2019年10月28日月曜日

10月書評の6




土曜の朝は雨が降ったがおおむね土日いい天気。暑くも寒くもない。子どもがサイフを忘れたので、学校の最寄りの駅前ベンチで読書しながら待つ。若い頃住んでた街。1時間待ったけれども、良い時間だった。

◼️長野まゆみ「野ばら」


結晶的作品。少年、野ばらの垣根、白い花びら。耽美的幻想。


相変わらず独自の世界を制限なしに構築している。美少年、植物、鉱物、難しい漢字。その文章表現には唸ってしまった今回。少し前に読んだ「夏至祭」のあとがきに登場人物が同じの関連作品とあったので手にしてみた。


気がつくと月彦は学校の講堂に座っていた。見知らぬ同級生が話しかけてくる。胸に薄水青のリボンをした黒蜜糖、野ばらの垣根を抜けようとして影を失った銀色という少年たち。講堂では、劇が始まった舞台上の水が眩しく光ったと思った次の瞬間、月彦は夜中に自宅の寝室にいることに気付く。


長野まゆみは美少年異世界系の「少年アリス」「夏至祭」「天体議会」「夜間飛行」があり、


また同じ不思議系でも兄弟など親族間や友人との葛藤を描いたややリアルな系統、「鳩の栖」「東京理科少年」「カンパネルラ」といった作品群も読んだ。


最近はまた新しい作風を追究した作品があるようだ。こちらは父親の葬儀を巡る長編で賞も取った「冥途あり」を読み、新鮮な雰囲気を味わった。


宮沢賢治風、少女マンガに長野まゆみ風味で味付けしたもの、特徴は色々挙げられるが、おおむね物語としての終局はあり、お話になっていた。ところが今回は幻想的なまま終わってしまった。


月彦は眠りから醒めると学校に居たり、 家に居たりする。織り上げられた長野まゆみ的な、煌々とした夢幻の世界を移動する。黒蜜糖や銀色、理科教師はヒントとなるようなことを言うのだが、非現実のような環境から抜け出ることは出来ずに終わる。


その筆致は冴えていて、なかなか感性をチクチクされた。


「そこは学校ではなく、月彦の寝台の上だった。開け放した窓から雨が吹き込み、額や頬に降りかゝっていた。慌てて起き上がると、風で煽られ帆のように膨らんだ天竺の窓掛けを手で押さえながら窓を閉めた。突然の雨らしく、藍の天(そら)を墨色の雲が走り、月が見え隠れしていた。」


改めて書き出すと、平易な文のようにも思える。しかしストーリーの流れで読んだ場合、風で膨らんだカーテン、藍の空に墨色の雲、という表現には不気味さとリアルさと微妙な色彩が顕われていて、映像が脳裏に浮かび、心がざわついた。


もう一つ。


「起き出して洗面台に行ってみると、貝のように口をひらいた琺瑯びきの底に、洋盃(コップ)が置いてあり、ひとくちかふたくちほどの水が溜まっていた。月明かりに透かしてみると、蜜色に染まる。この水が溜まる間に学校にいるような夢を見たのだろうか。」



この雰囲気で最後まで。感じたのは、幻想的なままエンドを迎えるのは、特に長野まゆみの場合は耽美の極みであるということ。説明っぽいくだりがないということは美しいままの流れであると思う。


んーまあ個人的にはやはり筋立てとは両立してほしいけれども、これはこれで一つの作品と認めざるを得ないかな。


◼️「川端康成初恋小説集」


賛美と、執着。タイトルからは想像できない、哀しさ募る小説集。


恋に生きる青年の高揚とショッキングな出来事。失恋の深い失望と若いこだわりが伝わってくる。


川端はカフェの女給をしていた伊藤初代に恋し、彼女が引き取られた岐阜へ遊びに行く。岩手にいた初代の実父にも会って許可を取り、プロポーズも実り、東京で結婚の支度をしていた頃、初代から衝撃の手紙が届く。


「私にはある非常があるのです。それをどうしてもあなた様にお話しすることが出来ません。(中略)どうか私のようなものはこの世にいなかったものとおぼしめして下さいませ。(中略)私はあなた様との◯!を一生忘れはいたしません。(中略)さらば。私はあなた様の幸運を一生祈って居りましょう。私はどこの国で暮すのでしょう。お別れいたします。さようなら。」


◯!は原文ママで、永遠の謎である。


川端は当然岐阜に駆けつけた。初代は寺にいたが、そばせ寄せ付けないような態度を取る。容貌には苦痛が表れていた。


川端が送った東京への汽車賃を送り返してきた手紙には、信じることができない、私をお金の力でままにしようと思っていらっしゃるのですね、私はあなた様の心を永久に恨みます。さようなら、と・・。カタストロフィが訪れた。


この本の特に前半では、その経緯を元にした短編が書き連ねてある。まるで変奏曲のように、名前は変えてあるものの、初代、川端、そして協力者の友人・三明の登場する、ほぼ実話を繰り返し、少しずつ角度や切り口をずらしながら痛切な体験を何度も繰り返し描写している。


岐阜に行き、梅の枝の間に、遠目に見える初代。長良川沿いの宿で遊ぶ3人。菊池寛に見出され、菊池に結婚のことを話して仕事の無心をし、厚遇を得る川端。手紙を見て動揺し、三明に相談、岐阜での初代の様子・・。


序盤の恋にときめく初代の表現は初々しく煌々しい。


「小娘らしい色々な媚びに艶めいた霑(うるお)いはないが、激しい気象とちらちら光るすばしっこい心の閃きとがそのまま写った声音を前から持っていて、みち子の言葉つきは男の心を一直線に惹きつけるのであった。みち子全体が東京にいた頃から可愛げのない可愛い小娘であった。」


そして川端の求婚を受け入れ、2人で見た鵜飼。


「篝火は早瀬を私達の心の灯火を急ぐように近づいて、もう黒い船の形が見え始める。焔のゆらめきが見え始める。鵜匠が、中鵜使いが、そして舟夫が見える。楫(かじ)で舷(ふなばた)を叩き、声を励ます舟夫が聞こえる。松明の燃えさかる音が聞こえる。舟は瀬に従って私たちの宿の川岸に流れ寄って来る。舟足の早いこと。私達は篝火の中に立っている。舷で黒い鵜が驕慢な羽ばたきをしている。ついと流れるもの、潜るもの、浮び上がるもの、鵜匠の右手で嘴を開かれ鮎を吐くもの、水の上は小さく黒い身軽な魔物の祭のようで、一舟に十六羽いるという鵜のどれを見ていればいいか分らない。鵜匠は舳先に立って十二羽の鵜の手縄を巧みに捌いている。舳先の篝火は水を焼いて、宿の二階から鮎が見えるかと思わせる。

そして私は篝火をあかあかと抱いている。焔の映ったみち子の顔をちらちら見ている。こんなに美しい顔はみち子の一生に二度とあるまい。」


これまで私の引用最長になったかも知れない。2人のクライマックス。素晴らしいくだりだと思う。そして、ほんとうに二度となくなってしまった。川端22歳、初代15歳。


傷心の川端は伊豆湯ヶ島へ旅に出て、それが「伊豆の踊子」につながった。


中島みゆきが1回の失恋で50曲は書けると言ってたのを雑誌で見たことがある。特に若い時、また初恋の失恋は痛手が大きいようで、話を聞いたこともある。色んなことを考える。あの時こうしておけば、こう言っておけば、ひょっとしてこんな風に考えていたのか、自分の気づかないところを相手が嫌だったのか・・。川端もまた初代が丙午生まれの女だったことなどにこだわり考察している。


これらの作品群は雑誌には発表されたものの、刊行は長いことされなかった。川端50歳を記念した全集に初めて収められあとがきでモデルについて触れられ、広く世間に知られたという。


さらに、2014年に2人の間の手紙が川端の旧宅から発見されたそうだ。この本は2016年と比較的最近に出版されているがタイミングを見た、ということなのだろう。私は先日「川端康成と美のコレクション展」その手紙の現物、「非常があるのです。」「私をお金の力でままにしようと思っていらっしゃる」の初代の文字を見てきた。いまこの本を読むのは意味があると感じている。


川端は関東大震災の時にも水筒を持って初代を探してさまよい歩いたという。未練かも知れない男の執着。本のタイトルだけ見ると、もっとほわっとした優しい短編集かなにかなのかな、と思ってしまうが痛みがハートを貫く本だ。


とても美しく儚い世界があった。やっぱ好きだな、川端。

10月書評の5




ちょっと盛りを過ぎてたけど、近くの神社に咲いていた萩。萩だと意識して見るのは初めてで嬉しい。秋海棠を見たいな。女郎花も、撫子も。
台風の後も大雨が降ったりして、関東、東北はかわいそうだな。

◼️森見登美彦「新釈 走れメロス 他四篇」


名作を、京都学生篇にしてみました。阿保爆発なのもそうでないのも。


五篇の文豪の短編を、京都を舞台に、京大生を主人公にリメイクしたもの。硬軟自在。


中島敦「山月記」

芥川龍之介「藪の中」

太宰治「走れメロス」

坂口安吾「桜の満開の森の下」

森鴎外「百物語」


が題材となっている。正直文豪ものは途上で、下2つは未読。


「山月記」

虎になるやつである。主人公は自分以外は全て凡人とみて、常に大作を執筆中の留年休学男・斎藤。彼は他の四篇でも顔を覗かせる。大文字山で彼は何になったかー。


「藪の中」

複数の人間の主観を入れることで物語は幅が広がりブレも出る。両方合わせて面白み。学園祭で秘密の映画を撮った学生女優と元カレと今カレ。今カレが監督で彼女と元カレをキスさせるからややこしい。主題は生きる手応えってやつか?な。


「走れメロス」

ここまでそこそこおもろかしい感じではあるが、脱線しすぎないストーリーに見える。いやしてるか(笑)。メロスはもう、脱線しまくり、いつもの阿呆っぷり満開。図書館警察長官に捕まった主人公、友人を差し出し必ず戻ると約束するが・・京都の大逃走劇。折り込みで逃走経路の地図までついてる。結末も先に見えちゃうが、まあよし。楽しい。


「満開の桜の森の下」

一転、まじめで不思議な展開だった。出会った女に従うことで人生の成功を収めた小説家志望の男。しかし・・。求めるものが茫洋としていて捻りも少ないが、独特のキレと妖しさが同居するような雰囲気を出していて、最後のセリフがカッコいい。 この本の中では最も心惹かれた篇。桜の季節の早暁に哲学の道を観に行きたくなる。


「百物語」

友人に誘われて百物語へ参加した男。どうも有名な劇団主宰者の鹿島という男がフィクサーのようだが・・。

最近吉田山荘や真如堂のあたりを歩いたので主な舞台の風情は分かる気がする。こちらは結論がありやなしやの話だった。


相変わらず腐れ学生が主人公で阿呆な展開が多いが、それを売りにしているだけあって、今回の企画にも森見一流の冴えが見られるってとこかな。


楽しんでスラスラ読みました。


◼️京極夏彦/柳田國男「遠野物語remix


泉鏡花が絶賛したという柳田國男の名作を京極堂が書き下す。いいですねー。


いつか読みたいな、と思っていた「遠野物語」を怪綺譚の権威ともいえる京極夏彦がやわらかく現代語訳。とても読みやすく浸れました。日本の民話は大好物。


巨大な山男、中空を駆け、肌が抜けるように白い山女伝説、いたずらをしたり、女を妊娠させる河童の話、経立(ふったち)という、年月を経た猿や狼の化け物、雪女、座敷童衆(ざしきわらし)、狐にヤマハハ(やまんば)などなどの話が地域の風俗とともに収められている。いずれも興味深く怪しくてワクワクする。山男、では宮沢賢治を想像したりした。


和野というところの鉄砲名人として何度か出てくる猟師の嘉兵衛翁が夜の山中で野宿をしている時に出遭った化け物、真っ赤な衣を羽のように羽撃かせた巨大な僧形のあやかしの話は、なんか現代アニメの怪談のようで心に残った。


また、山中にある屋敷で、行こうとして行けるわけではないという「マヨイガ」の話も良い感じの不思議さで好ましかった。


遠野は本の地図で見る限り、岩手県の盛岡市や花巻市から南東にあたる山裾の地域。当時30代の柳田から10歳くらい年下の遠野の人、佐々木喜善が語った話を書いているという体である。1910年、明治43年に自費出版で刊行された。


解説によれば、もっとも熱い共感をもってこの作品を迎えたのは自然主義の作家ではなく幻想的な作風の泉鏡花だという。優れた文学作品、創作物に近い扱いで、妖怪変化の活躍を称賛したようだ。


「遠野物語」は興味はあったものの、言葉が難しそうという理由でゆるく敬遠してしまっていた。このような作品はとてもありがたい。京極氏は意訳している部分もあるのだろうが、基本的に演出はない。とつとつと書いている。だから余計、ゾッとする部分もあったかな。山人、山男って言ってみれば鬼で、日本人の本能的な恐怖のような気がするな。

2019年10月19日土曜日

10月書評の4




台風19号のことを書いてなかった。10/12から13にかけて「関東にとって最悪のコース」と言われた進路を通った結果、甚大な被害をもたらした。

10/12(土)台風は紀伊半島に接近し、のち日本列島沿いに進み静岡に上陸、北東に通り抜けた。上陸直前に「非常に強い」から「強い」にわずかにランクダウンしたようだったが、それでも大型で強力な台風はとんでもないパワーがあった。

なによりひどかったのは、山間部で大量の雨が降った結果、多摩川や長野の千曲川、阿武隈川などの河川で堤防が決壊し、住宅街に水が流れ込んだこと。千曲川の映像は本当に怖かった。すさまじい勢いで逆巻く水波が住宅街を飲み込んでいた。

1000ミリを超える雨が降った箱根では流れてきた土砂などで河川の流路が変わり、道路からいまだに大量の水が吹き出ている。

我々の住む地域では日の出頃から雨風が強く、午後6時くらいまで大荒れだった。最大風速は31mだったが、なにせ長かった。2017年の経験があったから比較的落ち着いて過ごせた。

地形上私の住まいは、千曲川流域のようになることはまずないと言えるが、それでも怖い。被災したみなさんには心からお見舞い申し上げます。。

◼️笹生陽子「ぼくらのサイテーの夏」


なんか分かるような気がしたり、考えてしまったり。児童ものには文学があると思う。


児童ものを手がけている作家さんは多い。森絵都やあさのあつこ、湯本香樹実はもちろん、「一瞬の風になれ」の佐藤多佳子の児童作品なんかけっこう好きだったりする。ジュブナイルという意味まで広げるとその数はかなり多い。森見登美彦も「ペンギン・ハイウェイ」を書いているし。


ただあまり幼い子の心境や境遇を自由に創作するのは考えてしまうところもある。悲惨を作ったりその程度を留めたり、まあ私がカタいのかもしれないが、ある意味永遠のテーマかなと思うこともある。


小学6年生の桃井は「階段落ち」という遊びで怪我を負い、危険な真似をしたとして夏休みにプール掃除の罰を言いつけられる。対戦相手からは、落ち着いた性格の栗田が名乗り出て2人で毎日プールに通うことに。


悪友たちの噂によれば栗田の家庭はホーカイしているという。誰にも話していなかったが、桃井の兄は引きこもり不登校、父は単身赴任で家の雰囲気は良くなかった。ある夜、桃井は栗田が小さな妹を連れて散歩しているのに出会う。


笹生陽子はこのデビュー作で複数の新人賞を獲得した。


どこにでもありそうな街、誰にでもある夏休みのプールの思い出、かつての先生のユルさ、クラスメートには必ずなんらかの問題を抱えている者がいて、でも暗いばかりではない日常。桃井がキレたり、ひきこもりだったり現代的な要素があり、かつ親の世代には懐かしさを誘う、夏のあのまぶしさを思い出すような匂いを感じさせる。


さらに、友だちはクラスが違ったら遊ばなくなったり、知ってたけど話したことがなくて急に仲良くなったり、という子供の頃の友人事情がそれとなく入っている。穏やかに、互いに影響し合うひとつの形がある。桃井の両親の動きも、いかにも人間的だと感じた。


明るい方にゆっくり動く話で散らされた要素に好感が持てた。この手の作品にはあまりないが、桃井と桃井の兄トオル、栗田と妹のぞみの続編を読みたくなった。


児童文学は、思い切った仕掛けとメッセージを仕込むことが可能なジャンルだと思う。その筆致は微妙であり、読み込む気にさせられる。最近あまり読んでなかったからちょっと入っちゃったかな。


◼️ソフォクレス「アンティゴネー」


報いがてきめんに。王家に対する市井の評価が興味深い。


ギリシア悲劇、2つめ。アンティゴネーはオイディプス王の娘。ソフォクレスが書いたオイディプス王にまつわる作品は3作。「オイディプス王」「コローノスのオイディプス」「アンティゴネー」でこれらは紀元前441年から401年ごろに初回上演された。


スフィンクスを倒し英雄として即位したテーバイのオイディプス王が父を殺し母を妻とした自らの罪を知り退位するのが「オイディプス王」。そして流浪のすえに死を迎える「コローノスのオイディプス」、死後の話「アンティゴネー」。実際には「アンティゴネー」が最も早く創られ上演されたらしい。


オイディプス王の退位後、王妃イスカオテーの兄弟クレオンが新たな王となった。クレオンはオイディプスの息子で、王位を争いテーバイを攻めた末死んだポリュネイケスについて葬儀を禁じ、死体をさらす。しかしポリュネイケスの妹アンティゴネーはそのおふれを知りながら死体に砂をかけ祈りの儀式を行い捕縛されるー。


クレオンは自らの息子でアンティゴネーの婚約者ハイモンや長老コロスの諫言を聞き入れず、アンティゴネーを洞窟へ追放する。そこへ「オイディプス王」にも出てきた、盲いた予言者テイレシアスが「大変なことになるぞ」と警告する。


物語から知れる雰囲気がある。クレオンは名家出身かも知れないが、王妃のほうの兄弟であり、つまり前王の直系ではなく、運で地位が転がり込んだか、ずる賢く立ち回ったか、どうも本命ではない「つなぎ感」が漂うのが否めない。そういう演出であるようだ。


ポリュネイケスへの仕打ちは、いくら前王の息子とはいえ、テーバイに戦争を仕掛けた者に対する刑罰としてはありそうな気もする。


オイディプスの呪われた罪はえぐいものの元は英雄であり、自らを断罪した、というのは人間として潔いと取られているかも知れない。劇中民衆はクレオンのおふれを支持していないという描写がある。



クレオンもオイディプスへのコンプレックスと民衆の雰囲気承知の反感からか、頑固で狭量だ。劇中の時代的には前の時代の「コローノスのオイディプス」では当地でオイディプスの手引きをしていたという愛娘アンティゴネー。強い反発心もあって当たり前だろう。


オイディプス支持の基盤とその上で無理に踊る、本来その器でない権力者。物語の底流にそんな構図がほの見える。支配される民の、生の感覚が存在するようで興味深い。


紀元前400年代で、ギリシア神話の神々信仰の世界観が固まっているのも少し驚き。シンプルだが興味を引く劇には相変わらず感嘆するものがある。もう少し読みたいな。

10月書評の3




「李白」を読んで、「月下の独酌」に感嘆し、自分も明月と自らの影を相手に外でコーヒー飲んでみたら寒かった。朝方など冷える。毛布4枚重ね、あったかいパジャマ、首にタオル、ワンコとくっついて寝てようやく暖。もう秋だな。

◼️野﨑まど「舞面真面とお面の女」


遊びですな。遊び。なんて思った読了時。


現代の地方に眠る、財閥の謎と古来の昔話。ふーん、まあ、上段の構えの結果もうひとつかな。


野﨑まどは、数年前メディアワークス文庫賞となった「[映]アムリタ」という作品が面白いとwebで知り読んでみた。ネタは少々都合良いものの、そこそこ面白く記憶に残った。


先日公開のアニメ映画「HELLO WORLD」の脚本を担当してるというのでまあ京都が舞台で興味もあるしと観に行った。そこそこ楽しめたところでこの本が図書館で目に入った。


「箱を解き、石を解き、面を解け

              ーよきものが待っている」


理工学部の大学院生・舞面真面(まいつらまとも)は叔父の影面(かげも)から呼ばれて山奥にある舞面家の屋敷に出向く。そしていとこの女子大生・水面(みなも)と探偵・三隅とともに、今はない舞面財閥を築いた曾祖父・舞面彼面(かのも)の遺言の謎を解くよう依頼される。


箱は舞面家に伝わる「心の箱」があり、近くの広場には「体の石」という巨石があった。真面が広場を訪れた折、セーラー服に動物のお面を被った女子中学生、みさきが現れるー。


不思議なJC、みさきに真面と水面は翻弄され、なかなか謎の解明に辿り着けないが、やがて真面が冴えたところを発揮する。話は有名な日本の伝説に飛び、大仰なオチを持って終わる。


前作から、変わったおもろかしい名前、ニヤリとするような変に楽しい会話、飛んだ結論などは踏襲されている。前作は新鮮だったし、ほのかな甘い、心地よい雰囲気も流れてたしだったけど、今回は妖しく面白くしようとしてやりきれなかった感じもある。入りは本格ミステリーだが、それっぽい結論を期待したら外される。


まあ遊びの部分を楽しむ本かなと思った。映画もそうだったがどこか欠けてるかも。真面に対する水面の恋心も、お手伝いのいいキャラ熊さんも女子中学生というところも途中からほったらかされちゃったし。


でも野﨑まどって魅惑的に後ろ髪を引くから、もう少し読んでみようかなと思わせるんだよね。


映画は、後で冷静に考えるとあそこ足りないよな、と考えるけど、観てる最中は引き込まれ、不覚にもグスっと来たりしました。はい。


◼️「李白」


たしかに剛勇奔放、ダイナミックかつ庶民的。読んでホントにそうだなあ、と分かるところがまたニクい。


玄宗皇帝の頃、いわゆる盛唐の時代。701年に生まれ762年に没したとされる李白は同時代の杜甫よりも11歳年上。杜甫と同様安禄山の乱では反乱軍の一味と見なされたりして辛酸を舐める。役所勤めは数年で終わり放浪するが、記録があまりない。だいたい詩人は、詩を書きつけた本人がまとめているのだが、李白はそうでなかったらしい。こんなところも豪快?


詩仙と称され、中華詩界の最高峰とされる李白。その詩風にふれると、これまで読んだ白楽天や杜甫が品の良い感じに見えてくる。庶民に愛されたという李白の詩調を味わう。


<烏夜啼>


機中織錦秦川女

碧紗如烟隔窓語


【読み】

機中 錦を織る秦川(しんせん)の女(むすめ)

碧紗(へきさ)烟(けむり)の如く窓を隔てて語る


【訳】機織り台の秦川の女、錦を織りつつ独りごと。たそがれ時の窓辺にひとり、薄絹のカーテン越しに語りだすのは切ない思い。


停梭悵然憶遠人

独宿孤房涙如雨


【読み】梭(ひ)を停めて  悵(ちょう)然   遠き人を憶(おも)う

独り孤房に宿して    雨の如し


【訳】梭を持つ手もいつしか止まる。遠くに行ったいとしい人を思うゆえ。

今宵もまた、一人寝の寂しさに涙はさながら雨のよう。


「烏夜啼(うやてい)」の一部。これは逢引の恋人たちの別れの辛さ、悲しさを歌う楽府曲の題、つまりタイトルだそうだ。


けっこうベタではあるが、日本で言えば演歌調。李白は女たちの庶民的な生活や感情を歌った詩を多く書いた。後世の批評家による「卑しく、くだらない」という評価の一方で、当時の民衆には人気があったという。


<廬山の瀑布を望む 其の一、の一部>


空中乱潨射

左右洗青壁

飛珠散軽霞

流沫沸穹石


【読み】空中に乱れて潨射(そうせき)し

左右、青壁を洗う

飛珠(ひしゅ) 軽霞(けいか)を散じ

流沫(りゅうまつ) 穹石(きゅうせき)に沸(たぎ)る


【訳】

空中からどっとぶつかり落ちる水は、

右に左に緑の苔むす岸壁を洗う。

珠と砕けて飛び散る水は軽やかな霞と化して一面に広がり、はねとぶしぶきは大きい岩にたぎり立つ。



<廬山の瀑布を望む 其の二>


日照香炉生紫煙

遥看瀑布掛前川

飛流直下三千尺

疑是銀河落九天


【読み】日は香炉を照らして紫煙を生ず 

遥かに看る 瀑布の前川に掛かれるを

飛流 直下 三千尺

疑うらくは是れ 銀河の九天より落つるかと


【訳】香炉峰に日がさし、紫色のもやが立ちのぼる遥かかなたに、大きな瀑布が真下の川に流れ落ちるのが見える。

飛ぶがごとく、流れはまっすぐ落下すること三千尺、もしや天のかなたから天の川が落ちてきたのではと驚かされるほど。


李白は絶句(四行のもの)が得意だそうだが、読んでいると、ズバッ、ズバッと、時に激しく時に大きさを感じる言葉を繰り出し、爽快なほど。とても伝えきれない。


有名なもの、また話題を少し。


<晁卿衡(ちょうけいこう)を哭す

日本晁卿辞帝都

征帆一片繞蓬壺

明月不帰沈碧海

白雲愁色満蒼梧


【読み】

日本の晁卿帝都を辞し

征帆(せいはん)一片、蓬壺(ほうこ)を繞る(めぐる)

明月(めいげつ) 帰らず 碧海(へきかい)に沈み

白雲 愁色 蒼梧に満つ


【訳】

日の本の晁衡どの(阿倍仲麻呂のこと)は

我が国の都長安に別れを告げてお国に帰られた。

けれども遠くに旅立った船は、蓬莱の島の近くで、波にのまれた。

明月のようなお方は青海原の藻屑と消えて、国に帰ることはかなわなかった。

白い雲が悲しみをたたえて、蒼梧の空を覆っているよ。


阿倍仲麻呂は遣唐使として大陸に渡り、玄宗に重用されて帰国を許されず、渡海36年にして許され帰国の途につくが嵐でベトナムに漂着。復職して死ぬまで故郷の地は踏めなかった。李白や王維と付き合いがあったという。これは仲麻呂が死んだという勘違いか誤報かを元に歌った詩。これも絶句である。


<早(つと)に白帝城を発す>


朝辞白帝彩雲間

千里江陵一日還

両岸猿声啼不尽

軽舟己過万重山


【読み】朝(あした)に辞す 白帝 彩雲の間

千里の江陵 一日にして還る

両岸の猿声 啼いて尽きず

軽舟 已に過ぐ 万重の山


【訳】

朝まだき白帝城に別れを告げ、しののめに舟出して、江陵までの道のりを一日で帰ってきた。

両岸の猿がさかんに鳴き交わす、その鳴き声ばかりを耳に残して、重なる山々の間を我が乗る舟は一気に過ぎた。


これは教科書に載っていたかと思う。杜甫の「国破れて山河あり」はまだ字面でも状況がわかる気もするが、こちらは背景の説明がないとなかなか分からない。


国破れて、と同じく、安禄山の乱に馳せ参じようとしたら参加した部隊が反乱軍とみなされ、はるか西の辺境に永久追放となった李白。しかし途中の白帝城まで来たところで恩赦の報せを聞く。望外の喜びに躍り上がり、帰心矢のごときという心境を表した詩である。猿の声は通常哀しいものとして使われるが、ここでは喜びの心情と、帰るスピード感を助長している、とか。


<秋浦の歌 其の十五>


白髪三千丈

縁愁似箇長

不知明鏡裏

何処得秋霜


【読み】

白髪三千丈 

愁いに縁(よ)って箇(か)くの似(ごと)く流し

知らず 明鏡の裏

何れの処より 秋霜を得たる


【訳】

白髪、なんと三千丈。

愁いのためにこんなに伸びてしまった。

曇りない鏡に映る我が姿、

いったいどこから、こんなに秋の霜をもらってきたのか。


高校の古典の先生が、三千丈とかいうのは、数字的にホントなのではなく、それほど多いとかいう、誇張の表現だ、と出てくる度に教えてくれたのを思い出す。有名ですね。悲嘆が白髪を伸ばした、という、シンプルだが記憶に残る表現。


いささか長くなっているが、長いついでに、気に入った一首を。


<月下の独酌 其の一>


花間一壺酒

独酌無相親

挙杯邀明月

対影成三人


【読み】

花間(かかん) 一壺(いっこ)の酒

独酌 相親しむ無し

杯を挙げて明月を邀(むか)え

影に対して三人と成る


【訳】

花咲く木々の茂みに坐して、ひざに抱えし酒壺一つ。

心許せる友達の一人とてもいぬままに、独り酌みては飲む酒よ。

杯を高くかざして明月を招けば、月とわたしと我が影と、気楽な三人の酒盛りとはなる。


月既不解飲

影徒随我身

(中略)

我歌月徘徊

我舞影零乱


【読み】

既に飲むを解せず

徒らに我身に随(したが)う

歌えば 徘徊し

舞えば 零乱(りょうらん)す


【訳】

月はけれども飲めはせぬゆえ、

我が影だけがひとりわたしに付き合うばかり。

わたしが歌えば、歌にあわせて月はさまよう。

わたしが舞えば、我が影もふらりふらりと乱れてみたり踊りだしたり。


「酒癖が悪い」という理由で玄宗皇帝から解任された李白。その詩には豪快な酒豪というイメージのものも多い。古来多くの人に愛されてきたという「月下独酌」は着想の自由さ、豊かな想像力、豪快な詩風があるという。そこに繊細な幽玄さと映像的魅力もあると思う。


李白は、詩が本来持つべき任務は、為政者に民の声をまっすぐに届けることだと考えていたという。楽府、というのは歌謡のことだが、漢代には庶民の生活を反映した諸国の歌謡を集め支配者に伝える役所だったそうで、李白のこの捉え方はメジャーなものだそうだ。


なかなかエウレカだった。杜甫も戦争に徴用される農村の民の辛さを歌ったりしているが、その意味が分かった。


まだまだ漢詩、中華の書物はたくさんの魅力を潜めているようだ。

2019年10月10日木曜日

10月書評の2





台風19号に怯える日々。直撃じゃないけど2年前に同じようなコースで怖い思いをしてるからビクビク。嫌だなあ。

◼️北村薫「中野のお父さん」


短編チョーほのぼのミステリ。「円紫さんと私」シリーズをキュッとお弁当にした感じ?


北村薫好き。読みたかった本。出版社に勤める娘・美希が持ち帰る謎を定年間近の国語教師であるお父さんが解いて行く。円紫さんと私の関係を親子にしたらさらにほのぼのした物語になったってとこかな。


文宝出版の新人賞の最終候補作に残り本命とも目されている「夢の風車」は大学事務職員の女性が主人公の作品。担当の田川美希は年配の男性作者に電話で選考結果を伝えるが、応募したのは一昨年だ、と告げられる。

(夢の風車)


同じ都内だが出版社の仕事の忙しさで、別々に住んでいる美希と両親。時々美希は実家に帰り、父親に謎について相談する。「夢の風車」の謎もすぐに、きれいに解ける。


2つめの、「幻の追伸」。文豪が女流作家から受け取った、直截な恋愛の手紙の謎解きは、面白くて鮮やか。文芸を愛する北村薫らしい作品。


この2作のほか「鏡の世界」「闇の吉原」「冬の走者」「謎の献本」「茶の痕跡」「数の魔術」の計8篇が収録されている。一見してタイトルは同じパターンがズラリ。「

△△」。趣向が凝らしてあるな、と。


「闇の吉原」は俳句と文豪の話、「謎の献本」も文豪同士がからむ。謎のほうは当初予想通り。

「茶の痕跡」は本をめぐる殺人事件。あまりハードな話ではない。これだけはミステリの方が勝っているような気がしたかな。ハードなテイストでは決してない。


先に「円紫さんと私」シリーズを引き合いに出した。おおむね文芸的な、ちょっとした謎をロッキングチェアデテクティブ的に丁寧に解いていく。題材がまあ小さいのと、お父さんの解答が早いのとで、その分コンパクト。悪くいえば広がりがない。


ただ文芸で知的遊びを楽しそうに提示するのも北村流か。散りばめた小道具も楽しかった。ドラえもんに詳しい女性が出てきたり、流行りのオイスターバーに行ったり。最近のブームであるランニングも積極的に取り上げている。個人的にビビッと来たのは「突然炎のごとく」。フランソワ・トリュフォーですな。リバイバル観に行った。


あと、文章。基本的に北村薫の一文は長くない。平明で透明感を思わせる文調。解説が真逆に言いたいことを連ねるあまり長い文章になってしまっているのと好対照だった。


「円紫さんと私」が長編のランチコースなら、「中野のお父さん」は新鮮な題材という美味しいおかず、いつもの北村薫風味という主食のお握りをキュッと詰めたお弁当かも、なんて思った。ちょっと例えすぎか。



◼️伊藤計劃「虐殺器官」


鈍く光る煌めき。力のある作品。


かつてよく思ったことだが、物語を超える力を発する作品は、確かにある。久々にちらと感じたかな。


近未来、9.11同時多発テロ以降、あらゆる認証システムで人間を監視するシステムが張り巡らされた世界。アメリカ軍暗殺部隊のクラヴィス・シェパード大尉「ぼく」は感情、痛覚などを調整されて紛争地域へ潜入し任務を遂行する。しかし紛争・虐殺のあるところに現れるというターゲット、ジョン・ポールは何度確保・暗殺しようとしても捕捉できなかったー。


クラヴィスの父は自殺、脳に損傷を受けた母の生命維持装置を外す決断をしたことで自分を未だに責めている。プラハにいるジョン・ポールの愛人・ルツィアと接触しジョンに捕らえられたクラヴィスは、虐殺を引き起こす恐るべき「文法」のことをジョンから聞くー。


大変人気のある作品のようで、こちらの書評の数に少し驚いた。


さて、未来のスーパーな装備に透明感さえある種々の認証システム、それに母性を求めるナイーブさと抜群の腕を持つ暗殺部隊員、虐殺の起きた地域での、絶望的な少年少女の環境。さらにさらに、彼あるところなぜか虐殺が起こるというロード・オブ・ジェノサイド、虐殺の王の存在という数々の設定がかなり魅力的。


インド、古都プラハ、アフリカと外国を訪れ、死地に身を晒す。しかもどんどん危険になってくる。趣向を凝らした設定と、主人公の心もようの独白が互い違いに織り込まれ、ストーリーに流れを生み出している。母のこと、今、少年少女兵をも平気で射殺する自分、ルツィアに自分を罰してほしい、という本能的な、論理的ではない想いも噛み合わせが良いと思う。


この時代の社会と軍隊のコントロールを科学的にも哲学風にも語る部分が時に理屈っぽいが、最後の方はすごく集中して早く読めた。


著者の若さと、才が見える作品。


大ネタの「虐殺の文法」は都合良すぎると思えてしまうかな・・。いや巷のSFではこの程度の都合良さはフツーかも知れないが、他のストーリー立てが精巧なだけに目立つのは確か。さらに、ジョン・ポールが「虐殺の文法」を行使する理由が、弱いかな、うーん、というところ。魅力的な設定を完全に消化しきれなかった感はある。


しかし、設定とストーリーが違和感なく強い吸引性を発揮していて、その向こうに独特の力というのが、ほの見える。偶然の一部かも知れない。


名作と思った作品でも一歩引くと、普通はツッコミどころがけっこうあるものだ。特に初期作品には。しかし、その煌めきを初読で感じることこそが、読書の醍醐味の一つかな、と思う。


面白かった。

2019年10月6日日曜日

10月書評の1






日曜日に六甲アイランドで開催されている「千住博展」に行ってきた。

ラグビーワールドカップ、日本が世界ランク2位のアイルランドに、堂々の試合運びで勝ったことで、グループリーグまだ2試合残っているのに決勝トーナメントは、とか4トライ以上してボーナスポイントを稼いで、とか言っているので、ワイルドなサモアをナメてたら苦戦するかもと思ってたら、途中までホントにそんな展開になった。ラストワンプレーで4つめのトライ獲得。守備に綻びが見えたのが懸念かな。

バレーボール男子は、石川、西田といったアウトサイドヒッター、セッター関田を使わず、控えメンバーをスタメンに抜擢して世界2位のアメリカ戦、0-3負け大いに不満である。理由はなんだろう?采配ミスと言われても仕方がない?


◼️又吉直樹「劇場」


ウザく悲しいストーリーなのだが、うん、前向きなものを感じる読後感。


小さな劇団の脚本を書いている永田は、偶然出会った沙希に声をかけ付き合うことに。人の言うことを聞かない永田のやり方に反発した劇団員がやめ、友人の野原と2人だけ残った永田は、脚本を依頼されていた別の劇団の主役として、演劇経験のある沙希を選ぶ。


永田と沙希は同棲し、永田は一切の金を払わない。そのうちに同世代で世に認められる者が出てくる。永田はささいなことから沙希に怒りをぶつけることが続く。年月が経つうちに2人の関係は修復不可能に陥って行くー。


なんというか、書評が難しい作品だな、と思う。


主人公永田は、ピュアな感受性を持ってやりたいことがはっきりしているが、かなり自己中心的な性格で周囲に理解されない。沙希のいい子すぎるともとれる優しさに救いを見出している。2人だけの楽しい時間はすぐに過ぎ去り、年月とともに環境も関係性も変わっていく。


読ませどころの一つは、永田の独善的なへ理屈の連なりだろう。かつての同僚、青山が初めて出した本へのヒドい批評メールがそのヤマ場だ。関西弁で全部を言っているところがまた面倒くささを助長している。演劇への捉え方の独白も哲学っぽく見え、ひょっとして目的は違うかもしれないが、結果として永田のイメージを強めている。


演出としては、サッカーのゲームで自チームの選手をすべて文豪にして戦うところがなかなか楽しめた。太宰がゴールゲッターってイメージ違いすぎるでしょ。^_^


2人が過ごす年月はちょっとヘンなところも含めて全てが2人だけの特別な世界であり、大きな都会、東京での孤独感をも醸し出しているように思える。気がつけばこの世界以外ありえないー。どこか共感する。きれいでない部分は映画的でもありながらリアル感も覚えた。恋と、年月。物語には永遠のテーマかもしれない。


ただ、何も見えずに貧乏のまま、恋人との関係も感じるままに突っ走る演劇人、人生不器用、という題材はいささか古いようにも見えた。


主人公が少しく変でウザキャラ、女の子は過剰にも見えるいい子。ゆえに何か起きた時に男側の周囲からの隔絶感、孤独感は強調される。分かるが設定に、遠いものを感じて、この悲しい物語を冷静に見てしまい、感情移入は最後まで出来なかった。


ただ、読後感は悪いものではなかった。


又吉氏の「火花」を読んだ時は、パワーと体験に基づく気持ちがよく出ているなと思った一方で、太宰が好きな本読みと聞いたのに思ったより大人しいな、という感想だった。まあ勝手なイメージですけどね。


でも今回はハチャメチャなセリフの部分にちょっと魅力を感じた。悲しいストーリーの割には前向きな感覚を持った。次もまた読んでみる気になる。


◼️島崎藤村「千曲川のスケッチ」


明治末の小諸・長野。風景・風俗への感動が抑えた筆致で描かれる。


この作品は島崎藤村が8年ほど英語教師として赴任していた当地での体験を写生文風にしたもの。文学的には詩から散文・小説への転換点として重要らしい。


印象的だったのは、測候所の技手に招かれて長野へ出かけた「雪国のクリスマス」。大雪の道を行き交う人の様子と色。草鞋を履き赤い毛布で頭を包んだ小学生、馬車、馬丁の喇叭などが躍動感ある生活を表している。


また暗い雪の道。

「町を通う人々の提灯の光が、夜の雪に映って、花やかに明るく見えるなぞもPicturesqueだ。」というのはなかなか絵画的だ。藤村は会堂でクリスマスの唱歌を聴いて過ごす。翌日に測候所へ赴くのも、文は少ないがなかなか面白い趣向だと思った。


正月に屠牛を見に行った際の描写も生々しく興味深かった。


私と長野のつながりといえば昔善光寺と川中島古戦場を見に行って、古戦場からの帰りのバスがなかったからぶらぶらと川沿いのりんご畑を見ながら歩いたこと、また小諸を舞台にした中学生マンガ「すくらっぷ・ぶっく」で描かれた世界くらいのもの。基本的に西日本人なので、憧れはある。


作中で藤村は頻繁に山歩きに出かけている。その描写は活き活きとしているが、やはりうまく像を結ばない。土地勘もうーん、というところ。長野は行ってみたいところもたくさんあるし、いつかゆっくりこの作品の世界に浸ってみたい。

2019年10月5日土曜日

9月書評の7





台風18号は朝鮮半島に上陸した後ググッと真東に進み温帯低気圧となって新潟などに上陸。30m近い瞬間最大風速でパワーをみせつけた。温帯低気圧でも怖いなあ。

さて、CS、クライマックスシリーズとラグビーの土曜日。

◼️東山魁夷「泉に聴く」


「あお」の秘密。日本を代表する風景画家・東山魁夷の来歴。


東山魁夷は、昨年の展覧会で作品に触れ、また川端康成と親しかったというのも興味を引いた。先日観に行った「川端康成と美のコレクション展」でも表紙絵をはじめ多くの展示があり、タイミングよく図書館で目に入ったので借りてきた。


昭和30年代から40年代のエッセイを集めてある作品で、散文的、一部幻想的に生い立ちや画家としての道のり、多くの風景を描いたヨーロッパへの旅、日本の旅、それぞれの文化、また自分の筆致について語彙の豊富な独特の美文で書いている。


東山魁夷といえば、「青」を印象的に使った絵が多い。冒頭の方に「青」という色について分析し、東西、ヨーロッパ、中華、そして日本で青を使った作品についてまとめている。


 そして、ヨーロッパの北方に憧れ、ドイツ北部や白夜の北欧、コペンハーゲンの郊外、フィンランドなどを旅した、その道行きが感性を開放したような表現で書き留められている。


特にフィンランドのヴィラット、湖のほとりで観た夏至祭の炎のくだりは幻想的な美しさだった。長野まゆみの小説みたい、なんて思った。


もちろん国内も奈良・飛鳥、多くの海岸線、代表作「道」の着想を得た青森・種差海岸の牧場への道など、様々な旅について書き残している。京都には特に一章が設けてある。


川端康成が亡くなった際の驚き、思い出も綴っている。


読むのに時間がかかる本というのはあるものだ。読んでて文章がすっと頭に入って来ず、同じページを何回も読んでしまう。おおむねあまり面白くなく、続きを読むのに辟易したりする。


この本も時間がかかった。でも丁寧に読みたい、もっと噛み砕いて頭に入れたい、という意識があり、苦痛は感じず、むしろ読み終わるのが惜しかった。読了後心地よい感慨に浸った。


画伯が描いた大作、唐招提寺の障壁画を、もう観たくなった。


◼️遠藤遼「奈良町あやかし万葉茶房」


ご当地ラノベ好き。こんなん出ました〜。


今年はご当地ライトノベルを多く読んでいる。近在のブックオフにラノベコーナーが出来て探しやすい。奈良と万葉と来れば逃すわけにはいかないっす。


父を亡くした高校生、草壁彰良は母方の親戚、額田真奈歌の勧めに従って、東京から奈良へ引っ越す。真奈歌はならまちで、「万葉茶房」という喫茶店を営んでおり、彰良はそこで店の手伝いをすることに。彰良には、あやかしを見る力が備わっていた。


「万葉茶房」はあやかし向けの店でもあり、あやかしや神様も来店する。どうやら彰良の母が開店に尽力したらしい。シェフの吉野は大天狗、真名歌も霊力がありそうだ。母が遺した万葉集を覚え込んでいる彰良は歌を口にしてあやかしを癒していく。砂かけ婆の孫娘・阿砂子、小天狗のミヤマと友人だった委員長・春日めぐみ、さらに強い神の娘だという男勝りの竜川美幸らと、彰良は母の正体を追いつつ、賑々しい毎日を過ごす。


設定と出来事はいかにもラノベらしいのだが、奈良の土地柄となんといっても万葉集の歌が楽しめる。差し挟まれる軽妙な会話もグッド、またグリーンエイジらしい恥ずかしさもいいと思う。このトシにして面映ゆい想いになる。


「ならまちはじまり朝ごはん」という別のラノベシリーズとかぶる部分も多く、逆に分かってるからさくさくと進む。


これ、2017年に出てこれで終わり?ワタクシ「よう」とか「おまえ」とかフツーに使う走り高跳びのエース、竜川さん気に入っちゃったんだけどー。せっかく万葉集題材だし、もっともっと展開できるのにー。十市皇女とか、天の火もがも、とか衣干したりとかやってほしい。彰良は母親とも会ってないのにー。続きが激しく読みたいぞ。と思ったら2巻は出ているようだ。


楽しみだぞ。