2017年1月30日月曜日

やや温




写真は、久々の先輩方と、楽しく昔話をした夜。たまにはね。一時期の寒さは去って、日中の気温的には上がっているが、体感的にはまだ寒い。

しばらく続く、社外の集中講習のようなものに通っていて、早起きしたり、席取ったり、集中力を消費したりしている。


週末は、外出なし。土曜日にクッキーを散歩に連れ出しただけ。


家では、ケイタイゲームして、本読んで、マンガ読んで、バルサを見た。NHKの「守り人」シリーズが再開したのである。


話は一気にシリーズの中盤まで飛んで、「神の守り人」。新ヨゴ皇国の隣、ロタ王国で抑圧されるタル族の幼い娘が、追い込まれた時に爆発的な攻撃能力を発揮する。もちろん国では危険と見て、捕まえようとするが、短槍使いの女用心棒バルサが庇う。


バルサは綾瀬はるか。今回は、力の解放の時にどんな映像にするか、というのに興味があったが、ほお、というのと、うーん、というのとが入り混じった感じかな。ガラスにヒビが走る感じは良かったが、その力はバルサをも襲ったんだから、もう少し具体的でもよかったかなと。


この巻から、国難の話に入り、南方の大陸国、タルシュ帝国が、サンガル王国を足がかりにロタ、新ヨゴ、さらには北方のカンバル王国まで、領土拡張欲をむき出しにして攻めようとする。新ヨゴの皇太子チャグムは、援軍を求めてきたサンガルへ赴くが、身分を明かさぬまま捕虜になる。これからだ。前回は4回だったが、今回は9回あるとか。


そして、国難編はまた秋に長くやるとかである。まだしばらく楽しめるな。


録りためておいた「サイエンスZERO」の木製探査機ジュノーの特集も見た。いやー惑星探査はやっぱり面白いなあ。


こうして、土日は過ぎて行ったのでした。

2017年1月23日月曜日





先週末は雪が積もったが、この週末も寒いことこの上ない。


金曜日に、なんか新川文庫が買いたくなって、買っても2冊かな、と思っていたのが平積みに高殿円「シャーリー・ホームズと緋色の憂鬱」というのが出てて、無抵抗で購入(笑)。で元々買いたかった朝井まかて「阿蘭陀西鶴」白石一文「彼が通る不思議なコースを私も」と3冊買った。ちょっと心根が安心した本読み。ここのところ、借りてきた本ばかり読んでいて、自分の趣味を入れたかった。


で、土曜日は息子と妻が外出ということでワンコたちと留守番。昼はご飯炊いて、グラタンの残りを温めた。夜は鍋で暖をとる。


日曜日は朝一番で床屋。私は白髪染めをしているのだが、昨晩息子に襟足がバーっとすごい白髪、と言われたこともあり、寒い雨の中8時半から出掛ける。染められない箇所なので、普段は刈り込んで対処している、といつものサッカー好きの床屋の青年。伸びたら目立つというわけだ。ここ何年も頭髪の色には手を入れているが、いつかはカミングアウトせないかん。ひどい白髪だろうな。


私が帰ると同時に今度は妻髪チョキチョキで外出。買って来たカップ焼きそばにおにぎり作って食べる。息子の昼ご飯にインスタントラーメン作ってやって、お米研いでセット、ワイシャツにアイロンかける。昼間にすごい勢いでみぞれから雪が降ったが、すぐやんだ。家に居ても、本当に寒い。


合間に江戸川乱歩全集 5巻「押し絵と旅する男」という分厚い文庫を読み込む。この日曜日でだいぶ進んだ。大正昭和の文学が好きな人から借りたもの。乱歩は嫌いじゃないけど、似通ったところがあるな。


息子は受験終わりの気楽さか、アニメとゲーム三昧。同じ学校に行く人が小学校に何人か居るらしい。


夜、外の水が凍っていた。いろいろある、寒ーい1週間になりそうだ。


2017年1月16日月曜日

良き日





日中の気温は10度を割り、寒い1週間。週末は今季最強の寒波到来。


お正月スポーツはひと段落つき、さしたる書くこともない。


土曜の夜から雪が薄く積もった。日曜日の日中はけっこう激しく降った。


そんな中の吉報。息子の進路が決まった。


本日は忘れられない、いい日になった。

2017年1月10日火曜日

今年の3連休





2日間だけ会社出て、また3連休。毎年のことながら気抜けする。休みが多いのは良いことだけれどね。


土曜日は、また公園でバレーボール。夕方から息子は塾で、その間家にこもって、ずっと春高バレーを観る。女子の古豪、岡山就実はよく拾って、優勝候補の金蘭会学園をフルセットで下した。どちらも強く、拮抗した試合だったが、エース小川を中心とした就実の粘りが上回った。白い伝統的なユニが好感を抱かせるチーム。決勝は、インターハイとの2冠に連覇がかかる女王、下北沢成徳と。


男子は、こちらも国体を合わせて3冠がかかる駿台学園と習志野の試合。習志野はエースが素晴らしく、大会初めて駿台からセットを奪ってみせ、粘ったが、エース坂下、リベロの土岐らメンバーの揃った駿台に及ばす。もう一方は東亜学園が山口の高川学園をストレートで破り、男子は東京代表同士の決戦となった。


いやーやっぱ面白い。ハイキュー!読んで、曲がりなりにも練習してるから、ブロックの配置やレシーブの体型、リベロの位置どりなんかが気になる。また、ストレートを撃ち抜く、というのがこんなにカッコいいとは思ってなかったし、スペースを見つけてハーフアタックやフェイントで落としていく技術も感心する。まあ見始めたばかりで、まだ体系的に理解をしているわけではない。


翌日は一日中雨。深夜のハイキュー!、アニメの再放送録画予約してたが、息子がケーブルテレビのチューナー電源入れ忘れ、真っ暗(笑)。春高バレーは、11:30から男子決勝をやってるはずなのだか、地上波のオンエアがVTRであるから生放送なし。昼ごはんのスパゲッティを食べて、午後から観る。男子は東亜学園があっという間に第1セットを取ったものの、エース坂下を中心に立て直した駿台学園に及ばず。駿台はトスワークも良かった。


女子は、就実は粘りを見せたし、下北沢成徳のエース黒後をマークしたのはある程度成功していたが、成徳の1年生、男子日本代表石川の妹が大活躍。就実はリベロが素晴らしかったが、エース小川がコートにいる時とそうでない時の攻撃力にだいぶ差が出てしまい、女王にストレートで敗れた。


男女どちらも、敗れた側のトスワークが、どうも神経質になって乱れがちだったのは気のせいか。また、勝った方はどちらも、オープンの難しいトスでも上手く打っていた印象が残った。


最終日は多少やる事があった。


午後イチで下山(笑)。かかと取り換えに出していた靴を取りに行く。寒々としているが、厚めの格好をしていたし、陽が出ると暖かい。休日は少ないバスの時間に気を遣い、早めに帰る。ちょっと待ち時間もあり、コンビニのベンチとバスでガブリエル・ガルシア・マルケス「族長の秋」読了。いやー時間がかかった。


帰って来てお茶を入れて「いか天ピー」というおつまみみたいなお菓子を食べる。あったかいカフェオレでほっとして、クッキーの散歩へ。ちょっと雨が降って来たから近くの公園だけで早く引き揚げる。


で、帰って来てワイシャツにアイロンかける。そして息子が受験する中学の赤本で過去問題を解いてみる。


実は見くびってたのだが、難しいことに今さら気づく。うーん、こりゃいかん。言い訳だけど、知識は、型どおりの勉強で覚えるので我々には不足する。あと、論理、計算問題も、慣れが必要。ひと月あればアジャストしてみせるが、遅きに失したかな。


深夜まで勉強する。ひさびさだ。何か言ってやれることを探そう。

2017年1月5日木曜日

年末年始DAYS





今年は年始年末休暇が7日間。はい、何もしてません。年末は、29日、30日と家に居て、31日はちと出なやばいでしょ、と三ノ宮のブックオフに行って、6冊仕入れて、スポーツワールドでソフトバレーボール公式球というのを購入、帰りに点鼻薬とお菓子とお年玉袋買って帰る。


J.P.ホーガン「星を継ぐ者」

安部公房「壁」

佐藤多佳子「ごきげんな裏階段」

瀧羽麻子「うさぎパン」

江國香織

「泳ぐのに安全でも適切でもありません」

梨木香歩

「エンジェルエンジェルエンジェル」


うーん、硬質なものも買ったけど、まあ女子系ですな。なんというか、ハードなネタとかの合間には、女子ものがちょうどいいんだよね。しかも薄い(笑)。


年末3日で熊谷達也「漂泊の牙」、深緑野分「戦場のコックたち」読了。やっぱ熊谷達也はいいなあ。


年末年始休暇に入ると、寝るのがぐっと遅くなった。平均深夜3時。夜型なんですけど、なんとかせないかんなあ、と思ってたけど、結局最終日までこんな感じでした。


大晦日は、アニメにしようとする息子を抑え、紅白歌合戦を最後まで見て、寝る。


明けて1日。昼は息子と公園でソフトバレーボール。これ、確かにボヨンボヨンしてるけど、公式球だけあって跳ねすぎもせず、柔らかすぎるわけでもなく、なので腕が痛くなく、やりやすい。調子に乗ってアタックサーブやろうとして、着地時つんのめって、こけて回転。怪我なし。もう50手前なのにあほ&だめですね(笑)。息子は相当楽しかったようだ。夕方夜は定番の「格付けチェック」見て9時からはテレビ大阪で「カラオケバトル」。歌モノはやっぱり楽しい。


2日もバレーボール。レオンが脚を痛めているので、終わった後クッキーだけ散歩。もう夕方になると連れてけとうるさい。にしては歩くの嫌いで早く帰りたがる。あんたメタボ婦人なんだからもっと歩きなさい。夜はとんねるずのスポーツ王見て楽しんだ。


初夢というのは、1日から2日にかけて説と2日から3日にかけて説があるらしいが、2日から3日の間に見た。動物がたくさん出てくる明るい話だったと思うが、憶えているのは、イノシシの先輩が複数いて、私の手から亀を取って食べてしまうというシーンだけ。亀は万年らだけど、今回の扱いは?である。干支イノシシは2年先だ。縁起が良いのやら悪いのやら。


3日は越木岩神社にお参り。歩いてもさほどかからないのでのんびり行く。3日の夕方でもそこそこ賑わう。お参りして、勝ち守りを買って、おみくじはなんと大吉。結びつけるのやめて持って帰った。お茶飲みながらママが作ったチーズケーキ食べながら読書。吉田修一「森は知っている」読了。どんなもんでしょ。続編らしいが、焦点が掴みにくい。


4日。昼はむしょうにラーメン食べたくなってインスタントの豚骨ラーメン作って食べる。バスで街に出る。とはいえ、大きい書店でガブリエル・ガルシア・マルケス「族長の秋」買っただけでさっさと帰る。そもそも革靴のかかとがすり減ったから底のゴムを取り換えに出すのが目的だった。待ち構えていたクッキーの散歩行って、瀧羽麻子「うさぎパン」読了する。かなりかわいらしいお話でした。


いよいよ出社か。買い物も何もしなかったけど、まあこんなもんか感はあるな。

2017年1月4日水曜日

12月書評の3




ここでご挨拶。2017年もよろしくお願い致します。新年の瞬間は、今年もルーフテラスで、大阪湾の夜景の中にユニバの花火が上がるのを見て、港の船が一斉に鳴らす汽笛のボーーッという音に浸ってました。あっという間に年は暮れ、明けた感じです。天候は穏やかです。では12月書評最後の3冊。



藤谷治

「船に乗れ! � 合奏と協奏」


音楽科高校生の、青春小説。本屋大賞ランクイン。3部作で、このあとおおきなうねりがあるらしい。まあ第1巻は、キラキラしてるな。


裕福な音楽一家に育った津島サトルは、中学生の時、チェロの道に進むことになった。国立の高校を落ち、祖父が学長を務める新生学園大学付属高校音楽科に進学、男子は学年で6人しかいなかったが、個性的な仲間に出会い、ヴァイオリンの南枝里子に恋をする。


最初は、ちょっと鼻が高い男子が高校に入って、これからどう展開するんだろう、平凡でなければいいなあ、と思っていた。正直。哲学が入ってきたくらいからちょっと変わってきたかな、という感じがしたが、総じてこの巻は、上で言った通り、演奏と恋に彩られ、キラキラしながら走る巻で、波はあまり感じない。ヒロイン的役割の南枝里子の容姿が、あまり想像出来ず、タレントさんにもなぞらえなかった。


音楽部分がかなり専門的で、分からない楽しさ、を久々に味わった。やっぱ音楽ものはいい。


人に薦められて読んだ本で、正直この作家さんも全く知らなかった。一時期この作品は、王様のブランチやダ・ヴィンチで紹介されたりしたらしい。 


幸福と苦難のバランスを取るのが物語。またこのキラキラが、�巻、�巻でどのように作用するのか、これからどんな運命なのか、ちょっとだけ楽しみだ。


ボニー・マクバード「シャーロック・ホームズの事件録  芸術家の血」


クリスマスに、ホームズを。よく似合う、と勝手に思っている。去年もそうしたし。でも特に後半引き込まれて、イブになる前に読了してしまった。(笑)


1888年11月の終わり頃、ロンドンの世情はいまだ切り裂きジャック事件の混乱を引きずっていた。「四人の署名」で恋に落ちたメアリ・モースタンと快適な新婚生活を送っていたワトスンのもとに、かつての下宿の管理人、ハドスン夫人から、ホームズが自分の部屋に火をつけた、という手紙が舞い込む。


解説を読んである意味納得したのだが、ホームズものはある意味、品の良い物語で、異常犯罪や、本格的な格闘のシーンが無く、追随する作家が、そのような要素を入れたくなるのも自然なこと、とか。また、この女流作家さんは、かなり本格的にハリウッドで映画の仕事をされた方とのことで、明らかに映画、テレビシリーズの「SHERLOCK/シャーロック」を意識していると思う。


私はアマチュアシャーロッキアンだが、かなり保守的で、映画も見たが、シャーロック・ホームズは007ではない、と心中で断罪した(笑)。今回も、推理機械で女性嫌いのホームズが、なぜ依頼人の女性に心動かされる?とか、ダブルで探偵を雇われてまだ任務を続ける?とかいろいろ引っかかった。


後半は次から次へと物事が動くからそれなりに面白かった。にしても、ちょっと抜けている場面が目立ったかな。


でも、毎年いくつも生み出されるホームズのパロディやパスティーシュを追いかけていると、原作を忠実に再現したのは少数で、あといくつかはうまく原作を活かしつつ新たな要素が入れてあるいいパロディがあって、大半が実は、なんらかの違和感を多く感じるものだ。しかし、矛盾するようだが、ホームズものは色んな形があってしかるべきだと私は思っていて、その中で保守的でありたいと願っている。映画も、違和感ありまくりのものも、それなりに楽しむのが基本姿勢だ。


ちなみに、聖典(シャーロッキアンの間では、ドイル原作の話をこう呼ぶらしい)の初の短編集「シャーロック・ホームズの冒険」所収である「青いガーネット」がクリスマス時期の話で、絵芝居のように物語が楽しめ、うまく終結させている良き話。私はこれが好きで、だから毎年クリスマスにホームズを読もうと思う。


みなさんも、よろしければ、ぜひ。ちなみに私は自分の読んでいる光文社文庫新訳版を気に入ってます。


ガリレオ・ガリレイ「星界の報告」


1610年、世界に衝撃を与えた論文。理解しようと努力したら、読むのにえらく時間がかかった。


1609年、ガリレオはオランダ人が一種の遠眼鏡を製作した、と聞いてこの噂が事実である事を確かめ、直ちに自作のものを作って宇宙に向ける。月面や木星を周回する、いわゆるガリレオ衛星たちの観察、また太陽黒点についての論文が入っている。


この時期、月の表面は滑らかだと考えられていたが、ガリレオは詳細な観察によって、地球と同じく起伏に富んでいる事を発見した。黒点については、同じく望遠鏡での観察及び物理的数学的な考察となっている。


アリストテレス的な常識でいうと、この時代は、月下界と月上界隈に分けられており、月より向こうの天空は永久不変の完全な世界で、太陽と月は地球を回っている、というのが広く信じられていた。


また太陽の黒点についての論文(書簡)は、その矜持を守るべく、黒点は太陽表面ではなく、地球と太陽の間にある何らかの天体である、とされた説に真っ向から反論するものである。


議論のベースが、信じられない次元であり、ゆえにそれなりに面白みがあった。木星の観察図や太陽黒点の図はかなりのページに渡っている。ベースが、現代の我々にすればあまり専門的ではない、だから、書いてある事を逐一理解しようと読んでみた。中には、太陽黒点の移動に関する、数学的図形的な考察もあり、やっぱり時間がかかったな。


ガリレオは、この革新的すぎる論により、宗教裁判にかけられるのは有名な話。現代のようなデータがあふれる社会ではないから、論文の内容も興味深い。


そういえば2009年に、今年はガリレオが望遠鏡をのぞいてから400年の年、とフェアをやってたな。同じ岩波文庫の、ハッブル著「銀河の世界」も読みたかったけど、絶版だそうな。ぜひ復刻版を出して欲しいな。



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12月書評の2





年末はけっこう最後までまじめに働いて、資料の整理とシュレッダーもして、カレンダー整えて、とそれなりに会社年末感があった。

では2つめスタートー!文字大きいな。

原田マハ「暗黙のゲルニカ」


壮大なテーマである。美術ものは基本楽しめる。ドラマの方は大団円にホロっと仕掛けたが、最後はブレイク。2016年上半期、直近の直木賞候補作。少々率直な書評にしたく思う。


19374月、パブロ・ピカソは、時の愛人ドラ・マールともに、パリのアトリエに居た。そして故郷のスペインの内戦で、ゲルニカが激しい空爆にさらされたことを知る。20019月、ニューヨーク近代美術館のキュレーター(企画者)であり、ピカソの専門家の瑤子は、同時多発テロにより夫のイーサンを失う。


ピカソの愛人ドラ・マールを軸に、ゲルニカ制作の経緯と背景事情を詳しく語るとともに、2000年代初頭のアメリカ、同時多発テロからイラク戦争までが舞台になっている。2つの時代を繋ぐものが「ゲルニカ」だ。


いやーテーマ的に壮大。作者得意の美術・キュレーターものである。まずはこの大きなものに挑み、所どころ感ずるもののある話を組み上げたことには敬意を表する。以下、考察としたい。


原田マハは、「楽園のカンヴァス」は良かったと思う。「ジヴェルニーの食卓」はまあ伝記みたいなものだから同列には並べられないかも知れないが、楽しめた。


対して美術ものではない作品は、ややマンガ的な設定で、セリフも形を整えられているものも多い。また、ちょっとベタっとした女子的な感情がベースになってるかな、と感じるものもある。さらに気になるのは、最近の作品には「繰り返しが多すぎる」ような気がしている。


この作品は、原田マハのいい部分とともに、そのようなマイナス面も取り込まれた大作になっちゃっているのでは、と感じる。すごい(ハイソな)設定で、様々な意味の歴史を切り取って見ている感じはするが、肝心の美術を表現する言葉が、やはりくどすぎると思う。


今回は、1930年代のヨーロッパと2000年代のアメリカ、これをつなげるのが、強引な気がするのも表現の繰り返しがくどいから、という部分も強いと思う。


こうあれこれ書いたけれど、実は美術もののマハワールドはとても気に入っていて、だからもっともっとと求めてしまうのである。大半の人がそうではないだろうか。今回も、面白かった。さらにさらに壮大に、もっともっとセンセーショナルに、そして細密に、ドカンという作品を期待している。


桜井鈴茂「どうしてこんなところに」


罪の意識を背負い、全国をさすらう。ロードノベルというジャンルだそうだ。売れてるらしいから、と勧められた。読むのに時間がかかった。


久保田輝之は、罪の意識に苛まれながら、車で高速道路を走っていた。谷川岳パーキングエリアでたまたま出会った藤野という男の求めに応じて、新潟まで車に乗せて行くことにした輝之は、藤野の身の上話を聞くー。


人を殺した30代の男が、北から南へとさすらいながら、道々に出逢う様々な男女と関係性を築いて行くストーリー。長い長い話である。


これらの関係性から、人生について哲学的な境地に至り、語られる。また、転々とする輝之の暮らしは、なにがしか味があり、読みやすくもある。


んー、まあ、正直そこまで感慨も湧かず、また酒の席が多い週だったこともあったが、ちょっと時間がかかったかな。まあ、こういうジャンルもあるということだ。ちょっとだけ、福澤徹三「東京難民」を思い出したかな。


万城目学「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」


私は感化されやすいのは確かだが、ちょっと泣いてしまった。ストーリーテラーとしての万城目学は確固としたものを持ってるかも。こちら方面、もっと書けばいいのに。児童小説風味の、直木賞候補作。


小学校1年生のかのこちゃんは、両親と犬の玄三郎、猫のマドレーヌと暮らしている。ある日、始業よりかなり早く教室に着いたかのこは、席について「鼻てふてふ」をしていたすずちゃんと挨拶を交わす。


猫のマドレーヌの視点、かのこちゃんの視点から物語が交互に語られ、交差する。ファンタジーの要素もまた、プリミティブだが面白く取り入れられている。


よくいう児童小説というものは、私は中学生くらいまでの読者を想定しているものだと思っている。かなりその傾向はあるのだが、大人の目線から読んでも、技術的にも、文章的にも構成的にも惹きつけられる話、だと思う。


直木賞の選考の際は、審査員の先生方からの言葉からは「なんで少年少女文学が直木賞候補なんだ」という不満がはっきりと見える。まあこれは、企画の失敗、であろう。ただ、作品的には力があると、私は思う。


この作品は、成長と出会いと別れ、という原点の要素をなぞっているし、動物を擬人化するのもよくあるパターンかも知れないが、それでも、物語の醸し出す雰囲気や言葉の使い方、演出の仕方には、充分に個性が出ている。これまでは、デカい、とんでもない設定がまずあったが、今回は素朴なディテールを紡いでいってひとつの不思議な、魅力ある物語となっている。ベースには、この作家風の妄想力としたたかな計算もほの見える。


今年は児童小説風味の本の数が多いかな。そういう年だった。


岩城けい「Masato」


「さようなら、オレンジ」で話題を読んだ作家さん、持ち味を活かした小説の第2弾。日本のみなが望む方向かなと思う。けっこう面白く興味深い。いろんな意味で。


11歳の真人は、ひと月前、父親の転勤で、家族でオーストラリアに来て、現地の小学校に通っている。英語は分からず、話せず、クラスに居場所が無い。ある日、真人は勘違いをからかって来たクラスメイトのエイダンにつかみかかる。


転勤、駐在家族の、愛憎劇、である。おそらく著者は、オーストラリアでよくあるケースを見聞したのではないだろうか。やがて子供の方が英語が上手くなるケース、駐在員の妻たちの社会、また現地での暮らし、遊び、日本語の勉強の程度、進学、友人関係、成長、心理状態などなどが細かく描写されている。


岩城けいは、オーストラリアに難民として避難したアフリカ系黒人の妻が、日本人妻やヨーロッパ人といった語学学校の仲間を客観的に眺める、という特異なデビュー作「さようなら、オレンジ」で各賞を受賞したほか本屋大賞のランキングに入るなど注目された。


大阪出身で、大学卒業後オーストラリアに渡り就職して以来22年を過ごしている女性作家さん。これが2作目で、おそらく求めもあったのだろう、視点が日本人家族になった。


やはり、取材して書くのとは一日も二日も長がある感じの書きっぷりだ。今回は、とりわけ母、そして真人がもがく姿が描かれている。真人の姉、父、愛犬もいい形のキャラ付けである。


文章は、真人のモノローグで、直接的な語り口が小気味よく、状況を切々とダイレクトに訴えかける。余分な要素はあまりなく、すぐ読めてしまう。最近で言えば、「暗幕のゲルニカ」とは対照的だ。


もちろん二転三転しながら、良い方向に向かっているようではあるのだが、特に真人の英語の上達や友人との関係性、は、特に親世代の読む人に何かしらを投げかけている形である。不安定な家族、客観的に見ると冷静に見る事が出来るけど、その根や広がりは一筋縄では行かないものがあるんだよ、と語りかけているように感じる。


けっこう、問題や描きたい状況を、複雑なものでもシンプルに綴っていく語り口も好きであるし、少年ものとしても、特異な状況ものとしても、面白かった。さあ、次作はどうなるのか。楽しみに待とう。

12月書評




気がつけば、昨年の12月の書評上げるのを忘れていた。ご挨拶は後。取り敢えずスタート!

HG・ウェルズ「宇宙戦争」


古典であり名作。火星人は強大な戦力で、地球を容赦なく破壊殺戮しまくり。血湧き肉躍りました。


「私」が住んでいる、ロンドン郊外のウォーキングで、宇宙から飛来した円筒形金属の物体が見つかる。それは落下の衝撃で出来た大きなくぼみの中にあり、円筒形の縁が、ゆっくりと回転していたー。



1898年発表、シャーロック・ホームズの時代と同じですな。場所もイングランドと一緒。「私」は行く先々で火星人が乗り込む長足の殺人機械と出会い、逃げ惑い、時には目と鼻の先で隠れ、その攻撃力に翻弄される。全体にその時代の科学小説の匂いがするが、多くの描写はそのような状態に置かれた時の人間の行動に割かれている。


1938年、オーソンのほうのウェルズが、アメリカでラジオドラマにしたところ、あまりの迫真性に全米で一大パニックが起きたというのは有名な話である。今回は2005年にスピルバーグが映画化されるのに伴いリバイバル発売されたもののようだ。ちゃんと新訳版にしてるみたいなのでGOODである。


ウェルズは、ジューヌ・ヴェルヌと並ぶ科学小説の祖で、「タイムマシン」「透明人間」ほかを著している。「透明人間」は昔読んだな。


まあ、こういうのは、醒めた目で読むのではなく、登場人物になったつもりで、単純に楽しむのが良いと思う。


背景を知るために、ウィキペディアで引いたら、最初の飛来地となったウォーキングには火星人の殺戮機械のオブジェがあるとかで、なかなか興味深かった。写真を見たい人は引いてみましょう。


北村薫「太宰治の辞書」


この感慨を、どこから話していいのか分からない。17年ぶりの続編。「円紫さんと私」シリーズ最新刊。


大学を卒業し出版社に勤め始めてから20数年、40代の私は、仕事を続けながら、中学で野球部に入っている息子と夫と、小田急沿線の一戸建てに暮らしている。ふとしたことからピエール・ロチを思い出した私は、ロチが参加した舞踏会をモデルにしたという、芥川龍之介の「舞踏会」について考察を始める。(「花火」)


70ページくらいの、短編というよりは章が3つ連なっている「私」が主人公のストーリー。前作「朝霧」で、「私」は大学を卒業したばかりだった。今回は、結婚して子を設け、順調な人生を歩んでいる、落ち着いて、探究心旺盛な「私」の「文学の謎追求の顛末」が語られる。今回は、芥川龍之介と太宰治に絡み、当時の著名な文人もたくさん登場する。


いやーちょっと感覚的で内容が小難しい部分もあり、1ページ読むのに結構時間がかかったりする。しかし、これこれ、これだよ、と声が出そうになる、本好き必読の、味わい深い作品である。


地元で高校の教員になっている、親友の正ちゃんとの懐かしい、軽妙な会話も再登場。そして、第3章に、満を持して、円紫さんが大登場と、心にくいほどの演出だ。


今回も、北村薫の、女性作家と見紛うばかりの文調と安心できる空気感、文学への深い洞察と、大人らしい追跡と、良き仕上がりになっている。読み終えて、最初の方をナナメに再読すると、最初の方から、ラストの章へのフリとも言える文章が目に付き、まさに一冊トータルでの作品、ということに驚かされる。ただ懐かしいだけの後日譚では全くない。


シリーズはいつか読み返そう。形としては、ただ一度だけの復活とも思えるが、内容的には続きそうにも感じる。ぜひこの感じで続けて欲しい。


江國香織「つめたいよるに」


キレキレだと思う。江國香織24歳の時の、初短編集。最初でキュン、ガツンと来る。


愛犬が死んだ翌日、泣きながらアルバイトに行く途中、「私」は19歳くらいの、親切な男の子に電車の席を譲ってもらう。(「デューク」)


ショートショート、と言ってもいいくらいの話が21編収められている。ファンタジーっぽいものも多く、怪談めいたものもある。児童小説そのもののストーリーもいくつかある。さらには、女子ものもある。


一つ、と言われたら、フェミニンものの「ねぎを刻む」かな。


私は直木賞ものをよく読むが、短編集もけっこう多い。どうも分からない、と話していた時に、短編のポイントを教えてもらい、江國香織を推薦された。ちょっと時間が経ったが、少し分かった気分だ。


江國香織は、この中に収められている「草之丞の話」で童話の賞を取り注目された。その後次々とヒット作を生み出し、「号泣する準備はできていた」で直木賞を受賞した。他にも、「冷静と情熱のあいだ」「泳ぐのに安全でも適切でもありません」など耳なじみのある作品がたくさんある。


私は「号泣」と「きらきらひかる」は読んだ。当時、今回ほどのものは感じなくて正直興味を失っていたが、最近美術エッセイ「日のあたる白い壁」を読んで、その表現のセンスに感じ入って再び関心が湧いた。


この作品は、そこかしこの表現もそうだけれど、江國香織の物語の創作センスに触れるような感じでなかなか興味深かった。表紙もいいね。これを分かるのは、そういう年代だからと言えなくもないけど(笑)。次は「こうばしい日々」かな。


魯迅「阿Q正伝」


ほー、へー、これが魯迅かー。たまたま行き当たって、教科書に載っている作品を読んでみた。


デビュー作である「狂人日記」を始めとして、日本留学時代の師のことを綴った作品「藤野先生」そして名高い「阿Q正伝」。これらは、短編である。ほぼ1920年前後の作品ばかりで、訳者あとがきの年は1961年となっている。


魯迅は、留学して仙台の医学学校に学んだ。その際に見た日露戦争の映像で、ロシアのスパイとして処刑された中国人と、処刑の場面をただ面白そうに眺めるだけの中国人の一団を見て衝撃を受けたという。「藤野先生」には、そのことが書かれている。


「阿Q正伝」は、無知蒙昧な阿Qの姿とその成り行き、庶民の姿を描くことで中華民族の病態を表しているという。他の作品も、辛亥革命という時代背景のもと、知識層でも生活に苦しむ描写が多い。


そのモチーフもさることながら文学性も評価されていて、デビュー作は反儒教的精神から、熱狂的に受け入れられたそうだ。


どれかと言われたら「孤独者」か、寓話風の「眉間尺」かな。


本読みはよくどうでもいいことに悩むが、その一つに、大衆小説ばかりで、名作を読まなくていいんだろか、という事があり、ちょっと手に取ってみた。まあこのテイストをいきなり分かるかというのは、うーん、難しかったけれど、ちょっと満足だったりする。(笑)