◼️ Authur Conan Doyle
「The Adventure of the Bruce-Pardington Plans(ブルース・パーディントン設計書)」
ホームズ短編を原文で読もう14作め。これで56の短編のうち4分の1読破となりました。
最新鋭潜水艦の設計図が盗まれたー。死体で見つかった政府の職員カドガン・ウェストのポケットにはその一部が入っていた。彼が盗んだのか?なくなった設計図の行方は?
シャーロック・ホームズ・シリーズにはこういった事件がいくつか出てきます。英伊間の秘密条約文書が盗まれた「海軍条約文書」、外国君主の不穏な内容の文書に関する「第二の汚点」と、イギリスの国際関係がピンチに陥る文書盗難の捜査が展開される作品たち。
今回の事件の発端はマイクロフト・ホームズからもたらされます。
マイクロフト・ホームズって誰?シャーロックの7歳上のお兄さんなのです。
この作品からすれば15年前に発色された短編、「ギリシャ語通訳」で初登場し、以降「最後の事件」「空家の冒険」でチラチラっと出てきています。
「ギリシャ語通訳」では、シャーロックより推理力が高い、という事実にワトスンも舌を巻くほどでした。しかしでっぷり巨大な体型で弟と違い地道な捜査はニガテ、できないーという安楽椅子探偵型。極めて小さな行動範囲で毎日決まった生活パターンを繰り返し、行きつけの場所は人嫌いが集まり、会話が禁止されているヘンなクラブ、ディオゲネス・クラブ。この時は政府の会計検査院の役人と紹介されました。小役人ですね。
しかしながらホームズは「ギリシャ語通訳」事件の頃は君のことをまだよく知らなかったしね、と今回マイクロフトの仕事をこのように教えます。
remains the most indispensable man in the country
「この国でもっとも欠くことのできない男なのだ」
he could get his separate advices from various departments upon each, but only Mycroft can focus them all, and say offhand how each factor would affect the other.
「彼はさまざまな部署から助言を受けることができる。しかしマイクロフトだけがそれら全てに焦点を当てることができる。そしてすぐに、それぞれの要素がどのように影響し合うかを指摘できる」
Again and again his word has decided the national policy.
「何度も彼の言葉が国策を決定してきた」
偉大な頭脳を、弟は犯罪捜査に使い、兄マイクロフトは政府のチョー重要なポジションで国策を決定するために稼働させているのですね。
なるほど、納得がいくし、その方が物語としておもしろい。ドイルは初登場から15年ぶりにマイクロフトを主要キャストとして、役柄を作り替えて物語の舞台に立たせたわけです。
万能の地位なもので、パスティーシュやパロディにはその登場回数の多いこと。もはや常連さん。ちなみにディオゲネス・クラブもよく出て来ます。おっと、「ブルース・パーディントン」に戻りましょう。
Must see you over Cadogan West. Coming at once.
MYCROFT.
「カドガン・ウェストの件でお前に会わなければならない。すぐに行く。マイクロフト」
電報でマイクロフトが言って来ました。ホームズは驚きはしゃぎます。あの生活習慣を崩さない兄がわざわざベイカー街に来る!
A planet might as well leave its orbit.
「惑星が軌道を外れかねない」
出来事だって。おいおい笑。ともかく、さぞかし重大事件に違いない。たまさか事件がない時期でホームズは大いに退屈していました。
カドガン・ウェストの名前を思い出したワトスンは新聞に飛びつきます。
ウールウィッチ兵器工場の職員、27歳のカドガン・ウェストは月曜日の夜フィアンセと歩いていたところ突然霧の中に駆け出し、戻らなかった。翌日地下鉄の軌道内で彼の死体が見つかった。轢死ではなく、列車から落ちて死んだと思われる。頭部がひどく損傷しており、盗難の形跡はない。ポケットには婚約者と観に行く予定の劇場チケット、小切手帳、技術文書の束が入っていたー。ここでマイクロフトが登場します。
重量感があるやや運動不足気味の身体。しかし
so masterful in its brow, so alert in its steel-gray, deep-set eyes, so firm in its lips, and so subtle in its play of expression,
「見事な眉、鋼鉄色の、落ち窪んだ機敏な目、引き締まった口元、機敏な表情の動き」
その知性的な顔立ちに惹きつけられる人でした。
it is a real crisis.
マイクロフトは言います。
I have never seen the Prime Minister so upset. As to the Admiralty – it is buzzing like an overturned bee-hive.
「首相があそこまで動転したのを見たことがない。海軍本部はハチの巣をつついたような大騒ぎだ」
この事件が起きたのは1895年11月なので首相はソールズベリ、3回めの政権ということになります。
さて、この事件はだいぶ入り組んでいるので先を急ぎましょう。
マイクロフトいわくウェストのポケットに入っていたのはブルース・パーディンドン型潜水艦の設計図でした。最高機密として兵器工場に隣接する極秘事務所の特別製の金庫に保管されていたものです。設計図は10枚、ウェストのポケットに入っていたのは7枚、もっとも重要な3枚がなくなっていました。
設計図の公的管理者は有名な政府専門官のサー・ジェイムズ・ウォルター氏でした。金庫の鍵を持つ1人です。月曜日の彼の勤務時間には設計図は確認されていました。他に鍵を持つのは上級職員で製図士のシドニー・ジョンソンでどちらも犯行があったと目される月曜日の夜にアリバイはありました。最後に鍵をかけたのはジョンソンで、2人とも鍵は肌身離さず持ち歩いています。カドガン・ウェストはジョンソンの下にいて、仕事で毎日設計図に触れていた、他に設計図を扱う者はいないとのこと。明らかにウェストが持ち出したと思われました。
ウェストは外国のエージェントに売るために設計図を持ち出した。揉め事が起こり殺された。しかし分からないことは多く、なぜその日にフィアンセと芝居を観ることにしていて、突然いなくなったのか。設計図の残りはどこへ行ったのか。彼は地下鉄の切符を持ってなかったー。
このような疑問はシャーロックではなく、マイクロフトが並べたてます。シャーロックはむしろ一緒にきたレストレイドの側にいて、ウェストが設計図を盗み、裏切り者は死に、図面はもうヨーロッパに行っている。なにかできることはあるのか?と問いかけます。
All my instincts are against this explanation.
「私のあらゆる直感がその説明に反対している」
マイクロフトは力説します。さっさと事件現場に行け、と。はいはい、あんまり期待しないようにね、とシャーロックは現場に向かいます。
地下鉄がトンネルから出てくるところにいて、線路が入り組んだポイントを見つめるホームズ。乗客の1人が、月曜の深夜ドサッという音を聴いたという情報を駅員から得ます。
何かをつかんだホームズはマイクロフトへ国内にいる国際スパイの住所名前のリストが欲しいと電報を打ちます。
次は聞き込み。まずは責任者のサー・ジェイムズ・ウォルター。ところが・・
訪ねてみると、執事にその朝早く亡くなったと聞かされます。弟のバレンタイン・ウォルター大佐は、サー・ジェイムズはカドガン・ウェストが犯人だと確信していたとのこと。はっきりとは書いてませんが、自殺と見るのが妥当でしょう。
カドガン・ウェストの家では、婚約者のミス・ウェストベリーと話します。彼女は決して彼は犯人ではない、と主張します。結婚を控えていたが、高いサラリーを貰っていて、貯金もあったとのこと。
また最近、何か深刻に考えている様子だったと言い、彼女には秘密の重要性について話し、裏切り者にとって外国のスパイが大金を払うような設計図を入手することは簡単で、そういうことに我々は怠慢だ、と言ったと告げます。そして突然霧の中へ走り去る前に、驚いたような叫びを漏らしていました。
ますます状況はカドガン・ウェストにとって不利になっていきます。このへん、実はパッとは思い出せないつながりで、後で効いてくるのです。ミス・ウェストベリーに機密を話す一歩手前まで行っている、いえほとんど話してる笑こともあって、ホームズの心証は悪くなりますが、ワトスンが
character goes for something?
「性格は悪くないだろう?」
と絶妙のフォローを入れています。さすがはワトスン。
さて次は設計図があった事務所です。憔悴した製図士から話を聞きました。所長と部下のウェストが死に、設計図が盗まれたのだから無理もありません。夕方5時に鍵を閉めた。設計図は自分が金庫に入れた。自分は金庫の鍵だけで、事務所と外の扉の鍵はサー・ウォルターだけが持っている。彼はいつも1つのリングに3本の鍵を通していた。警備員は1人いるが、この部署だけでなく他の部署も受け持っている。霧の深かったその晩は何も見なかったと言っている。
そして話を聞くうちに、専門的知識を持つ職員なら設計図を持ち出さず書き写せるのになぜウェストはそうしなかったのかという新たな疑問に突き当たり、また戻ってきた7枚のうち1枚にも重要な情報があったことを知ります。外の捜査の結果、窓の外の茂みに人が踏んだ跡があったこと、鎧戸に隙間があって中を覗けるようになっていたことを発見します。
帰り道の駅には、月曜の夜ロンドン行きの列車にカドガン・ウェストが切符を買って乗ったことを覚えている駅員がいましたー。
さあ、だいぶ入り組んできました。ホームズの短編の中でもこんなに要素が多い話は珍しいのではないでしょうか。
ホームズは再構成します。例えば外国のエージェントがウェストに悪い誘いをかけた。月曜日の夜、そのエージェントが事務所に向かうのを見かけ、婚約者を置いて駆け出した。そして鎧戸の隙間から設計図が盗まれたのを見て追いかけた。しかしなぜ大声を上げなかったのか、見失ったのか、ウールウィッチからロンドンに向かったのは確かだが、そこから死体で見つかるまでに何があったのかー。
ベイカー街に戻ると、マイクロフトからスパイのリストが届いていました。内閣がホームズの最終報告を切望していること、そして最後に最高責任者のお達しとしてこうありまして。
The whole force of the State is at your back if you should need it.
「必要なら国の全軍がお前の後ろに控えている」
切迫した中、こんなマンガチックな一言を書くドイルっておちゃめ。マイクロフトのまじめさとユーモアが同居するキャラをも引き立ててますね。当時の読者も、この一文を見て苦笑したのでしょうかね。弟シャーロックは女王陛下の軍隊はこの事件には役に立たないな、と一笑に付します
地図を見ていたホームズは満足げな叫びを上げると、過剰なくらいの上機嫌でほくほくと出かけて行きました。
待つワトスンにホームズから手紙が届きます。レストランで食事しよう、ダークランタンとかなてこ、ノミ、それに拳銃を持って来てくれ、と。
可哀想なワトスンは重くてかなり怪しい道具を人に見られないようにコートの下に隠してガチャガチャと店に向かいました。ここでホームズは自分の推理を述べるのですが、内容は後で分かるので割愛します。ただひとつ、ホームズの名言中の名言が出てきます。
when all other contingencies fail, whatever remains, however improbable, must be the truth.
「ほかの全ての可能性がなくなれば、何が残ろうとも、いかに起きそうになくとも、それが真実に違いない」
リストのうちオーバーシュタインというスパイの住所は、地下鉄に面して並んだ家でした。で、その家に押し込みをするのが今夜の目的でした。霧の深い中、警官が通り過ぎるのをやり過ごして、半地下の扉をこじ開けて2人はオーバーシュタインのアジトの家に入ります。この国際スパイは月曜まではロンドンにいて、今はいない、と。
窓枠に血痕がありました。そしてほどなく、トンネルから地上に出てきた地下鉄の列車が、窓の下ほんの4フィートもないところで停車したのです。ホームズはカドガン・ウェストの死体は列車の屋根に置かれたのではないかと予想し、オーバーシュタインの家の前で列車が一時停車することを突き止めていて、いま証明されたのです。
他に決定的な手がかりはないか、ホームズは探して、デイリーテレグラフのagony column(身の上相談欄)の切り抜きを見つけます。4つあり、日付順に最後のものはこうなっていました。
Monday night after nine. Two taps. Only ourselves. Do not be so suspicious. Payment in hard cash when goods delivered.
"PIERROT.
「月曜日の夜9時。ノックは2回。オレたちだけだ。そう警戒するな。品物が配達されれば現金で払う。ピエロ」
設計図を持ち出した者へのエージェントのメッセージと思われました。様々な手がかりと結論を手にした夜は終わりました。
翌朝早々にマイクロフトとレストレイドはベイカー街でホームズの報告を聞きます。レストレイドは正直な不法侵入の申告に説教します。
you'll go too far
「あなたはちょっとやりすぎです」
一方マイクロフトは手放しで褒めます。
Excellent, Sherlock! Admirable!
「素晴らしいぞ、シャーロック。あっぱれだ!」
そこへデイリーテレグラフの身の上相談欄を見せるホームズ。
To-night. Same hour. Same place. Two taps. Most vitally important. Your own safety at stake.
"PIERROT.
「今夜、同じ時間、同じ場所。ノックは2回。非常に決定的に重要。お前の安全が脅かされている」
By George!なんと!レストレイドは感嘆の声を漏らします。
If he answers that we've got him!
「もし彼がこれに応えたら彼を捕まえられる!」
そして4人は網を張った例の部屋で待ち伏せました。やがて男が現れ、ホームズたちは取り押さえます。
その男とは、バレンタイン・ウォルター大佐。設計図の管理責任者、サー・ジェイムズ・ウォルター氏の弟でした。
ホームズたちは、オーバーシュタインが現れると思っていて、いささか宛てが外れたようでした。しかし、大佐こそが設計図を盗んだ実行犯だったのです。
以下は大佐の自白と、ホームズの謎解きを混ぜた真相です。
株取引で借金を負い、どうしようもなく金が必要だった大佐は5000ポンド出すと言ってきたオーバーシュタインの誘いに乗りました。同居している兄が持っている3つの鍵の型を取り、月曜の夜ウールウィッチの事務所へ行き犯行に及びました。しかしそれをカドガン・ウェスト青年に目撃された。
理由は書いてないですが、ウェストは以前から大佐に疑念を抱いていたようです。大声で引き留めなかったのは、お兄さんの命で設計図を取ってくるよう言われたのかもと思ったからとホームズは推測しています。
ロンドンまで後をつけ、オーバーシュタインとウォルター大佐が地下鉄近くの家に入った時に駆け寄って問い詰めます。
The young man rushed up and demanded to know what we were about to do with the papers.
「あの若者は駆け上がって来て、私たちにその設計図をどうするつもりか教えろと言いました」
非情のスパイ、オーバーシュタインはウェストを家の中に連れ込むと、持っていた警棒で瞬時にウェストを撲殺します。そして、盗難をウェストの仕業に見せかけようと7枚の図面をポケットに詰め込み、大佐と2人で窓から、停車している地下鉄の車両の屋根に乗せたのでした。重要な3枚はオーバーシュタインが持ち去りました。
バレンタイン・ウォルター大佐は打ちひしがれていました。兄のジェイムズは、バレンタインがくだんの鍵を手にしているのを一度目にしたらしく、弟の行動が怪しいと思っていた。事件が発覚したとき、ウェストではなく身内の犯行だと見抜き、責任と名誉を守るために黙って自ら命を絶ったと思われました。
なんでも協力すると言う大佐。ホームズはオーバーシュタインへの手紙を書かせます。通信用として大佐が教えられていたパリのホテル・ド・ルーブル宛てでした。
With regard to our transaction, you will no doubt have observed by now that one essential detail is missing. I have a tracing which will make it complete.
「我々の取引に関して、もちろんお気づきかとは思いますが、1つ重要な詳細部分が欠落しています。私は設計図を完成させる複写図を入手しました」
これは、事務所の製図士が語った「戻ってきた7枚のうち1枚にも重要な情報があった」というのに符合します。
ついては追加で金が欲しい、自分がいまフランスに行くと捜査陣の注目を引く。チャリングクロスホテルの喫煙室で会おう、と。
かくして、罠にハマったオーバーシュタインは逮捕・投獄されました。幸いなことに、まだオーバーシュタインは設計図を各国に対してオークションのような形で情報を出し、どこにも渡していませんでした。ウォルター大佐も収監されました。
エピローグとしてこのような文章があります。
Some weeks afterwards I learned incidentally that my friend spent a day at Windsor, whence he returned with a remarkably fine emerald tie-pin. When I asked him if he had bought it, he answered that it was a present from a certain gracious lady in whose interests he had once been fortunate enough to carry out a small commission.
「数週間後、私はホームズがウィンザーで1日過ごしたことを知った。そこから彼は見事なエメラルドのタイピンをつけて帰ってきた。それを買ったのかと訊ねたとき、ホームズは、ある高貴な女性からのプレゼントで、その人のために幸運にも小さな使命を果たすことができたんだ、と答えた」
ある女性とは言うまでもなくヴィクトリア女王ですね。大英帝国の繁栄が最高潮にある時代の象徴的存在です。御年76歳の時になります。日本では日清戦争の頃ですね。
さて、この短編は"His Last Bow"「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」という第4短編集に収録されている後期の作品です。
霧の夜の犯行、死体搬送のトリック、いかにも犯人に見える者は死んでいる、国際スパイの存在、超法規的な押し入り、状況の打開、意外な犯人。さらにネタがソールズベリ内閣が慌てるほどの国際関係、軍事情報に及び、マイクロフト様が全能となって再登場し、ヴィクトリア女王からほうびをもらう、と、舞台立ては派手だと言えますし、女王からネクタイピンをもらったのはホームズ譚の1つのハイライトです。
しかしながら人気があるとは聞きません。ホームズ作品ランキングの上位にはなかなか入らないみたいですね。
やはり入り組んでいること、いつもの物語風の彩りがないこと、ワクワク感のある設定ではないこと、などですかねー。
私的にもいろいろ気になったことはあります。そんな大事な文書がある事務所の警備員がなんでそんなに手薄なのか、とか、カドガン・ウェストが婚約者のミス・ウェストベリーに熱く語った機密の重要性が回収できていなかったり、スカンと抜けて、そうか!と思わせる場面がなかったり、ですね。ちょっとトリックも突飛で、都合がいい割に効果が薄いかなと。
犯人バレンタインの兄ジェイムズの行動のわけだとか、戻ってきた設計図にまだ重要情報があったとか、符合はものすごく考えてあるのは分かるんですけどね。
まあ英文で読んでいくと、日本語では読み飛ばしてしまうような部分も見えるので、今回も解読、よみほどく感じでおもしろくは読めました。