今週末は東京へ。しばらくぶりの神保町カレー。ブックカフェでお茶もして帰った。さすがは神保町。次は神保町餃子っ。
◼️板野博行
「2時間でおさらいできる日本文学史」
んー?少しだけ不満^_^
でもおさらい&発見できました。
「古事記」「日本書紀」「万葉集」から又吉直樹まで。タイトルの通り駆け足で日本の文学史を追って紹介した本。もちろんハデめの見出しが付いていて、キャッチーに作られている。でもなかなか啓発された。品川からの新幹線車中でほぼ完読。
なにが楽しいって、これまで読んだ本の名文や心に残るフレーズをまとめて再体験できること。そこまで体系的でなかった、特に近代の作家の知識を再認識すること。
春過ぎて夏来るらし白妙の
衣干したり天の香具山 持統天皇
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
ながながし夜をひとりかも寝む 柿本人麻呂
何回見てもいいよねえ。
平安時代は竹取物語が思った以上にSF的みたいなんでちゃんと読みたくなったのと、堤中納言物語、浜松中納言物語あたりまた読んでみたい。
鎌倉時代の新古今和歌集では藤原定家の
見わたせば花も紅葉もなかりけり
浦の苫屋の秋の夕暮れ
が取り挙げられている。歌が醸し出すものは、ここに来て味わい深い「幽玄」や定家の説いた「有心(うしん)」、しみじみしていて風雅なこと、へと変わっていった。この世界観はやがて千利休らにより、茶の湯の心を最もよく伝えるものとして評価されるようになったらしい。なんか分かるような気がしますな。
加えて短歌では松尾芭蕉が「奥の細道」でたどったのは新古今和歌集に多くの歌が入っている西行の歌枕。いつか読みたい。
説話集では「古今著聞集」。探してみなければ。
「ゆく河の流れは絶えずして
しかももとの水にあらず。」
「つれづれなるまゝに、日くらし、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそもの狂おしけれ」
「方丈記」「徒然草」鎌倉・室町時代。まだちゃんと読んでない。「源平盛衰記」で女豪傑・巴御前のセリフも読んでみたいような気がしてきた。
「秘する花を知る事。秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず、となり、この分け目を知る事、肝要の花なり。」
世阿弥「風姿花伝」はぜひ読んでみたいと思った。同タイトルの小説ってなかったっけ。
井原西鶴に、「日本のシェイクスピア」近松門左衛門、残念なことに読んでない。
荒海や 佐渡によこたふ 天(の)河
松尾芭蕉は長く留まって味わっていたいが、近代が始まらないので割愛^_^
明治初期のベストセラーは「学問のすゝめ」。坪内逍遥は1885年に理論書として「小説神髄」を書き、近代小説の嚆矢は二葉亭四迷「浮雲」。初の言文一致体だった。読みたいなと思いつつまだ手が出ていない。
「紅露」と言われた尾崎紅葉と幸田露伴。紅葉の弟子・泉鏡花は「草迷宮」や「婦系図」をいずれ読んでみたい。浪漫主義、北村透谷、樋口一葉は手が出ず。
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
島崎藤村は浪漫主義から後に変化(へんげ)する。
やは肌のあつき血汐にふれも見で
さびしからずや道を説く君
与謝野晶子には本当に参った。大阪・堺の与謝野晶子記念館にも行ってきた。
われ泣きぬれて 蟹とたわむる 石川啄木
母の故郷、福岡・柳川出身の北原白秋生家には幼少の頃より何度か行ったが実は作品には触れていない。うーん白さんゴメン。
ぼちぼち大正。浪漫主義から自然主義文学。島崎藤村は「破戒」をものした。田山花袋「蒲団」に林芙美子「放浪記」。
私小説と化した日本の自然主義に反する立場として生まれて来たのが白樺派と耽美派。白樺派は武者小路実篤、「小説の神様」志賀直哉。実はまだ「暗夜行路」読んでないー。「或る女」は有島武郎。これも読んでない。
森鷗外は「阿部一族」「山椒大夫」だけ。語調が難しい。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
夏目漱石「草枕」より。前期3部作などは老後の楽しみか。
俳句は割愛。シキさんごめん。
凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、竹、竹、竹が生え
萩原朔太郎は日本近代史の父。病的なまでの幻想的なイメージを、口語自由詩に変えた。
私の好きな室生犀星。詩人から小説家へ。「幼年時代」は素晴らしかった。
宮沢賢治に立ち止まったらヤバいのでスルー。作品の煌めきが分かる中原中也には小林秀雄との因縁あり。高村光太郎はがりりと噛んだ「智恵子抄」。
下人の行方は、誰も知らない。
芥川龍之介は羅生門カッコいいが、死の予感ムンムンの「歯車」が良かった。
耽美派。永井荷風は読んでない。「つゆのあとさき」を読んでみたい。大谷崎は「細雪」上中下巻を近々読む予定。佐藤春夫との因縁。
昭和まで来ました。吉川英治、大佛次郎、江戸川乱歩は人気を得た大衆小説。横光利一と親友の川端康成は新感覚派としてスタートした。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。(雪国)
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思ふ頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。(伊豆の踊子)
森鷗外や夏目漱石らには多くのページを割いているのにこちらは実にさらっと、だ。川端ファンの私的にはそこが不満、だった。まあ少し。
ジブリ映画「風立ちぬ」のヒロインはやっぱり「菜穂子」なのねと思った最近。最近、京都の丸善で限定復刻カバー版を買った梶井基次郎。「檸檬」で主人公が本を積み重ねその上にレモンを置いたのがいまと場所は違うが京都の丸善。
ハナニアラシノタトエモアルゾ
サヨナラダケガ人生ダ
の井伏鱒二、虎になる山月記の中島敦。
戦後、坂口安吾、は「不連続殺人事件」以外読んでないんだなあ。太宰はまあ2/3くらいは読んだかなと。「トカトントン」「女生徒」「斜陽」いいねえ。
ここまでにしときますー。
日本には戦後文壇がなくなったと著者は述べている。確かに、作家たちが自分らの雑誌を主催するわけでもなし、ナントカ主義とかなになに派を結成するなどの動きがない。
山ほどの大衆小説は出ている。エンタメ的だし、その発想に驚かされたり、技巧に唸ったりするのだが、うーん、どうも余裕がないように思えてしまうのは気のせいか。
ともかく、この本を参考にして、かつての本をたくさん読もう。おつかれさまでした。
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