2021年3月7日日曜日

3月書評の1

晴れて最高気温は15度とかまで上がるけど、北風が冷たい週末。半袖Tに薄ーいユニクロパーカー、その上にユニクロライトダウンを来てちょうどいい感じ。出る時はネックウォーマーに手袋必須。

Bリーグは今節終われば天皇杯ブレイクを挟んで残り10節。西地区4位エヴェッサ大阪は3位名古屋に連勝、3位となりプレーオフ圏内に浮上した。東地区4位で応援している富山は2位千葉に1勝1敗。東地区は下位まで差が少ないのでこれからがまさに落とせない勝負。

ショパンコンクールの本を読んで、たくさんショパンを聴いている。「子猫のワルツ」やコンチェルト。2015優勝、端正なチョ・ソンジンと3位のロマンティック派、ケイト・リウを聴き比べると面白い。ケイトのコンチェルトには泣いてしまった。一方で、ファイナリストに人気のグリゴリー・ソコロフのショパンを聴くと、若手の演奏は軽く思える。

でも張り詰めた緊張感の中、おそらくコンステタントたちが研いで削ってしてきたショパンを聴くのはコンクールならでは。充実してるな〜。


◼️ 葉室麟「墨龍賦」

迫力ある龍の水墨画で有名な絵師・海北友松(かいほうゆうしょう)その生涯。

実を言うと4年前に京都国立博物館(京博)で海北友松展があり、そこで初めてこの絵師を知った。なんといっても龍の絵。もう迫力あるなんてものじゃない。鬼気迫る感じ。


昨秋は四条河原町や祇園にほど近い建仁寺に行ってきた。雲龍図の管理は京博に寄託していて、建仁寺にあるのは精巧なレプリカ。しかし、何かの魂がこもったような絵から発散される直接的な力と、妖力ともいうべき内的な強い、黒いものは伝わってくる。もはや瘴気すら想像させる。

晩年に豊臣秀吉や春日局に認められたのは間違いないが、実は海北友松の生涯は謎に包まれているそうな。今回は史実をもとに創造したエンタテインメントと言えるだろう。

戦国時代末期、浅井家の家臣の家に生まれた三男の海北友松は、十代に東福寺に僧として入れられることになった。やがて画才が認められ、狩野永徳に弟子入りする。逞しい偉丈夫に成長した友松は武家の誇りを胸に還俗しようかとも思うが、絵師のまま、明智光秀やその部下の斉藤利三、毛利氏の代理人・安国寺恵瓊とも付き合いを深め、戦国の動乱に否応なく巻き込まれていくー。

老成の絵師ということをうまく利用する形で、戦国末期の有名人と友松とをうまく絡ませたエンタテインメント色の強い物語である。正直で愚直、やや頑固な主人公像は芯が通っているようで魅力がある。土佐の長宗我部元親や「我に七難八苦を与えたまえ」と天に祈ったという英傑、山中鹿之助との邂逅もなかなか面白い。

不思議なくらい危地がなく、日本史の最も人気のある部分を俯瞰して見ることが出来ている、のにはやはり違和感があるかな。

なぜ龍なのか、どうして気魄と妖しさが塊となっているような絵なのか、も分かるようになっている。ただまあやっぱ軽さは否めないか。エンタメだし。

狩野派は上品できっちりした、豪奢な作品が特徴。弟子だった友松にも同様の作品はあるが、好対照な荒ぶる水墨画に、やはり惹かれてしまう。狩野派はまた長谷川等伯とか若冲とか有名絵師とやたら絡みが多いこと。

海北友松展の年に上梓された作品で着眼点とタイミングはとても嬉しありがたかった。もう少し有名になってもいい絵師のような気がする。



◼️青柳いづみこ「ショパン・コンクール」

読んで動画を観て。本当に面白かった。ピアノコンクールものは永遠の定番かも。

図書館でふっと手にした本。前回2015年ショパン国際コンクールを取り上げているらしい。5年に1度だから、去年、さすがになかっただろうから、今年。そうか!と。

2010年の優勝者ユリアンナ・アヴデーエワはNHK交響楽団とのコンチェルトをテレビで観た。でも2015年の情報は知らず、最新の情報を得たくなり、借りてきた。動画もたくさん観て、没入しましたね〜。

序盤の方に衝撃的な事実が。2010年のコンクール、アヴデーエワは事前のDVD審査で落ちていて審査員の1人が異議を申し立てて復活した、と。結果的にアヴデーエワだけではなく同ランクの55人もと通過者が再召集されたのだが、大変な混乱ぶりだと、素人にも伝わってくる。

ピアノの音が精緻な部分まで問われる審査に、画質・音質に技術力、環境が左右されるDVDは難しそうだ。

ちなみにこの年は、せっかくDVD審査に通っても、予備予選の時期にアイスランドの火山が大爆発してしまって飛行機が飛ばず、コンテスタントたちは移動に大変な苦労を強いられたとか。


ともかく、事務局の不手際と参加者の立場の弱さに疑問を持ったピアニスト&ピアノ教師の著者はプレスパスを取り、2015年のコンクールを予備予選から現地取材することにしたとのこと。


ピアノコンクールのみならず、ショパン・コンクールだけでも漫画「ピアノの森」他で題材として多く取り上げられている。しかしやはり、多くの実力と個性あるコンテスタントたちが世界で一番といってもいい華やかな舞台で、自分の音楽性を披露し、少しずつ絞られ、最終的にグランドファイナルで優勝が決まる、という流れは読み手が否応なく惹きつけられるコンクールものの最大の魅力。


青柳いづみこさんはドビュッシーの研究で博士号を取得、著書も多く、楽譜にも精通している。さらには表現の幅とジャーナリスティックな目線も併せ持つ。そんな彼女が現地で多くの演奏を生で聴き、ピアニストとしての専門的な感想を綴り、歴史的な系譜も踏まえて疑問点を分析的に展開する本書はゾクゾクするような感覚を喚起してくる。


実際にコンテスタントや審査員にも積極的に取材を敢行していて、臨場感がいや増している。


そもそもショパン・コンクールは、「ショパン」と「コンクール」どちらに力点が置かれるかというと、圧倒的に前者のイメージだ。上手いけれど、ショパン的、ショパニスティックでない、というセリフが語られているようなイメージが先行する。実際2010年大会の審査委員長は、

「これはショパンの音楽を専門とするコンクールですから、各参加者のショパン作品の演奏能力に基づいて審査しなければなりません」

とスピーチしたらしい。

青柳さんは、「楽譜に忠実派」か「ロマンティック派」か?という点を、1810年生まれのショパン本人が遺したものとその後の流れをも材料に、本当のショパニズムとは、まで考察しつつ探究している。


アヴデーエワのコンチェルト1番をテレビで聴いた感想は、音の粒立ちは素晴らしく、美しい。しかしロマンティックさ、楽しさ、がない、というものだった。クラシック友は、作曲家の解釈について、コンクールではコンテスタントの自由を認めない傾向にあるのでは、と話していた。この本を読むと、私の感想はあながち外れでもないような受け止め方をされていたように思える。


しかし、青柳さんの分析によれば、2015年はロマンティック派が主流を占めつつある部分もあったらしく、なかなか興味深い。


グランドファイナルのコンチェルトはもちろん、コンテスタントに人気だったという「子猫のワルツ」(子犬のワルツは知っていたが子猫もあるとは初めて聞いた)などを優勝者の演奏動画などで改めて聴き、青柳さんの感想と比べるのはとても楽しい。


日本人で唯一のファイナリスト、小林愛美は「強靭なバネを武器に、モノに憑かれたように弾くと、理屈ではない音楽がほとばしり出る」とか。本戦では少し大人の弾き方になっていたらしいが、ぜひ聴いてみたい。プロの録音と比べても、出場者たちには独特の、張りつめた若さ、素の響きを感じる。


ファイナリストたちが挙げる好きなピアニスト、ほとんどにグリゴリー・ソコロフという人が入っているのはへえ、だった。聴いたことない。これもゼヒモノ。アルゲリッチを挙げた小林愛美が審査員のアルゲリッチに、私もアイミはとても好きよ、とエールを送られていたエピソードにはたまらなく微笑ましい気分にさせられた。


今回日本人コンテスタントの上位進出が少なかったのはコンクールが重なり、北村朋幹、反田恭平ら海外の出場者と争える実力者が出なかったから、という観測もある。反田恭平はいま一番ホットな若手ピアニストだし、北村くんはなんと先日ラフマニノフの2番の演奏をホールで聴いた。本読んで、うわーともきくん、今年の大会出ないかなあーなんてすっかり勝手にお友だち^_^


次の大会、本戦は10月。web配信されているようなので、聴きたいな。すでにアプリをインストールした舞い上がりやすい私には大満足な読書だったのでした。

2月書評の5

2月は10作品9冊。やっぱクララとブラームスの手紙が上下段で時間がかかった。

でも月10作品で十分だよね。世界の名作系、文豪系、最近読んでない。少し気合いを入れよう。


◼️ ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
 「吾家の設備」

明治から昭和にかけて多くの建築遺産を手がけたヴォーリズの著書はちょっと関西弁。

御茶ノ水の山の上ホテル、関西学院大学、九州では西南学院大学や九州学院の講堂などを手がけ、多くの建築遺産が日本に点在する建築家ヴォーリズ。

この本は、1924年に刊行されたヴォーリズの自著で、前年の「吾家の設計」とセットの作品。近江にベースを置いていたヴォーリズは

「家がなんぼよくできても」
「違うて(ちごうて)」
「ごつい」

など方言まじりの日本語で考えを綴っていて、微笑ましく親近感が増す文章になっている。


ヴォーリズの有名作品は大型の建築物が多く、スパニッシュ・ミッション・スタイル、ようはカトリックの修道院、を模した形式も目立つ。


しかし「吾家の設計」「吾家の設備」はタイトル通り、個人の住宅に焦点を当てた論。webを探すと東京基督教大学の素朴な男女寮の写真があって、あまりゴテッと西洋建築ではない雰囲気。こんな感じかな、と想像が緒に就いた。

この人はまた東京・本郷に日本初のアパートメントハウスを造り、これが我が国の集合住宅の走りとなったとか。

内容は総論に始まり、室内装飾概論、西洋式家具と和風家具について、壁塗り、食堂・台所・食器類、寝室、居室の設備、お風呂ほか水回り、暖房、こども室、応接間、玄関・廊下、客室に書斎、図書室のほか、女中部屋・雇用人の部屋までその論は及んでいる。

運用を重視すること、装飾は業者に任せず自分で研究すること、ペンキの効用と種類、色の使い方、食堂と台所と配膳室の考え方等々。要不要と経済性などを考えているほか、やはり舶来と和製のものの考え方、当時の最新の技術を取り込んでいて興味深い。

外国人がふとんに寝るのは大変な違和感がある、とは昔からよく聞く話ではあるが、ヴォーリズもまた床、畳に直に敷く布団ではなく、主に衛生的な理由で、ベッドを強く勧めている。

また日本人はせっかく西洋館を建てながらこども部屋は畳にすることが多い、とも。

おそらく親としては転んでもけがをしにくい畳のほうがとか、ベッドを置くよりもスペースを広く取った方が、という考えがあるのかもしれない。

ただ少し強い意見に見えるのは時代が関係しているように感じる。解説によれば、一般住宅では、一部西洋風をくっつけたりしていたものの、なかなか本格的な西洋建築は普及しなかったとか。文明開花、おそらくは凄まじい勢いで洋風建築が増えていく中、ヴォーリズが少々の苛立ちを抱えても不思議ではないかもしれない。

衛生的な意見には、土足文化による忌避もありそうな、などと想像してしまう。

文化のぶつかり合いは、どちらかというと面白く感じてしまう。もちろん日本でも、その後住居学が整備され、暖房や冷蔵庫など利便性の高い新方式は取り入れられ、家族のあり方も変わっていった。


「テーブルの上に花の切れるようの時のないようにしたい」(原文ママ)
「家庭的な温かみある空気で満たし得るように」
「居室に入ると直ちに、ホームという感じを強く印象し得るように」


時代の変遷の中で、ヴォーリズは根本のイメージををたどたどしい日本語で表現している。現代に読んでいても、およそ100年前の言葉は響いてくる。


ヴォーリズは母国アメリカで建築家を志したが果たせず、1905年、明治38年に25歳で滋賀県立商業学校へ英語教師として来日した。3年後に建築監督設計事務所を構え、建築の仕事をしながら、やがて商社のような仕事もするようになり、後にメンタームで有名な近江兄弟社となる会社を設立する。

求めに応じ、外国人の多い東京、軽井沢ほかにも行っていたがベースは関西。この本は最初に、


"I have used my broken Japanese direct,rather than trusting to translation from English."

「英語の翻訳よりも私のブロークンな日本語のほうがいいと思いそのまま書いた」という感じだろうか。上手ではない日本語の傍に、オシャレさもうかがえたりして。

ヴォーリズには興味があったので、地元図書館の建築フェアで借りてきた。本当は「設計」から読みたかったが、貸出中なので先にこちらを読んだ。

前に、フランク・ロイド・ライトの本を読んだ。快適な住宅、取り入れられようとしている西洋の様式、次々と生まれる新技術、そして常に動いている新しい建築様式。両者に共通するのは、人が住む家に対する熱さで、喋ること、書くこといっぱいあるよね、とクスッとくる。

ヴォーリズもまた、走り抜けたんだなあと。いや、この熱さ、見習いたいし、形に残るのは、うらやましい。


◼️長野まゆみ「改造版 少年アリス」

デビューから20年を経て改造された、クリティカルヒットの名作。


本読みの先輩が、宮沢賢治が好きだから長野まゆみを読む、と話していた。賢治をおおいに意識し長野の色をミックスした、独自の作風。

1988年に書かれたちまち固定ファンを獲得したという「少年アリス」。児童小説という分類もできるかも知れない。今回は20年を経ての改作である。原作を読んだのは何年も前だし、どこが違うか正直あまり分からなかった笑。

ただ、やっぱり名作だな、と思った。

夏の終わり頃の夜、アリスは兄に借りた鳥の本を学校に取りに行くという友人の蜜蜂に誘われ、彼の愛犬耳丸とともに夜の学校へ向かった。

夜の学校の理科室には明かりが灯り、おおぜいの子どもと、教師らしき男がいて、授業らしきものが行われていた。覗いているのを見つかった蜜蜂は耳丸を連れて逃げ、アリスは捕まってしまう。しかし、石膏で作った卵を持っていたアリスは、なぜか授業に入るのを許される。

授業は、月と星を作り、夜空の星を補修する作業だった。他の生徒たちが夜空へ飛び立つ中、尻込みしていたアリスもまた月夜にまいあがったー。


この後アリスはまたピンチに陥り、蜜蜂が救いに向かう。そして、この夜を経て、蜜蜂は少し成長する。


ストーリーはほぼ全てが夜の学校という、誰もがワクワクする舞台で展開され、光や植物や水、虫、鳥を美しく神秘的に描写しストーリーを魅力的に装飾している。

昔風の制服を着た生徒たち、風が吹く校庭での野外映画会、緑青の、得意のソーダ水。名前もまた、ちょっとおかしくて童話的。

全体の世界観もさることながら、その要素のひとつひとつにも、響くものがある。


「蜜蜂は、水の中に目をこらした。底のほうで、ひとつぶの銀の実かたゆたっている。そっと手をすべりこませた。思ったより深く、腕まで水のなかにつかった。その腕が、水面で屈折する。水のなかにある手は自分のものでないように思え、蜜蜂は小さく身震いした。」

少々長かったが、蜜蜂のような感じ方をかつてした人は多いだろう。私はハッとさせられた。長野まゆみはこういった懐古的な、なにげない体験を映像的に描くことがよくあって、行き当たるたびに少年の日々の滲んだ夏の色の空気が蘇る。それがまた心地いい。

長野まゆみには作風が様々あって、文調は同じだが、少女漫画的美少年もの、さらにボーイズラブもの、また最近は思い切った転換をして泉鏡花賞等を取ったりしている。流麗な文章と耽美的な創作の手管が冴えているものが多い。


原点とも言える「少年アリス」。私はやはりこういった、児童小説風の少年もの作品が好ましいと感じる。安心して浸ることができる。読んで良かったな、とほうっとした。

2月書評の4

バレンタインは自家製ケーキ。

◼️村上春樹「一人称単数」
想ひ出がぽろぽろ。自分の過去はすぐ近くにあるようで、遠い。

ここ数年の傾向として、ハルキの新刊は、本友がほぼ必ず貸してくれる。今回もありがたや。

さて、本当かどうか分からない形で、過去触れ合った女性のことが多い。また大のヤクルトスワローズファンの著者は神宮球場の想い出も振り返っている。

やはり中心は「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」だろうと思う。阪神間にいた高校生の時付き合っていた彼女を休日図書館へ向かう前、神戸の海沿いの彼女の家に迎えに行く話。家に独り居た彼女のお兄さんに彼の病気の話を聞かされる。不思議な時間を過ごして、2人は十数年後にたまたま再会したー。

当時人気絶頂だったビートルズのアルバム名がタイトル。彼女とは別に、ある少女と校内ですれ違った記憶が語られる。ビートルズの4人のモノクロ写真がハーフシャドウであしらわれたジャケットのLPを胸にしっかりと抱えた美少女。その後2度とは会えなかった、という印象的な挿話が、誰にでもあるような高校生活の1シーンを思い起こさせる。


ほか「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」で、夢に出て来た"バード"チャーリー・パーカーが僕に告げる。自分が死んだとき、ベートーヴェンのピアノ協奏曲一番の第三楽章、ピアノソロパートのメロディが頭にあったと。

私も大好きなベートーヴェンの一番。第三楽章3回聴いて、いったいどこだろうか、と想像した。ちなみにピアノはアルフレート・ブレンデル、サイモン・ラトル指揮のウィーンフィル。最高のメンバーが上品なメロディを奏でたもの。


「謝肉祭 (Carnaval)」の文章、

「記憶はあるとき、おそらくは遠く長い通路を抜けて、僕のもとを訪れる。そして僕の心を不思議なほどの強さで揺さぶることになる」というのに揺さぶられた。まったくそうだと思う。


あとラストの「一人称単数」で違和感を覚える、そういう日もある、という例えとして

「ジャンゴ・ラインハルトが正しいコードを押さえ損ねる夜だってあるし、ニキ・ラウダがギアを入れ損なう午後だってある。」

ジャンゴは分かるが、かつてのF1名ドライバー、ニキ・ラウダは古いな、アニメ「グランプリの鷹」とかスーパーカー消しゴムが流行った時代やんか、と笑ったりした。

貸してくれた友人が、村上春樹はいくつになっても若い、と言っていた。たしかに独特のみずみずしさときまじめさは健在だが、今回はことさら昭和色が強かったかな。

概ね波のない短編集。でもこういうの嫌いではない。


◼️八木壮司「古代天皇はなぜ殺されたのか」

古代天皇の実在を否定する学会に反論した

過激なタイトル。退位前の古代の天皇が誅殺されたのは二件だけ、と最初に断ってある。見出しの通り、第10代の崇神天皇は実在が認められているのに、初代とされる神武天皇と続く「欠史八代」、第2代から9代までは否定されているのかに切り込み、果ては戦後の記紀否定の姿勢を問う内容。


日本書紀を中心に再分析し、また主に大陸の「三国志(魏志倭人伝を含む)」「後漢書」、朝鮮の歴史書「三国史記」また稲荷山古墳から出土した古代の鉄剣に刻まれた銘文、さらに高句麗の若き王の事績を顕彰する「好太王碑」の碑文等を検討して推論を導き出していく。


古代関連の研究本はすべてが推測というのもあって、あの説は違う、あの論はけしからん、という論調が多いと感じていた。反論の対象が整然と、また公平には示されていないケースが多いため、少し引いたスタンスを取らざるを得ない。さらに言えば、大胆すぎる結論も苦手だ。


本作もその向きは強かった。しかし、これまで私が深く触れてない時代の紹介だったので、なかなか引き込まれた。


まずは日向の地を捨て大和の地までいわるゆ「東征」を行った神武天皇が即位した年を推定する。これが西暦100年代末、そして、邪馬台国と大和の関係を解いていく。卑弥呼が魏の都、洛陽に使者を赴かせたのが239年、卑弥呼の後を継いだ壱与が晋へ使節を送ったのが266年。邪馬台国はどこなのか、大和政権との関係性はどうだったのか。なかなかストンと落ちる説ではあった。

そして第10代の御間城入彦、崇神天皇の実像を追究する章では著者が打ち出した「八木倍年説」が展開される。古事記に神武天皇が137歳、さらに崇神天皇に至っては168歳、その次の垂仁天皇は153歳などと信じられない年齢が出て来るのは二倍年を使っていたからだ、というもの。学会でどれくらい注目されているかは分からないが、それなりに説得力があって面白い。

さらに12代景行天皇から成務天皇、仲哀天皇、神功皇后、加えて景行天皇の息子で古代史悲哀の英雄、ヤマトタケルといった架空とされている人物の実在性にも踏み込む。

日本の西暦300年代は外国の資料に出て来ず「空白の四世紀」と言われているらしい。たしかにあまり聞かない。著者は景行天皇親征、さらにヤマトタケルの遠征に沿う抵抗勢力の平定、国家の統一がなされていた時期として捉えている。


ここまででも面白いが、ハイライトは好太王碑文を基にした高句麗、百済、新羅、任那への大規模軍団による侵攻の研究だ。


私はこの時代が好きなわりに断片的にしか知識がないのだが、これまでは白村江の戦いだけが、突然発生したように浮いて見えていた。


しかし新羅を叩き、5万の高句麗軍と半島で何度も会戦したという状況ならつながる。この時代、300年代末から400年代初め、大軍を送り込んだ権力の主体は誰だったのか。


なかなかワクワクさせられた。八木氏はこの時代の著作も多いようだし、小説もあるようだし、スタンスを保ったまま、もう少し読んでみようかな。

2月書評の3

水温む?だんだん暖かくなってはいるが、朝晩はまだ寒い。まあ夜が寒いのは5月くらいまで寒い。

この間はちと仕事が忙しかった。


◼️「源氏物語   九つの変奏」

スピンオフ、パロディーに、抄訳。源氏物語は、遊べる巨作。

9人の現代作家さんが、それぞれ源氏物語の一帖について小説化したもの。タイプはまじめに訳したのかな、と思えるもの、主人公のモノローグ、完全なパロディーと様々だ。

一覧です。

「帚木」松浦理英子
「夕顔」江國香織
「若紫」角田光代
「末摘花」町田康
「葵」金原ひとみ
「須磨」島田雅彦
「蛍」日和聡子
「柏木」桐野夏生
「浮舟」小池昌代

「帚木」は光源氏に猛アタックされるも、一度許しただけで後はお断りし続ける空蝉のモノローグ。スーパープレイボーイの光源氏が頑として拒まれる場面を現代文で読んだら、意外に新鮮な印象があった。

「夕顔」は、物語の見どころの1つ、六条御息所の怨霊にとり殺される夕顔、その経緯を3人称で柔らかめに書いたもの。なんか古文の訳だと、独特のおどろおどろしさが出るけども、リアルな描写は伝わらない。その点を突いたライトホラーっぽい作りである。

「若紫」
これは幼い若紫を、光源氏が誘拐同然にさらう、前後を紫のモノローグで描いたもの。期待した犬君が・・の部分はなかったが、紫の身の上を女性が相手をする店の住み込みで世間知を身につけ雑魚寝するというように創作してある。原典とはちょっと離れてて、ふーん、という感じ。

「末摘花」
末摘花は、ようやく顔を見れば、鼻の長い面相だった。町田康がパロらないわけがない(笑)。集中最もハメを外してある作品。本来少女マンガのような頭の中将とのさわやかな好い男同士の関係がなにやら怪しコミカルなものになっている。んー、もひとつ。

「葵」については、現代で葵と光の夫婦に子供が出来たという設定。女性の恋愛心情を綴ってある普通の小説風。どれくらい原典を反映しているのか分からないくらいのもの。ふうむ。若妻葵の語り。

「須磨」
光源氏は調子に乗りすぎて帝から寵愛を受けていた朧月夜に手を出し発覚、後見する東宮に累が及ばないよう、自ら都を遠く離れる。紫の上、当の朧月夜ら愛する多数の女たち、また東宮との、出立までの悲しい別れと、須磨での暮らし、光源氏の追い込まれた状況などなどが切々と続く。おそらくだが、原作プラス創作された裏エピソードという感じ。没落を描いたまじめな作品かなと。

「蛍」
住んでいた九州の強引な偉丈夫の求婚から逃れ、光源氏の世話で都に落ち着いた、夕顔の娘・玉鬘。しかし光源氏は娘世代の玉鬘に愛を告白し、しかも熱心に言い寄る兵部卿の宮に手紙の返事を書くように促したり、果ては部屋に仕掛けをして多くの蛍を放ち、宮に玉鬘の美しい姿を見せつける。困ったおっさんと化した光源氏に玉鬘が大いに戸惑う帖。ちなみに玉鬘の父親は頭の中将だ。


玉鬘にまつわる一連の物語のひとつの場面で、紫式部は映像的、色彩的な演出が上手いなやっぱり、とは思うが、ちとかわいそう感が先に立つ。脱線はない。

「柏木」
出世した頭の中将こと内大臣の息子、柏木。光源氏の兄、朱雀院の娘・女三宮と結婚したいと望むが、娘の行く末を案じた院は光源氏と結婚させる。

未練の強い柏木は、飛び出した猫のため御簾が上がったその奥に女三宮の姿を見て思いを募らせ、ついに密通し子を設ける。

光源氏が女三宮のあまりの子供っぽさに失望する、というところを捉えて、口うるさく注意される不満から同年代の柏木になびくさまを女三宮目線で創作している。柏木は畏怖する光源氏に真実を知られて激しく動揺しやがて死んでしまう。うーん、女から見たらちと情けないかも。そんな雰囲気が醸し出されている。

出口のない女たち。前の帝、朱雀院の娘は、光源氏の正妻という地位になり、紫の上は心にひびが入る。また、柏木と女三宮の子が、宇治十帖の主役の1人、薫なのでした。


「浮舟」
薫中将と匂宮の、浮舟を巡る争いは、匂宮が薫のふりをして浮舟の寝所に滑り込んで我がものとし、宇治川を舟で渡って、対岸の家に連れて行く。思い悩んだ浮舟は、宇治川に身を投げるー。

これもまた、出家した浮舟が過去を語る。匂宮に愛欲を感じたことなどは赤裸々で、これも原典では当然語られない部分だしゆるりとした語り口調も悪くなく楽しめる。

本筋を離れていたり、忠実なもの、ある部分を膨らませたもの、バラエティ豊かではある。

私は最近ようやく通読し、その深い魅力を知った気になっている。読了してからも、宇治川の重い流れが心にあり、宇治川を観に行った。藤原氏の栄華の象徴、平等院鳳凰堂と、源氏物語ミュージアムにも立ち寄った。京都のゆかりの地も巡った。


実際この本も読んでて面白かったし、書評を書いててもどこか心が浮き立っている。


しかしながら、読んでほんのちょっとの違和感がある。この企画で収録された短編たちはよく似ている。原典を愉しむ一助にはなるが、どうも発想がもひとつな気が・・。


源氏物語は川端康成曰く、日本最高の物語で、1000年を経ていまだ超えるものがない偉大な作品。どんなパロディーにも耐えうるし、さまざまなネタと楽しみ方があると思う。ただ、今回はかみくだき方が物足りないな、という思いがノイズのように心に残った。



◼️「大人の散歩  大阪・神戸(ちょっと京都・     
         奈良)の近代化遺産を訪ねて」

すべてを変える、史上最大の転換期、その熱に想いを馳せ、憧れる。

日本近代化へのエネルギー。外国から技術や学識、工法などをどんどん取り入れ、街の容貌が数年のうちに劇的に変わっていく、見たこともないようにスケールアップしていく時代。

我々が戦前、明治、大正、昭和初期のモダンに惹かれるのは、時代の変革を推進した、史上稀に見る情熱を構造物の向こうに感じるからかも知れない。

また、旧弊を捨て刷新していく時、その担い手は特別な高揚感を覚え、後ろを振り返らない。それは仕事の上でもあることだろう。人が感じる未来へのステップアップの延長線上に、とてつもなく巨大で精巧で芸術的な、成し遂げられた過去がある。

神戸女学院、神戸大学などの学舎、また大阪府立中之島図書館、大阪市立美術館、神戸の寺院や教会、さらに奈良ホテルから大阪市内の多くのモダンな建築を紹介する。それだけでなく梅小路蒸気機関車館、神戸港に尼崎運河、琵琶湖疏水に淀川治水、大阪市八百八橋など国の産業と市民生活にゆかりの深い壮大な工事を伴う施策にも触れている。

大規模施策にも感慨を覚えるが、やはりレトロしかして当時のモダンさ加減が完成を刺激するのは大阪市内、中之島を中心とした建築群だろう。

府立図書館に隣り合うネオ・ルネサンス式赤レンガ造りの大阪市中央公会堂、大阪証券取引所を中心とした北浜のレトロビル群はまたオシャレで、昼も夜も歩いてみたい土地柄。
さらに堂島川沿いに公会堂、府立図書館、大阪市役所の並びから御堂筋を渡って西側、シンメトリーと八角屋根が特徴の日本銀行大阪支店があるエリア、この本に取り上げられていない企業の佇まいも、散歩には適している。


機能重視に振れシンプルな大阪府庁、さらに独自の自由形式、大阪ガスビルの白亜の建物も、当時にタイムワープして見てみたい。


桜の通り抜けで有名な造幣局も取り上げられている。大阪にこのような国家にとっても大事な機関を置くのは、もちろん産業の力が際立っていたからであるが、新都東京に比べ治安が良かったのも理由だとか。明治維新のそうそうたるメンバーたちの間では大阪遷都論も語られていたという。


さて、特に惹かれたものを3つ。

1つめは旧甲子園ホテルと、先日訪問して大いに啓発され満足したヨドコウ迎賓館は、建築界の世界的巨匠、フランク・ロイド・ライトの設計で、他とはまるで違う。


関西で活躍した方には、関西学院大学などを設計したウィリアム・メレル・ヴォーリズが居るが、ヴォーリズがスパニッシュ・ミッション・スタイル、おおざっぱに言えば修道院のような形式が多いのに対して、ライトはクラシカルというよりは現代的で、屋根が平たく、最高がうまく、小窓や石の装飾に隅々まで細かく工夫を凝らしてありすごくオシャレである。

2つめはアサヒビール大山崎山荘美術館。京都の東、桂川、宇治川、木津川が流れる、かつては豊臣秀吉が明智光秀を破った合戦の地、その景色を英国ウィンザー城からみるテムズ川の光景になぞらえた若き実業家。オールドイングリッシュなチューダー・ゴシック様式を意識して造られた山荘はやや素朴な雰囲気も感じさせる。

建築と美術品を堪能し、歴史ある風光明媚な景色を眺めながら併設の喫茶店でケーキを食べたいっす。^_^

3つめは兵庫県公館。こちらは日本では珍しいというフランス・ルネサンス様式らしい。多くのモダン建築はイギリスやドイツの様式なんだそうな。

余談ですが、昔乗ったタクシーの年配の運転手さんとの会話を思い出す。

俺はさ、昔でっかいトラックで東海道新幹線建設の資材とかを運んでたのさー、阪神高速も運んだよ、万博も。
スケールでかいっすねー、歴史の証人じゃないですかー!

時代は違うが、明治維新という歴史上最大の変革、世の中が一気に変わった時代、戦後復興から現代へとさらに遠く跳躍しようとした時代、構造物を見ながらその土地の歴史の流れの中にいるような気分を味わうのは、現代人の、いわば特殊な感性で、共感覚とも言えるものかも知れない、だなんてわけわかんないことも想像する。


大阪市内に勤め、よく目にしたはずの大阪レトロ、また神戸の旧居留地のモダンも、詳しい事情を知ると全然違って見えてくる。東京駅を作った辰野金吾ら建築界の高名な方々も知り、行きたく、観たくなる、且つためになる本でした。




3月書評の1

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2月書評の4

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