2017年2月6日月曜日

1月書評の3




先日、体育館、クラス、予備校の仲間、元バレーボール部の同級生と、30年ぶりに再会した。彼は老け込んだところもなく相変わらずナイスガイで、オレオマエ、で話せるところが本当に良かった。今だから話せるマル秘話もあって面白かった。この歳になって同級生、いい時期を迎えている。

日曜日は、かなり久しぶりに、息子と外出した。西宮北口へのちょっとしたものだったけど、この時間は、何ものにも代えがたい大事なものだ。エディオンでゲームのカードを買い物、その後ブックオフ。彼はマンガを立ち読み、私は小説本をパパっと買う。小腹がすいたら、スーパーでハムマヨを買って食べる。きょうもそうした。彼も、春が来て中学生になったらこんな風に父親と一緒には外出しなくなるんだろう。長い間、よく2人で歩いたよな、と感慨深く、ちょっと寂しい。

感傷的だな。1月は13作品13冊。寂しくても、きっと読書が救ってくれるだろう。


江國香織

「泳ぐのに安全でも適切でもありません」


ふううむ。なんか、上手さもあるんだけど、世の中にあるたくさんの恋愛のシーンを切り取って、まともに向かい合っている感じ。フェミニンだなあ、と思う。やっぱ女子ウケがいいのかな。山本周五郎賞。


無職で酒飲み、しかし身体の相性がいい彼と同棲している私は、祖母が危ない、との連絡で、母と姉の待つ病院へ向かう。(表題作)


短編集である。中盤まではきっちりと同じページ数で書かれている。妙齢の女性が主人公で、なんてことないけど、でも、心象的に薄く刺さる、本人にとっては記憶に残る、理屈ではない意味のあるシーンだよね、ということを書き連ねてある。なかにはドラマチックなものもある。別に結論も付いてないし、不可解ぽいものばかりだ。


ただ、シーンの設定や文章はなかなか印象的であって、濁っているけど澄んでいるものを求めてるようなイメージがある。


誰しもいくつかの恋愛を経験してるが、それぞれ形が違ったよね、というのを思い出させてくれるような、フェミニンで、大人で、少女趣味なテイストだ。


3ヶ月連続で江國香織の本を読んでいるから、途中でちょっと食傷気味になったけれど、読後感は良かった。評価されたのも分かる気がするな。


江戸川乱歩

「江戸川乱歩全集 第5巻

                 押し絵と旅する男」


乱歩の代表作の1つとも言われる短編。なんというか、不思議さと、妖しさと、モダンさに女性への執着。


蜃気楼を見ようと富山の魚津へ行った帰り道、上野に向かう列車に乗った「私」は、額を窓に立てかけた老人に出会う。男は話し掛けてきて、私に不思議な絵を見せ、その絵にまつわる妖しい話を始めたのだった。


江戸川乱歩は人気作家で、私の周りにも全集を持っている人が複数いる。その内の1人から借りて読んだ。乱歩は私も多少は読んでいるが、この小説の名は、「ビブリア古書堂の事件手帖」の、全編に渡り乱歩を取り挙げた4巻で初めて知った。


確かに、幻想的で異次元的な風景の導入から、乱歩らしい怪奇で不思議な話、また小道具として望遠鏡がトリッキーな役目を果たしている。さらに女性への執着が、乱歩の味を出していると思う。


この全集第5巻は、「押し絵」のほかには、「蟲」「蜘蛛男」「盲獣」と、なかなかエログロな境地、やはり女性への執着を描いた短編、長編が収録されている。「蜘蛛男」は明智小五郎も出てきて、かなり探偵小説風。しかし、日本を代表する名探偵の明智も、ちょっと抜けた役どころだったりするのだが。


私は小学生の頃、「怪人二十面相」シリーズを図書館にあるもの全部読んだ口で、高校生の時に「白髪鬼」を読み、ここ数年で「孤島の鬼」「幽霊塔」「黒蜥蜴」なんかを読んだ。エログロなんだけど、乱歩にしかない味はやはりあって、親しみを感じてしまうのである。


朝井まかて「阿蘭陀西鶴」


ふむ。落ち着いた、騒がしくも温かい物語。

なんか朝井まかての方向性を感じたな。浮世草子で一世を風靡した、痛快な関西人、井原西鶴を、斬新な形で語る。織田作之助賞。


大阪・鑓屋町に住む盲目の娘、おあいは父、井原西鶴と2人暮し。西鶴は俳諧師として名を成しつつあったが、家事を取り仕切る15才のおあいは、見栄っ張りで、派手好きで、おあいのことを話の種にして自慢する父が嫌いだった。


話は1680年頃、世が太平となり、町人の間に文化的教養が高まった時分の大阪が舞台である。負けず嫌いで、周りが困るほど意気軒高な西鶴。ライバルとも言える松尾芭蕉との確執、浮世草子が生まれた背景、近松門左衛門との出会い、やたらと法令を出した徳川綱吉の時期の世情と、興味深いベースが並ぶ。


その中、たった1人の家族、おあいの、父に対する感じ方が変わっていくところが温かい。朝井まかては関西人で、いかにも的な西鶴の性格描写も堂に行っている。ちなみに鑓屋町というのは、大阪城の近く、今の谷町四丁目付近らしい。


さて、朝井まかては庭師を題材にした「ちゃんちゃら」や青物問屋を題材にした「すかたん」女3人のかしましいお伊勢参りを描いた「ぬけまいる」など、初期には設定はしっかりしていながら、どちらかというと柔らい時代ものを書き、かなりまじっと幕末の悲劇を描いた「恋歌」で直木賞を取った。私も上に挙げた作品は楽しませてもらい、「恋歌」の清冽な大河感には酔わせてもらった。


パンチの効いた「恋歌」とは今回はまた違う、落ち着いた、柔らかさも硬さも技巧も含んだ、歴史上の人物の人間ドラマである。この人の作品は、どこかすっと蒼い風が吹き抜けるような感覚があって、いつも新しい。面白い時代小説だった。楽しめそうなネタの作品を出しているようだし、次作もまた読みたい。


花崎正晴「コーポレート・ガバナンス」


ちっと自己啓発。小説ではありません。念のため(笑)。


一般的なコーポレート・ガバレンスとは、とか、この言葉の定義とかの本ではなく、経済学的観点から、アメリカ型のガバナンスを紹介し、日本型ガバナンス、かつての銀行のガバナンスを再検討し、東アジア企業のガバナンスを研究している。ここでいうガバナンスとは、企業が、よくありがちな、効率性や収益性の悪い企業行動を抑制するものは、という大きな視点のもの。間違ってたらごめんなさい。


日本型のこれまでのシステムは、ある程度評価していると受け取っているが、バブル崩壊までの銀行のガバナンスに関しては、厳しい視線が向けられている。


外国人投資家が増え、日本の企業活動にとって環境の変化は続いている、という気にさせられる。思ったよりも学術的な本だったが、それなりに勉強になりました。


正座してワイシャツにアイロンをかけている時、背筋がキクッといってしまい、痛みをかかえながら、全豪オープンのナダルvsフェデラーの決勝戦を見ながら、深夜に読み切った。




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