2017年6月26日月曜日

プレイボール

あーグランドジャンプで始まっている「プレイボール」の続きが読みたいなっと。早く単行本出ないかなっと。webで第1話試し読み。絵を似せて、テイスト同じで、最終巻の続きから。いいねえ。時代は昭和54年ごろなんだけど、野球用語はちょっと現代的。東東京大会、というのも確か原作には出て来なかったはずだ。

今週は取り立てて何もない。tacicaの「LEO」という歌を覚えた。というとどこの人?となるけどハイキュー!のエンディングテーマである。けっこう歌詞好きなのよ。

木曜日はチョー早起きでなんか生活バランスが狂った。最近はダイエットメニューに寄っていたが、この日はよく食べた。朝フルーツグラノーラで、会社に出ておにぎりサンドイッチ。昼は親子丼と冷たいそば、晩ご飯はホッケの焼いたのでご飯、さらに焼きそば皿いっぱい。

んで金曜日は昼は鶏天定食、夜は呑みで3件ハシゴした。もう久々に暴飲暴食ばんざーいである。まあ最近はおとなしかったしね。

金曜日の呑みは、高校、大学と同じやつで、呼び出しがあったからもしやと思ったらやはり転勤の話だった。まあ仕方がないな。こういう時、酒はいい。転勤先について、仕事や家族について率直に言い合える。この日はトシになると、もう呑めないかもな・・とか考えてしまうし。彼も初めての関西であちこち行ってたようだし奈良は気に入ったみたいだし、人生の幅を持てて良かったと思う。

土曜は二日酔いでひたすら休む。「ブロントメク!」読んでるがなかなか進まない。友人オススメのSFだが・・いまのところうーん、である。

犬の散歩行く。いつもの公園の木に、赤い実が鈴生りに生っている。後で調べたらどうやらヤマモモらしい。食べたりヤマモモ酒にしたりするんだとか。スーパーにも売ってる場合があるんだとか。鳥は独特の臭いがあるから食べないらしい。へええ〜。

風呂入る前に腹筋やって、風呂の後柔軟やって、本読んで寝る。

目覚ましかけずに寝て8:30起床。雨の予報だがほとんど降ってない。昨日調べておいた店のバーゲンにYシャツ買いに外出。ちょっと迷って、2着購入。UNIQLOなんかでも買ってたが、Yシャツらしいビジネスっぽいのが欲しかった。改めて測る。首はMサイズ、肩幅Lサイズだって。ちょっと意外。ここ一連の開脚・腹筋が上半身にもいい影響出てるのかも。水色っぽい白と水色。買ってすぐ帰る。帰りのバス駆け込みだったが、年配の運転手さんは待っててくれた。山道は行きより雨降り。ひどく蒸し暑い。手作りホットケーキ食べて人心地。後は眼鏡買いたいな。

完敗の広島−阪神を観ながら読書。「ブロントメク!」読了。もひとつ掴みきれない感があったが、名作の魅力は伝わった。

バラエティ番組でバレーボール中学チャンピオンと元日本代表の対決をやっていた。中学王者上手い!レセプションが上手い、セッターが上手い。また攻めのコンビがいっぱい。2m超も居る元代表組に苦戦してたが勝った。

寝るときは除湿が欠かせなくなった。暑い、眠れん、と息子が私の部屋に来る。除湿は点けてやるけれど、息子が寝入った後私は狭いので息子の部屋へ。なんだ涼しいやん。日曜の夜はなかなか眠れず、遅くまで起きていた。

朝はふとんをかぶるほど涼しい。新しいシャツに袖を通すとやはり気持ちいい。さて今週は雨がちの週。

2017年6月19日月曜日

Hell valley





月曜夜、私は地獄谷に居た。そうここは地獄谷。大阪に20年以上勤めているけど最近まで知らなかった。野田阪神の路地裏に、小さなバーが連なっている。怪しく明るい雰囲気。人出もあり、1軒目は評判だというナポリタンを食べ終わったらお客がいっぱいになって出た。2軒目ジントニックでしばし楽しむ。駅が遠くないから帰りやすい。すっかり酔っ払った。


火曜の夜はサッカーワールドカップアジア最終予選。イラクとのアウェー戦。采配や用兵に問題はあったのだろう。でもアクシデントと灼熱の気温がやはり全てだったと思う。その中、アウェーの引き分けなので良しとすべき派の私。でも本音を言うと、吉田麻也クリアせいよ・・だった。これで8/31ホームオーストラリア戦勝ちで出場決定。シンプルだ。今回のオーストラリアは、首位争いはしているが、かつてのような、敵わないほどの強さは無い。楽しみだ。高野秀行「ミャンマーの柳生一族」読了。うーむ。もひとつ。


水曜の夜は、真ん中からパキンと折れてしまった家用メガネと、息子がボール遊びで持ち手を割ったシャーロックホームズのマグカップを瞬間接着剤で苦闘しながらくっつける。接着剤年単位で使ってなかったから最初は水気の少ない液が出ていて、突然サラサラの通常液が出たから、指に付いたりしてカチカチになった。でもまずまず出来て、メガネはもう掛けている。マグカップもキレイな感じに復元はして、手で持ち手を持って持ち上げることが出来る。でももうコーヒーは入れられないな。折れて悲惨なことになりそうだ。�田郁「あきない世傳 金と銀(三)」読了。1日で290ページ。�田郁のシリーズは面白くてたったか読める。


木曜。息子が学校での読書の時間用に買ったミヒャエル・エンデ「モモ」読み始める。エンデには以前から興味があった。彼が原作で日本のアニメのタイトルになったジム・ボタンの冒険を弟が大好きだったからというのもある。「それ、面白かったよ」読書家を自負する私が、息子にこんな事を言われる日が来るとは思わなかった。前夜の夜ふかし読書が響いて、10時には沈没。夜中に息子がベッドに入ってきたのは分かったが眠りの淵へ堕ちる。ちょっとぶりに朝風呂だった。


金曜ちょっと暑い日最高30度。でも帰りは風が吹いて涼しい。楽天の藤平(横浜)プロ初登板初先発。昨夏、履正社の寺島と投げ合った素晴らしい試合を思い出す。珍しく暑い高野山で義母と一緒に観てたな。帰ったらちょうど降板で観れなかった。泣


「モモ」猛烈に読み進み深夜までで1日300P以上読み読了。1973年の作品らしいというのか、風刺がキーンと効いていた。けっこうその仕掛けに感心。よく出来てる。さすがに名作。


土曜朝は全米オープン観ながらブレックファスト。

妻「どうなの松山」

私「あーいい出来だねえ」

妻「だから何位なの松山ケンイチ!」

私「・・松山ケンイチは俳優だ・・」


中学ではバレーボール部の対抗戦。パパは夕方から3ヶ月に1回もやってる同窓会で梅田。昼間にその日の分の腹筋やってからちょっと早く行ってグランフロントの紀伊国屋でじっくり本を見る。当初から目的の、松岡圭祐「シャーロック・ホームズ対伊藤博文」は購入。しかし欲しい本多かった。「鹿の王」も文庫化してたし。稲垣足穂も山尾悠子も読みたいな・・。「有頂天家族」も2が出てたし。


さて同窓会。福岡の高校で、いま関西で連絡つくのは20人ほどだけどだいたい15人来る。チームワークがとても良い。単身赴任が多いのが特徴。今回は転勤で1人鳥取へ、1人福岡へ。で、関西へ新しく来たのが2人。ちなみに畿内以外へ転勤の可能性が当分ないのは5人くらいだろうか。そういう所だということだ。幹事役の男女2人は動かないから、それと私などの大阪本社の会社勤めはそのままだろうが、いずれ入れ替わりもあるだろう。


居酒屋に広めのバーで2軒。11時に出る。3ヶ月に1回でも話が尽きないのが不思議。次は晩夏か。12時に着いてすぐ風呂入って寝た。

日曜日は髪チョキチョキ。それだけだな。宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」読み込む。「シグナルとシグナレス」いい感じ。表題作も、子供小説だけど、悪くない。宮沢賢治は「春と修羅」なんかも読んでは見たいかな。でも独特の環境の中での感性と個性は光るものがある。


もう日中はアツアツ。夏だ。でも夜は涼しいし、梅雨だというのに雨が降らない。次週は気温は低めだけど雨がちだとか。やっと降るか?な?


2017年6月12日月曜日

ストロベリームーン

阪急電車三宮駅のエスカレーター、すぐ前の人の着メロが大きく響いた。「このちーへいせん〜♪」ラピュタである。その女性の方は恥ずかしかったのか、ことさら急いでケイタイのボタンを押して切っていた。私はそのメロディの続きを、口笛で吹きながら後ろを通り過ぎた。

火曜日。電車止まる。火曜は魔の日か。今度は駅に爆破予告があったそうな。甲子園口。うむ、かつて知ったる。バスに乗り阪神甲子園へ、と思ったら前のドアが動かなくなり途中のバス停で一旦降ろされる。しばらくしてドアが動くようになりまた乗る。その後はスムーズ。阪神の駅から自宅へ向かうバスにギリギリ乗れてよかった。これ逃したら1時間待ちかタクシー、というとこだった。

帰りの電車バス電車バスで豊島ミホ「エバーグリーン」読了。読後感は抜群に良かった。明日の朝は借りて会社に置いていた、3巻ものの本の第1巻を読もうと持って帰った。家で取り出してみたら第2巻だった。ありゃ。こうやって後回しになる本もある。明日は太宰治「斜陽」を読むことにした。

こないだ1週間に2回も、作家の方ご本人から書評にいいねをいただいて、恐縮である。

水曜は、ある小さい駅の近くでローカル呑み。デカいラブホテルの前の、小さなたこ焼き屋で、たこ焼きとビール、缶で出てくるチューハイ、かっぱえびせんをつまみながら楽しく話をする。いやーまた行きたいね、結構いい住宅街の場末感、ミスマッチがまたいいわー。

木曜、晩ご飯の時に、妻が梅酒を出してくれる。15年前に前の自宅で漬けたもの。季節感があって、美味い。

金曜、太宰治「斜陽」読了。帰りのバスで息子と一緒。久々に並んで座る。バス停の自販機でキリンラブズスポーツ買ってやって帰る。家で息子が「月がきれい」と報告。天文好きのパパに気を遣っている笑。6月の満月はストロベリームーンというそうな。

月の高度は太陽と反対で夏低く冬高い。物理的になぜかはこの10年ほど疑問に思っているがいまだに分からない。→新聞で新情報ゲット。この時期の月は地球から最も離れ、小さく見えるんだとか。物理的というよりは決まった法則なのかな。

ともかく、夏至を迎える6月の満月は高度が1年で最も低いため、赤みを帯びやすい。高度が低いと、波長が長い赤い光線が届きやすく、波長が短い青い光線は届きにくくなる。だから夕陽と同じように赤いというわけだ。ただ、新聞によれば、満月は1年中地平線から昇るわけで、今の時期が他の時期より赤く見えるわけではない、とのこと。この記事は、ムードを醒ます。もっといい書き方があるだろうに。

セレッソ大阪からの告知で知ったのだが、iPhoneでは、鮮やかに撮れない。もちょっと早い時期なら赤みがあったかもだが、撮った時間はもう通常の色だった。

土曜、午前中ブックオフへ本を持って行ってまた買う。5冊が300円で売れ、4冊を432円で買って来た。

太宰治「走れメロス」
ドリアン助川「あん」
宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」
吉村昭「戦艦武蔵」

名作系に最近惹かれてるな。「走れメロス」には「富嶽百景」ほか短編が含まれているし、宮沢賢治にも「グスコーブドリの伝記」が収録されている。

帰りに100円ショップに寄って、スマホケースと赤系のネクタイ買う。外は、そよそよと風が吹いているのでまだマシだが、かなり暑い。駅で551のギョウザ買って帰る。帰りのバスが、座れたけれどギュウギュウで、ギョウザの臭いが恥ずかしかった。

家に落ち着いて昼ごはんにパスタ食べる。妻が屋上テラスで栽培している大葉がすごいいい香り。夕方まで涼しいソファで読書。�田郁「あきない世傳 金と銀」シリーズ。外ではヒバリだろうか、ピーチクパーチクルルルル、とやたら鳴いている。ウグイスの声も聴こえる。阪神完勝。

翌日やはり朝からブックオフ。6冊が325円で売れた。きょうは100円コーナーではなく通常の棚で見つけた2つ。

米澤穂信「さよなら妖精」
エドガー・ライス・バロウズ
「火星のプリンセス」

さよならは、どこかの書評に、米澤の転換点的名作、のようなことが書いてあったから、また火星は古典的名作との事で探していたのを両方見つけたから、買った。

土産にお団子買って早々に帰る。昨日と違って曇りがちで涼しい。大学野球選手権決勝と阪神ーソフトバンク観ながら、「あきない世傳 金と銀(二)」を読んで過ごす。あまり同じものは続けて読まないのだが、まあこんなもんだろう。立教が国際武道大を下し59年ぶりの優勝。強かった。2番熊谷、3番飯迫、4番笠松、大東、投手ではアンダースローの中川が良かった。武道大は先発伊藤(横浜)をはじめ投手が打ち込まれた。阪神は負け。

夕方に開脚腹筋をしてしまい、散歩。息子はよく野球の軟球ボールを失くす。ちょっと多いなと思っていたところ、きょう公園のそば、こないだ失くした現場付近を通りかかった。はっと気付いたが、おそらく、息子の世代は、茂みに入ったボールを探し慣れていないんじゃないかと思う。我々世代は茂みはおろか田んぼや池に入ったボールも取りに行ってたから、その目で探すと、やはりあった。

そうか、ボールを失くした時、一緒に探してても、見え方が違うんだな。ふむふむ。

あきない、を読了、テレビでベートーヴェンピアノコンチェルト1番とブラームスの交響曲4番聴いて、寝る。外は大風で寒い。のんびりしたな。

2017年6月5日月曜日

ぬる風





先週火曜、残業して帰ってると電車止まる。ネットで調べると神戸の西で沿線火災らしい。こりゃダメだと、たまたま阪神電車に乗り換えができる駅だったのでさっさと行く。すぐ電車来て、端の車両に行くと座れはしないが空いていた。思ったより早めに駅に着いて、予定の次のバスに乗れた。気温が30度に届くくらい暑く、夜に風が吹いてもぬるい。


サッカーU−20ワールドカップはノックアウトステージの16ラウンド。Aグループ3戦全勝のベネズエラに粘ったが、延長後半に決勝点を入れられて力尽きる。


接戦はできるだろうとは踏んでいた。大会に慣れて来て、攻守ともにチームとして成長して来たからだが、惜しかった。もうこのチームのサッカーを見れないかと思うとちょっと寂しい。


ただ、このチームはそのまま、2020年東京オリンピックの主力になる。オリンピックの出場選手枠は18と厳しい上に、オーバーエイジが3人入ってくるので実質15。うーむ、22にすればいいのにな。そしたら若い世代は19人も入れるのに。


帰り道、風はあるがぬるい風もうそろそろ夜も寝苦しくなってくる。でも、寝るときはやや暑かったが、夜中は風が涼しかった。


夏はなぜか、早く眠くなる。夜9時ごろとかに眠気が来てベッド行って寝てたら朝、というのが多い。冬の方が、夜ふかしだ。開脚および腰ひねりは朝になったりすることもある。規則性が大事なので、やっぱ夜かなあ。朝風呂はスッキリするけど理屈には合ってないかな。ちなみに腹まわり、ウエストは激減してはいないが、ちょっと割れてきた?と最近鏡を見てはムフフである。


なんか最近は、たくさん出会った人たちの思い出を書き残したい衝動に駆られている。こないだ息子と話してた時に、パパはもう充分生きた。もう満足だ、みたいな事が自分の口から出て、びっくりと同時にちょっと気持ちが楽になった。うーん、強い望みはないもんなあ。こんなんじゃダメなんだろか。


木曜日、出産休暇に入る子の送別カラオケ大会。アニソン部なので、ひとしきりそれで盛り上がる。「君の名は。」の「前々前世」で最高潮。アムロの歌で終わり。もうこの会も4、5年。メンバーもだいぶ変わったな。個人的には、覚えたいと思った歌を覚えて、歌いたかった歌が歌えてスッキリ。キロロ「未来へ」アンジェラ・アキ「手紙〜拝啓、十五の君へ」。


駅からタクシーで帰って来たが、電車に乗っているときは気付かなかったのに、ちょっと山の方へ入ったところで超雷雨、豪雨に。なんじゃこりゃー。タクシーのワイパー最速で動かしても前見えず。おいおい。降りてダッシュで玄関に入るだけでけっこう濡れる。参った。


この雨の影響か、週の前半は暑くて、夜の風も南方向で蒸し暑いのキターとか思ってたのに、金曜は涼しくなった。半袖では朝晩寒い。金曜の夜は冬布団にくるまってもぐる。ふだんはそんな事しないが、布団にもぐって、胎児のような恰好をする。まだ迷ってばかりの毎日。ちょっともやもやしている。


土曜。午後から出掛ける。三宮のブックオフの100円コーナーはいまひとつ。ボロを置く方へシフトしている。最近の傾向に反していて、気にくわない。通常のコーナーで2冊。


マイケル・コーニイ「ブロントメク!」

「企業再生プロフェッショナル」


ジャンルとしては最近欠けている自己啓発とSF。SFは好きな友人のイチ推しだそうだ。自己啓発は、webで見て探してたけど、まさかブックオフで手に入るとは思わなんだ。この買い物にはまあ満足。最近だいぶ貸してくれる人が増えたからたくさん積ん読がある。けど、だからといって本屋に行かないことは有り得ない。積ん読は増えそうだな。今後も。こないだある書評を書いたら、作家ご本人様からいいねをいただいたのには恐縮した。


web広告で見たアシックスのショップでしばし、「走れるビジネスシューズ」を見る。うーん、どんなもんだろう。昔はともかく今は仕事中には走らないしな・・。


夜は世界卓球を見る。混合ダブルスはドラマだった。卓球って世界トップクラスはすごいラリーだなあー。その後のテニスの錦織を見ながら沈没。息子がまたベッドに入ってきて、夜中、狭さに起こされる。いつもなら寝直すが、この日は目が冴えてしまって風呂に入って、開脚と腹回りの運動をして、4時ごろまた寝た。4時でもう薄明るい。


8時に起きて阪急で塚口、塚口から稲野へ。久々のつかしん。大きな100円ショップへ行ってみる。うーん、確かに広かったし色々あったが、あまり心惹かれず。ケイタイ周りの品を買って帰る。


つかしんは、会社に入って初めてテニスをした場所だ。確か。男女2人ずつで。誰としたかも忘れた。かつては西武百貨店が入っててそれなりにおしゃれなイメージで、若い私はたくさん買い物をしてストレスを晴らしたこともある。やはり2対2でご飯食べて、その場の雰囲気は良かったのに、相方がアプローチしたら見事にフラれてしまったり、よくテニス、遊びの場となった。東京から帰ってからも、小さい息子を連れて何回か行ったな、そんなことを考えていた。


帰ってきて本を読む。「有頂天家族」読了。2日で400ページ超を読んじゃったのは、面白かったからだろう。


月曜の朝もちょっと肌寒い。ピーツピーツピーツピーツ、シジュウカラの元気いい鳴き声が響く。今年は夏の訪れを告げるホトトギスのキョッキョッキョッキョキョ、という響く夜鳴きは聴けなんだ。まあ、それなりに穏やかな週末だったかな。


2017年6月3日土曜日

5月書評の3




5月は15作品15冊。2カ月連続の大台。なんかひたすら読書人生が続いてるな。ちょっと自己啓発系足らないから何か買ってこよう。


マイケル・ルイス

「ブラインド・サイド 幸せの隠れ場所 」


「レフトタックル」がアメフトにおいていかに大事なポジションかよく分かった。アメリカの貧困層についてもじっくり読んだのは初めて。映画化されてるんだね。


マイケル・オアーというとあるNFL選手の、大学1年次までの話である。また、現代フットボールの役割について、分かりやすく、理論的に説明してある。アメリカと、アメフト、どちらも個人的に情報量が少ないので、新鮮ではあった。


オアーはテネシーの最貧困層で育ち、バスケットボール選手になるのを夢見ていたが、環境がそれを許さなかった。たまたま白人の裕福な家族に見出され、その骨折りで高校時には全米のアメリカンフットボール関係者で知らない者はいない有名選手となり、熾烈なスカウト合戦が繰り広げられた。彼が大学に行くまでは学業で相当努力しなければならなかった。


このストーリーの、出来過ぎだと思われる部分にも触れてある。マイケルが、才能があるからサポートを受けられたのではないか、という考え方だ。実際には、選手でない時からの援助ではあったのだが、マイケル自身も思うところはあったようだ。スポーツ選手ビジネスにも通じる部分で、この事実が知られることで、多くの少年たちが希望を持つとされているが、ニュアンス的には、ステレオタイプなだけではない内容だと思う。


いやもう、人から借りて、何の予備知識もなく読み始めたから、てっきりアメフトを題材に取ったミステリーかと思っていた。最初にアメフトのトレンドについて説明があるのだが、それすらミステリーを理解するための基礎講座と思ったくらいである(笑)。映画なんかみじんも知らず。


表現があちこちに飛び、大げさでウィッティ、アメリカらしい書き方だ。それにしても、アメフトの基本のフォーメーションと各ポジションの名前と役割が分かり、QBのブラインドサイドを守るレフトタックルって格好いいなあーと素直に思った。


今野敏「ヘッドライン」


テレビ局のスクープ記者、布施京一シリーズ第2弾。うーん、エンタテインメントの極み。あっという間に読んだ。


TBNテレビの遊軍記者、布施京一は、見かけによらずスクープの多いスゴ腕。布施はふとしたことから1年前に起きた未解決の美容学校生バラバラ殺人事件を調べ始める。報道番組「ニュースイレブン」デスクの鳩村は、何を考えているのか分からない布施にイライラする。警視庁刑事でくだんの事件を担当している黒田は、居酒屋で布施が事件の事を口にしているのを聞き、布施に張り付く事にする。


こんなにデキる記者なら、カッコいいよなあ。いつも飄々としてて、夜は遊び歩いてて、裏の情報網に強くて、周囲に信頼されてて、警察にさえ自分を追わせるスクープ記者。物語は、布施を中心に、裏の世界を見ながらドンドン進み、あっという間に読み終わる。よく出来たエンタテインメントだ。


テレビの報道の雰囲気や情報、また警察の動きをよく研究してるな、という感じだ。テレビ報道の姿勢や現実を上手に言葉にして、問題提起もきっちりする。今野敏は初めて読んだが、綿密で無理のない、気持ち良いエンタメを提供する人という印象だ。


もちろん、主人公のスーパー記者、布施は失敗もせずあり得ないほどのキャラなのだが、まあヒーローには魅力がないとつまらない。


すっと読めた娯楽ものだった。ヒット作が多いのもうなずける。


アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ

「日はまた昇る」


ヘミングウェイ27歳の時の作品にしてベストセラー。パリで、スペインで、若さを謳歌する者たちの姿を描く。うーん、いつも酔っ払ってる気がするこの人たち(笑)。


アメリカからの特派員のジェークは、裕福な人妻で多情な女、ブレットと想い合うが、第一次大戦への従軍で不能となっていて、付き合えない。ジェークと友人ビルらは、牛追い祭でにぎわうスペイン・パンプローナへと出掛ける。ブレットとその恋人・マイク、ブレッドの元恋人で作家のロバートといった一行は、フィエスタの喧騒の中、享楽的な数日を過ごすが・・


ちょっと読むのに時間がかかった。解説を読むと、ヘミングウェイは若さを求めた作家であり、この作品は、第一次大戦に従軍した若者たち、ロスト・ジェネレーションの自画像的作品だとのこと。パリでの序章は都会での虚無感が漂う生活と主要人物の説明で、パンプローナでの後半は、鱒釣り、牛追い祭、闘牛で生命感がほとばしる中での、享楽と新展開である。こう言われると、そうだなあ、と思う。


解説にもあるが、いかにも若者的な、生臭い特徴があるのは確かだ。ジェークのモノローグで話は進むが、ブレットがすべての中心のストーリーである。よく飲んで、よく騒ぐ。よくお金を遣う。若さに溢れているというのか、欧米的というのか、時代として大らかなのか。


ヘミングウェイは第一次大戦に従軍しイタリア戦線で大けがを負った。その経験がこの作品や「武器よさらば」に結びついている。また、1936年に勃発したスペイン内戦に、積極的に関与した事は、その後の「誰がために鐘は鳴る」の背景となっている。1952年の「老人と海」が評価されノーベル賞を受賞した。


「老人と海」「キリマンジャロの雪」は読んだが、長編は未読だった。ちょっとまた興味が出たかな。


江橋よしのり「サッカーなら、どんな障がいも超えられる」


じわっと、第3章終わりの方で泣けてしまった。もちろん内容もだが、構成にも隠れた妙があるのでは、と思う。


前書きにかえて、の電動車いすサッカー選手の「希望の轍」、ブラインドサッカー日本代表選手の第1章「光の射すほうへ」第2章「いまを生きる」、アンプティサッカー(切断障がい者のサッカー)日本代表選手の第3章「勇者の剣」という大きな構成と、章の間には競技者の視点を変えたコラムがある。


それぞれのサッカーに関わるようになった経緯、生い立ち、現在の状況などが詳しく書かれているが、非常に速く、激しく、そして楽しいという雰囲気が強く伝わってくることに気付かされる。


ブラインドサッカーの日本代表戦には多くの観戦者が訪れるという。眼が見えない選手が、全力で走り回り、こぼれ球に反応し、ドリブルで相手をかわし、時には相手のゴールキーパーの重心の逆をついてシュートを決める姿に、観た人はびっくりするとか。私もこの本を読むまで知らなかった。そういった迫力が伝わってくるのである。


その迫力と、明るさを感じているベースがある中に、第3章では、ブラジル出身の主人公が、1から日本のアンプティサッカーを作っていったストーリーを若者ふうに明るく話すような文体で語る。そのなんとも言えない、推進力と熱さにほだされ、成就した時にウルウル来てしまうのだ。


正直、障がいの原因の部分は、子の親としても胸が締め付けられる。でもこの本は、面白い。熱く激しく知的だと思う。競技ならではの工夫、何がそこまで出来る要素なのか、また、アンプティサッカーは、他国では元軍人が多い、など響く知識も散りばめられている。


面白そうだ、観に行ってみたいな、と思わせる一冊だ。


中山七里「どこかでベートーヴェン」


ピアニスト岬洋介シリーズの第4弾。岬が高校生の頃の話。孤立と殺人、高校生の幼い感情。才能とは。ベートーヴェンの旋律が胸に迫る。


岐阜にある田舎の高校の音楽科。鷹村亮は転校してきた岬洋介と出会う。岬はとてつもないピアノの才能を持っていた。ある土砂降りの日、土砂崩れを察知した岬は危険を冒して学校を脱出、レスキュー隊に助けを求め、孤立した音楽科の生徒たちを救うが、近くでクラスメートの死体が見つかった事で殺人の容疑をかけられてしまう。


容姿端麗な岬の出現に音楽科の生徒たちは色めき立つが、圧倒的な才能を見せつけられ、変わっていく。劇中の教師とモノローグの当事者鷹村によって才能とは、天才とは、というテーマが繰り返し語られ、この作品の重要な要素となっている。


少年の岬は、ここでも怜悧な推理の才能を発揮するが、挫折もある。もちろんベートーヴェンのピアノソナタが岬によって切々と奏でられ、詳細な解説もあり、興味深い。CD聴き直してみようかな、という気にさせるのは「さよならドビュッシー」から続く感覚だ。


才能への嫉妬から、土地の閉鎖性から、その土壌は周到にしてはあるのだが、生徒たちの言動にいまひとつ違和感はあった。確かに高校時分というのはなんでそんな感情的な行動をするの?ということは経験あるが。また、その感情が物語の構造に組み込まれているのもよく分かる。


まあでも、今回もサラサラと読み終わった。このシリーズは推理と音楽性の両立が、好ましい。





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5月書評の2

仰向けになってくつろぐクッキー7歳メス。甘え方が息子によく似てること。

この稿の5作品はいずれも技巧派だった。

中島京子「冠・婚・葬・祭」

思ったよりもユーモラスで、かつメッセージ性のある短編集だった。昔のお盆を思い出した。

2年目の新聞記者だった菅生裕也は、地方版の記事で思い込みによる誤報記事を出してしまい、辞職に追い込まれる。挨拶回りをしていたおり、記事に掲載した写真の被写体である女性の大道芸人の消息を聞き、興味を持つ。(「ディアボロを高く」)

タイトルから、もっと儀式そのものにスポットを当てた物語かと思っていた。底流のテーマではあれど、それぞれのエピソードを淡々とコミカルに、ていねいに綴った作品集で、小説らしい作りだな、と感じた。

1話めが変化球で、2話め「婚」はかつてお見合いの世話役で辣腕を振るった老婦人が主人公、3話めはそのものの葬式が2回も出て来て、その中での老婦人と若者とのふれあい、最終話「祭」は、田舎のお盆の話。うすーくそれぞれの話の登場人物が被っている

どれも、現代をベースに、コミカルに現代社会の状況を取り上げつつ、かつての冠婚葬祭と比して、含むものがたっぷりとある。この辺が、おそらくの主力読者層の胸をコツコツとノックする。

特に最終話は、昔のお盆を思い出させる。親戚とその子供たちが集まって、しきたりにのっとり迎え火、送り火でお寺さんへ行き帰りした。わいわいと盛り上がり、花火をして楽しんだ。ひと世代を経て、いま故郷を離れ都会に暮らす身には、ただ懐かしい思い出だ。

現代というのは、ただ現象だけでなく、鏡の存在でよりその姿を浮き彫りにする。でも作者は否定しているわけではないとおもう。高名な映画監督は、そんな我々の子供時代にすら日本は死んだ、という意味のことを言っていた。確か、たしか・・。

ファンタジック(ちょいホラー?)な味つけもよし。興味深い一冊だった。

高田崇史「QED ベイカー街の問題」

独特の雰囲気が流れる推理もの。シャーロッキアンものを読む楽しみ。

薬剤師の棚岡奈々は、大学の先輩の緑川友紀子から、緑川もメンバーである「ベイカー・ストリート・スモーカーズ」というシャーロッキアンクラブのパーティーに、桑原崇と2人で来ないかと誘われる。当日、「まだらの紐」の寸劇の最中、クラブのメンバーが殺される。

QEDシリーズを読むのは2作め。シャーロッキアンものとして楽しんで読んだ。この作品によれば日本に自称シャーロッキアンは3000人くらいだそうだ。たぶんなんらかのクラブや団体に属している人数だと思うが、潜在的にはたくさんいるだろう。

横浜を舞台に、どこか厭世的な香りのするミステリー。なんか島田荘司っぽい。漢方薬剤師のタタル=桑原崇が探偵役。

正典がふんだんに出て来て、一般的に挙げられているホームズものの謎や矛盾、仮説についてふんだんに紹介されている。どこかで見た説ではあるなあ、という感はあるがそれでも好きな私は楽しめた。原作についてなんだかんだいうのが楽しいのであって、逆にドイルが完璧でなくて良かったな、とすら思う。

シャーロッキアンものはけっこうたくさん出版されていて、さすがに全部は追えないが、また探して来て読もうと思う。

絲山秋子「イッツ・オンリー・トーク」

筆力があるのには違いないが、より女子向きかと思う。浮遊感、内向、アングラ、生な女感。うーん、どれも部分的にしか合ってないな。

かつて新聞記者で海外特派員にもなった優子は躁鬱病となり、貯金を崩しながら蒲田に暮らす。誰とでもセックスしてしまう優子は、大学時の友人で区議会議員の本間とそういう流れになるが果たせず、以前ネットで知り合った痴漢と快楽に耽る。ある日、自殺する、というメールを送って来たダメ男のいとこ、祥一が優子の部屋に転がり込み、本間の選挙事務所を手伝うことになる。

さまざまな要素を盛り込みながら、女の小説を成していく、という感じである。大学を出てエリートの道を歩み壊れてしまった女がベースで、彼女は男に振られたばかりで登場し、本間、祥一のほか大学の同期小川、精神病仲間のヤクザとも触れ合いがある。

ゆっくりと物事が動き過ごす人間の社会で、おりおり、体調やセックスなどに女子の本音の表現がにじみ出ているような気もする。そこは確かに妙にリアルだ。しっとりとして、どこかコミカルで、アブなさもある。

絲山氏は、営業職として勤めている時に躁鬱病になったと経験があるという。この作品で2003年に文學界新人賞を取ってデビューした。その後の作品も賞を受け、2006年には「沖で待つ」で芥川賞に輝いている。確かに純文学系ではある。

こないだ読んだ「袋小路の男」とは似て非なるテイスト。どう表せばいいのかちょっと分からなくなった(笑)。もう少し読んでみよう。

ケン・リュウ「もののあはれ」

世界が注目するSF作家の短編集第2弾。進歩、死の克服、宇宙への脱出、と本道を行っている。小難しいところもあるが、前作に引き続き、刹那的で哲学チック。

日本人の僕、かつて久留米市民だった清水大翔(ひろと)はおとめ座61番星におよそ300年後に着く宇宙船に、1200人余りの地球人と共に乗っている。地球は小惑星「鉄槌」の衝突の脅威にさらされており、宇宙船を開発したアメリカ人の博士に、知り合いだった大翔の両親が託したのだった。
(「もののあはれ」)

前作「紙の動物園」がファンタジー編だとすれば、こちらはSF編だそうだ。確かに、訳分からない理屈がいっぱいある。地球の危機に宇宙船での脱出、生命への挑戦、生き方の変化など、極端に変化した未来的な物質状況に哲学的な物語と考え方を付けている。ちなみにこの本の中で、この宇宙船「ホープフル号」はおとめ座61番星に辿り着く。あとは読んでのお楽しみだ。

正直、最後の「良い狩りを」がかなり日本的アジア的なのを除けば、今回はシチュエーションと理屈が分かりにくく、あまり集中出来なかったかな。しかし、この先鋭的な設定にして、人の業や触れ合いにスポットを当てストーリーテリングしていく力はふむふむ、と思う。「もののあはれ」は日本が過去の舞台、日本人が主人公で、震災の時に賞賛された日本人のある美徳が焦点だ。もののあはれというと、どうも外国の言語では難しいかも。心的にどうアプローチしていいのか正直迷ったな。

ケン・リュウは前作「紙の動物園」でヒューゴー賞と、ネビュラ賞、世界幻想文学大賞のいずれも短編部門を受賞するという、史上初のメジャータイトル3冠を達成した作家さん。今回は単行本を文庫本にする際、2集に分けて、多少順番を入れ替えている。

SF編も根底に流れるポリシーが統一されてふから、まあそれなりに楽しめた。どこかに、西洋、アメリカに対するアンチテーゼと、アジア的なものへの愛、歴史への興味も感じる、英才の作品である。


岡田光世「ニューヨークのとけない魔法」

人の触れ合いのあたたかみと小粋な英会話を綴ったエッセイ集。1編2〜3ページと読みやすいはずだが、けっこう時間がかかった。

作者は高校時、大学時とアメリカに留学、新聞関係の仕事からエッセイスト、ジャーナリストとなり、この作品から始まるシリーズは現在に至るまでロングセラーとなっているという。

同居のアメリカ人女性、自宅の周囲の人たちから街や地下鉄で会話を交わした人々との会話と思い出が描かれ、イースター、クリスマス、大晦日、新年などの風景もある。1編に必ず短いセンテンスの口語英会話が取り上げられている。ニューヨークの風俗ばかりでなく、社会問題もほの見える。2000年の作品で、続編には9.11テロのことも書いてあるのだろう。

イメージはあったが、やはり街で出会った方々と気軽に会話を楽しむ文化なんだな、というのが具体的によく分かる。んー、憧れとまではいかなかったな。

5月書評の1




写真は唐招提寺である。ここで「天平の甍」を買い読んだことは5月のトピックだった。やっぱ奈良はいい。次は古墳方面かな。三角縁神獣鏡見たいな。では5月分もレッツゴー!


木下昌輝「宇喜多の捨て嫁」


溢れる才気が飛んで来るようで面白かった。完成度の高い時代もの連作短編集。デビュー作にして直木賞候補作。


「相手は宇喜多の娘だ。それを嫁に迎えるなど、家中で毒蛇を放し飼いにするようなものぞ。」石山城(岡山城)の主、宇喜多直家の四女・於葉は、嫁ぎ先の、東美作大名・後藤勝基に仕える嫁取り奉行が陰で宣った言葉を偶然耳にする。父の直家は陰謀を駆使し、妻の父を暗殺し、娘を政略結婚させた嫁ぎ先を攻め滅すなど悪名が高かった。


宇喜多直家を中心とした連作短編集。最初にガツンとかましてイメージを植え付け、その後の話で直家の所業とその当時の状況を深く解き明かしていく。登場人物は多いがスッキリしていて、書き分けが明確だ。だからその交錯も活き活きしている。複数の視点から短編が展開され、それが直家という人物像を形造る支えとなる。ファンタジックな要素もあり、人間の業も描かれ、最後は上手くまとめてある。


戦国時代末期の中国地方という、どれかというとあまりメインではない、でも武将の名前は聞いたことがある、という地域をネタにしているところに知的好奇心が湧く。権謀術数も凄まじいが、ところどころ、人間的な描写も数多い。色んな意味で。匂いという小道具も使い、全編で、ところどころで出て来る謎や出来事がおおむね把握できる。謀事、戦国のものではあるが、読後感がとてもいい。


西加奈子「サラバ!」が受賞した時の直木賞候補作。審査員の先生たちのウケはとても良く、面白さで言えばNo.1という声も複数あったようだ。


ちょっとややこしいが、この作品は、高校生直木賞受賞作であり、巻末に、高校生同士の議論が掲載されていて興味深い。鋭い書評を展開してます。


知念実希人「優しい死神の飼い方」


かわいくて、くすっと笑えて、サスペンスフル。ちと少女マンガっぽいかな。でも面白かった。


人が死んだ後の魂を我が主様のもとへ導くのが仕事、という存在である「私」。現代日本を担当していたが、この世に未練を残す「地縛霊」の多さに辟易し、「彼らが生きているうちから接触しない限り、成績を上げることは困難」と上司に強弁する。すると上司は、「私」をゴールデンレトリバー犬の身体に封じて、地上へ送り込んだー。


高貴な存在である「私」がホスピスに飼われることになり、犬の姿と人間界になにかと苦労しながらも、死を目前にした人々の未練を解決していくが、患者たちの過去の体験はつながり、事件の深層が現れる、という、上手な構成ものだ。わかっていても犬の私の所作や考えることは可愛らしく、時々ふふふと笑ってしまった。


知念美希人は医師の資格を持つ作家で、「天久鷹央の推理カルテ」という人気シリーズを書いている。今回新聞で第2作「黒猫の小夜曲」の出版を知り、人気作ということで、じゃあ最初の読んでみようと思ったという、最近おきまりのパターンである。サクサク読めて、確かに面白くはあった。ちょっと先読みが出来てしまったのだけれど。


死を前にした人間たち。それを前提にした物語はいくつか読んだ。この物語は少女マンガっぽくはあるが、なんとも言えない哀切と美しさを醸し出している。楽しい作品ではあった。


伊坂幸太郎「サブマリン」


登場人物の強引さを肴に、背負ってしまった罪に向き合う。「チルドレン」の続編で、興味深い対称の文学。


家庭裁判所調査官の武藤は無免許運転で死亡事故を起こした棚岡佑真という少年の心を開くことができずにいた。一方、ネットで脅迫文を投稿した者に向けて、脅迫文を送りつけたとして試験観察中の英才、小山田俊に、武藤は、ネットで調べた犯行予告を見せられ、おそらくその人物は小学校で事件を起こす、と告げられる。


「チルドレン」から月日が経ち、武藤は妻子持ちとなり、ハチャメチャな言動をする陣内は試験を受けて主任に昇格している。また盲目の永瀬は優子と結婚し、変わらず陣内の友人である。


前作もある程度はそうであったが、今回は重いテーマに向き合っている。少年法の是非の議論、人の罪と社会の捉え方、家庭環境と被害側の心の傷・・。実直な武藤、陣内の破天荒な発言と行動、小賢しい少年小山田らを絡め、ありえそうにない展開を実現してみせることで、伊坂らしいワールドを現出しているのだろうか、と思う。ジャズやバンドの話もいい味付けだ。


根源的な人間と罪、とい部分にダイレクトにアプローチしようとしている所に好感を覚えた。私は、特に映画は、社会問題を扱っている各国ものが好きだが、伊坂の作品としては珍しくというか、そのアンテナに引っ掛かった気がした。まあ問題を扱えばいいというものではなく、フィクショナルな部分も大事だと思うのだが、伊坂ワールドの中でそうされているからちょっと気を引かれたのかも知れない。


伊坂幸太郎はエンターテイナーだと思っているが、こうした、まるでストレート系の変化球のようなクイッとした展開に、今回感心した。


住野よる「君の膵臓を食べたい」


思ったよりも直球な話。でも、トータルで、作品を超えるものを、不思議と感じた。これが物語の持つ魅力かも知れない。


「僕」は病院でクラスメイトの山内桜良が置きっ放しにしていた「共病文庫」という本で、桜良が余命数年だと知ってしまう。読まれたことを知った桜良と「僕」は親しくなり、2人で出掛けるようになるが、明るく人気者の桜良と、暗くて協調性が無いと思われている「僕」の事を知ったクラスメイト達の間に不穏な空気が広がる。


日常と真実を求めて。これは人と関わるのを避け、読書に沈んでいた「僕」の成長ストーリーだ。高校時代のキラキラしたところも、女子の友情も、孤高の過ごし方も、危険なところも、その時にしか無いものを詰め込んである。桜良の、突飛な発想と行動力の光の部分は、絶望という淵を際立たせて残酷だ。小道具もいろいろあって、直球な成り行きのすき間を上手く埋めている。そして、物語は少し意外なルートを辿るが、行く先もまたまっすぐと思う。


ちょっとだけ、「釣りキチ三平」の終わり近くを思い出した。早くに両親がいなくなった三平は、育ての親の一平じいさんをも失う。人前では表情を無くしていた三平だったが、遅れてかけつけた魚紳さんの胸へ飛び込んで感情を爆発させ、それを見た周囲の面々が安堵する。


なんでしょう。タイトルから、もっとヒネった展開、グロなものも含めて、を期待してしまっていたからか、ストレート感にちょっとやられた感が強い。淡く明るく、哀しい。じくっとした感動は、ちょっと後を引いたかな。


井上靖「天平の甍」


先日訪れた唐招提寺で購入。文庫本は、開くたびに抹香の匂いがした。遣唐使の一員として渡った若い僧たちの苦闘。鑑真来日に賭けた情熱。


733年に難波津を出発した第九次遣唐船には、普照(ふしょう)、栄叡(ようえい)、ら若い留学僧が乗っていた。仏教伝来から180年、当時は税や労役を逃れるために百姓が争って出家し、僧尼の堕落が甚だしい時代で、仏教に帰依したものの規範を作るため、唐からすぐれた戒師となる僧を招く必要に迫られており、青年僧たちにはその使命も委ねられていた。


普照ら栄叡のほか、3人の留学僧たちそれぞれの道と思うこと、身の処し方などに焦点を当てた物語である。特に留学僧たちにとっては、遣唐使として派遣されてしまえば、次の遣唐船まで、日本に帰る当てはない。実際普照らの次の遣唐使は20年後にようやく持ち上がった。留学僧達にとって、唐でどう過ごすかは、一生の問題でもあった。


実際、栄叡は自分が学問を修めることよりも、所期の目的の一つに従って、高僧の鑑真本人を来日させる事に意欲を燃やした。修行、勉強したからといって必ずしも帰朝後に出世できるわけでもなく、放浪や土着する者、さらには船でも陸路でも、遭難する者は実に多かったのだろう。


鑑真は来日に何度もトライするが遭難し、2度目の漂流の後視力を失ってしまうが、第十次遣唐船の帰りの便で、ようやく来日が叶う。月日の流れと、普照、仲間の僧たちの成り行き、鑑真の弟子達との交わりなどがていねいに描かれ、淡々としていながら運命的でもある。


唐招提寺は、どこか清冽で、気持ちいい場所だった。天平の甍、という、未来志向溢れるタイトルの、1250年以上も前の物語に触れることで清々しい気分になれた。