2019年3月24日日曜日

3月書評の4




どうも読書のスピードが落ちている。昨年は意識して速くたくさん読み、年間200冊を突破したが、長いものや難解そうな作品をわざとパスしていたので、今年は色んなゆっくり読もうとしている。ただ、そんな中でもスピード落ちたな、という感覚がある。まあまだ1/4にも満たない時期なんだけどね。

もう母が亡くなってから1週間過ぎた。感情はそう簡単におさまらない。傷ついているな、と思う。私はこんな人生を、いつまで歩くんだろうか。それとも、宿命的に父と同じになるんだろうか。やれやれ、こんなことを考えるのは良くないな。でもそう考えるのも理性。感情の前に羽根のように軽い理性は無力なのである。


◼️福永武彦「古事記物語」


何度読んでも新鮮だ。


数年に一度、神代ものを読む。古事記については様々な出版物があり、目にする機会が多い。今回は、久々に古典でも借りようと図書館に行ったら休みで、息子が児童向けの本書を持ってたな、と思い出して読んでみた。福永武彦も、私は初めて。興味深い。


国産みから天岩戸、スサノオノ命、オオクニヌシ、タケミカヅチ、ホノニニギノ命、海幸山幸、神武天皇東征、ヤタガラス・・。


古事記は推古天皇までの、神話、歴史、伝説、歌謡などを広く集めている。だいたい古事記の特集本などは私が上に挙げたあたりの話を中心にまとめられているのだが、本書は仁賢天皇の時代まで下って描かれているので、ほう、となった。同時に、あんまりちゃんと読んでなかったんだな、と実感した^_^。


大筋の話は憶えているが、細かい部分はさすがになので、目にするたびに新鮮な神話のエピソードたち。天沼矛、ぬぼこだ、とかオオクニヌシが高天原の命を長きにわたりはぐらかしただとか、山幸、ホオリノ命の冒険とか。


記憶に残るのは、やはりヤマトタケルノ命だろうか。残忍な性向から天皇の御子でありながら親に愛されず、戦いに明け暮れてついに死ぬ。


大和は 国のまほろば

たたなづく青垣

山ごもれる大和しうるわし


とても好きな歌である。


お后や御子たちが悲しむ中、ヤマトタケルノ命は八尋もある大きな白鳥に姿を変えて海の方へと飛んで行く。冒険、哀しみの人生、そしてはかなく美しいフィナーレ。


もう一つ、スサノオノ命の歌もいいな、と。ヤマタノオロチを退治したスサノオがクシナダ姫と住む須賀宮という宮殿を建てる際、空を見て。


八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに

八重垣作る その八重垣を


雲の湧き出る出雲の国に、七重に八重に雲はわく。八重のかきねをめぐらすように。私と妻とはその中に。


もはや言葉がないですな。今回、概ね関西が舞台のことも多かったし、最近奈良がマイブームなので、親近感が湧いたが、出雲ってひとつの憧れだよな、と改めて思った。


そういえば日本書紀の方はほとんど読んでない。次は、ちょっと探してみようかな。福永武彦も調べてみよう。


◼️とりのなん子「とりぱん 1」


鳥のエサ台を置いてみたくなる。

webで本を探してた時にたまたま思いついて購入。おもしろく、かつ学習。


「鳥類学者だからって鳥が好きだと思うなよ」を読んだ時に、鳥に詳しくなるには「とりぱん」を読むことから始めようかな、と書いたが、ホントにやってみた。


北東北に住む著者は、自宅に鳥のエサ台を2ヶ所設置している。エサ台に来る鳥たちとの四季。


ボス的存在の青ゲラのポンちゃん、気が荒いヒヨドリ、地味で腰が低いツグミ、実は肉食で牛脂をよく食べるシジュウカラ、エナガ、オナガ、メジロ。忘れちゃいけないスズメ。


山の上にある妻の実家でもエサ台をセットしていて、そこでメジロだけ覚えた。ほかはパッと見ても正直分かんないだろうなと思う。


買い物に出るお母さんのごとくパン切れを持ち帰っていってり、実は果実をを食べなかったりするスズメの姿や暴れん坊たが子煩悩なヒヨ、そのヒヨドリにいじめられるツグミ、ちょっと臆病なポンちゃんの行動などを観察し、ユーモラスに描いている。


冬場はマイナスふたケタ度になる土地での、四季の移り変わりやご当地ネタも楽しい。豊島ミホという作家は、青春もの小説の舞台を生まれ育った北東北にしているが、私はマンガや小説に描かれるご当地ならでは、駅を離れれば自然豊かで電車の数も少なそうな土地の描写は好ましいと感じる。


作中に出てきたジェローム・K・ジェローム

「ボートの三人男」も読んでみようかな。


単行本はもう20巻を超えているという。すぐ大人買いはしないけれど、少しずつ読んでみよう。


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