を黒で作る時に、可愛らしい小花模様を袖先に配することを思いつく。黒の羽織の袖先に、白地に小花模様。愛らしく目を惹く意匠。写真で目でも楽しめる。文は、黒を着るにはまだ若く落ち着いてない、と見て、似合うようなったら外しなさいと言う。


文が好きだった黄八丈、玉に買った鳶八丈の裾回しには花紺という反対色を付けた。大胆なデザインの矢絣、着物一枚帯三本、お七帯、塩瀬の染帯、つづれの帯。文が文筆で認められた初期の親子の思い出と、写真、座談会などが増えて、戦後初めて買った紺地に白と赤の飛び絣が入った着物。まだ生活に余裕はなく、玉には新しい着物一枚買ってやってなかったため、母さん買ってもいいかねえ、と娘に許しを請うたという。文の人生、親子の道のり、忘れがたい会話。


「どうしてもあれを着てお嫁に行きたい」幸田家の家事手伝いの願いに気持ちよく譲った、黒に元気で伸びやかな菜の花の着物、合間に吉野格子、菜の花が入った塩瀬の帯の写真。「すがれの菜の花」には幼くして母に死に別れ、継母と合わず里子に出されそうになった文の話が挿入されている。


で、次の「あじさいの庭」で、庭の濡れた敷石の上で緑に生える雨下駄の小粋さにやられてしまった。また読んだのがしっとりとした雨の日だったんでちょっとしたリア充感を覚えつつ。


文は訪れる人のための貸し傘をも楽しんで用意していたという。コート地で着物を作ってみたりもした。


もうその他にも、魅力的な話ばかり。着物をほどき、洗ってふのりで板に貼って干す「洗い張り」「伸子張り」でのエネルギッシュな文、家で紫の染め物をして、その残り水で白猫を洗い、出来上がったパープル猫を外国人たちが見におしかけたエピソードなど茶目っ気たっぷりの話など盛りだくさん。


芸術院賞の授賞式で昭和天皇に話しかけられたこと、奈良は法輪寺の塔の再建に関わり、工事を見るため法隆寺近くに一時移住したこと、作家として著名になっていく中で、玉は文の身の回りの世話係となっていく。


年老いた母娘は近所住まいだった。昏倒したとき、玉は母の死装束、白の着物を作る。その布にも想い出がにじむ。


全面的に母を立ててはいるが、私的には著者の筆力も相当なものだと思った。覚えておきたいような和語が多く、ついメモしてしまう。はめ込み方も妥当で控えめでチャーミング。


実を言うと、母・幸田文の文章は読んだことがない。先日文学史の本に幸田文は「おとうと」などの小説だけでなくエッセイの名手だ、とあった。今度はお母さんの方の著作を読もうと思う。


いやー、すばらしく気持ちよかった。


◼️「決定版 日中戦争」


大まかな流れを追い、ところどころに感じることがある。強気だった日本。そして最後で、繋がった。


安倍首相と胡錦濤国家主席の合意により始まった日中の歴史の共同研究に参加した学者たちを中心に執筆された本。1928年の張作霖爆殺事件から終戦後の居留民引き揚げまで、史実と当時の事情、史実の流れを追う本。


満州事変で満州国ができ、1937年には北京の盧溝橋で衝突が起きる。この戦闘は局地的なものだったがら偶発的に発生した盧溝橋事件が、その後の日中両国の対応によって拡大した典型的なエスカーレションであった、とする。


これを契機に一撃を加え早期解決をはかろうとした日本、無抵抗だった満州事変の二の舞を演じまいとした蒋介石。詳しい経過は割愛するが、日中戦争は日本軍と蒋介石のスタンスの違いと目まぐるしく変わる情勢がひとつの特徴か、と思った。


上海戦の時、すぐに終わると思っていた日本は蒋介石が自信を持っていた中央直系の精鋭部隊に大苦戦し、多数の犠牲者を強いられる。しかし日本の猛攻でついに制圧、南京に進撃し陥落させる。無差別爆撃も行われたようだ。蒋介石は日本の総攻撃が始まる前に脱出。史上初の首都占拠となった。改めて、近代国家建設のスタートから軍隊を育て、大国ロシアに勝ったという流れの中にいた日本の雰囲気を想像する。


日中の間で解決したかった日本に対して、蒋介石は欧米諸国が介入してくることを望んでいた。対アメリカと違い、中国には「負けていない」という自負もある日本軍、戦争は長大化し、最終的には蒋介石の思惑通りになった、という文脈だと思う。しかし、蒋介石も内戦に敗れてしまう。


壮大なようでもあり、泥沼であり、目まぐるしくどこか理解しにくい。そういうイメージは読んだ後も消えない。欧米が中国に対して抱くエキゾチックで神秘的な憧れに似たようなもの、それと同じように日本人にもなんらかの確固とした感情があったのかも、なんて思ってしまった。


南京事件、日中の宣伝戦にも触れられており興味深かった。


ここからは個人的な事柄である。


私の祖父は電力会社に勤めていた。戦争期、祖父母は生まれたばかりの父を連れて渡支している。私は写真が好きできちんと整理された祖父のアルバムに「渡支」と書かれた文字と家族写真を見た。


内モンゴルに近い所にいて、後で山西省の大同に移って終戦を迎えたらしい。祖父のアルバムには当地に捕らわれ、1年間働かされた、と書いてあった。


この本によれば、満州にいた155万人、中国49万の居留民が一斉に帰国すれば危機的な食糧難や混乱を招くとして、日本政府は現地定住させる方針だったらしい。ただ影響力維持を恐れ、早期の引き揚げを望んだアメリカと、特に高度技術者の残留を望んだ中国の間で見解が分かれた。


そして、特に1章が割いてあるので少々驚いたが、山西省太原で、国民党系の閻錫山は日本人居留民を保護し、技術者の残留を求めた。さらに日本軍の武装解除をせず指揮権まで認めた。多くの兵士たちは日本軍を現地除隊し閻錫山の軍に入り中共軍と戦ったという。太原と大同は離れているが、そんな雰囲気があったということを読んで、心のどこかがホッとして、繋がったような感覚を覚えた。


じいちゃん、ばあちゃんたちの帰国の裏には、政府、アメリカ、国民党の思惑があったわけだ。大変な時代、若い夫婦は幼い子供たちをかかえて駆け抜けた。もしできるなら、話してみたい。

5月書評の4




気がつけば3週もサボっていた。

ふつうに会社に出始めた。前ほどとは言わないが、電車バスは明らかに人が増えた。

気がつけば季節は過ぎて、初夏。もうすぐ梅雨。なんかまだ異世界感がありながら、読書は快調。

◼️瀬尾まいこ「強運の持ち主」


直感占い師のルイーズ吉田。世にも稀な強運の恋人と同棲中。ショッピングセンターの一角できょうも客の背中を押してあげる。


瀬尾まいこ氏の名前は本屋で見かけていたが未読だった。本屋大賞作品の前にちょっとテイストをチェック。まあこれ以上ないくらいほのぼのしたライトな連作でした。2冊持っていけば1冊選べるという町の文庫本交換コーナーで入手したもの。


ルイーズ吉田、本名吉田幸子は、就職したものの半年で退職した。人間関係が理由だったため1人でできる仕事を探して、占い師ジュリエ青柳に弟子入り、二日間の研修で占い師に。最初は姓名判断、四柱推命の本を読んでまじめに占いをしていたルイーズは、次第に直感を駆使するようになる。大切なのは相手の背中を押してあげること。きょうも観察力と舌先三寸でルイーズは客に対応するー。


で、彼女に連れられて来た通彦が、どの本を見てもかつてない強運の持ち主だったため、ルイーズはあらゆる手を尽くして彼を手に入れた。通彦は料理を毎日作るが、おとぼけ料理が多く美味いとはとても言えない。


「お父さんとお母さんどっちがいい?」という小学生の質問をまじめに受け止め、調査する。彼を振り向かせたい女子高生は、ありきたりかと思ったら何度も通ってしつこく訊いてくる。「おしまい」が見えるという関西人のおしかけ大学生アシスタントと仕事をする、ついに一人で仕事をすることをやめ、もう1人子持ちの若い女性を雇い、訓練と通彦を占わせてみたら、暗黒の影が覗く。通彦は悩んでいたー。


という70ページほどの作品が4つ。憎めないキャラクターの創り方が上手く、まさにほのぼのと、適当な波があり、恋愛ごともありで進行する連作。ライトで読みやすかった。


ただ、もう少し、プラスワンの意外性が欲しいのと、押しがなさすぎか、という点が物足りなく、そこは次に読むであろう作品に期待したい。「戸村飯店 青春100連発」かやっぱり「そして、バトンは渡された」かな。


◼️川村湊「満州鉄道まぼろし旅行」


昭和十二年八月の、満州旅行。実際に行った人の資料をもとに再構成したもの。夢の世界に、現実を垣間見る。


大連に上陸、当時の鉄道網などを使って、大連旅順撫順奉天新京吉林牡丹江経由で哈爾濱齊齊哈爾満州里と旅する。旅は案内人のおじさんと、サツキくん、ヤヨイちゃんという少年少女。


現在からの目線ではなく、当時の建物や祭り、温泉、製鋼所、夜の街、歴史的観光地などを豊富な資料や写真をもとに、かつての時の流れの中で案内人が子どもに案内・紹介していく。建国4年目の満州国、8年後には消えてしまう国の、まさに「まぼろし」旅行。


歴史ある学園都市奉天、炭鉱の町撫順、満州国首都の新京、満州の"京都"である吉林、エキゾチックな都市哈爾濱(ハルビン)そして北満の都会、齊齊哈爾(チチハル)。興味深くはあるけれど、現代の読者である我々への、なんというか説明的なものは薄く、こちらはあまり顧みないでトントン進むイメージである。まぼろし旅行。

あとがきによれば、当時それなりによく売れたらしい。実は軽く目を通す程度で本当に長く積んでいた本。単行本1998年、文庫2002年だからもう18年も(笑)。私的には多分、司馬遼太郎「坂の上の雲」やなかにし礼「赤い月」といった、満州が舞台となった作品を読んでいた頃だったと思う。また世間的には、小林よしのり氏の「戦争論」の影響で満州国のことをよく知りたい熱が巷にあったのかもしれない。


旅行中、「満蒙開拓青少年義勇軍」の過酷な環境や移民団、小作農や自作農の次男三男らがあっさりと整備された農地を持てた実情ー満州人の農地を簒奪していたーや、傀儡国家の仕組とゆがみなども挟まみこまれている。日本にとってはじめての大規模な植民地は、壮大な実験国家だった。


満州国と移民たちは悲惨な末路を辿る。「赤い月」にもその模様が描かれているし、大陸から引き揚げてきた祖母から聞いたことがある。しかし、人口が爆発的に増えていた日本は、当時満州ばかりでなく、南米やカナダ他にも、まるで楽園のようなことを言っては移民を送り出していた。そのひずみと罪は、いかんともしがたい感情を覚えるな。


不思議な作品ではあった。当時の出来たばかりの街並みは壮大で、汽車の速度もあるけれど、本当に大陸が広いのが分かる。狭い日本とは違うといった、根源的な気持ち。しがらみのなさに憧れ、新天地に希望を抱き、時代の先端的な感覚も覚えながら、人々は海を渡り広大な大地を第二の故郷としたのだろうか。


信じられないような過去を見るに、「まぼろし旅行」は最適な手段のような気がした。


余談。よくあることだが巻末の新刊案内。

夏樹静子「幻の男」うわっ読んでみたい。


井上ひさし+こまつ座「太宰治に聞く」

あの世の太宰治に根掘り葉掘り聞くとか。これもマーク。


ようやく読了し、いろんな意味で満足。

2020年5月11日月曜日

5月書評の3







大きな目で捉えれば、長大な連休最後の日曜日。朝から降ったりやんだり。クッキーの散歩はお休み。

特段なにもなく本読んで過ごす。息子の昼ご飯は餃子を焼いた。

コロナは東京も低い数値。20数人。いち早く抑え込み、行動制限が解除された韓国では反動が出てヒトケタから数十人にまで感染者が増えたとか。特定地域でない県は休業要請や臨時休校が解除されているが、日本も充分に想定されるもの。しかし、このコロナって本当に、いやらしいな。当面の間は旅行もお出かけもカラオケもできないかも。やれやれ。


◼️島本理生「Red


過去の不倫と出逢った直後の遊び。のっけから人妻は翻弄され、官能的すぎる表現が幕を開ける。


って、さっぱりだった。すみません。とても合いません。


かつて大手企業に勤めていた塔子は2歳の娘を持ちセックスレスの夫とその両親と同居する専業主婦。二十歳の頃の不倫相手、鞍田と再会し求められ、さらに鞍田が経営者の一人である会社で働き始める。鞍田や知り合ってすぐキスされ遊ばれた小鷹らとの関係の中で自分を見つめ、家庭への不満を募らせていくー。


恋愛小説は苦手と言いつつ、十代の頃から文壇で活躍していた天才少女・島本理生の初期作品、「シルエット」「リトル・バイ・リトル」「生まれる森」らは新鮮で、独特の淡く可愛らしい表現を好ましく読んだ。才能ってものには触れたくなるのが人情。


映画化され話題を呼んだ長編「ナラタージュ」は冗長だな、と思った。でも直木賞の報は嬉しく、受賞作の題名を確認もせず勘違いで買ってきたのが本書。思えば購入からなんかズレがあったような?いや私がボケてただけです。ちなみに直木賞は「ファーストラヴ」ですね。


さてこの「Red」。見出しがまるでレディースコミックみたいになった。妙齢の人妻がさんざんに身体を翻弄されながらもその男たちとふつうに付き合ったり、片方とは濃すぎるセックスを繰り返す。別れてもまた出会い抱き合う。そうこうしているうちに今の家庭環境への不満がどんどんと膨れ上がる。


セックスシーンの細かい描写に関しては、正直、食傷気味なこともある。最近とても多いと思う。それが大きな意味があるとも思えない。あくまで個人の好みです。


また主人公の心の動きは細かすぎてころころ変わるし、ラストもすっきりしない。


島本理生は「ナラタージュ」でも見せた通り、本当に好きになった相手と、そうでない恋愛相手を明確に分けることがある。ああ、島本理生らしいな、という匂いもするけれど、うーん、全体的にも、目新しいとは思えないな・・。


というわけで、今回は低評価。でも「ファーストラヴ」はきっと読むでしょうsomeday



◼️星野道夫「アークティック・オデッセイ」


ハッとする極北の風景と、洞察の深いコメント。科学は何で、理性はどれで、創造はどのくらい必要なのか?


なんか哲学的な言葉を書いちゃいました。少し考えたもので。


まず写真集の内容はというと、おそらくはアラスカのエスキモーの言葉で2月から1月までの1年を追っている。特段の説明がないのでなぜ2月から、というのは不明。


ペクソク 2  吹雪の日々

ネチアルート 3  ネチェックアザラシの誕生

テリグルリュート 4 雪どけの大地

ウペルナーク 5  早春の森

ウープニャクシュク 6  夏の光

ミティアドルト  7  豊かな海流

ウキアック 8  秋の日々

ウークィクシャク 9  美しい角

ウーキアック 10  冬の匂い

キアングリュート  11  雪の言葉

シコ  12  極光

アクジュク  1  満ちてゆく時間


序章の写真は、自然に朽ちていっているトーテムポール。星野道夫はさまざまな意味でアラスカの神秘、神話的なものに惹かれている。18千年前の氷河期、ベーリング海はベーリンジアという平原。ライオンがマンモスを追って渡ってくる想像を楽しむ星野。モンゴロイドはベーリンジアを通って北アメリカに渡ってきた。彼らは各地に定住し、やがてトーテムポール文化を築く。


かつて彼らが作ったスピリチュアルなトーテムポール、ワタリガラスや熊を抽象的に彫ってあるものが森のどこかにあるはずだと考えた著者はクイーンシャーロット群島の人のいない森でついに朽ち果てかけたトーテムポールを発見するー。


2月は雪原の中のホッキョクグマ。3月はタイトル通り可愛く愛嬌のあるアザラシ。ひと月に6枚くらいの写真。

4月は早春、氷河は溶け動物たちは活動を始める。5月はアラスカの森そのまま、朽ち果てかけたトーテムポールの森。地衣類が茂り決してきれいではないが生命力と神秘にあふれる。

6月。著者のひとつのこだわり、カリブーの大移動。7月はザトウクジラの躍動。8月はもう秋。立派な形に出来上がった角のムース。ムースってなんでこんなに哲学的などっしりした雰囲気を漂わせているのか。地面が真っ赤に染まった山裾の紅葉。9月はそのムース。冬に入る10月は動物たち。グリズリー、フクロウ、ゴート、エトピリカ、オットセイ。


11月、雪が降る。粉雪を背中一面にかぶった熊たちが印象的。12月、冬のアラスカ。1月でまた、雪原のホッキョクグマに戻る。


先に読んだ「イニュイック」を写真集にした形で一部引用もある。


最初の文章で星野はこう書いている。この作品は1994年出版のもの。


「テクノロジーは人間を宇宙まで運ぶ時代をもたらし、自然科学は私たちが誰であるのかをたしかに解き明かしつつある。それなのに、科学の知はなぜか私たちと世界とのつながりを語ってはくれない。それどころか世界は自己から切り離され、対象化され、精神的な豊かさからどんどん遠ざかっていく。私たちは、人間の存在を宇宙の中で位置づけるため、神話の力を必要としているのかもしれない。」


科学は進歩するけれど、人間的な心が感じられない、という論は以前からある。星野は「世界とのつながり」、おそらくはアイデンティティ、だろうか、を神話、神秘的な空間に求めているのだろうか。自分が物語をたくさん読むのはなぜなのか、も含めてちょっと考えてしまった。


やっぱり、星野道夫はいいな。

2020年5月9日土曜日

5月書評の2







「7日間ブックカバーチャレンジ」が回ってきて、星野道夫の紹介をしたら猛烈に再読したくなり、読んだらもう再感動。だいぶ久しぶりだけど、いまの目で読んでもやっぱり遠大で深くてロマンのそそられまくり、よかったー!自然書評も長くなった。

やっぱ星野道夫、いいぜー。

◼️星野道夫「イニュイック」


やべー、やっぱり星野道夫△、かっけえ!アラスカの大地を疑似体験した再読。今回長いです。


DBさんからバトンを受けた「7日間ブックカバーチャレンジ」で紹介したら再読したくなり、かつての感情を思い出した。やっぱすごい、星野道夫。その冒険、写真も文も最高だ。アラスカの大地や海や川、グリズリーやカリブー、ムース、森の風景などがわーっと脳裏に広がる。それを目の前に、星野が感じていることがまた憎いくらいロマンティックで哲学的で、心に食い込んでくる。やカリブー、ムース、森の風景などがわーっと脳裏に広がる。それを目の前に、星野が感じていることがまた憎いくらいロマンティックで哲学的で、心に食い込んでくる。やべ、やっぱすげえいい。叫びたくなる。



「イニュイック」という本自体は写真が多いとは言えずモノクロなので「アークティック・オデッセイ」という写真集ブックを開きながら読んだ。このブックがまたイニュイックに沿ってるような感じで文章の抜粋もある。


どうしても前置きが長くなったが内容を。「イニュイック」というのはエスキモー語で"生命"という意味。読みながらマークしたページ、気になった部分をもとに短く。いやすみません長くなります^_^


I 家を建て、薪を集める】


友人のカレンに「いい森があるから買って家を建てなさい」と言われた星野はフェアバンクス郊外の森を買う。借りた小屋に帰るのでは旅行者の域を出ず、もっとアラスカに根を下ろしたいと考えていた星野が想いをめぐらすくだりがまた爽やか。


「風の感触は、なぜか、移ろいゆく人の一生の不確かさをほのめかす。思いわずらうな、心のままに進め、と耳もとでささやくかのように・・・・・・。」


【Ⅱ 雪、たくさんの言葉】


エスキモーにはたくさんの、雪を表す言葉がある。アニュイは降りしきる雪、クウェリは木の枝に積もる雪、それぞれの言葉について思い出を綴る。フェアバンクスの新居で冬を過ごす星野。


「マイナス四十度の日々が続いていた。薪ストーブは一日中燃えている。しかし冬至はもう過ぎた。この土地に暮らす人々にとって、冬至は気持ちの分岐点。なぜなら、この日を境に日照時間が少しずつ伸びてくるからだ。本当の寒さはまだ先なのに、人々は一日一日春をたぐりよせる実感をもつ。」


この話や、冬至を祝う行事はほかの著作でもたびたび出てくる。ものの見方を変えてくれた捉え方だった。


【Ⅲ  カリブーの夏、海に帰るもの】


北極圏ターナ川の河口で星野は、カリブーの大移動を撮影すべく、当たりをつけて待つ。


2:45pm 川向こうのツンドラの彼方に砂ぼこりが見えた。・・

4:00pm  あたりはもうカリブーの海だった。ほとんどの雌のカリブーが春に産まれた子どもを連れている。またうぶ毛に覆われたような子どもは、川を渡り終えると、まるで踊るように飛び上がりながら真すぐこちらへ走ってくる。一体何がそんなに嬉しいのだ・・

7:00pm  すべての群れが通り過ぎ、視界には一頭のカリブーもいない。アラスカの自然が見せてくれるこの動と静の世界にただ圧倒されていた。」


写真が多く残されている。夥しいカリブーの数。伝説でもあったカリブーの大移動。人がいようがいまいが何百年も繰り返されたであろう迫力の営みの渦中にいる気持ちは計り知れない。


【Ⅳ  ブルーベリーの枝を折ってはいけない】


星野はアラスカの古老の話を好んで聞く。アサバスカン・インディアンの世界を持つ土地最後のシャーマン、キャサリンの家族とムースの狩猟に出かける。


「過ぎ去った時代に思いを馳せる時、人間の歴史がもつ短さに僕は圧倒される。今一緒に旅をしているキャサリンや(夫の)スティーブンのわずか数代前の人々は、まちがいなく神話の時代に生きていた・・親からスタートして自分の分身が一列にずっと並んだなら、例えば二千年前の弥生時代の分身はわずか七、八十年先なのだ。振り返り、少し目をこらせばその男の顔をかすかに読みとることだってできるだろう。」


【Ⅴ  マッキンレーの思い出、生命のめぐりあい】


アラスカの原野で狩猟のみで生きる暮らしを続けたキース・ジョーンズ一家。マッキンレー国立公園で星野は彼らと久しぶりに再会、小さい娘だったウイローは17歳になり、キャンプ・デナリのロッジで働いていた。一家はウイローに新しい世界を見せるため、カリフォルニアに引っ越したが、精神的にエスキモーのウイローは、物質的な富を求めテレビに浸る人々が理解できず自分の意思でアラスカに戻ってきた。そのセリフがいい。


「ロッジの近くを時々カリブーの群れが通り過ぎてゆくでしょう。観光客の人々が何て美しいのでしょうと見ている時、私はどうしても銃に弾を込めて撃ちたくなってしまうの。だって秋のカリブーは本当においしそうなんだから・・それを言うと、みんなが目を丸くして黙ってしまうの。」


17歳の美しい娘さんです。


【Ⅵ 満天の星、サケが森をつくる】は割愛。だいぶ長くなってるがまだ書きまっす。


【Ⅶ  ベーリング海の風】


氷河期、ユーラシア大陸とアメリカ大陸、シベリアとアラスカの間の海、ベーリング海は水面低下によりベーリンジアという平原になっていた。紀元前一万八千年から同八千年ごろ、この草原を渡り、モンゴロイドはアジアからアメリカにやってきた。インディアンやエスキモーの祖先たち。星野はベーリンジアにロマンを感じ、過ぎ去った時代に耳をすますー。


「カリブーの秋の季節移動を追って、西部アラスカ北極圏を流れるコバック川を何度となく下ったとき、大きく蛇行したある土手にさしかかると、僕はボートを岸のぎりぎりに沿って走らせたものだった。土手に白いものが突き出ていれば、それは多くの場合マンモスの牙か骨だった。」


たしかに滅多に人は近寄らない土地だけれど、マンモスの骨や牙が転がってるなんてすごいロマン。


【Ⅷ  ハント・リバーを上って】


アラスカ北方、東西に横たわるブルックス山脈。前に出てきたコバック川流域は、人跡未踏の地が多く残っている。支流のハント川を遡る星野ら。川でグレイリング(カワヒメマス)を釣って炙って食べる。時は晩秋の九月。山は地衣類まで紅葉してワイン色の絨毯。この写真には憧れたものだ。夜の闇の中でコーヒーを啜りながら相棒のニックと動物についてとりとめのない話をする。


「ブルックス山脈の夜の谷は、タイムトンネルをくぐり抜けるのに苦労はいらなかった。今が一万年前だと思えば、私たちはそのまま洪積世の中にいた。」


もうたまりませんね。体験してみたいけど勇気がない。web友だちには、ユーコン川を単独でカヤックで降った人がいて、日本人のチャレンジャーは増えてるらしいですが、私はとても。2週間くらいかかるらしいです。


星野道夫は大好きで、出てる単行本は当時全て買ったと思う。断片的なエッセイが、違う本で繋がることも多い。例えば本書に少しずつ出てきているアラスカパイオニア時代の女性パイロット、シリアとジニーは別の作品で詳しく紹介されている。本書の、カリブーを見ると食欲が湧く少女ウイローが働いているのも、シリアとジニーが建てた営むロッジだ。


彼はアラスカに生き、カムチャツカで熊に襲われて亡くなった。没後に作られたドキュメンタリー映画も観に行った。遺したものは、あまりに美しい。

5月書評の1





先日は久し振りに会社に行った。バスは6〜7人でいつもの半分、電車、特に帰りは半分以下。くっつきたくないからだろう、席が空いてても座らない、という現象が見られた。きのう東京は39人、大阪は11人、兵庫は1人、福岡はゼロ。0の県がかなり多い。平日とはいえGW入ってたんで、検査機関が開いていない可能性もあり、次週のウイークデー1週間が重要な判断材料になるんじゃないかな。ただ、明らかにステイホームの成果は出ている。緊急事態宣言はいずれ解除されそうだが、ぶり返しもありそうだ。

たとえ解除されても、カラオケボックスなんて1年くらい行けないんじゃないのかな。

◼️荒山徹「白村江」

半島情勢が揺れ、国内もずっときな臭い。やはり聖徳太子から壬申の乱の様相は面白い。物語の芯はともかくとして。


このタイトルの読みは「はくそんこう」。百済は「ひゃくさい」、新羅は「しんら」となっている。「白村江」は習った頃からなんとなく「はくすきのえ」というイメージが強かったけど、まあ。


乙巳の変直前のころから白村江の戦いまで。戦の二十一年前からスタートし、二十年前、十八年前、十六年前、三年前、一年前と章立てする。そして開戦の最終章は短い。


百済では義慈王が権力を握り、政争に破れた側の幼き王子・豊璋は命を落とすところを蘇我入鹿に助けられ、倭国で育つ。入鹿の施設で田来津という友を得た豊璋だったが、乙巳の変により庇護者を失い、中臣鎌子(鎌足)の策により祭祀を司る貴族の家で成長する。やがて、危地に陥った祖国百済の要請により倭軍、また倭人の妻・祚栄(そえ)とともに王として百済に帰還する。彼の帰国の要望を倭国に出したのは、豊璋の母の仇、鬼室福信だった。


この時代は隋、唐と高句麗・新羅・百済が生き残りをかけて激しく相争う。唐と新羅、高句麗と百済のそれぞれ連合、という形だ。唐・新羅連合により百済は滅ぼされるが、復興勢力が粘り強く戦っているところへ王として豊璋が帰る、という図式である。


著者は専門的に研究されているようで、この時代の朝鮮半島、日本の古代の人名、歴史的事実等々が網羅されている。文章には漢語的な難しい漢字・熟語が多い。


この時代の国際情勢はお約束。例えば先に読んだ黒岩重吾「落日の王子 蘇我入鹿」では、唐の圧迫に危機感を強めた高句麗の泉蓋蘇文が当時の王や貴族を実力で排除して政治と軍事の実権を握る。触発された蘇我入鹿は実力で天皇から全ての権力を奪う、という大望を描く。


豊璋を一つの軸に、倭国、新羅、百済それぞれで激しい時代が進んでいく。そして、倭国が豊璋を返し、白村江の戦いで、長いことタッチしなかった半島情勢にどうして介入したか、というもう一つ明確な理由が分からない歴史的な事柄に著者なりの流れを描いている。この時は国内側最前線の筑紫へ、時の斉明天皇も葛城皇子(中大兄皇子)もわざわざ行っている。国内は分厚い態勢を敷いたが白村江で大敗した、というのが歴史的な解釈で、この作品ではちょっと違う。


庇護者を無くし、いずれ利用するためだけに生かされ、祖国のために母を殺された相手と手を組み、悲劇的な最後を遂げる・・物語は各国の事情と謀略がせめぎ合う骨っぽい作りになっているものの、片方の軸はただ利用された豊璋の悲しい身の上が一つの軸。


この時代の作品にはもれなく大河的な様相がつきまとう。それなりに面白かったが、大ネタの、なぜ日本は白村江に出兵したのか、がうーん、どうももうひとつ、ではあった。回り道すぎるかな。


でもやはり面白い。まだまだこの時代の探して読みたい。