2016年7月26日火曜日

夏の日常





せっせと仕事をして、帰る毎日。一穂ミチ「きょうの日はさようなら」を読み、坂東眞砂子の直木賞作「山妣」を読み込む。山妣」は、上下巻だし時間かかるかな・・と思ったが、大河ドラマ、流れ出すとグイグイと来て、順調だ。久々に迫力が前面に出る物語、だと思う。

朝晩涼しく過ごしやすかったが、いよいよ夏本番だそうだ。まあ、そうだよね。 

ポケモン映画ひさびさ。前のレシラムとゼクロムのやつはん?と思ったものだが、今回「ボルケニオンと機巧(からくり)のマギアナ」は意外に良かった。
 
元町映画館では巨匠のデビュー作特集をするそうだ。1本くらい、観に行きたいな。カウリスマキか、ジャ・ジャンクー。

2016年7月19日火曜日

モダン







ある平日に休みを取って、三宮元町へ行った。三宮でまずはランチ。1933年創業の洋食、グリル十字屋へ。ハイライ(ハヤシライス)を堪能する。

ここは昔の職場で、まだ20代の時に連れてきてもらった。その時、「ここは娘さんが店に入ったんだよ。継いだんだよ。」と教えてもらった。娘さんは宝塚風の、背が高くて笑顔が明るい感じの人だった。で、20年ぶりに行ってみたら、お年を召されて、やはりいらした。私は顔を見た時、ちょっとギョッとした感じになってしまったので、変な人とおもわれたかも知れない。なんか月日って不思議である。

濃厚ソースのハイライを味わって食べる。天井が高く、間取りも雰囲気もいい神戸モダンの店内は居心地もいい。また来よう。

ブックオフで伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」購入。興味が湧いたから、すぐ読んだ。なかなか興味深かった。伊藤たかみは角田光代の元夫なんだそうだ。へ〜〜。

目的地のミニシアター、「元町映画館」目指して歩く。曇り時々小雨、めっちゃ蒸し暑い。こんなに西よりだったっけ?元町商店街大好きなわしでもちょっとバテる、と、もう神戸駅の近くに、あった。入ったらすぐ劇場の扉、横のスペースなし、のホンマのミニシアター。

一時期あなたの援助が必要です的な掲示をしてたし、以前は映画のラインナップもあまり興味が湧くようなものでは無かったが、今だけ見ると、大分整理がついているように思える。建物の2Fが喫茶もある待ち合いスペースになっていた。

さて、きょうの目的は、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の「恋恋風塵」という作品。青春四部作の最後の作品なんだそうだ。

台湾映画には、アン・リーという巨匠がいたが、早々にアメリカに去った。ちょうど1990年代に出て来たのが侯孝賢でありエドワード・ヤンで、台湾ニューシネマ世代の監督、とかなんとか言われているらしい。私は侯孝賢の「非情城市」もエドワード・ヤンの「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」も観ていないが、この辺に影響された日本の監督は多いらしい。

「恋恋風塵」は、台湾の山奥に住んでいた幼馴染の男女、アワンとアフンが学校を出て台北で就職、二人は許婚のような仲だったが、やがてアワンは兵役に就き・・という話だった。

話はブツ切りで、必要なシーンだけを印象的に撮影する方法。どこかの映画祭で撮影賞を取っている。感想は・・印象的ではあったし、台湾のひと昔前の若者たちの群像、を表そうと思ったのかもだが、ちょっと迫るものは無かったかな、だった。

帰りは、わざと海側の路地裏を歩き、古いビルに入っている、センスのいい飲食店なんかを眺めながら散策した。私は福岡の、山のふもとの平野生まれ育ちだ。港町、という風情は未だに新鮮で、神戸くらいの規模はちょうどいい感じで、好きである。

あまり無理しない休日、リラックス出来た。

2016年7月11日月曜日

夏夏





もうすっかり暑い。30度を超えだしたのは比較的最近だが、もう夏本番・・と思いたい。

金曜休み。パレスチナ映画を、神戸元町のミニシアターでやってるので行こうかなとも考えてはいたが、雨だし、夏の外出は疲れるしでやめにする。

なんかね、環境が変わってひと月余り、やはりストレスは忍び寄って来ているようで、あちこちが痛い。腹筋と、胸の筋肉が痛い。左耳の後ろも鈍い痛みがある。気分転換ではおそらく解決しない部分である。

そんなわけで、金曜入れて3連休、のんびり休むことにした。

3日で2冊本を読み、「ハイキュー!」を夏合宿付近から読み直して、ケイタイゲームをする。夜は阪神戦に家族でブーイングしながらご飯を食べる。最下位阪神は、首位広島に3連敗。都合7連敗?借金12。日曜はテレビつけたら3回終了で0対8。こんなに弱いのも久しぶりだな。

土曜の夕方に、バッティングセンターに行ったのと、日曜に選挙に行ったくらいの外出。参院選は大方予想通り。うーむ、つまらなかった。

日曜日の最後に、眠たい目をこすって、ウインブルドンの男子決勝を観た。カナダのラオニッチと地元スコットランド出身のマレー。

パワーサーブとネットプレーで押すラオニッチとテクニックのマレー。マレーは脚がよく動いて拾いまくる。パッシングも上手い!ラオニッチはついていけず、2セットでタイブレークとなるもマレーが3-0のストレート勝ち。いいものを観た。

ハイキュー!春高県大会の準決勝青城戦、決勝白鳥沢戦はやっぱ面白い。きょうも読むだろう。休養GOOD。さて頑張ろう。

2016年7月8日金曜日

6月書評の2




6月書評の2

6月は、好きな作家の本が次々と出た月で、嬉し忙しかった。

男子バスケットはリオオリンピック最終予選グループリーグで2連敗。早々に敗退が決まった。

一連の騒動もそうだが、私は、男子バスケット界が、本気で世界の上位に入ろうとしているようには思えない。だから応援しないし、試合も見ない。女子は強いから応援する。それだけだ。

綾辻行人「Another エピソードS」

私はアヤツジスト。すごく読みたかった。文庫化即飛びついて買った。綾辻は偉大だが、今回なんか先読みできてしまったかな。

1998年夏、別荘地。自宅で死に、幽霊になったと自覚している26才の賢木晃也は、自分の死体を探すうちに、以前面識があった、中学3年生で左右の目の色が違う少女、見崎鳴(みさき・めい)と再会する。そして鳴には自分の姿が見えていることに驚き、共に行動するようになる。

夏の、幽霊物語。先に出た「Another」は、ある都市の「夜見山北中学」で、以前より伝わる呪いの力により、クラスの関係者が死んでいく、という話だった。このホラーの主役の1人が「死の色が見える美少女」見崎鳴。今回の話は、本編の事件があった年の夏に、実は鳴が別荘地で別の騒動にも遭遇していた、と回顧する形である。

幽霊話らしく、「さまよう」時間が長かったな、というのが第一印象。また、趣向は面白かったが、先行きとタネが予想できてしまったな、という印象である。ただそこには、名手アヤツジの、いつもの味がふんだんに散りばめてある。

今回「文豪ストレイドッグス」などの漫画原作者、朝霧カフカの解説が抜群に面白かったので、それに倣って軽く綾辻について書いてみようと思う。

綾辻行人は、1987年、京大在学時に書いたデビュー作「十角館の殺人」が評判となり、ミステリ界に「新本格」というジャンルの扉を開いた。「水車館」「時計館」「霧越邸」など、次々と館ものを書く一方「囁きシリーズ」などのホラー、また正体不明の殺人鬼がハチャメチャに人を殺しまくる、という「殺人鬼」シリーズも描いて、女子の読者も獲得、幅を広げていった。

朝霧氏の言うように「生きているミステリ作家のなかでいちばんスゴイ人」なのかも知れない。

そんな綾辻行人が代表作のひとつ、という「Another」は、アニメ化もされ、10代、20代の読者から大きな支持を受けた作品。学園もの、モダンホラーにミステリーというヒットの要素を持ち合わせていたと言えるが、若い読者はアヤツジという作家を知らない。解説にあるように、ミステリを読んできた人間からみれば、「けしからん!新本格の始祖ぞ、現人神ぞ!」てなもんかも知れない(笑)。

私も「十角館」で衝撃を受け、25年くらい、ほとんどの著作を読んできた。決して多作とは言えないこの作家の次作を待つ、というのも読者の楽しみの一つ、だ。

北村薫「八月の六日間」

私はカオルスタ。って勝手に言ってるだけだけど。アラフォー独身女子の一人登山。北村薫ってやっば女子系だと思う。

出版社に勤める30代終盤の「私」は副編集長ととなり、仕事にストレスを抱え、私生活も不調だった。そんな時、同僚の誘いで山に登ってみる。道を間違えでたまたま出た涸れ沢の、美しい紅葉の景色を見た瞬間、「私」は山に心を奪われる。

主人公が挑むのは、槍ヶ岳、常念岳など、比較的難度が高い山で、単独行である。最後にそのことを述べて、初心者の方が軽い気持ちで行くことのないように、と注意しているのがちょっと面白い。

さて、その年代の女子の仕事と、日常生活、心に穿たれた痛い部分、過去の経験、などに、無心に山を登りながら向き合って行くストーリーである。登山ごとの連作短編集で、「八月の六日間」は最後の短編のタイトル。タイトルは◯月の□日間」で統一されている。

短編が進むごとに時の流れも進み、心の波も全体として読んでいくようになっている。山での出会いや思い出も後で効いてくるようになっている。

設定の軽やかさ、働くその年代の独身女子の生活と出来事、女の友情、会話、エピソードなども、北村薫流にウィットに富んでいて面白く微笑ましい。時折挟まれる得意技の文学知識など、小道具も小粋で、山と風景の描写も、ああ登ってみたいなあ、と思わせるものがある。

もはやひと昔前となったが、「スキップ」「ターン」「リセット」の「時と人」三部作、私を含め多くのファンがいる「円紫さんと私」シリーズ、そして直木賞をとった戦前期の話「ベッキーさん」シリーズなどは、今思えば似たようなテイストがありながらも、もう少し、なんというか、クッキリした展開だったようにも思える。

最近の傾向なのか、薄い布を少しずつ重ねていくような構成になっていて、今回もドン、というインパクトや急に刺すようなものは無く、ひたすら女子的だ。

ただ、北村薫独特の緻密で感覚的な世界に浸れるのはいいものだ、と今回も思った。発想も見事、良き作品だ。

つかこうへい「リング・リング・リング」

あの頃の女子プロレスは熱かった。主人公の名前は長与千種。んーでもちょっと合わなかった。

博多の呉服屋のお嬢さん、亜子は東京の大学アメラグ部の先輩と幸せな結婚式を控えていた。しかし、いとこに連れられて見た女子プロレスに魅せられ、結婚を取りやめて入門してしまう。

上記の話は導入部で、話は長与千種とチャンピオンのデビル奈緒美、さらにジャガー大川が絡んで来る。もちろん後の2人はデビル雅美とジャガー横田をモデルにしている。かつて長与千種とライオネス飛鳥のクラッシュギャルズは大スターとなり一時代を築いた。

その頃私は週刊のプロレス雑誌を読んでいたが、海外遠征で一緒になったデビル雅美は、リング以外の生活ではものすごく女らしかった、今の言い方で言えば女子力高かった、という意味のことを男子プロレスラーが語ってるのを読んだ記憶がある。

今回は、女だからこその悩みや悲しみからスタートし、設定も流れもなかなかエグい。現実から逃げてないとも言えないことはないが、私には、正直ふた昔前の演出だなあ、と思えたし、フィクションに過ぎる気がした。そっち?と声が出る感じだった。また、亜子の実家の呉服問屋が「博多市内」と書かれていたのは、福岡県嘉穂郡出身のつか氏の遊び心か。

うーん、今回は、合わなかった。残念、ってとこかな。

白石一文
「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」(2)

いやー大したパワー、エネルギーであることは認める。白石一文にして男系。

胃ガンを患い、再発防止の治療を行っているカワバタは日本を代表する週刊誌の編集長。政権与党の実力者Nの金銭スキャンダルをスクープするがー。

講談社創業百周年記念書き下ろし作品だそうだ。カワバタのモノローグで、思索は様々日本を飛ぶ、どころか、強烈なものを読む者に突きつける。格差社会、女性の役割、イチローの価値、まだまだ、引用した本や出て来る人間もフリードマンからマーチン・ルーサー・キングからホリエモン、村上某、宇宙飛行士など全て実名で、哲学的な考えまで縦横無尽にしつこく、熱く語る。これは総計650ページくらいの上下巻だが、理屈が無ければ半分でまとまっていただろう。

カワバタを取り巻く人々と物語の成り行きの魅力、さらにこのエネルギー、確かに書き切った、と言っても差し支えないほど、リキの入った作品だ。

やはり、格差社会への警告は、うーんと考えてしまう部分があった。いつからか、やはり社会のピントは、ずれている、とサラリーマンをしながら実感していた部分を衝かれた気もした。

それにしても、白石一文がこんな作品を作るとは。理屈の多い、男系、若さ青さも見える。でも、エネルギーとはそういうもんだろう、と不思議に腑に落ちた。

6月書評の1




半期のまとめを先行したから、6月書評は珍しく遅くなっちゃいました。読書自体は思ったよりまずまず、長いようで短かった6月。激変のわりには数も読めた方かな。

森絵都「宇宙のみなしご」

なかなか良かった。本を読む時の気分は、大いに影響すると思う。それが思い出にもなる。

中学2年生の陽子は、ひとつ下の弟で陸上部のリンと、忙しくてほとんど家にいない両親のもとで暮らしている。陽子は2学期初めに不登校になってから1週間が経っていた。

いわゆる児童文学である。決して暗い話ではなくむしろ明るくて面白い話だ。抑え気味の状況設定と屈託のない展開がうまくマッチして、いい雰囲気を作り上げている。毒も無いわけではない。陽子とリンが作り出してきた子供らしい遊びには微笑んでしまうし、なんか自分に重ねてしまってリアリティさえ感じてしまう。テンポも早く、のびやかさがあり、迷いが感じられない。

森絵都はデビュー作「リズム」で各賞を受賞、そしてこの作品でも野間児童文芸新人賞となり、のちに直木賞作家となった。もとは児童文学の方である。

これまで森絵都はアダルトな直木賞作品、「風に舞い上がるビニールシート」、デビュー作「リズム」そして「カラフル」と読んできた。嫌いではないけれど、正直しっくりくるものが無かった。でもこの作品は久々にほう、と思えた。

「守り人シリーズ」「鹿の王」の上橋菜穂子、「夏の庭」の湯本香樹実、「少年アリス」の長野まゆみ、など、児童文学はなかなかあなどれない。いまの私の気分にすっと入ってきて、いい感触を残した作品だった。

伊坂幸太郎「ゴールデンスランバー」

実は読んでなかった。ふむふむ。伊坂の集大成といえばそんなような。本屋大賞、山本周五郎賞。

仙台市内でパレード中の首相が、ラジコンヘリに搭載された爆弾で殺された。その日、元宅配便ドライバーの青柳雅春は、学生時代の親友、森田森吾に現場近くまで連れて行かれ、逃げろと言われる。彼が逃げるのを追ってきた警官はいきなり発砲してきたー。

伊坂幸太郎というのは、評価が分かれる人である。「僕ダメですわー」という後輩もいれば、すごく面白い、という年配の方もいる。私はこれまで、「アヒルと鴨のコインロッカー」「ラッシュライフ」「砂漠」「フィッシュストーリー」「バイバイ、ブラックバード」「PK」「キャプテンサンダーボルト(共作)」を読んだ。こうしてみると、意外に数を読んでいる。

作品によって微妙に風合いは違う。その要素は、仙台が舞台で、細かい表現にこだわる点、仕掛けが後に生きるところ、テンポ、わけわからなさ、また書いた事象を、後で拾うことなく捨て去ること、脈絡のなさなのか、うまく繋げているのか、社会、権力、マスコミに対する辛辣な反感、などなど様々だ。私の感想としては、小説でいろいろと遊んでいて、考えさせるところはあるかな、という印象だ。

「ラッシュ」「フィッシュ」、「PK」なんかはちょっと勘弁して系だったが、伊坂のクセというか遊び方というか、が垣間見れる。以外はまずまず面白い。

今回は巨大権力の陰謀、そこからの逃亡劇が中軸の部分を占める、逃走サスペンスだが、そこかしこにユーモアがあり、伊坂らしくニヤッとさせられるところがある。仕掛けも、一見なにもないような要素が後でたくさん繋がる。繋がった時には、ホロッと来たり、痛快だったり、かわいかったり、意表を突かれたりする。トータルでバランスが取れてる感じで、伊坂らしくて面白くて話が大きい、だから集大成と呼ばれてるんじゃないだろうか。

さて、私の感想としては、得体の知れない、歪んだ国家権力のようなもの、というのが敵、という設定は伊坂の他の作品でも、また他作家の作品でも散見されるが、都合がよく何でもできてあまり好きではない。しかし、大上段の架空の状況から、伊坂らしい、仕掛けの効いた単館系映画のような面白い作品が生まれたのは間違いないと思う。

まあよきエンタメとして楽しめたかな。

ピエール・ブリアン
「アレクサンター 大王 未完の世界帝国」

やっぱ古代は好きだなあ。探してもそんなに無かったアレクサンダー大王もの。いにしえのヒーローには、多くの苦難もあった。

フランスの古代史学者が書き下ろした作品。アレクサンダー以前のギリシアとペルシアの関係から、大王の死後までを描いてある。

ギリシア北部で勢力を伸長したマケドニアで、若くして王となったアレクサンダーは、小アジアからエジプト、バビロン、アフガニスタン、インダス川まで大遠征を行い、数々の敵を打ち破った。勝った後は現地の行政官を登用し、自らも占領地の娘と結婚、部下にも現地人との婚姻を奨励した。

アレクサンダーの理想は、ギリシアと征服地を融合させ、無事に広大な領土を運営することにあったが、ペルシア風の風習を重んじたりしたために、ギリシア人から反感を買ってしまう。

ハンニバルやカエサル、ナポレオンも崇拝したというアレクサンダー。紀元前4世紀の話で、後に広まったイスラム教圏でも英雄イスカンダルとして語り継がれているという。

随行した歴史家の第一次史料は失われ、物語は紀元前1世紀の、アリアノスほかの記述に拠っている。語り口調は冷静だ。必ずしも不敗のヒーローとしてではなく、数々のトラブルや批難の中、アレクサンダーがどのように征服を進めたかをじっくりと描いている。残酷な仕打ちももちろん書いてある。

アレクサンダーも「これからは私がアジアの王だ」的なメッセージを出した、というやに書かれているが、どうもアラブやペルシアはアジアなのか、という感覚が私の中にあってうーんと思ったり、またヨーロッパ人にしてみれば無知蒙昧な民族たちにギリシアの進んだ文化を伝えた、という受け止め方もあってちょっと考えてしまう。そこも含めて面白みなんだけど。

絵も多いし、すぐ読み終わるさーと思ったら、だいぶ時間がかかった。でもなかなか浸れた。その筋では代表的な本ではあるが、1991年発行と新しくはないので、誰か最新の研究を反映した本を書いてくれないかな、とも思っている。

丸山正樹「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」

評判のいい本。ろう者・聴者の間の現実。ヒューマン・ミステリーでもある。

43歳の荒井尚人は、収入を得るため手話通訳士の資格を取る。いくつかの仕事を終えた荒井のもとに、裁判での手話通訳の仕事が舞い込む。

「日本手話」と「日本語対応手話」の違い、「聴覚障害者」という言葉への違和感、デフ、そしてコーダの存在など、我々の知らない知識と現実をつぶさに表している。

その姿勢はくどくもなく、現状をクールに、誠実に見据えているように思える。話は手話通訳の話、警察の話、事件、捜査、荒井のラブストーリー、という要素が絡みながら進行していくが、そのテンポに乗せられてか、スラスラと読み進んでしまう。

事件の核心のところで、良かったテンポがちょっと止まってしまうように感じたし、警察関係が、うーん、そんなにいい情報を軽くくれないだろう、などと思ったが、まずまずかと受け止めた。

この作家の筆致には駆け引きと、まっすぐさがない交ぜになっているのを感じる。なんにしろ、流されない、といういい感触が瑞々しくも思えた。

佐藤さとる「だれも知らない小さな国」

この週末は、文庫化を待っていた作品が発売されたり、探してた本が見つかったりで大漁。15冊くらい買い込んでしまって、いやーいまハイな気分(笑)。さて、これも、探してみよう、で見つけた、児童文学。

小学校3年生の「ぼく」はもちの木を探していて、偶然に、泉と三角形の平地がある小山を見つけ、秘密の場所として、通いつめる。ある日、偶然出会った小さな女の子が川に流した靴を追いかけた時、ぼくは靴の中に乗っている小人の姿を見たのだった。

いつも思うのだが、児童文学は、大人でも充分楽しめる。この本の内容的なものは、先日の「宇宙のみなしご」よりも対象年齢が低くて、息子が幼稚園のとき先生が読み聞かせていた「エルマーとりゅう」くらいかと思う。

もともとは梨木香歩の著作で読みかじったのではと思う。その梨木香歩がこの本の解説で語る通り、「幼い頃から連綿と続く、自分自身に戻れる国」として、表現されている物語世界は、心にしっとりとした、そして確かな響きをもたらす。

昭和34年、1959年に、もとは私家版として書かれた作品。文庫化、再文庫化され、このコロボックル物語シリーズは6巻を数えている。ストーリーとしては複雑では無く時代も感じる。そして、児童文学にしては、なのか、児童文学だから、なのか、思いのほか技巧的で、その点なかなか面白みもあり、楽しめる。

もちろん、シリーズも折に触れ読みたいと思っている。

ちなみに、15冊買って、使った「現金」は1500円程度。ブックオフと図書カードは偉大である。

2016年7月7日木曜日

パパ読書大賞・上半期まとめ





今年も1〜6月の読書まとめを。59作品63冊と、例年よりやや少なめだった。

写真は「最も印象に残った表紙賞」
島本理生の「ナラタージュ」

さて、ランキング。あくまで私的なものです。念のため。

1位 森絵都「宇宙のみなしご」
2位上橋菜穂子「天と地の守り人」 
3位近藤史恵「キアズマ」
4位北村薫「八月の六日間」
5位原田マハ「ジヴェルニーの食卓」

6位木皿泉「昨日のカレー、明日のパン」
7位野崎まど「【映】アムリタ」
8位伊坂幸太郎「ゴールデンスランバー」
9位森沢明夫「癒し屋キリコの約束」
10位熊谷達也「銀狼王」

11位白石一文
「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」
12位丸山正樹
「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」
13位東野圭吾「夢幻花」
14位三浦しをん「神去なあなあ日常」
15位綾辻行人「Another エピソードS」

あまりぐっとくる作品は、実は無かったのだが、1位は決まっていた。児童文学で、他愛のないところもあるが、文章を超えるパワーがあり、ハマってしまった。

2位は大河ドラマのラスト上中下巻。壮大で、ああ終わって欲しくないなあ、と心から思った。上橋菜穂子は偉大だ。

3位は迷ったが、近藤史恵を選出。このシリーズはやっぱ面白い。

各賞は以下の通り。

ベストスポーツ賞

黒田博樹「決めて断つ」

いやカッコ良い。男くさい。メジャーの誘いを蹴って広島に帰ってきた男気の信実。

大河ドラマ終わって寂しいで賞
上橋菜穂子「守り人シリーズ」

もう世界に誇るファンタジー。バルサ大好き。文化人類学者さんが、中央アジアを想定した物語。

啓発賞
カレル・チャペック「ロボット」

ロボット、という語源の作品。手塚治虫ぽくてよかった。

歴史もの賞

塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」

ペルシアと神聖ローマ帝国の戦い。詳細で、残酷で、巨大なストーリー。好みの話だった。

紀行賞

坂東眞砂子「聖アントニオの舌」

魔女とか伝説をめぐり、イタリアの地方を旅する。そのクセが良かった。

みんなの思い出賞

村上春樹「風の歌を聴け」

みんな読んでたんだね、というのが実感できた。ハルキ作品のベストワンに挙げる人もいる。世に認められた作品には、そこだけにしかない感性の煌めきがある。

この上半期は、好きな作家たちの良い作品を読めたし、まずまず充実してたかと思う。

冬に向かって、また、読むぞ。

2016年7月5日火曜日

久々の〇〇〇




丸の中はハ、とシ、とゴ、である。

午前はちょっと本屋を見回ってから、新梅田シティのシネリーブル神戸。

インドネシア映画
「鏡は嘘をつかない」

インドネシア南東部の島嶼地域で、海の上に暮らすダショ族を描く。海がとにかく美しい。父親が漁に出たまま戻らず、父にこだわる10才の娘パキスと、働いて家計を支える母。その家へ村長の命令で、イルカ調査の若い研究者がやって来て、という話。

舞台とその暮らし、風習、また、男の子の演出が可愛く微笑ましかった、が・・

若い研究者に母娘ともども参ると、話が軽くなる気がするし、ラストも、現実を見せたいのだろうけど、ちょっと単純過ぎるかと。あと正直に言えば、フレームをかっちり作り過ぎていて、逆に気になった。これはカメラ的、とか映像的、とかいうものは得てして見る方はあまりそう思わない場合が多い。照明も明るすぎる。

長編デビュー、女流監督の若さがあったかな。

映画は昼からで、始まる前にサンドイッチとアイスコーヒーの昼食を摂ったからか、やたらトイレに行きたくなって困った。

終わってすぐに移動。雨が降って蒸し暑い。次の映画まで、あと1時間。神戸の旧居留地で観るのだ。早歩きで大阪駅、新快速で三ノ宮へ。着いた時はまだ25分あったが、一服と徒歩移動、シネリーブル神戸でチケットを買ったのは10分前を切っていた。

中国映画「山河ノスタルジア」

2000年に「プラットホーム」という作品を観て印象に残っていたジャ・ジャンクー監督の新作である。

汗だくになって席に座った時に、ジャ・ジャンクーのために大急ぎで大阪から神戸まで移動してこんなに汗かくのは全関西でオレくらいちゃうか、と笑えてきた。

座った列が結構多くてとなりにはおっさんが来た。こういった映画を平日に観るとき、隣に人が居るのは珍しい。一列前はガラガラだったから、途中で移動した。汗かいて喉かわいてたが、上映中トイレに行きたくなかったので、我慢してす っぱいのどあめで唾を出すことにした。

オフィス北野やバンダイビジュアルが出資してて、ふむ、しばらく観てなかったが、ジャ・ジャンクー作品は日本にも認められているんだなと思った。カンヌ出品作品である。

さて、1999年の中国内陸部フェンヤン。小学校の教師で、余暇に舞台に出て踊ったり歌ったりするのが好きなタオ。彼女には金持ちのジンシェンと炭鉱で働くリャンズーが思いを寄せていた。タオはジンシェンを選び、結婚して子供を授かる。リャンズーはフェンヤンを出て行った。

2015年、リャンズーは炭鉱労働で病を患って妻子と故郷に帰り、タオにお金を借りる。タオはガソリンスタンド経営の仕事がうまくいっていたが、ジェンシンとは別れ、息子のダオラーは父親と香港に暮らしていた。そんな折、タオの父が亡くなり、タオは呼び寄せた7才のダオラーと再会を果たす。

2025年、オーストラリアで大学に通うダオラー。もはや英語しか喋れず、父ジンシェンは中国語しか分からないため、直接の会話が成立しなくなっていた。自分のアイデンティティに悩むダオラーは中国語の先生に母親の面影を見て、母タオの事を思うのだった。

という話。いやー、軽く未来まで出しちゃうところがジャ・ジャンクー、なのか?演出はだいぶ洗練されたな、という気もするが、始まってだいぶ後にタイトルが出たので、おいおい、もう30分は経ってるだろう、と突っ込んだ。いい感じだ、ジャ・ジャンクー(笑)。

「プラットホーム」は、内陸部の、田舎の若者たちの話で、やはり時間の動きがあった。今回は外国に移住する中国人をもテーマにしているようだ。主演女優のチャオ・タオは「プラットホーム」以来ジャ・ジャンクー作品には出続けているようだから、さしずめチャン・イーモウ監督のコン・リー、ウッディ・アレンのダイアン・キートンやミア・ファローか。

ジャ・ジャンクーはカメラワークに特徴があって、フレームイン、フレームアウトが得意である。さらに、フレームアウトしたあとの風景をしばらく映していて、それでなにかを語る。今回も多用されていた。

フレームインフレームアウトはカッコいいが、下手に使い過ぎるとベタになってわざとらしく、まとまりがなくなる。正直ちと目についたが、演出と意識して、形としてやっているのでまあいいか、という気にもなる。また、今回は、3回の時代ごとに画面サイズが変わっていた。昔のテレビサイズのようなものから、横に広がり、最後にはシネマスコープサイズまで行った。なかなか面白い。

あと、もはや日本ではあまり見られないようなカットつなぎがあったのにはびっくり。同じ人が部屋に入っていくところと入ってきたところをほぼ同じサイズでつなげたり、同じ人の、画面上の位置をずらした広めの絵を続けたり、本来反則ぽい感じも、わざとやってるんだろか。こちらはちょっとよろしくない。

冬の凍結した大河、ダイナマイト、また飛行機が落ちるところなど、ところどころに観客を飽きさせない演出を挟むのはナイスだった。明らかに本当にセスナみたいな飛行機を続き芝居で落としたのは驚いた。
 
病のジャオスーをその後はほっといたりとか、物語の組み上げ方も、もう少しうまく出来そうな気もしたが、ま、これがジャ・ジャンクーか、と思った。今回は、中国の内陸部の現実と、外国に出る中国人と、時の流れをテーマにしているのだろう。

ラスト、雪の河原で、作品冒頭に踊っていた「GO  WEST」に合わせ、タオが踊るシーンは、それだけでなんか泣けてしまった。さすがジャ・ジャンクー。どう終わるかと思ったら、早い勝負だった。

充実した気分。観る人の心を動かす構想を、自分らしい演出で、小道具やウィットが効いている方法で、きちんと届ける監督は素晴らしいと思う。私は映画は芸術ではなく、観客に、うまく何らかを感じさせて初めて仕事をしたと言える、と思う。

本屋に入るが、いまは読みたい本がすでに数あるから、買わないで帰った。

久々にオケを聴きに行った。アマチュアオケの定演で、レオノーレ、カルメンにチャイコの「悲愴」。コンチェルトは聴いたけど、本格的なオケは東京以来。

アマチュアだけに、金管が合ってなかったり、弦の本数が計算されたものではおそらくなかったり、悲愴のクライマックスで弦の音が小さかったような気がしたりしたが、そんなことはどうでもよく、いや、そういう事を観察することも楽しみのうち、細胞が沸き立つ感じで、充足感を味わった。

やっぱオケっていいよね。弦がトゥッティで単体では決して出せない波のような音を奏でた瞬間、生き返るような心地になる。

オーボエ上手かったな。クラリネット目立ってたな。CDでは決して味わえない生感に浮き立つ。

今回はたまたまの機会だったけど、またいいコンサートを探してゼッタイ行こう。