日曜日に六甲アイランドで開催されている「千住博展」に行ってきた。
◼️又吉直樹「劇場」
ウザく悲しいストーリーなのだが、うん、前向きなものを感じる読後感。
小さな劇団の脚本を書いている永田は、偶然出会った沙希に声をかけ付き合うことに。人の言うことを聞かない永田のやり方に反発した劇団員がやめ、友人の野原と2人だけ残った永田は、脚本を依頼されていた別の劇団の主役として、演劇経験のある沙希を選ぶ。
永田と沙希は同棲し、永田は一切の金を払わない。そのうちに同世代で世に認められる者が出てくる。永田はささいなことから沙希に怒りをぶつけることが続く。年月が経つうちに2人の関係は修復不可能に陥って行くー。
なんというか、書評が難しい作品だな、と思う。
主人公永田は、ピュアな感受性を持ってやりたいことがはっきりしているが、かなり自己中心的な性格で周囲に理解されない。沙希のいい子すぎるともとれる優しさに救いを見出している。2人だけの楽しい時間はすぐに過ぎ去り、年月とともに環境も関係性も変わっていく。
読ませどころの一つは、永田の独善的なへ理屈の連なりだろう。かつての同僚、青山が初めて出した本へのヒドい批評メールがそのヤマ場だ。関西弁で全部を言っているところがまた面倒くささを助長している。演劇への捉え方の独白も哲学っぽく見え、ひょっとして目的は違うかもしれないが、結果として永田のイメージを強めている。
演出としては、サッカーのゲームで自チームの選手をすべて文豪にして戦うところがなかなか楽しめた。太宰がゴールゲッターってイメージ違いすぎるでしょ。^_^
2人が過ごす年月はちょっとヘンなところも含めて全てが2人だけの特別な世界であり、大きな都会、東京での孤独感をも醸し出しているように思える。気がつけばこの世界以外ありえないー。どこか共感する。きれいでない部分は映画的でもありながらリアル感も覚えた。恋と、年月。物語には永遠のテーマかもしれない。
ただ、何も見えずに貧乏のまま、恋人との関係も感じるままに突っ走る演劇人、人生不器用、という題材はいささか古いようにも見えた。
主人公が少しく変でウザキャラ、女の子は過剰にも見えるいい子。ゆえに何か起きた時に男側の周囲からの隔絶感、孤独感は強調される。分かるが設定に、遠いものを感じて、この悲しい物語を冷静に見てしまい、感情移入は最後まで出来なかった。
ただ、読後感は悪いものではなかった。
又吉氏の「火花」を読んだ時は、パワーと体験に基づく気持ちがよく出ているなと思った一方で、太宰が好きな本読みと聞いたのに思ったより大人しいな、という感想だった。まあ勝手なイメージですけどね。
でも今回はハチャメチャなセリフの部分にちょっと魅力を感じた。悲しいストーリーの割には前向きな感覚を持った。次もまた読んでみる気になる。
◼️島崎藤村「千曲川のスケッチ」
明治末の小諸・長野。風景・風俗への感動が抑えた筆致で描かれる。
この作品は島崎藤村が8年ほど英語教師として赴任していた当地での体験を写生文風にしたもの。文学的には詩から散文・小説への転換点として重要らしい。
印象的だったのは、測候所の技手に招かれて長野へ出かけた「雪国のクリスマス」。大雪の道を行き交う人の様子と色。草鞋を履き赤い毛布で頭を包んだ小学生、馬車、馬丁の喇叭などが躍動感ある生活を表している。
また暗い雪の道。
「町を通う人々の提灯の光が、夜の雪に映って、花やかに明るく見えるなぞもPicturesqueだ。」というのはなかなか絵画的だ。藤村は会堂でクリスマスの唱歌を聴いて過ごす。翌日に測候所へ赴くのも、文は少ないがなかなか面白い趣向だと思った。
正月に屠牛を見に行った際の描写も生々しく興味深かった。
私と長野のつながりといえば昔善光寺と川中島古戦場を見に行って、古戦場からの帰りのバスがなかったからぶらぶらと川沿いのりんご畑を見ながら歩いたこと、また小諸を舞台にした中学生マンガ「すくらっぷ・ぶっく」で描かれた世界くらいのもの。基本的に西日本人なので、憧れはある。
作中で藤村は頻繁に山歩きに出かけている。その描写は活き活きとしているが、やはりうまく像を結ばない。土地勘もうーん、というところ。長野は行ってみたいところもたくさんあるし、いつかゆっくりこの作品の世界に浸ってみたい。
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