2021年3月7日日曜日

2月書評の4

バレンタインは自家製ケーキ。

◼️村上春樹「一人称単数」
想ひ出がぽろぽろ。自分の過去はすぐ近くにあるようで、遠い。

ここ数年の傾向として、ハルキの新刊は、本友がほぼ必ず貸してくれる。今回もありがたや。

さて、本当かどうか分からない形で、過去触れ合った女性のことが多い。また大のヤクルトスワローズファンの著者は神宮球場の想い出も振り返っている。

やはり中心は「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」だろうと思う。阪神間にいた高校生の時付き合っていた彼女を休日図書館へ向かう前、神戸の海沿いの彼女の家に迎えに行く話。家に独り居た彼女のお兄さんに彼の病気の話を聞かされる。不思議な時間を過ごして、2人は十数年後にたまたま再会したー。

当時人気絶頂だったビートルズのアルバム名がタイトル。彼女とは別に、ある少女と校内ですれ違った記憶が語られる。ビートルズの4人のモノクロ写真がハーフシャドウであしらわれたジャケットのLPを胸にしっかりと抱えた美少女。その後2度とは会えなかった、という印象的な挿話が、誰にでもあるような高校生活の1シーンを思い起こさせる。


ほか「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」で、夢に出て来た"バード"チャーリー・パーカーが僕に告げる。自分が死んだとき、ベートーヴェンのピアノ協奏曲一番の第三楽章、ピアノソロパートのメロディが頭にあったと。

私も大好きなベートーヴェンの一番。第三楽章3回聴いて、いったいどこだろうか、と想像した。ちなみにピアノはアルフレート・ブレンデル、サイモン・ラトル指揮のウィーンフィル。最高のメンバーが上品なメロディを奏でたもの。


「謝肉祭 (Carnaval)」の文章、

「記憶はあるとき、おそらくは遠く長い通路を抜けて、僕のもとを訪れる。そして僕の心を不思議なほどの強さで揺さぶることになる」というのに揺さぶられた。まったくそうだと思う。


あとラストの「一人称単数」で違和感を覚える、そういう日もある、という例えとして

「ジャンゴ・ラインハルトが正しいコードを押さえ損ねる夜だってあるし、ニキ・ラウダがギアを入れ損なう午後だってある。」

ジャンゴは分かるが、かつてのF1名ドライバー、ニキ・ラウダは古いな、アニメ「グランプリの鷹」とかスーパーカー消しゴムが流行った時代やんか、と笑ったりした。

貸してくれた友人が、村上春樹はいくつになっても若い、と言っていた。たしかに独特のみずみずしさときまじめさは健在だが、今回はことさら昭和色が強かったかな。

概ね波のない短編集。でもこういうの嫌いではない。


◼️八木壮司「古代天皇はなぜ殺されたのか」

古代天皇の実在を否定する学会に反論した

過激なタイトル。退位前の古代の天皇が誅殺されたのは二件だけ、と最初に断ってある。見出しの通り、第10代の崇神天皇は実在が認められているのに、初代とされる神武天皇と続く「欠史八代」、第2代から9代までは否定されているのかに切り込み、果ては戦後の記紀否定の姿勢を問う内容。


日本書紀を中心に再分析し、また主に大陸の「三国志(魏志倭人伝を含む)」「後漢書」、朝鮮の歴史書「三国史記」また稲荷山古墳から出土した古代の鉄剣に刻まれた銘文、さらに高句麗の若き王の事績を顕彰する「好太王碑」の碑文等を検討して推論を導き出していく。


古代関連の研究本はすべてが推測というのもあって、あの説は違う、あの論はけしからん、という論調が多いと感じていた。反論の対象が整然と、また公平には示されていないケースが多いため、少し引いたスタンスを取らざるを得ない。さらに言えば、大胆すぎる結論も苦手だ。


本作もその向きは強かった。しかし、これまで私が深く触れてない時代の紹介だったので、なかなか引き込まれた。


まずは日向の地を捨て大和の地までいわるゆ「東征」を行った神武天皇が即位した年を推定する。これが西暦100年代末、そして、邪馬台国と大和の関係を解いていく。卑弥呼が魏の都、洛陽に使者を赴かせたのが239年、卑弥呼の後を継いだ壱与が晋へ使節を送ったのが266年。邪馬台国はどこなのか、大和政権との関係性はどうだったのか。なかなかストンと落ちる説ではあった。

そして第10代の御間城入彦、崇神天皇の実像を追究する章では著者が打ち出した「八木倍年説」が展開される。古事記に神武天皇が137歳、さらに崇神天皇に至っては168歳、その次の垂仁天皇は153歳などと信じられない年齢が出て来るのは二倍年を使っていたからだ、というもの。学会でどれくらい注目されているかは分からないが、それなりに説得力があって面白い。

さらに12代景行天皇から成務天皇、仲哀天皇、神功皇后、加えて景行天皇の息子で古代史悲哀の英雄、ヤマトタケルといった架空とされている人物の実在性にも踏み込む。

日本の西暦300年代は外国の資料に出て来ず「空白の四世紀」と言われているらしい。たしかにあまり聞かない。著者は景行天皇親征、さらにヤマトタケルの遠征に沿う抵抗勢力の平定、国家の統一がなされていた時期として捉えている。


ここまででも面白いが、ハイライトは好太王碑文を基にした高句麗、百済、新羅、任那への大規模軍団による侵攻の研究だ。


私はこの時代が好きなわりに断片的にしか知識がないのだが、これまでは白村江の戦いだけが、突然発生したように浮いて見えていた。


しかし新羅を叩き、5万の高句麗軍と半島で何度も会戦したという状況ならつながる。この時代、300年代末から400年代初め、大軍を送り込んだ権力の主体は誰だったのか。


なかなかワクワクさせられた。八木氏はこの時代の著作も多いようだし、小説もあるようだし、スタンスを保ったまま、もう少し読んでみようかな。

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