2週連続で台風も来て、クライマックスシリーズもドラフト会議も日本シリーズもあって、だんだん涼しくなってきた。
10作品10冊。久々に借りた本も多かったので、それなりに幅は広がった。では今月もスタート!
ジョナサン・スウィフト
「ガリヴァ旅行記」
リリパットの国(小人国)では、クィンバス・フレストリン(人間山)と呼ばれ、ブロブディンナグ(巨人国)ではグリルドリッグという可愛らしい名を貰い、飛ぶ島ラピュタとその下界の領土バルニバービで過ごし、亡霊と魔法の島グラブダドリップではアレクサンダー大王やアリストテレスを呼び出してもらい、ラグナグでは不死の人間、ストラルドブラグを見て、馬の国フウイヌム国では、その徳の素晴らしさに一生ここで過ごしたいと思ったイギリス人船医ガリヴァ。やはり面白いが、理屈も長い。
政治批評などをしていたイギリスの文筆家、スウィフトはやがて政治の舞台では活躍の席を失い、後年狂気をも孕んだ人間嫌いとなる。
第1章、第2章は大きくなったり小さくなったりと児童文学的でもある。全体にアイロニー溢れる作風になっているが、物語が中盤以降になるに連れ人間風刺が進み、第4章、馬が理性的な支配者である国、フウイヌムでは人間によく似ているが知性のない家畜ヤフーに対し非常な嫌悪を示し、その主人達の自然で崇高な社会の在り方に心酔する。
ヤフーを嫌い、尊敬する馬たちと一緒に居たため、帰国してもヤフーに似た人間の臭いから何から気に入らず、ガリヴァは家族にも触る事すら許さず、馬を購入して可愛がる。
恐ろしく人類を分析、風刺、揶揄した大作だ。夏目漱石も不愉快を呼び起こす物語、という意味のことを書いている。
しかし架空の物語設定は素晴らしく、天才の作品と呼んでも差し支えないだろう。もう少し理屈っぽさを抑えたら最高。当時の習俗も考え方も目に出来て面白い。大人にとっても、まさに傑作と言えるだろう。
1726年に出版されたこの物語。私が手にしているのは昭和26年の訳本で、なかなか昔風の言葉遣いが面白かったりする。大学の頃買ったもので、だいぶボロなので新訳版を買って読もうかと思っていたが、旧い版で結局読んでしまった。人生でもう一度くらいは読むだろうから、その時に新訳版を買おう(笑)。
桜庭一樹「赤×ピンク」
エロで格闘系で過激で猥雑な物語かと思いきや、女の子のお話だった。
六本木の廃校となった小学校で夜な夜な繰り広げられるガールファイトショー。萌え系キャラで人気ナンバーワンのまゆ、アルバイトでもリングでも女王様のミーコ、空手家でバイク好きな、男っぽい皐月が、それぞれに一歩を踏み出す。
キャッチは抜群、すでにR−18で映画化もされた作品。エロだけど行き過ぎてなく、大人の漫画のような味付けの、基本はコミカルな展開。
怪しげで魅惑的な異空間を創り出し、主人公たちの身の上を語る、という展開だが、サクサク読めて、面白い。お色気たっぷりだが、さわやかに見えるほどだ。
ただまあオチが唐突だったり、実によくあるネタだったりと、設定以外は、あまり斬新ではない、かな。
私はめったに同じ作者やテイストの物を読まない。今回シクシク来る重松清と、世界的名作の次が、この作品。破滅的で、都会の若い女の現代的な生き様と言えなくもないが、最後はなんだかほんわかしてしまった。
三浦しをん「仏果を得ず」
文楽、人形浄瑠璃の話。変わらず独特のマンガチックな展開で、またネタが新鮮なチョイスかと思う。
文楽の大夫(語り)である健は、師匠の人間国宝・銀大夫から、「三味線の腕は良いが変人」という評判の兎一郎と組むことを命じられる。
こう書くと、結構シリアスな感じに見えなくもない。しかし、もちろん絶対服従ではあるが、師匠にもツッコミまくる関西風のドタバタで、設定も映像向きか。
健の芸の道、隠された真実、また恋、ベースとなる愛すべき周囲の人たち、と舞台や小道具は整っている。サクサク読めたし、実際知識的にも面白かったし、文楽を観に行きたくなった。
が、しかし、私の勝手な思い込みではあるが、三浦しをんには得心がいっていない。もう少し突き抜けたような、何かを感じさせる作品を描くことが、いつかきっと出来るはずだと思う。
ネタはそれは目新しい方が良い。マンガ的展開は、やがて飽きがくるし、都合が良すぎるとどこかでバランスが狂う。似たような話を書く作家は大勢いる。桜庭一樹が「私の男」を、角田光代が「八日目の蝉」を描いたように、いつかを期待している。
三浦しをん「あやつられ文楽鑑賞」
こぉのミーハーめ、というのがポイントのような気がする。
タイトルの通り、文楽=人形浄瑠璃の熱烈なファンである三浦しをんが、三味線、人形担当、大夫(語り)に話を聞いたり、著名な作品について取り上げたりと、入門編的な一冊。自らの著作、「仏果を得ず」のガイドブック的役割も果たしている。
新鮮なネタを探してきて、料理するのが上手い作者。今回は、語りの方へのインタビューが上手だな、と思った。取り上げる作品にしても「女殺油地獄」など聞いたことのあるタイトルもあるので、知識欲が刺激される。
そのミーハーぶりをことさら強調しているため、作品解釈や、作品の登場人物へのツッコミなど、軽く不快感を覚えてしまう。文章的にもどうも、ちょっと文才のある学生なら書けそうなテンポと言葉遣いだ、と思うし、女子、という立場を最大限生かしているな、とも感じられる。
私的には、ミーハーめにしているのは、おそらく計算だろうと思う。逆にコンプレックスがそうさせているのかも知れない。不快感も注目度の一つである。
ひとつ残念なことは、本書でも触れてある部分はあるが、光の当て方、また動かし方によって、人形の表情が変わる、と聞いたので、個人的にそれにも一章割いて欲しかったかな。まあ、自分で観に行きなさい、ということでしょう。(笑)
黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」
不思議の国の小学校。でも雑多な香りもする。
落ち着きがなく、常軌を逸した行動で小学校を退学になったトットちゃんは、自由が丘にある「トモエ学園」に入学する。電車の車両が教室で、好きな科目を自由に勉強してよくて、自然に触れ合う機会が多いという、楽しい学校だった。
1981年の作品。黒柳徹子の自伝であり、実在した小学校のユニークな教育方法を紹介している。トモエ小学校は、いまの自由が丘駅から歩いて3分、ピーコックと駐車場の所にあったそうで、よく行った身としては、さらに不思議な感じだ。
黒柳徹子もあとがきで書いているように、理想の教育を掲げる教育者は多いだろうが、それを実際にやるとなると大変難しい。こんなに上手く行くなんて、どこかにファンタジー入ってるでしょ、と読んでても思う。
でも上品だけど、どこかに匂う、大らかな、雑多な子供らしいスパイスがきいた文章が、説得力豊かに読ませる。こうなると事実がどうかはどうでもよく、最後にホロッとくるくらい、物語の中、子供たちをはじめとする登場人物達に肩入れしてしまっているのに気がつく。
ヴァイオリ二ストの千住真理子が、慶応幼稚舎での楽しい体験を著書「聞いて、ヴァイオリンの詩」で語っているが、小学校時代の印象、というのはやはり強いのだろう。
名作。個人的には、トットちゃんがなぜトットちゃんなのかも頷けるところがあった。また、鉄条網の下に穴を掘ってかいくぐり、またおしりから戻り、少し横にずれてこの行動を繰り返す、という幼時の黒柳徹子のパワーに大笑いするし、その面白さも理解できる気がする。
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