◼️長野まゆみ「野ばら」
結晶的作品。少年、野ばらの垣根、白い花びら。耽美的幻想。
相変わらず独自の世界を制限なしに構築している。美少年、植物、鉱物、難しい漢字。その文章表現には唸ってしまった今回。少し前に読んだ「夏至祭」のあとがきに登場人物が同じの関連作品とあったので手にしてみた。
気がつくと月彦は学校の講堂に座っていた。見知らぬ同級生が話しかけてくる。胸に薄水青のリボンをした黒蜜糖、野ばらの垣根を抜けようとして影を失った銀色という少年たち。講堂では、劇が始まった舞台上の水が眩しく光ったと思った次の瞬間、月彦は夜中に自宅の寝室にいることに気付く。
長野まゆみは美少年異世界系の「少年アリス」「夏至祭」「天体議会」「夜間飛行」があり、
また同じ不思議系でも兄弟など親族間や友人との葛藤を描いたややリアルな系統、「鳩の栖」「東京理科少年」「カンパネルラ」といった作品群も読んだ。
最近はまた新しい作風を追究した作品があるようだ。こちらは父親の葬儀を巡る長編で賞も取った「冥途あり」を読み、新鮮な雰囲気を味わった。
宮沢賢治風、少女マンガに長野まゆみ風味で味付けしたもの、特徴は色々挙げられるが、おおむね物語としての終局はあり、お話になっていた。ところが今回は幻想的なまま終わってしまった。
月彦は眠りから醒めると学校に居たり、 家に居たりする。織り上げられた長野まゆみ的な、煌々とした夢幻の世界を移動する。黒蜜糖や銀色、理科教師はヒントとなるようなことを言うのだが、非現実のような環境から抜け出ることは出来ずに終わる。
その筆致は冴えていて、なかなか感性をチクチクされた。
「そこは学校ではなく、月彦の寝台の上だった。開け放した窓から雨が吹き込み、額や頬に降りかゝっていた。慌てて起き上がると、風で煽られ帆のように膨らんだ天竺の窓掛けを手で押さえながら窓を閉めた。突然の雨らしく、藍の天(そら)を墨色の雲が走り、月が見え隠れしていた。」
改めて書き出すと、平易な文のようにも思える。しかしストーリーの流れで読んだ場合、風で膨らんだカーテン、藍の空に墨色の雲、という表現には不気味さとリアルさと微妙な色彩が顕われていて、映像が脳裏に浮かび、心がざわついた。
もう一つ。
「起き出して洗面台に行ってみると、貝のように口をひらいた琺瑯びきの底に、洋盃(コップ)が置いてあり、ひとくちかふたくちほどの水が溜まっていた。月明かりに透かしてみると、蜜色に染まる。この水が溜まる間に学校にいるような夢を見たのだろうか。」
この雰囲気で最後まで。感じたのは、幻想的なままエンドを迎えるのは、特に長野まゆみの場合は耽美の極みであるということ。説明っぽいくだりがないということは美しいままの流れであると思う。
んーまあ個人的にはやはり筋立てとは両立してほしいけれども、これはこれで一つの作品と認めざるを得ないかな。
◼️「川端康成初恋小説集」
賛美と、執着。タイトルからは想像できない、哀しさ募る小説集。
恋に生きる青年の高揚とショッキングな出来事。失恋の深い失望と若いこだわりが伝わってくる。
川端はカフェの女給をしていた伊藤初代に恋し、彼女が引き取られた岐阜へ遊びに行く。岩手にいた初代の実父にも会って許可を取り、プロポーズも実り、東京で結婚の支度をしていた頃、初代から衝撃の手紙が届く。
「私にはある非常があるのです。それをどうしてもあなた様にお話しすることが出来ません。(中略)どうか私のようなものはこの世にいなかったものとおぼしめして下さいませ。(中略)私はあなた様との◯!を一生忘れはいたしません。(中略)さらば。私はあなた様の幸運を一生祈って居りましょう。私はどこの国で暮すのでしょう。お別れいたします。さようなら。」
◯!は原文ママで、永遠の謎である。
川端は当然岐阜に駆けつけた。初代は寺にいたが、そばせ寄せ付けないような態度を取る。容貌には苦痛が表れていた。
川端が送った東京への汽車賃を送り返してきた手紙には、信じることができない、私をお金の力でままにしようと思っていらっしゃるのですね、私はあなた様の心を永久に恨みます。さようなら、と・・。カタストロフィが訪れた。
この本の特に前半では、その経緯を元にした短編が書き連ねてある。まるで変奏曲のように、名前は変えてあるものの、初代、川端、そして協力者の友人・三明の登場する、ほぼ実話を繰り返し、少しずつ角度や切り口をずらしながら痛切な体験を何度も繰り返し描写している。
岐阜に行き、梅の枝の間に、遠目に見える初代。長良川沿いの宿で遊ぶ3人。菊池寛に見出され、菊池に結婚のことを話して仕事の無心をし、厚遇を得る川端。手紙を見て動揺し、三明に相談、岐阜での初代の様子・・。
序盤の恋にときめく初代の表現は初々しく煌々しい。
「小娘らしい色々な媚びに艶めいた霑(うるお)いはないが、激しい気象とちらちら光るすばしっこい心の閃きとがそのまま写った声音を前から持っていて、みち子の言葉つきは男の心を一直線に惹きつけるのであった。みち子全体が東京にいた頃から可愛げのない可愛い小娘であった。」
そして川端の求婚を受け入れ、2人で見た鵜飼。
「篝火は早瀬を私達の心の灯火を急ぐように近づいて、もう黒い船の形が見え始める。焔のゆらめきが見え始める。鵜匠が、中鵜使いが、そして舟夫が見える。楫(かじ)で舷(ふなばた)を叩き、声を励ます舟夫が聞こえる。松明の燃えさかる音が聞こえる。舟は瀬に従って私たちの宿の川岸に流れ寄って来る。舟足の早いこと。私達は篝火の中に立っている。舷で黒い鵜が驕慢な羽ばたきをしている。ついと流れるもの、潜るもの、浮び上がるもの、鵜匠の右手で嘴を開かれ鮎を吐くもの、水の上は小さく黒い身軽な魔物の祭のようで、一舟に十六羽いるという鵜のどれを見ていればいいか分らない。鵜匠は舳先に立って十二羽の鵜の手縄を巧みに捌いている。舳先の篝火は水を焼いて、宿の二階から鮎が見えるかと思わせる。
そして私は篝火をあかあかと抱いている。焔の映ったみち子の顔をちらちら見ている。こんなに美しい顔はみち子の一生に二度とあるまい。」
これまで私の引用最長になったかも知れない。2人のクライマックス。素晴らしいくだりだと思う。そして、ほんとうに二度となくなってしまった。川端22歳、初代15歳。
傷心の川端は伊豆湯ヶ島へ旅に出て、それが「伊豆の踊子」につながった。
中島みゆきが1回の失恋で50曲は書けると言ってたのを雑誌で見たことがある。特に若い時、また初恋の失恋は痛手が大きいようで、話を聞いたこともある。色んなことを考える。あの時こうしておけば、こう言っておけば、ひょっとしてこんな風に考えていたのか、自分の気づかないところを相手が嫌だったのか・・。川端もまた初代が丙午生まれの女だったことなどにこだわり考察している。
これらの作品群は雑誌には発表されたものの、刊行は長いことされなかった。川端50歳を記念した全集に初めて収められあとがきでモデルについて触れられ、広く世間に知られたという。
さらに、2014年に2人の間の手紙が川端の旧宅から発見されたそうだ。この本は2016年と比較的最近に出版されているがタイミングを見た、ということなのだろう。私は先日「川端康成と美のコレクション展」その手紙の現物、「非常があるのです。」「私をお金の力でままにしようと思っていらっしゃる」の初代の文字を見てきた。いまこの本を読むのは意味があると感じている。
川端は関東大震災の時にも水筒を持って初代を探してさまよい歩いたという。未練かも知れない男の執着。本のタイトルだけ見ると、もっとほわっとした優しい短編集かなにかなのかな、と思ってしまうが痛みがハートを貫く本だ。
とても美しく儚い世界があった。やっぱ好きだな、川端。