年末はけっこう最後までまじめに働いて、資料の整理とシュレッダーもして、カレンダー整えて、とそれなりに会社年末感があった。
では2つめスタートー!文字大きいな。
原田マハ「暗黙のゲルニカ」
壮大なテーマである。美術ものは基本楽しめる。ドラマの方は大団円にホロっと仕掛けたが、最後はブレイク。2016年上半期、直近の直木賞候補作。少々率直な書評にしたく思う。
1937年4月、パブロ・ピカソは、時の愛人ドラ・マールともに、パリのアトリエに居た。そして故郷のスペインの内戦で、ゲルニカが激しい空爆にさらされたことを知る。2001年9月、ニューヨーク近代美術館のキュレーター(企画者)であり、ピカソの専門家の瑤子は、同時多発テロにより夫のイーサンを失う。
ピカソの愛人ドラ・マールを軸に、ゲルニカ制作の経緯と背景事情を詳しく語るとともに、2000年代初頭のアメリカ、同時多発テロからイラク戦争までが舞台になっている。2つの時代を繋ぐものが「ゲルニカ」だ。
いやーテーマ的に壮大。作者得意の美術・キュレーターものである。まずはこの大きなものに挑み、所どころ感ずるもののある話を組み上げたことには敬意を表する。以下、考察としたい。
原田マハは、「楽園のカンヴァス」は良かったと思う。「ジヴェルニーの食卓」はまあ伝記みたいなものだから同列には並べられないかも知れないが、楽しめた。
対して美術ものではない作品は、ややマンガ的な設定で、セリフも形を整えられているものも多い。また、ちょっとベタっとした女子的な感情がベースになってるかな、と感じるものもある。さらに気になるのは、最近の作品には「繰り返しが多すぎる」ような気がしている。
この作品は、原田マハのいい部分とともに、そのようなマイナス面も取り込まれた大作になっちゃっているのでは、と感じる。すごい(ハイソな)設定で、様々な意味の歴史を切り取って見ている感じはするが、肝心の美術を表現する言葉が、やはりくどすぎると思う。
今回は、1930年代のヨーロッパと2000年代のアメリカ、これをつなげるのが、強引な気がするのも表現の繰り返しがくどいから、という部分も強いと思う。
こうあれこれ書いたけれど、実は美術もののマハワールドはとても気に入っていて、だからもっともっとと求めてしまうのである。大半の人がそうではないだろうか。今回も、面白かった。さらにさらに壮大に、もっともっとセンセーショナルに、そして細密に、ドカンという作品を期待している。
桜井鈴茂「どうしてこんなところに」
罪の意識を背負い、全国をさすらう。ロードノベルというジャンルだそうだ。売れてるらしいから、と勧められた。読むのに時間がかかった。
久保田輝之は、罪の意識に苛まれながら、車で高速道路を走っていた。谷川岳パーキングエリアでたまたま出会った藤野という男の求めに応じて、新潟まで車に乗せて行くことにした輝之は、藤野の身の上話を聞くー。
人を殺した30代の男が、北から南へとさすらいながら、道々に出逢う様々な男女と関係性を築いて行くストーリー。長い長い話である。
これらの関係性から、人生について哲学的な境地に至り、語られる。また、転々とする輝之の暮らしは、なにがしか味があり、読みやすくもある。
んー、まあ、正直そこまで感慨も湧かず、また酒の席が多い週だったこともあったが、ちょっと時間がかかったかな。まあ、こういうジャンルもあるということだ。ちょっとだけ、福澤徹三「東京難民」を思い出したかな。
万城目学「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」
私は感化されやすいのは確かだが、ちょっと泣いてしまった。ストーリーテラーとしての万城目学は確固としたものを持ってるかも。こちら方面、もっと書けばいいのに。児童小説風味の、直木賞候補作。
小学校1年生のかのこちゃんは、両親と犬の玄三郎、猫のマドレーヌと暮らしている。ある日、始業よりかなり早く教室に着いたかのこは、席について「鼻てふてふ」をしていたすずちゃんと挨拶を交わす。
猫のマドレーヌの視点、かのこちゃんの視点から物語が交互に語られ、交差する。ファンタジーの要素もまた、プリミティブだが面白く取り入れられている。
よくいう児童小説というものは、私は中学生くらいまでの読者を想定しているものだと思っている。かなりその傾向はあるのだが、大人の目線から読んでも、技術的にも、文章的にも構成的にも惹きつけられる話、だと思う。
直木賞の選考の際は、審査員の先生方からの言葉からは「なんで少年少女文学が直木賞候補なんだ」という不満がはっきりと見える。まあこれは、企画の失敗、であろう。ただ、作品的には力があると、私は思う。
この作品は、成長と出会いと別れ、という原点の要素をなぞっているし、動物を擬人化するのもよくあるパターンかも知れないが、それでも、物語の醸し出す雰囲気や言葉の使い方、演出の仕方には、充分に個性が出ている。これまでは、デカい、とんでもない設定がまずあったが、今回は素朴なディテールを紡いでいってひとつの不思議な、魅力ある物語となっている。ベースには、この作家風の妄想力としたたかな計算もほの見える。
今年は児童小説風味の本の数が多いかな。そういう年だった。
岩城けい「Masato」
「さようなら、オレンジ」で話題を読んだ作家さん、持ち味を活かした小説の第2弾。日本のみなが望む方向かなと思う。けっこう面白く興味深い。いろんな意味で。
11歳の真人は、ひと月前、父親の転勤で、家族でオーストラリアに来て、現地の小学校に通っている。英語は分からず、話せず、クラスに居場所が無い。ある日、真人は勘違いをからかって来たクラスメイトのエイダンにつかみかかる。
転勤、駐在家族の、愛憎劇、である。おそらく著者は、オーストラリアでよくあるケースを見聞したのではないだろうか。やがて子供の方が英語が上手くなるケース、駐在員の妻たちの社会、また現地での暮らし、遊び、日本語の勉強の程度、進学、友人関係、成長、心理状態などなどが細かく描写されている。
岩城けいは、オーストラリアに難民として避難したアフリカ系黒人の妻が、日本人妻やヨーロッパ人といった語学学校の仲間を客観的に眺める、という特異なデビュー作「さようなら、オレンジ」で各賞を受賞したほか本屋大賞のランキングに入るなど注目された。
大阪出身で、大学卒業後オーストラリアに渡り就職して以来22年を過ごしている女性作家さん。これが2作目で、おそらく求めもあったのだろう、視点が日本人家族になった。
やはり、取材して書くのとは一日も二日も長がある感じの書きっぷりだ。今回は、とりわけ母、そして真人がもがく姿が描かれている。真人の姉、父、愛犬もいい形のキャラ付けである。
文章は、真人のモノローグで、直接的な語り口が小気味よく、状況を切々とダイレクトに訴えかける。余分な要素はあまりなく、すぐ読めてしまう。最近で言えば、「暗幕のゲルニカ」とは対照的だ。
もちろん二転三転しながら、良い方向に向かっているようではあるのだが、特に真人の英語の上達や友人との関係性、は、特に親世代の読む人に何かしらを投げかけている形である。不安定な家族、客観的に見ると冷静に見る事が出来るけど、その根や広がりは一筋縄では行かないものがあるんだよ、と語りかけているように感じる。
けっこう、問題や描きたい状況を、複雑なものでもシンプルに綴っていく語り口も好きであるし、少年ものとしても、特異な状況ものとしても、面白かった。さあ、次作はどうなるのか。楽しみに待とう。