◼️三島由紀夫「仮面の告白」
ボトムはシンプル。表現は美しくもガツッガツッという感触。
三島作品はあまり読んでなく、この有名作も初読み。主人公を離れたところで見ているような感覚、またニヒルで乾いた、偽悪的な雰囲気、という雰囲気が各作品に共通している気がする。今のところ。
さて、主人公の幼年時代から青年時までを描いた作品である。学生時代に戦争があり、疎開があり、敗戦を迎え、物語のベースに不穏な色を下塗りしている。
特に少年時代の描写は、ジグザグな路を突き当たりながら進んでいる読み具合で、言葉も表現も角張って難しく、ガツッガツッとぶつかっている感じがする。不良の近江という少年についての描写はその中でもハッとするものがある。
近江は影があり、噂も多く一目置かれている不良で、彼が懸垂の模範演技をさせられた時、同級生はそのわき毛の豊かさに感嘆とも羨望ともつかない声を上げる。
バスケットをやっていた私にも同じような経験がある。中学1年生にとって3年生はとてつもなく大人に見えるものだった。先輩たちがタンクトップ型の試合用ユニフォームに着替え腕を上げた時に見えるその部分には、自分たちが成長してまもなく行き着く先としての、信じられないような、まばゆい感覚があった。いわゆるおしゃれに気を使っている不良、まあ今から見ればかわいいものだが、にはジェームスディーンを見るかのような美しさもあった。
男性に憧れた主人公は、自分がやがて女性に一般的な欲情を持たないことを悟り、青春時代の中、水尾のように心の蹉跌として引きずる。
後半は、園子との恋でガツッとした表現は鳴りを潜め、美しい恋の場面が平明な文調で描かれる。園子は親友の妹で、結婚の話も出るが、帰結先は当然のように破局、しかし主人公は何かを掴もうとしてきるかのように他の男たち見合結婚した園子へのこだわりを引きずっている自分に気付く。園子もまた迷っているかのように逢瀬に行く。
物語のボトムはシンプルだと思う。しかし男性の肉体に魅かれる自分を肯定したい部分と女性との愛に憧れる部分との相克、時代と、自分の肯定と否定、破滅願望、喜んで行きたいけど一方では行きたくないという惧れの感情が相まって仮面を構成し、そこに人間味を感じさせる。
文中の細ごまとした園子の美しさの表現は目を惹くものがある。
「園子は途中で雨に会ったものらしく、髪のそこかしこに滴をきらめかせたまま、仄暗い客間へ入って来た。」
「奥の階段の踊り場に園子が姿を現した。(中略)高窓から落ちてくる光線に髪が燃えていた。」
「園子の自転車が硝子扉のむこうに止った。彼女は胸を波打たせ、濡れた肩で息をして、しかし健やかな頰の紅らみの中で笑っていた。」
「風に流れている彼女の髪は美しかった。健やかな腿がペダルを小気味よく廻していた。彼女は生それ自身のように見えた。」
この強調は、正常でありたいとする主人公の、ある意味叫びを表していると見えるが、作品の筆致は三島らしく至ってクールだ。
前半は正直やや退屈で読みにくかったが、文調が柔らかくなってからラストまでは一気に読めた。自伝的物語の創作物。全体の感覚はヘルマン・ヘッセ「デミアン」にちょっと似てるかな。
平明な文章で浮き上がるような光を感じさせる川端康成に比べると激しく衒学的だが、女性に関して現れるものは意外と相似があるかも、なんて読みながら思った。
ひとつ。徴兵検査を受けたのが近畿地方のH県って、兵庫しかないやんか、とは県民のツッコミでした。
◼️宮沢賢治/伊勢英子「水仙月の四日」
青、藍いろ、紫、灰色、黒、白、その中に赤。
宮沢賢治の童話に、絵本作家の伊勢英子が作画した絵本。「絵本入門」で紹介されていた作品。
春、象の形の雪丘の裾を、赤いケットにくるまった子供が、カリメラのことを考えながら、うちの方へ急いでいた。猫のような耳を持った雪婆んごは遠くへでかけ、空はよく晴れ、青びかりが波になってわくわくと降っていた。
雪童子(ゆきわらし)は雪狼(ゆきおいの)とともに散歩していた。子供を見つけ、雪狼がかじり落とした栗の木の枝を子供のほうへ放る。
やがて空の仕掛けを外したような、ちいさなカタッという音が聞こえたかと暗くなり、あっという間に吹雪になった。尖った耳とぎらぎら光る黄金眼を持った雪婆んごが3人の雪童子と9匹の雪狼を連れて戻ってきたのだ。
雪をもっと降らせろ、子供の命をとってしまえ、と吠える雪婆んごに従うふりをして、元いた雪童子は足が雪から抜けなくなっていた子供に突き当たり、倒す。きょうはあまり寒くないから、ケットをかぶって寝ていれば、吹雪をやりすごせるのだ。
意識を失った子供の上に、雪童子は雪をかけてやる。
そして雪婆んごが去り晴れた朝、雪童子は子供の上の雪を飛ばし、赤いケットが見えるようにする。子供は目を覚まし、父親が走ってくるー。
ジャック・ロンドンの「野生の呼び声」で、さらわれてそり犬になった家犬が、冬に外で寝るときは、雪に穴を掘って入っていると意外と暖かいと発見する場面を思い出す。
この本は、「絵本入門」の資格表現の項で取り上げられていた。全編を占める雪の表情を書き分けているのが見事である。寒い時、天気が良い日ほど物の影は紫がかって見えるという感覚の表現、また「空の仕掛けを外したようなという部分は、大きなふたつの四角の一角をずらし、隙間に白くなった太陽を入れている。雪の乱舞、雪童子と雪狼が舞い、前も横も見えない吹雪のさま、また黒雲の隙間に見える雪婆んごの眼、朝の蘇生など、その雪のある場面の描き分けは読んでいて唸るものがある。
寒色が多い中、子供の赤いケットが鮮やかな存在感を与える。
「桔梗いろの天球には、いちめんの星座がまたたきました。」
「(雪童子の)頬は林檎のよう、その息は百合のように香りました。」
「雪狼は起きあがって大きく口をあき、その口からは青い焔がゆらゆらと燃えました。」
宮沢賢治のストーリーと言葉はキレが素晴しく、醸し出している妖しさ、美しさに心酔する。その上に伊勢英子の場面表現が加わって物語の魅力を増している。
絵本の可能性をひとつ、実感を持って分かった感じだ。
水仙月は創作と思われるが、水仙の時期がほぼ4月で、春の嵐の日だろうとのこと。これもいい言葉だ。
0 件のコメント:
コメントを投稿