写真は唐招提寺である。ここで「天平の甍」を買い読んだことは5月のトピックだった。やっぱ奈良はいい。次は古墳方面かな。三角縁神獣鏡見たいな。では5月分もレッツゴー!
溢れる才気が飛んで来るようで面白かった。完成度の高い時代もの連作短編集。デビュー作にして直木賞候補作。
「相手は宇喜多の娘だ。それを嫁に迎えるなど、家中で毒蛇を放し飼いにするようなものぞ。」石山城(岡山城)の主、宇喜多直家の四女・於葉は、嫁ぎ先の、東美作大名・後藤勝基に仕える嫁取り奉行が陰で宣った言葉を偶然耳にする。父の直家は陰謀を駆使し、妻の父を暗殺し、娘を政略結婚させた嫁ぎ先を攻め滅すなど悪名が高かった。
宇喜多直家を中心とした連作短編集。最初にガツンとかましてイメージを植え付け、その後の話で直家の所業とその当時の状況を深く解き明かしていく。登場人物は多いがスッキリしていて、書き分けが明確だ。だからその交錯も活き活きしている。複数の視点から短編が展開され、それが直家という人物像を形造る支えとなる。ファンタジックな要素もあり、人間の業も描かれ、最後は上手くまとめてある。
戦国時代末期の中国地方という、どれかというとあまりメインではない、でも武将の名前は聞いたことがある、という地域をネタにしているところに知的好奇心が湧く。権謀術数も凄まじいが、ところどころ、人間的な描写も数多い。色んな意味で。匂いという小道具も使い、全編で、ところどころで出て来る謎や出来事がおおむね把握できる。謀事、戦国のものではあるが、読後感がとてもいい。
西加奈子「サラバ!」が受賞した時の直木賞候補作。審査員の先生たちのウケはとても良く、面白さで言えばNo.1という声も複数あったようだ。
ちょっとややこしいが、この作品は、高校生直木賞受賞作であり、巻末に、高校生同士の議論が掲載されていて興味深い。鋭い書評を展開してます。
知念実希人「優しい死神の飼い方」
かわいくて、くすっと笑えて、サスペンスフル。ちと少女マンガっぽいかな。でも面白かった。
人が死んだ後の魂を我が主様のもとへ導くのが仕事、という存在である「私」。現代日本を担当していたが、この世に未練を残す「地縛霊」の多さに辟易し、「彼らが生きているうちから接触しない限り、成績を上げることは困難」と上司に強弁する。すると上司は、「私」をゴールデンレトリバー犬の身体に封じて、地上へ送り込んだー。
高貴な存在である「私」がホスピスに飼われることになり、犬の姿と人間界になにかと苦労しながらも、死を目前にした人々の未練を解決していくが、患者たちの過去の体験はつながり、事件の深層が現れる、という、上手な構成ものだ。わかっていても犬の私の所作や考えることは可愛らしく、時々ふふふと笑ってしまった。
知念美希人は医師の資格を持つ作家で、「天久鷹央の推理カルテ」という人気シリーズを書いている。今回新聞で第2作「黒猫の小夜曲」の出版を知り、人気作ということで、じゃあ最初の読んでみようと思ったという、最近おきまりのパターンである。サクサク読めて、確かに面白くはあった。ちょっと先読みが出来てしまったのだけれど。
死を前にした人間たち。それを前提にした物語はいくつか読んだ。この物語は少女マンガっぽくはあるが、なんとも言えない哀切と美しさを醸し出している。楽しい作品ではあった。
伊坂幸太郎「サブマリン」
登場人物の強引さを肴に、背負ってしまった罪に向き合う。「チルドレン」の続編で、興味深い対称の文学。
家庭裁判所調査官の武藤は無免許運転で死亡事故を起こした棚岡佑真という少年の心を開くことができずにいた。一方、ネットで脅迫文を投稿した者に向けて、脅迫文を送りつけたとして試験観察中の英才、小山田俊に、武藤は、ネットで調べた犯行予告を見せられ、おそらくその人物は小学校で事件を起こす、と告げられる。
「チルドレン」から月日が経ち、武藤は妻子持ちとなり、ハチャメチャな言動をする陣内は試験を受けて主任に昇格している。また盲目の永瀬は優子と結婚し、変わらず陣内の友人である。
前作もある程度はそうであったが、今回は重いテーマに向き合っている。少年法の是非の議論、人の罪と社会の捉え方、家庭環境と被害側の心の傷・・。実直な武藤、陣内の破天荒な発言と行動、小賢しい少年小山田らを絡め、ありえそうにない展開を実現してみせることで、伊坂らしいワールドを現出しているのだろうか、と思う。ジャズやバンドの話もいい味付けだ。
根源的な人間と罪、とい部分にダイレクトにアプローチしようとしている所に好感を覚えた。私は、特に映画は、社会問題を扱っている各国ものが好きだが、伊坂の作品としては珍しくというか、そのアンテナに引っ掛かった気がした。まあ問題を扱えばいいというものではなく、フィクショナルな部分も大事だと思うのだが、伊坂ワールドの中でそうされているからちょっと気を引かれたのかも知れない。
伊坂幸太郎はエンターテイナーだと思っているが、こうした、まるでストレート系の変化球のようなクイッとした展開に、今回感心した。
住野よる「君の膵臓を食べたい」
思ったよりも直球な話。でも、トータルで、作品を超えるものを、不思議と感じた。これが物語の持つ魅力かも知れない。
「僕」は病院でクラスメイトの山内桜良が置きっ放しにしていた「共病文庫」という本で、桜良が余命数年だと知ってしまう。読まれたことを知った桜良と「僕」は親しくなり、2人で出掛けるようになるが、明るく人気者の桜良と、暗くて協調性が無いと思われている「僕」の事を知ったクラスメイト達の間に不穏な空気が広がる。
日常と真実を求めて。これは人と関わるのを避け、読書に沈んでいた「僕」の成長ストーリーだ。高校時代のキラキラしたところも、女子の友情も、孤高の過ごし方も、危険なところも、その時にしか無いものを詰め込んである。桜良の、突飛な発想と行動力の光の部分は、絶望という淵を際立たせて残酷だ。小道具もいろいろあって、直球な成り行きのすき間を上手く埋めている。そして、物語は少し意外なルートを辿るが、行く先もまたまっすぐと思う。
ちょっとだけ、「釣りキチ三平」の終わり近くを思い出した。早くに両親がいなくなった三平は、育ての親の一平じいさんをも失う。人前では表情を無くしていた三平だったが、遅れてかけつけた魚紳さんの胸へ飛び込んで感情を爆発させ、それを見た周囲の面々が安堵する。
なんでしょう。タイトルから、もっとヒネった展開、グロなものも含めて、を期待してしまっていたからか、ストレート感にちょっとやられた感が強い。淡く明るく、哀しい。じくっとした感動は、ちょっと後を引いたかな。
井上靖「天平の甍」
先日訪れた唐招提寺で購入。文庫本は、開くたびに抹香の匂いがした。遣唐使の一員として渡った若い僧たちの苦闘。鑑真来日に賭けた情熱。
733年に難波津を出発した第九次遣唐船には、普照(ふしょう)、栄叡(ようえい)、ら若い留学僧が乗っていた。仏教伝来から180年、当時は税や労役を逃れるために百姓が争って出家し、僧尼の堕落が甚だしい時代で、仏教に帰依したものの規範を作るため、唐からすぐれた戒師となる僧を招く必要に迫られており、青年僧たちにはその使命も委ねられていた。
普照ら栄叡のほか、3人の留学僧たちそれぞれの道と思うこと、身の処し方などに焦点を当てた物語である。特に留学僧たちにとっては、遣唐使として派遣されてしまえば、次の遣唐船まで、日本に帰る当てはない。実際普照らの次の遣唐使は20年後にようやく持ち上がった。留学僧達にとって、唐でどう過ごすかは、一生の問題でもあった。
実際、栄叡は自分が学問を修めることよりも、所期の目的の一つに従って、高僧の鑑真本人を来日させる事に意欲を燃やした。修行、勉強したからといって必ずしも帰朝後に出世できるわけでもなく、放浪や土着する者、さらには船でも陸路でも、遭難する者は実に多かったのだろう。
鑑真は来日に何度もトライするが遭難し、2度目の漂流の後視力を失ってしまうが、第十次遣唐船の帰りの便で、ようやく来日が叶う。月日の流れと、普照、仲間の僧たちの成り行き、鑑真の弟子達との交わりなどがていねいに描かれ、淡々としていながら運命的でもある。
唐招提寺は、どこか清冽で、気持ちいい場所だった。天平の甍、という、未来志向溢れるタイトルの、1250年以上も前の物語に触れることで清々しい気分になれた。
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