今回のオリンピックは、多くの団体スポーツで、これまでの殻を破った印象がある。次の世代は確実に育っている、のだろうか。メダル数も史上最高タイだそうだ。
男女とも、サッカーはよくやったと思う。特に男子は、ここ最近を考えると素晴らしい躍進だ。ひとつ言うとすれば、あと一つのOA枠には、大きな大会を経験している攻撃的なフィールダーを配するべきだったろう。監督でさえ、オリンピックの上位なんて初めてなんだから。やはり上に行くと、ギリギリの勝負がさらに厳しくなるものだ。
一番燃えたのは、女子バレーの準々決勝。かつて高校生日本代表として騒がれた木村沙織がエースとなり、いまやさらに若い江畑が獅子奮迅、エース格の働きをしている。サッカーもバドミントンも、卓球も突き抜けたんだ、長い間低迷したバレーも突き抜けろ!という想いで観ていた。すべてのセットが接戦となった中国戦はフルセットで競り勝ち、ソウル以来24年振りのベスト4進出を見事勝ち取った。いやー燃えた〜。ちなみにオリンピックで中国に、セットを取ったのも、勝ったのも初めてだそうだ。
以前も書いたが、真鍋監督は選手の選出も上手いし、用兵も、戦術も巧みで、伝統ある日本バレーにおいては、まさに新時代の監督、という印象を受ける。
勝負のかかった場面での選手交代は、選手への信頼が感じられ、ジョーカー、という雰囲気を醸し出す。これでは選手もやる気が出るだろうし、策が当たるひとつの要因だろう。
さて、フィリップ・ル・ゲイ監督のフランス映画「屋根裏部屋のマリアたち」を観た。
1960年代のパリ。上流階級の多くの家庭では、当時フランコ独裁政権下のスペインから出稼ぎに来たメイドを雇っていた。彼女達は狭く環境の悪い住居に住み、朝から晩までの重労働に就いていた。証券会社を経営するジャン・ルイは新しく来たメイドのマリアを通じて、彼女達の世界を垣間見、興味を持つ、というお話。
ストーリーとしては単純な傾向があるし、映画的なカットやエピソードも通りいっぺんだし、なのだが、新鮮だった。
まずは、主な舞台となるアパルトマンでの撮影は、照明に工夫が成されていて、昔よく観たフランス映画を想起させ、はっとさせてくれる。カメラワークも、派手さはないがところどころスパイスが効いていた。
また、ヌーベルバーグの伝統を持つフランス映画界はやはり単純ではない。当時の社会情勢も折り込みながら、どこの家庭にも当たり前のように居たというスペイン人メイドにスポットを当てている。キャストの絶妙さと、彼女達の生き生きとした様を見せる、コミカルな演出は好感が持てる。
ラストはいささか単純だが、確かにこうした方が筋は通る、かも知れない。ただあっさり家庭を捨てるのはなんかあまりにもストレートなんじゃないの〜とも思える。マリアを認め信頼を寄せたり、夫が変わった原因に取り乱さず、理解を示したりする妻を描いているだけに、余計齟齬を感じたりするのだが、まあ後味は悪くなかった。
私が大学生の頃、世間で大流行した村上春樹「ノルウェイの森」を完読した。なかなか夢中になって読めたものだが、感想となると、うーん、である。
読書と音楽。かなり格好良く織り交ぜてある。これもスタイルだろう。ただ、中身は、ペラペラ喋る女と、やたらもてる主人公、女の喪失、自殺者ばかりの周囲、また登場人物はよく酒を飲む。と、けっこうワンパターンだなと思ったりした。
登場人物の妙もあるのだろうか。作者は、アメリカンハードボイルド風味だが、実はヌーベルバーグの影響を受けているのではないだろうか。
最近一気読みが多く、この後は誉田哲也「武士道シックスティーン」を、ほぼ一日で読み切った。いまは、桜庭一樹「私の男」をゆっくり読んでいる。
立秋を過ぎた。いつも行く、何ということも無い公園は、蝉が喧しい。脱け殻の周囲の土の部分には、夥しい数の小穴がある。木陰だし、好きでよくぼーっとしに行く。「立秋を過ぎたら『残暑見舞い申し上げます』なのよ」と、19歳のとき教えてくれた女の子は、風の噂にもう大きな子の母親と聞いた。なあんかちょっとだけハードボイルドな?締めでした。
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