2019年10月19日土曜日

10月書評の4




台風19号のことを書いてなかった。10/12から13にかけて「関東にとって最悪のコース」と言われた進路を通った結果、甚大な被害をもたらした。

10/12(土)台風は紀伊半島に接近し、のち日本列島沿いに進み静岡に上陸、北東に通り抜けた。上陸直前に「非常に強い」から「強い」にわずかにランクダウンしたようだったが、それでも大型で強力な台風はとんでもないパワーがあった。

なによりひどかったのは、山間部で大量の雨が降った結果、多摩川や長野の千曲川、阿武隈川などの河川で堤防が決壊し、住宅街に水が流れ込んだこと。千曲川の映像は本当に怖かった。すさまじい勢いで逆巻く水波が住宅街を飲み込んでいた。

1000ミリを超える雨が降った箱根では流れてきた土砂などで河川の流路が変わり、道路からいまだに大量の水が吹き出ている。

我々の住む地域では日の出頃から雨風が強く、午後6時くらいまで大荒れだった。最大風速は31mだったが、なにせ長かった。2017年の経験があったから比較的落ち着いて過ごせた。

地形上私の住まいは、千曲川流域のようになることはまずないと言えるが、それでも怖い。被災したみなさんには心からお見舞い申し上げます。。

◼️笹生陽子「ぼくらのサイテーの夏」


なんか分かるような気がしたり、考えてしまったり。児童ものには文学があると思う。


児童ものを手がけている作家さんは多い。森絵都やあさのあつこ、湯本香樹実はもちろん、「一瞬の風になれ」の佐藤多佳子の児童作品なんかけっこう好きだったりする。ジュブナイルという意味まで広げるとその数はかなり多い。森見登美彦も「ペンギン・ハイウェイ」を書いているし。


ただあまり幼い子の心境や境遇を自由に創作するのは考えてしまうところもある。悲惨を作ったりその程度を留めたり、まあ私がカタいのかもしれないが、ある意味永遠のテーマかなと思うこともある。


小学6年生の桃井は「階段落ち」という遊びで怪我を負い、危険な真似をしたとして夏休みにプール掃除の罰を言いつけられる。対戦相手からは、落ち着いた性格の栗田が名乗り出て2人で毎日プールに通うことに。


悪友たちの噂によれば栗田の家庭はホーカイしているという。誰にも話していなかったが、桃井の兄は引きこもり不登校、父は単身赴任で家の雰囲気は良くなかった。ある夜、桃井は栗田が小さな妹を連れて散歩しているのに出会う。


笹生陽子はこのデビュー作で複数の新人賞を獲得した。


どこにでもありそうな街、誰にでもある夏休みのプールの思い出、かつての先生のユルさ、クラスメートには必ずなんらかの問題を抱えている者がいて、でも暗いばかりではない日常。桃井がキレたり、ひきこもりだったり現代的な要素があり、かつ親の世代には懐かしさを誘う、夏のあのまぶしさを思い出すような匂いを感じさせる。


さらに、友だちはクラスが違ったら遊ばなくなったり、知ってたけど話したことがなくて急に仲良くなったり、という子供の頃の友人事情がそれとなく入っている。穏やかに、互いに影響し合うひとつの形がある。桃井の両親の動きも、いかにも人間的だと感じた。


明るい方にゆっくり動く話で散らされた要素に好感が持てた。この手の作品にはあまりないが、桃井と桃井の兄トオル、栗田と妹のぞみの続編を読みたくなった。


児童文学は、思い切った仕掛けとメッセージを仕込むことが可能なジャンルだと思う。その筆致は微妙であり、読み込む気にさせられる。最近あまり読んでなかったからちょっと入っちゃったかな。


◼️ソフォクレス「アンティゴネー」


報いがてきめんに。王家に対する市井の評価が興味深い。


ギリシア悲劇、2つめ。アンティゴネーはオイディプス王の娘。ソフォクレスが書いたオイディプス王にまつわる作品は3作。「オイディプス王」「コローノスのオイディプス」「アンティゴネー」でこれらは紀元前441年から401年ごろに初回上演された。


スフィンクスを倒し英雄として即位したテーバイのオイディプス王が父を殺し母を妻とした自らの罪を知り退位するのが「オイディプス王」。そして流浪のすえに死を迎える「コローノスのオイディプス」、死後の話「アンティゴネー」。実際には「アンティゴネー」が最も早く創られ上演されたらしい。


オイディプス王の退位後、王妃イスカオテーの兄弟クレオンが新たな王となった。クレオンはオイディプスの息子で、王位を争いテーバイを攻めた末死んだポリュネイケスについて葬儀を禁じ、死体をさらす。しかしポリュネイケスの妹アンティゴネーはそのおふれを知りながら死体に砂をかけ祈りの儀式を行い捕縛されるー。


クレオンは自らの息子でアンティゴネーの婚約者ハイモンや長老コロスの諫言を聞き入れず、アンティゴネーを洞窟へ追放する。そこへ「オイディプス王」にも出てきた、盲いた予言者テイレシアスが「大変なことになるぞ」と警告する。


物語から知れる雰囲気がある。クレオンは名家出身かも知れないが、王妃のほうの兄弟であり、つまり前王の直系ではなく、運で地位が転がり込んだか、ずる賢く立ち回ったか、どうも本命ではない「つなぎ感」が漂うのが否めない。そういう演出であるようだ。


ポリュネイケスへの仕打ちは、いくら前王の息子とはいえ、テーバイに戦争を仕掛けた者に対する刑罰としてはありそうな気もする。


オイディプスの呪われた罪はえぐいものの元は英雄であり、自らを断罪した、というのは人間として潔いと取られているかも知れない。劇中民衆はクレオンのおふれを支持していないという描写がある。



クレオンもオイディプスへのコンプレックスと民衆の雰囲気承知の反感からか、頑固で狭量だ。劇中の時代的には前の時代の「コローノスのオイディプス」では当地でオイディプスの手引きをしていたという愛娘アンティゴネー。強い反発心もあって当たり前だろう。


オイディプス支持の基盤とその上で無理に踊る、本来その器でない権力者。物語の底流にそんな構図がほの見える。支配される民の、生の感覚が存在するようで興味深い。


紀元前400年代で、ギリシア神話の神々信仰の世界観が固まっているのも少し驚き。シンプルだが興味を引く劇には相変わらず感嘆するものがある。もう少し読みたいな。

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