2019年11月17日日曜日

11月書評の3







むかごごはんのおにぎりと、息子の修学旅行のお土産、長崎カステラ。話を聞くと、長崎では平和祈念像、グラバー邸と私の小学校の修学旅行コースを回ったとか。関西に移り住んでもう四半世紀。まさか親子2代で同じとこ行くとはね。

◼️安部公房「笑う月」


「空飛ぶ男」が改稿されていた?


安部公房の評価がヨーロッパで高いのは知っていたが実際に読んだのは「砂の女」そして昔教科書で読んだ「空飛ぶ男」のみ。


図書館で物色していたところ目に入ったから、目次で「空飛ぶ男」が入っているのを確認してから借りてきた。


この「笑う月」という本は「創作ノート」的なものだという。たしかに「箱男」の登場人物に関する言及と掘り下げっぽいものがあったり、自分が見た夢は朝起きてすぐテレコに吹き込むという習慣であり、見た夢に関してのエッセイのような短編が続く。


しかしその内容から現実の自分に即しての考察なのか、エッセイの皮を被った創作なのかよく分からなくなってくる。説明されてても理解に困るような頭良すぎる学生の論のような言葉が紡がれている、というのが正直なところ。


後半ははっきり創作と分かる作品がいくつか。そしていよいよ「空飛ぶ男」となるのだが、なんと結末が違った。


昔教科書で読んだ時には空飛ぶ男と話している主人公は穏やかさを保っているものの、ある瞬間冷静さの糸が切れたように恐怖を感じ、叫ぶ?空飛ぶ男は逃げ去る、というもので、納得感は深かったのだが、今回の短編は終始落ち着いた会話を交わし、何事もなく空飛ぶ男と別れる、という終わり。あれ?と。


色々調べてみたら改稿された作品らしい。これってあり?有名な話なのかな?とちょっと混乱した。


文中の「冷えていないビールの栓を抜いたような息づかい」とか「汚れた黒い水のようなおびえ」とかの直喩が文をかみくだく脳を刺す。やはりどちらにしても非常に印象に残る作品だと思う。朝の空に背広、ネクタイをして眼鏡をかけたふつうのサラリーマン然とした男が飛んでいる、というのはとんでもなくシュールだ。



全体的には、リアルな描写もあるが、まあ幻想的というか普通の現実からの飛躍が激しい話、という感じである。


他には、謎の大きな鞄に人が振り回される「鞄」。これは鞄を持ってきた男の「私の額に開いた穴をとおして、何処か遠くの風景でも見ているような、年寄りじみた笑い」を浮かべる。分かるようでいて、とても謎めいた例えだと思った。

船が沈没し、食料のない救命ボートに乗った医者とコックと二等航海士が、我こそはと犠牲になりたがるカニバリズムの話、「自己犠牲」もシンプルで良かったかなあ。


安部公房は笑う月が追いかけてくる夢が怖かったという。ところで自分が怖かった夢といえば・・


巨大なゼンマイの一部が捻くれてしまい、時計だがなんだかはうまく動かなくなってしまう。自分に全責任があり、朝までに直さなければならないが、絶望して泣く、というのを小さい頃よく見たな、と思った。


ちょっと読む順番をミスったかな、もっと有名作をいくつか知ってから読むべき本だったかと後悔しかけたが、「空飛ぶ男」の事を知ったのは良かったかも、と今では感じている。


◼️澤田瞳子「泣くな道真 大宰府の詩」


大宰府はこの地の統治組織の名前で、住む土地としての名称が太宰府だったと思う。確か。


失脚させられ権帥として左遷の憂き目にあった菅原道真。消沈していたが、博多津に集まる外国からの書画骨董への目利きに能力を発揮し、元気を取り戻す。


道真を取り巻くのはうたたね様と陰口をたたかれているやる気のないお人好しの官僚・龍野保積、小野篁の孫娘・恬子(しずこ)、いわば長官である大宰大弐の副官であり恬子の兄、小野葛根、そして道真お付きの安行ら。


劇中に苗字は出てこないが、安行というのは味酒(うまさけ)安行という実在の人物。道真が死んだ時、味酒が棺を牛車で運んでいたところ突然牛が動かなくなり、そこを墓所としたのが太宰府天満宮の始まり。今でも太宰府天満宮では味酒さんが関係者として役に就いている。


話はややコミカルに進み、恬子が人でごった返す博多津に連れ出したり、保積や安行が右往左往したりして進む。平民に身をやつし、動き回るうちに民草の暮らしのあまりの悲惨さを知り、さらに幼い我が子の死に打ちのめされる。大宰府では大問題に保積の息子三緒が絡み、保積はその解決法を道真に相談する。


という進行なのだが、どうも乗り切れなかったのが正直。言葉や当時の制度など時代考証はよくなされ、過剰なくらい散りばめられている。しかし、正直もうひとつ面白くない。物語としての盛り上がりも、ちょっと人工的、作り込んでいるのが見えるような気がした。せめて壮大にして終わって欲しかったかな。


読みつつ大宰府から博多津までは二時間もあれば歩ける・・昔の海岸線は今より南

つまり大宰府に近い方にあったというし、祖母からそんな話を聞いたような気もするが、いや、二時間では絶対歩けないから、とか地元民の突っ込みをしたり、めったに雪は降らない・・日本海側の福岡の寒さを知らないな、関西より寒いぞ、なんて思ったり。


うーんどうも読み方も悪かったようだ・苦笑。


菅公の人生のほとんどは京にあり、死後の祟りはそれはものすごい威力だったのが有名ではある。先ほどの天満宮の話も死んだ後だし。そんな中太宰府での物語を作るとちょっと浮いたような感じになってしまうのだろうか。伝説はそれなりにあってもっと寄り添って欲しいような気もした。逆にコミカルに徹底もしても良かったかとも思う。


ちょっと期待したけどね。。ただ「応天の門」読んで多少の知識があったからそこは楽しめた。


澤田瞳子氏には奈良時代の著作もいくつかあるとか。また読んでみようか、というところ。






iPhoneから送信

0 件のコメント:

コメントを投稿