例年雪は1〜2回積もるが、今年は、降るけどこんなもん。ここしばらく、暖かいという予報も出ていたが、朝晩を中心に、やはり寒い。毛糸の部屋着を洗いに出して、トレーナーを着ているが、かなり寒い。うーむ。まだまだかな。
では1月書評。今年もスタート!
熊谷達也「漂泊の牙」
年初は好きな作家さんで。相変わらず男系の小説。ベースもしっかりしてるし、ゾクゾク感が半端ない。新田次郎文学賞受賞作。
城島郁夫は、オオカミの専門家で、WWF(世界自然保護基金)の仕事で世界を飛び回っていた。TVディレクターの丹野恭子は、東京からの赴任先、仙台から県北西部の村に、オオカミが出た、という噂の取材に出向く。その近くにある城島宅に突然、大きなイヌのような獣が入り込み、在宅の妻子は恐怖に怯える。
東北への愛があり、マタギ、山歩き、銃などに詳しく、動物絡みのネタも多い熊谷達也は、「邂逅の森」を初めて読んで以来、なかなかフェイバリットな作家さんだ。ここまで「相克の森」「氷結の森」「銀狼王」「荒蝦夷」と読んでいる。
デビュー2作目だというこの作品は、持った能力が炸裂している。謎の獣は幻のニホンオオカミか、という魅力、雪山で獣を追って山を歩く迫力、ストーリーの展開力と、夢中になって読んだ。中盤で一度小解決が来て、話がさらに深くなっていく部分も良い。
この人のもう一方の魅力は「男臭さ」で、直木賞を受賞した際も「骨太」という評価が複数出た。その特徴に伴い、読者に対しての説明役を担う、いわば専門外のキャラクター、TV局の丹野恭子の描写は、やっぱりおっさんくさい(笑)。昔「邂逅の森」をお貸しした読書女子から「貸してもらわなかったら、おそらく読まなかったジャンルの本」と評されたが、そんな感じだよね。主力の読者層に合わせた配置だろう。
いやいや、どの作品も面白いけれど、「邂逅の森」以来のヒット、といっても間違いではないだろう。年初の作品、満足です。
深緑野分「戦場のコックたち」
直木賞候補に躍り出た作品。戦場での出逢いと別れ、その思い。
ルイジアナの雑貨店の息子、19歳のティモシー・コールは祖母のレシピを手に、軍隊に志願入隊する。軍隊で出会ったエドワード・グリーンバーグの薦めで中隊の管理部付きコックとなったコールは、2年の訓練の後、ノルマンディー上陸作戦に参加する。
多くの文献をもとに、丁寧に話を組み上げた印象の物語だ。いくつか謎があり、それが長いストーリーの起伏を、緩やかに作っている。また、戦地となったフランス、ドイツの複雑な事情、激しい戦闘、戦友との別れ、ユダヤ人迫害の現状、と尽きない流れを、庶民出身の一兵卒であるティムの視点から、じっくりと描いている。コックならではの視点も多いが、それは導入に思える。
話がゆっくりなわりには、歴史の内幕的な部分もあり、興味が持続する作品である。上下段に文章がある本は、春江一也「プラハの春」、綾辻行人「暗黒館の殺人」以降3回目の経験かな。
ま、ちょっと心的な盛り上がりに欠けるかな。捉えどころがない。直木賞の選考委員の評でも、けっこうボコボコです。ただ、一部の方の、若い日本人の作家がヨーロッパでのアメリカ軍を書くということへの疑問については、まったく問題ないデショ、と思う。ようは作品に力があるかどうかだ。その萌芽は確実に感じるし、興味深く読んだ。
これからこの作家さんが、どういう形で我々読者を惹きつけるか、注目している。
吉田修一「森は知っている」
吉田修一は実に久しぶり。ハードボイルドタッチだが、うーん、どう評しようか。
南蘭島で暮らす高校生、鷹野と柳の2人は、ある産業スパイの組織に属している。柳には、知的障がいのある弟、寛太がいた。間もなく18才になる彼らには、初任務に就く時が迫っていた。
ひと通りの前段部分が終わった後、物語は一気に動き出す。日本各地とアジアを舞台にして情報盗みが行われ、その意味もしだいに明らかになる。この辺を読んでいるぶんにはなかなか楽しいが、では、このお話が行き着く先とか目的が、分からないまま終わってしまったかな、という感じだった。
吉田修一は、山本周五郎賞を取った「パレード」という作品がとても印象的だった。落差があって、背筋がゾッとした。
で、「怒り」とか「悪人」等を読まずして今回久々に当たったが、ちょっと持ち味が分からなくなったかな。社会性なのか、ストーリーテラーなのか。
まあまあ、まだ別の作品を読んでみようかな。いつか。
瀧羽麻子「うさぎパン」
かわいらしい、ハートウォーミングな作品。ダヴィンチ文学賞大賞だそうだ。作者は京大卒で、博士課程の描写がなんかリアル。
父がロンドンに単身赴任し、継母のミドリさんと暮らす優子は、私立の女子中から共学の高校へと進学、パン好きという趣味の合う、富田くんという男子と親しくなる。新しく来た大学院生の、気の合う家庭教師、美和と過ごしていた日、突然ある「人」が現れる。
人に薦められたし、評判のいいのは知っていた。読み出して、通常私が読んでいる女子系よりはさらに可愛らしい作品だと分かった。上にも書いたが、優子の子供っぽさと、なんか私にも分かるような、美和の世慣れて悟ったような女子学生っぷりのギャップが魅力のひとつだろう。物語の成り行きも、いろんな細かい要素を組み合わせて、普通であり普通でなく、してある。ふうむ。
140ページくらいの表題作と、60ページくらいの、スピンオフ作品。ほわっとする作品なのは確かかな。全てを描いているわけではなく、悪くはない。
太宰治「女生徒」
北村薫、「円紫さんと私」シリーズ最新刊の「太宰治の辞書」で取り上げられていたので、読んでみた。ふむふむ。ちょっと太宰の見方が変わったかな。
お茶の水の学校に通う女学生の「私」。父は病気で亡くなり、姉はお嫁に行って、母と弟と生活しながら、鬱々としたものを抱えている。
この作品は、女子の読者から送付された日記を元に書いたものだという。昭和14年の短編小説で、同年代の作家、川端康成らから激賞された、らしい。
主人公が朝目覚めてから夜眠るまでの1日を描いてある。目にするもの、境遇、電車、家事、母とのこと、などなどひとつひとつの物事に発想が飛び、知的な要素も取り入れながら、跳ね回る不安定な心象を、とりとめもなく書き連ねている。表現が、こんなに飛んだら、面白いと思う。言葉も思考も新鮮で、明るかったり、鬱屈していたりする心持ちが伝わってくる。
実は、太宰は、「人間失格」「走れメロス」「晩年」「グッド・バイ」くらいと、読んだ数も少なくて、いくつかの特徴はあるが、あまり好きでなかった。
今回もある意味だらだらと書いているが、なんというか、題材以外の輝きがあるようだ。誰か、長編小説に仕立て直してもいいんしゃない?と思えるような、印象だけである意味見えない感、にも良さを感じる。
通読した後、「太宰治の辞書」を斜め読み再読。よく分かる。これまた、いい感じだ。
ヨーロッパ映画なんかに似たようなモチーフはあったが、短編小説だと、より締まる気がする。清冽で、うまい。ふーん、他の小説も、読む気になってきた。