2019年10月19日土曜日

10月書評の3




「李白」を読んで、「月下の独酌」に感嘆し、自分も明月と自らの影を相手に外でコーヒー飲んでみたら寒かった。朝方など冷える。毛布4枚重ね、あったかいパジャマ、首にタオル、ワンコとくっついて寝てようやく暖。もう秋だな。

◼️野﨑まど「舞面真面とお面の女」


遊びですな。遊び。なんて思った読了時。


現代の地方に眠る、財閥の謎と古来の昔話。ふーん、まあ、上段の構えの結果もうひとつかな。


野﨑まどは、数年前メディアワークス文庫賞となった「[映]アムリタ」という作品が面白いとwebで知り読んでみた。ネタは少々都合良いものの、そこそこ面白く記憶に残った。


先日公開のアニメ映画「HELLO WORLD」の脚本を担当してるというのでまあ京都が舞台で興味もあるしと観に行った。そこそこ楽しめたところでこの本が図書館で目に入った。


「箱を解き、石を解き、面を解け

              ーよきものが待っている」


理工学部の大学院生・舞面真面(まいつらまとも)は叔父の影面(かげも)から呼ばれて山奥にある舞面家の屋敷に出向く。そしていとこの女子大生・水面(みなも)と探偵・三隅とともに、今はない舞面財閥を築いた曾祖父・舞面彼面(かのも)の遺言の謎を解くよう依頼される。


箱は舞面家に伝わる「心の箱」があり、近くの広場には「体の石」という巨石があった。真面が広場を訪れた折、セーラー服に動物のお面を被った女子中学生、みさきが現れるー。


不思議なJC、みさきに真面と水面は翻弄され、なかなか謎の解明に辿り着けないが、やがて真面が冴えたところを発揮する。話は有名な日本の伝説に飛び、大仰なオチを持って終わる。


前作から、変わったおもろかしい名前、ニヤリとするような変に楽しい会話、飛んだ結論などは踏襲されている。前作は新鮮だったし、ほのかな甘い、心地よい雰囲気も流れてたしだったけど、今回は妖しく面白くしようとしてやりきれなかった感じもある。入りは本格ミステリーだが、それっぽい結論を期待したら外される。


まあ遊びの部分を楽しむ本かなと思った。映画もそうだったがどこか欠けてるかも。真面に対する水面の恋心も、お手伝いのいいキャラ熊さんも女子中学生というところも途中からほったらかされちゃったし。


でも野﨑まどって魅惑的に後ろ髪を引くから、もう少し読んでみようかなと思わせるんだよね。


映画は、後で冷静に考えるとあそこ足りないよな、と考えるけど、観てる最中は引き込まれ、不覚にもグスっと来たりしました。はい。


◼️「李白」


たしかに剛勇奔放、ダイナミックかつ庶民的。読んでホントにそうだなあ、と分かるところがまたニクい。


玄宗皇帝の頃、いわゆる盛唐の時代。701年に生まれ762年に没したとされる李白は同時代の杜甫よりも11歳年上。杜甫と同様安禄山の乱では反乱軍の一味と見なされたりして辛酸を舐める。役所勤めは数年で終わり放浪するが、記録があまりない。だいたい詩人は、詩を書きつけた本人がまとめているのだが、李白はそうでなかったらしい。こんなところも豪快?


詩仙と称され、中華詩界の最高峰とされる李白。その詩風にふれると、これまで読んだ白楽天や杜甫が品の良い感じに見えてくる。庶民に愛されたという李白の詩調を味わう。


<烏夜啼>


機中織錦秦川女

碧紗如烟隔窓語


【読み】

機中 錦を織る秦川(しんせん)の女(むすめ)

碧紗(へきさ)烟(けむり)の如く窓を隔てて語る


【訳】機織り台の秦川の女、錦を織りつつ独りごと。たそがれ時の窓辺にひとり、薄絹のカーテン越しに語りだすのは切ない思い。


停梭悵然憶遠人

独宿孤房涙如雨


【読み】梭(ひ)を停めて  悵(ちょう)然   遠き人を憶(おも)う

独り孤房に宿して    雨の如し


【訳】梭を持つ手もいつしか止まる。遠くに行ったいとしい人を思うゆえ。

今宵もまた、一人寝の寂しさに涙はさながら雨のよう。


「烏夜啼(うやてい)」の一部。これは逢引の恋人たちの別れの辛さ、悲しさを歌う楽府曲の題、つまりタイトルだそうだ。


けっこうベタではあるが、日本で言えば演歌調。李白は女たちの庶民的な生活や感情を歌った詩を多く書いた。後世の批評家による「卑しく、くだらない」という評価の一方で、当時の民衆には人気があったという。


<廬山の瀑布を望む 其の一、の一部>


空中乱潨射

左右洗青壁

飛珠散軽霞

流沫沸穹石


【読み】空中に乱れて潨射(そうせき)し

左右、青壁を洗う

飛珠(ひしゅ) 軽霞(けいか)を散じ

流沫(りゅうまつ) 穹石(きゅうせき)に沸(たぎ)る


【訳】

空中からどっとぶつかり落ちる水は、

右に左に緑の苔むす岸壁を洗う。

珠と砕けて飛び散る水は軽やかな霞と化して一面に広がり、はねとぶしぶきは大きい岩にたぎり立つ。



<廬山の瀑布を望む 其の二>


日照香炉生紫煙

遥看瀑布掛前川

飛流直下三千尺

疑是銀河落九天


【読み】日は香炉を照らして紫煙を生ず 

遥かに看る 瀑布の前川に掛かれるを

飛流 直下 三千尺

疑うらくは是れ 銀河の九天より落つるかと


【訳】香炉峰に日がさし、紫色のもやが立ちのぼる遥かかなたに、大きな瀑布が真下の川に流れ落ちるのが見える。

飛ぶがごとく、流れはまっすぐ落下すること三千尺、もしや天のかなたから天の川が落ちてきたのではと驚かされるほど。


李白は絶句(四行のもの)が得意だそうだが、読んでいると、ズバッ、ズバッと、時に激しく時に大きさを感じる言葉を繰り出し、爽快なほど。とても伝えきれない。


有名なもの、また話題を少し。


<晁卿衡(ちょうけいこう)を哭す

日本晁卿辞帝都

征帆一片繞蓬壺

明月不帰沈碧海

白雲愁色満蒼梧


【読み】

日本の晁卿帝都を辞し

征帆(せいはん)一片、蓬壺(ほうこ)を繞る(めぐる)

明月(めいげつ) 帰らず 碧海(へきかい)に沈み

白雲 愁色 蒼梧に満つ


【訳】

日の本の晁衡どの(阿倍仲麻呂のこと)は

我が国の都長安に別れを告げてお国に帰られた。

けれども遠くに旅立った船は、蓬莱の島の近くで、波にのまれた。

明月のようなお方は青海原の藻屑と消えて、国に帰ることはかなわなかった。

白い雲が悲しみをたたえて、蒼梧の空を覆っているよ。


阿倍仲麻呂は遣唐使として大陸に渡り、玄宗に重用されて帰国を許されず、渡海36年にして許され帰国の途につくが嵐でベトナムに漂着。復職して死ぬまで故郷の地は踏めなかった。李白や王維と付き合いがあったという。これは仲麻呂が死んだという勘違いか誤報かを元に歌った詩。これも絶句である。


<早(つと)に白帝城を発す>


朝辞白帝彩雲間

千里江陵一日還

両岸猿声啼不尽

軽舟己過万重山


【読み】朝(あした)に辞す 白帝 彩雲の間

千里の江陵 一日にして還る

両岸の猿声 啼いて尽きず

軽舟 已に過ぐ 万重の山


【訳】

朝まだき白帝城に別れを告げ、しののめに舟出して、江陵までの道のりを一日で帰ってきた。

両岸の猿がさかんに鳴き交わす、その鳴き声ばかりを耳に残して、重なる山々の間を我が乗る舟は一気に過ぎた。


これは教科書に載っていたかと思う。杜甫の「国破れて山河あり」はまだ字面でも状況がわかる気もするが、こちらは背景の説明がないとなかなか分からない。


国破れて、と同じく、安禄山の乱に馳せ参じようとしたら参加した部隊が反乱軍とみなされ、はるか西の辺境に永久追放となった李白。しかし途中の白帝城まで来たところで恩赦の報せを聞く。望外の喜びに躍り上がり、帰心矢のごときという心境を表した詩である。猿の声は通常哀しいものとして使われるが、ここでは喜びの心情と、帰るスピード感を助長している、とか。


<秋浦の歌 其の十五>


白髪三千丈

縁愁似箇長

不知明鏡裏

何処得秋霜


【読み】

白髪三千丈 

愁いに縁(よ)って箇(か)くの似(ごと)く流し

知らず 明鏡の裏

何れの処より 秋霜を得たる


【訳】

白髪、なんと三千丈。

愁いのためにこんなに伸びてしまった。

曇りない鏡に映る我が姿、

いったいどこから、こんなに秋の霜をもらってきたのか。


高校の古典の先生が、三千丈とかいうのは、数字的にホントなのではなく、それほど多いとかいう、誇張の表現だ、と出てくる度に教えてくれたのを思い出す。有名ですね。悲嘆が白髪を伸ばした、という、シンプルだが記憶に残る表現。


いささか長くなっているが、長いついでに、気に入った一首を。


<月下の独酌 其の一>


花間一壺酒

独酌無相親

挙杯邀明月

対影成三人


【読み】

花間(かかん) 一壺(いっこ)の酒

独酌 相親しむ無し

杯を挙げて明月を邀(むか)え

影に対して三人と成る


【訳】

花咲く木々の茂みに坐して、ひざに抱えし酒壺一つ。

心許せる友達の一人とてもいぬままに、独り酌みては飲む酒よ。

杯を高くかざして明月を招けば、月とわたしと我が影と、気楽な三人の酒盛りとはなる。


月既不解飲

影徒随我身

(中略)

我歌月徘徊

我舞影零乱


【読み】

既に飲むを解せず

徒らに我身に随(したが)う

歌えば 徘徊し

舞えば 零乱(りょうらん)す


【訳】

月はけれども飲めはせぬゆえ、

我が影だけがひとりわたしに付き合うばかり。

わたしが歌えば、歌にあわせて月はさまよう。

わたしが舞えば、我が影もふらりふらりと乱れてみたり踊りだしたり。


「酒癖が悪い」という理由で玄宗皇帝から解任された李白。その詩には豪快な酒豪というイメージのものも多い。古来多くの人に愛されてきたという「月下独酌」は着想の自由さ、豊かな想像力、豪快な詩風があるという。そこに繊細な幽玄さと映像的魅力もあると思う。


李白は、詩が本来持つべき任務は、為政者に民の声をまっすぐに届けることだと考えていたという。楽府、というのは歌謡のことだが、漢代には庶民の生活を反映した諸国の歌謡を集め支配者に伝える役所だったそうで、李白のこの捉え方はメジャーなものだそうだ。


なかなかエウレカだった。杜甫も戦争に徴用される農村の民の辛さを歌ったりしているが、その意味が分かった。


まだまだ漢詩、中華の書物はたくさんの魅力を潜めているようだ。

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