暑い暑い。この3連休は、初日に床屋に行き、土曜日は歯医者。2回目にして新しい詰め物が出来て応急処置終わり。歯石を取ったら、すごく痛かったけれど、前歯がスカスカな感じ。きれいにもなった。やっぱり定期的に歯医者は行かねば。歯磨きの回数も増やして、張り切っているが、歯石取ったあとの昼食後気合い入れて磨いたら、口の中が血だらけになった。(笑)
移動がバスなので、予約の時間と合わないこともあるが、ちょっと早めスタートで、図書館で涼しく読書してから行ったりしている。
では2つめ。どぞどぞ。
ウィリアム・シェイクスピア
「夏の夜の夢・あらし」
ドタバタな感じがシェイクスピアっぽい、のかな。妖精のイメージを変えた?短編喜劇ハッピーエンドもの2編。
舞台はアセンズ(アテネ)。イジアスの娘ハーミアはデメトリアスと婚約させられていたが、ライサンダーという若者と両想いとなり、父の意に沿うか、死刑か、神殿の奥で一生独身で過ごすかという選択を迫られていた。デメトリアスには彼を想うヘレナという元恋人がいた。妖精の王オーベロンは冷たい妻タイターニアを懲らしめるべく、最初に見た者に惚れる薬を作るが、妖精のパックにデメトリアスがヘレナに惚れるように使え、と言い含めて薬を渡す。しかしパックは間違えてライサンダーに薬を使い、ライサンダーはヘレナを見てしまう。(「夏の夜の夢」)
どちらも1600年ごろ書かれた話で、いつもながらその時代の様々なものを反映していそうで興味が湧く。
「夏の夜の夢」はごとく、取り違えのためにドタバタする喜劇で、悲劇のロミオとジュリエットと同様の展開である。解説によれば、妖精というのは当時どちらかというと不気味なものという捉え方だったのに、この作品が世に出てお茶目なイメージが広まり、今日まで続いてるんだとか。
「あらし」は、シェイクスピア最後の物語で船が難破して、無人島にナポリの王侯貴族とその従者が流れ着くが、実は嵐を起こしたのは、深い恨みを抱く、現魔法使いの元ミラノ公で・・という話。セリフ的にもいろんな含みがありそうにも思える。
ドタバタする流れは同じである。しかしいくつかの場面が同時進行するなど技巧的。王侯と対照的に、従者や市井の人々のハチャメチャな会話を取り入れ、しかも全体として超自然観とか宇宙観とかを醸し出すー。なんとなくシェイクスピア独特の良さがちょっと分かってきたかな。4大悲劇を読みたくなってきた。
敷村良子「がんばっていきまっしょい」
困った、不思議な物語だった。なんでもないシーンで泣けてきてしまう。魔力的。名門松山東高校の、女子ボート部の物語。
1970年代後半。進学校の松山東高にやっとこさ受かった篠村悦子は、海辺で見た光景に天啓を得て女子ボート部を立ち上げる。なんとか部員を揃えて高校総体予選に出場したが、悦子たちは惨敗を喫するー。
最初からザパッ、ザバッと荒い文体で、しかも主人公悦子はアンニュイなベースで、もう少ししなやかなスポ根ものをイメージしていた私は虚をつかれた。ストーリーは確かにスポーツ青春ものに近いのだが、アンニュイで不器用な悦子の高校生活、どこか泥臭い部活に頼りなさそうな部員たち、方言でのあまり長くない会話、などがマッチして、一種のリアルさを感じ取れる作りになっている。
そして、普段の練習風景とか、大会の日の朝の散歩のシーンという、なんでもないところで不思議と泣けてくるのである。それなりの年月本読みをしているが、こんなことはなかなか無い。淡々として、大げさすぎず、キレイでもなく、長くもない悦子の心の動きの描写が妙なリアル感となり、その中に控えめに散らされるまっすぐな部分に刺される感じである。
松山東高は夏目漱石が赴任し「坊ちゃん」の舞台となった名門進学校である。様々な伝統があり、自らも卒業生である作者の愛情を込めた特有のエピソードも盛り込まれている。1996年の作品で、松山市が主催する坊ちゃん文学賞受賞作。映画とテレビドラマにもなっている。映画は田中麗奈の初主演作だとか。
私はwebで書評を読んで、手に取る気になった。書評を書いた方も、賞を選考した方も、映画やドラマに携わった方も、この不思議な魔力を正しく?味わったのだろうか。
表題作と続編で構成された本で、「がんばっていきまっしょい」は100Pもない話である。しかし得難い体験をしたと思う。
エドガー・ライス・バローズ
「火星のプリンセス」
1910年代の名作。バローズは「ターザン」シリーズもものした人。この時代らしいな、と感じる流れもいくつかある。
南北戦争で南軍の騎兵大尉だったジョン・カーターはアリゾナで金鉱の発掘をしていたがインディアンに追われて逃げ込んだ洞窟で、突如火星に転移する。
火星でカーターは身体能力と果敢さ、思慮深さを武器に、プリンセスのために大活躍、また火星の民族とも友情の絆を結ぶ。
運河、気候、2つの月、重力の差などの、火星の居住環境にもワクワクするが、まず特徴的なのは、火星の民族が好戦的で残忍、暴力的な下剋上があり、人間らしい情に薄い、という設定だろう。
多くの行軍が出てくるが、戦いの展開、勇敢さなどの描写に、作者自身が元軍人であった事が反映されているようだ。また超大型の飛行艇を使った空中戦なども、時代を反映してるようでもあり、さらにジブリアニメのようでもあり、なかなか興味深い。
ストーリーの展開は多少ご都合的とも言えるし、現代ものと比べて看過、スルーしてるな、という部分も見えるが、それでも全体として躍動感があり面白い。SF的な趣きって、いろんな角度から楽しめるな、と思う。
湊かなえ「山女日記」
なんというか、コミカルで面白かった。湊かなえ、の別の顔?
勤め先のデパートのアウトドアフェアで、登山靴にひと目ぼれして購入した律子は、女子の同期3人で妙高山に登ることにするが、仲の良い舞子が欠席し、あまり付き合いが無く、部長と不倫している由美と2人で行く事になる。(「妙高山」)
その短編で登る山の名前がタイトルについた短編集。主人公はいずれも妙齢の女子。恋愛に、不倫に、人生に悩んでいる。短編集の妙味でそれぞれの短編の主人公は、他の話と微妙にもしくは直接的に絡んでいる
ベースとなる設定のテクニカルなところもイケていて、なかなかに小粋な演出である。物語の中にそうだったのか、というネタばらしがあるものもあり、飽きさせない。
やや本格的な登山を扱ったものとしては、先に北村薫「八月の六日間」を読んだ。こちらは連作短編で、1人の女性の心のうちが語られていた。この「山女日記」はよく似ている部分もあるが、ずっとコケティッシュで思わず笑えたりする。中では、バブルの残滓をスタイルに残した女子がお見合いパーティーで知り合った男と山に登る「火打山」が良かったかな。
湊かなえは「告白」「境遇」と読んだが、こんなに柔らかいのはイメージ外でちょっとびっくり。登山は趣味だそうだ。なるほど。
太宰治「走れメロス」
太宰治中期の、充実した作品集。スッキリとした表現で、明るい作品が多いと感じる。ふむふむ。
手ひどくふられた私は、大学の講義の合間に上野公園の甘酒屋に通うようになる。店の娘、17歳の菊ちゃんは、失恋の相手によく似ていた。ある日私はその店で、シューベルトに化け損ねた狐のような顔の男、馬場に出会う。(「ダス・ゲマイネ」)
「ダス・ゲマイネ」「満願」「富嶽百景」「女生徒」「駆込み訴え」「走れメロス」「東京八景」「帰去来」「故郷」が収録されている。
「ダス・ゲマイネ」だけが昭和10年、初期の作品で、他は30歳の時、井伏鱒二氏が親代わりとなって石原美知子と結婚し安定していた時期の作品群である。「帰去来」「故郷」は絶縁状態だった青森の実家へ恐る恐る帰った経緯が描かれている。この後長編「津軽」が書かれたそうだ。
さて、「満願」「富嶽百景」「女生徒」は表現が実に清冽である。
「富嶽百景」は有名なフレーズ「富士には、月見草がよく似合う」が出てくるし、ラストも鮮やかだ。「女生徒」はくるくる変わる、複雑で可愛らしい心情がよく出ている佳作で、「キウリの青さから、夏が来る」とかいう表現も短い言葉で爽やかさの極みを表している。
「駆込み訴え」は代表作の1つとどこかで聞いていて初めて読んだのだが、ふうむ、という感じである。キレがあるとは感じた。「走れメロス」中学生以来?健康的で、まっすぐな物語。ちょっときれい過ぎるかな。
さて、太宰治は先に「人間失格」とか「晩年」を先に読んでしまい、ネガティブなイメージが強かった。ファンが多い理由に触れてみたくて少しずつ読んでいる。「女生徒」を読んでなんか分かり、「斜陽」を読んで感心し、今回はなかなかいいな、と思った。明るいもの、筆がノってる感じのものは受け止めやすい。ただ数が増えて、太宰の筆致に慣れが出て来たこともかなり大きい。
知り合いの若手本読みは、いまだに良さが分からない、と言う。私も理解したとは言い難いが今回保存版で、他の作品も読みたくなった。
0 件のコメント:
コメントを投稿