2021年3月7日日曜日

2月書評の5

2月は10作品9冊。やっぱクララとブラームスの手紙が上下段で時間がかかった。

でも月10作品で十分だよね。世界の名作系、文豪系、最近読んでない。少し気合いを入れよう。


◼️ ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
 「吾家の設備」

明治から昭和にかけて多くの建築遺産を手がけたヴォーリズの著書はちょっと関西弁。

御茶ノ水の山の上ホテル、関西学院大学、九州では西南学院大学や九州学院の講堂などを手がけ、多くの建築遺産が日本に点在する建築家ヴォーリズ。

この本は、1924年に刊行されたヴォーリズの自著で、前年の「吾家の設計」とセットの作品。近江にベースを置いていたヴォーリズは

「家がなんぼよくできても」
「違うて(ちごうて)」
「ごつい」

など方言まじりの日本語で考えを綴っていて、微笑ましく親近感が増す文章になっている。


ヴォーリズの有名作品は大型の建築物が多く、スパニッシュ・ミッション・スタイル、ようはカトリックの修道院、を模した形式も目立つ。


しかし「吾家の設計」「吾家の設備」はタイトル通り、個人の住宅に焦点を当てた論。webを探すと東京基督教大学の素朴な男女寮の写真があって、あまりゴテッと西洋建築ではない雰囲気。こんな感じかな、と想像が緒に就いた。

この人はまた東京・本郷に日本初のアパートメントハウスを造り、これが我が国の集合住宅の走りとなったとか。

内容は総論に始まり、室内装飾概論、西洋式家具と和風家具について、壁塗り、食堂・台所・食器類、寝室、居室の設備、お風呂ほか水回り、暖房、こども室、応接間、玄関・廊下、客室に書斎、図書室のほか、女中部屋・雇用人の部屋までその論は及んでいる。

運用を重視すること、装飾は業者に任せず自分で研究すること、ペンキの効用と種類、色の使い方、食堂と台所と配膳室の考え方等々。要不要と経済性などを考えているほか、やはり舶来と和製のものの考え方、当時の最新の技術を取り込んでいて興味深い。

外国人がふとんに寝るのは大変な違和感がある、とは昔からよく聞く話ではあるが、ヴォーリズもまた床、畳に直に敷く布団ではなく、主に衛生的な理由で、ベッドを強く勧めている。

また日本人はせっかく西洋館を建てながらこども部屋は畳にすることが多い、とも。

おそらく親としては転んでもけがをしにくい畳のほうがとか、ベッドを置くよりもスペースを広く取った方が、という考えがあるのかもしれない。

ただ少し強い意見に見えるのは時代が関係しているように感じる。解説によれば、一般住宅では、一部西洋風をくっつけたりしていたものの、なかなか本格的な西洋建築は普及しなかったとか。文明開花、おそらくは凄まじい勢いで洋風建築が増えていく中、ヴォーリズが少々の苛立ちを抱えても不思議ではないかもしれない。

衛生的な意見には、土足文化による忌避もありそうな、などと想像してしまう。

文化のぶつかり合いは、どちらかというと面白く感じてしまう。もちろん日本でも、その後住居学が整備され、暖房や冷蔵庫など利便性の高い新方式は取り入れられ、家族のあり方も変わっていった。


「テーブルの上に花の切れるようの時のないようにしたい」(原文ママ)
「家庭的な温かみある空気で満たし得るように」
「居室に入ると直ちに、ホームという感じを強く印象し得るように」


時代の変遷の中で、ヴォーリズは根本のイメージををたどたどしい日本語で表現している。現代に読んでいても、およそ100年前の言葉は響いてくる。


ヴォーリズは母国アメリカで建築家を志したが果たせず、1905年、明治38年に25歳で滋賀県立商業学校へ英語教師として来日した。3年後に建築監督設計事務所を構え、建築の仕事をしながら、やがて商社のような仕事もするようになり、後にメンタームで有名な近江兄弟社となる会社を設立する。

求めに応じ、外国人の多い東京、軽井沢ほかにも行っていたがベースは関西。この本は最初に、


"I have used my broken Japanese direct,rather than trusting to translation from English."

「英語の翻訳よりも私のブロークンな日本語のほうがいいと思いそのまま書いた」という感じだろうか。上手ではない日本語の傍に、オシャレさもうかがえたりして。

ヴォーリズには興味があったので、地元図書館の建築フェアで借りてきた。本当は「設計」から読みたかったが、貸出中なので先にこちらを読んだ。

前に、フランク・ロイド・ライトの本を読んだ。快適な住宅、取り入れられようとしている西洋の様式、次々と生まれる新技術、そして常に動いている新しい建築様式。両者に共通するのは、人が住む家に対する熱さで、喋ること、書くこといっぱいあるよね、とクスッとくる。

ヴォーリズもまた、走り抜けたんだなあと。いや、この熱さ、見習いたいし、形に残るのは、うらやましい。


◼️長野まゆみ「改造版 少年アリス」

デビューから20年を経て改造された、クリティカルヒットの名作。


本読みの先輩が、宮沢賢治が好きだから長野まゆみを読む、と話していた。賢治をおおいに意識し長野の色をミックスした、独自の作風。

1988年に書かれたちまち固定ファンを獲得したという「少年アリス」。児童小説という分類もできるかも知れない。今回は20年を経ての改作である。原作を読んだのは何年も前だし、どこが違うか正直あまり分からなかった笑。

ただ、やっぱり名作だな、と思った。

夏の終わり頃の夜、アリスは兄に借りた鳥の本を学校に取りに行くという友人の蜜蜂に誘われ、彼の愛犬耳丸とともに夜の学校へ向かった。

夜の学校の理科室には明かりが灯り、おおぜいの子どもと、教師らしき男がいて、授業らしきものが行われていた。覗いているのを見つかった蜜蜂は耳丸を連れて逃げ、アリスは捕まってしまう。しかし、石膏で作った卵を持っていたアリスは、なぜか授業に入るのを許される。

授業は、月と星を作り、夜空の星を補修する作業だった。他の生徒たちが夜空へ飛び立つ中、尻込みしていたアリスもまた月夜にまいあがったー。


この後アリスはまたピンチに陥り、蜜蜂が救いに向かう。そして、この夜を経て、蜜蜂は少し成長する。


ストーリーはほぼ全てが夜の学校という、誰もがワクワクする舞台で展開され、光や植物や水、虫、鳥を美しく神秘的に描写しストーリーを魅力的に装飾している。

昔風の制服を着た生徒たち、風が吹く校庭での野外映画会、緑青の、得意のソーダ水。名前もまた、ちょっとおかしくて童話的。

全体の世界観もさることながら、その要素のひとつひとつにも、響くものがある。


「蜜蜂は、水の中に目をこらした。底のほうで、ひとつぶの銀の実かたゆたっている。そっと手をすべりこませた。思ったより深く、腕まで水のなかにつかった。その腕が、水面で屈折する。水のなかにある手は自分のものでないように思え、蜜蜂は小さく身震いした。」

少々長かったが、蜜蜂のような感じ方をかつてした人は多いだろう。私はハッとさせられた。長野まゆみはこういった懐古的な、なにげない体験を映像的に描くことがよくあって、行き当たるたびに少年の日々の滲んだ夏の色の空気が蘇る。それがまた心地いい。

長野まゆみには作風が様々あって、文調は同じだが、少女漫画的美少年もの、さらにボーイズラブもの、また最近は思い切った転換をして泉鏡花賞等を取ったりしている。流麗な文章と耽美的な創作の手管が冴えているものが多い。


原点とも言える「少年アリス」。私はやはりこういった、児童小説風の少年もの作品が好ましいと感じる。安心して浸ることができる。読んで良かったな、とほうっとした。

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