2019年1月12日土曜日

2018年12月書評の4





6日には部分日食。朝はどんよりしてたから諦めてたら食のピークの10時半くらいから雲が切れてきた。いつもは日食グラスで観るが、今回は写真の通り雲がかかってて肉眼でも欠けてるのがわかった。珍しい。靴の一つとリュックが擦り切れてたのを補充買い物し、ブックオフや本屋にも行って映画も観て、良い冬休みだったかな。

2018年12月は15作品16冊。もうひとつ進まなかった。でもおそらく一生一度であろう年間200作品をクリアして満足。2019年は、数を気にせず長いのを読もうと思う。

中河与一「天の夕顔」


愛に生き抜くことはできるのか。かつての大ベストセラー純愛小説。


昭和13年、1938年の発表で当時の青年子女の間を風靡したらしい。永井荷風、与謝野晶子、フランスではカミュらが激賞したとか。大流行した「ノルウェイの森」みたいなもんだろうか。


京都の大学に通っていた「わたくし」竜口は下宿の近くの夫人あき子と知り合い、あき子の母の通夜や四十九日にも参列する。あき子の夫は長い間外国に行っていた。その後わたくしは下宿を変わったが、転居先にあき子から手紙が来て文通し、やがて会うようになる。


「京都文学散歩」という本で紹介されていて興味を持った。あき子が京都の竜口の下宿を訪ね、帰り熊野神社前の駅まで2人で肩を並べて歩く場面が描かれている。下宿が神楽岡、電車の駅が今のバス停付近とすれば、と想像する。どちらの界隈も最近歩いた。


ただ、物語では京都はちょっとで、あき子の西灘の屋敷、つまり神戸三宮の北西の山手高級住宅街、に竜口が会いに行く方がかなり多い。後半になると東京だし。


さて、道ならぬ激しい恋に2人はピュアに苦しむ。あき子は何度も想いを断とうとしながら手紙を送り、竜口が訪ねれば家に入れ、外を歩きながら戯れる。竜口は兵役で沼津へ行き、さらに気象観測の仕事で富士山麓に住み、東京へ転勤する。2人の間には何度も断絶があるが、いつしかまためぐり合い、離れる。


ついに竜口は深い山奥で孤独に耐えながら独りで暮らす。あき子のことをひたすら想いながら、気がつけばあき子への愛情を胸に、何もなさないまま40歳を超えていた。



あき子は夫の浮気を知りながら、それでも家庭をなし子供を育てる方を選ぶ。


最初の方に、あき子から借りる本の栞にメッセージが書いてあったり、あき子が何度も読んだという竜口からの手紙を、竜口があき子の前で、戯れに破り捨ててみせたり、2人が神戸で会い散策する時の愛情あふれる可愛いシーンであったりと、印象的な場面も用意されている。


もちろん純愛ものってもどかしいが、逆にそんな風だから純愛ものなのである。想いの強さがひたすら綴られているのも、失恋したらそのネタで50曲くらい書けてしまう、という中島みゆきの言葉を思い出す。


若いうちは特に恋愛に対し気持ちは強い。そして実際は男女ともにどこかで現実と折り合いをつけて過ごすもの。しかしまさに山にこもったりして一生を懸けたところがかなり現実離れして物語的、もっと言えば海外風の物語の感覚とマッチしていて、だから海外でも受け入れられたような気がする。


若いうちの想いの強さは誰もの体験に似ている。だけど成り行きは超然ー。ラストの単純な、深い虚しさは、ブッツァーティの「タタール人の砂漠」を思い出してしまった。


面白い読書体験だった。


与謝野晶子「みだれ髪」


輝いている。そしてみずみずしくエキサイティング。与謝野晶子には、完敗だ。


大阪・堺の与謝野晶子文芸館に行きたくて著作ないかなと心に掛けてたら見つけた。この本は399首の和歌が掲載されていてうち70首に訳と鑑賞解説がついている。章は「臙脂紫」「蓮の花船」「白百合」「はたち妻」「舞姫」「春思」の6章。


・髪五尺ときなば水にやはらかき

   少女(おとめ)心は秘めて放たじ


・その子二十(はたち)櫛にながるる黒髪の  

    おごりの春のうつくしきかな


・ゆあみする泉の底の小百合花

   二十(はたち)の夏をうつくしと見ぬ


◆私がゆあみをする温泉の底には小百合の花にも似たからだが沈んでいて、二十歳のこの夏を美しいなとの思いで見ているのです。


若さいっぱい、心と身体の表現。若さゆえのおごりも分かった上での礼賛。繊細で、映像的。


・乱れ髪を京の島田にかへし朝

    ふしていませの君ゆりおこす


◆寝乱れた髪を島田に結い直した京都の朝、まだ寝ていらっしゃいと言ったあなたを(きれいに結えた髪を見せたいと思って)そっと揺すって起こすのです。


・病みませるうなじに繊きかひな捲きて

    熱にかわける御口を吸わむ


・やは肌のあつき血汐にふれも見で

    さびしからずや道を説く君


与謝野晶子は「明星」を主催していた与謝野鉄幹に強い思慕を抱いていた。それは誰もが認める才能と名声を持ち、晶子の同志でライバル、山川登美子も同じだった。3人は京都・粟田山の旅館で泊まった。その時登美子はすでに親が嫁ぎ先を決めていて、与謝野鉄幹は内縁の妻の実家ともめ離婚を切り出されていた。やがて晶子は恋の勝利者として鉄幹と結婚する。乱れ髪を、の歌はかつて3人で泊まった粟田山の宿で、後に鉄幹と結ばれた際に詠んだものらしい。


男女の大人の関係に踏み出し恋愛を味わう中で、率直に、時に可愛らしく、時になまめかしく、そして挑発的に歌に込める。なにせ刊行が明治34年、1901年のこと。道徳的でないとの批判が出るのは必定だった。


・清水へ祇園をよぎる桜月夜

   こよひ逢ふ人みなうつくしき


・ほととぎす嵯峨へは一里京へ三里

    水の清瀧夜の明けやすき


・うすものの二尺のたもとすべりおちて

    蛍ながるる風の青き


・小傘とりて朝の水くむ我とこそ

    穂麦あをあを小雨ふる里


・夕ぐれを花にかくるる小狐の

   にこ毛にひびく北嵯峨の鐘


・湯あがりを御風めすなのわが上衣

   えんじむらさき人うつくしき


この辺は、まさにみずみずしさ、視覚、聴覚、マッチング感とも言えばいいのか、雰囲気、風情といったものを素晴らしい感性と言語感覚で立体的に短歌に成している、と思う。


いや正直技巧は分からないが、こうしてシロートが見ても、どう見ても活き活きして素晴らしいと感じる。「風の青き」のクールさ、「穂麦あをあを」のリズムとストレートさにどこかかわいい感じ、夕ぐれ、花、隠れた小狐の柔らかい毛と鐘の音の組合わせ。また一つの特徴の後半の畳み掛け。


青年たちがハマったというが、そりゃそうだという気がする。批判もあったと思う。でもその人たち、私と同じように完敗だと断言してもいいのでは?


通常の風景を詠むだけでも卓越しているのに、恋を率直に、より女性らしく描いたのは革命的。「天の夕顔」の書評でも触れたが、中島みゆき氏は一度の失恋で50曲は書けるとか。女性が恋した時、恋を失った時本当に様々な事を想うんだな、とは私もちょっと触れたことがあるが、巧みに言葉を紡いでいる。


やがて鉄幹の著作は売れなくなり、売れるのは晶子の本ばかり。晶子は12人の子どもを産み、古典の現代語訳に着手する。与謝野晶子訳の「源氏物語」がいま猛烈に読みたくなっている。


後年夫を亡くした山川登美子は歌壇に復帰、結核で世を去るが、鉄幹はその登美子にも気持ちを割いたようである。「月に吠えらんねえ」のアッコさんのことが、少し分かった。すごい人だったんだなあ。それにしても、最近苦手なはずの恋愛関連が多いな。


キム・ニューマン「モリアーティ秘録」上下


愛溢れ過ぎててハチャメチャで味がある。わけ分かんないが楽しそう、な作品。


「ドラキュラ紀元」はついにここまで読む機会を得ないが、話題のキム・ニューマンのシャーロッキアンものなら読まないわけにはでしょう。この12月発売のもの。


ホームズのもののもじりが基本であるが、おおむね同時代の小説をもう一つネタにしているらしい。例えば下記第二章は「ボヘミアの醜聞」と「ゼンダ城の虜」が元ネタだとか。


上巻

第一章 血色の記録

第ニ章 ベルグレーヴィアの騒乱

第三章 赤い惑星連盟

第四章 ダーバヴィル家の犬


下巻

第五章 六つの呪い

第六章 ギリシャ蛟竜

第六章 最後の冒険の事件


「モリアーティ秘録」の語り手は正典にいわく「ロンドンで二番目に危険な男」、モリアーティの有力な部下で「空き家の冒険」に登場する空気銃の使い手、セバスチャン・モラン大佐である。果たして、やはり偉大な頭脳の持ち主の記録はワトスン的ボズウェルかいないと、というとこだろうか。


モランは軍隊時代、虎狩りの名人として著書を出した。カード賭博でイカサマをして人も殺すイカれた男。この作品ではモリアーティとその一味が住んでいるのは娼館であり、上品なワトスンのホームズ譚に対してやっぱり下品である。


さて、「血色の記録」には正典「緋色の研究」で殺されてしまうアメリカの悪役、ドレッパーらがモリアーティへの依頼人として出てくる。「ベルグレーヴィア」にはアイリーン・アドラー。出だしの文章に笑う。対比のさせ方がマンガ的。上下を通じて出演するアイリーンのキャラ付けはやはりというか、かなり不二子ちゃん的である。


「赤い惑星連盟」まあその、この辺にハチャメチャっぷりが炸裂している。もうマンガ。あまり正典「赤毛連盟」の話の流れとは関係ない。学問の弟子にバカにされ意地になって復讐するモリアーティ。


「ダーバヴィル家の犬」

訳者があとがきで書いている通り、この本には同時代の小説や映画、舞台のキャラが散発的に、しかも多めに出てくる。モランの独白の文章も、洋書によくあるというか、例えにたとえを重ねているので、へ?という感じになったり、いきなり過去の話が長ながと出てきたりして、非常に読みにくく、時間がかかった。


しかし、この章を読み終えた時、うまい、と唸った。正典「バスカヴィル家の犬」を活かしきり、さらに結末もシブくて論理的で冷酷。やはり大きな魔犬にかかわる、もはやホラーに近い?作り。


下巻は、3つの章の登場人物が繋がっている。「六つの呪い」はいわくつきの宝石をモランが集めさせられる話だが、悪党たちがたくさん出てくる。「ギリシャ蛟竜」はもちろん「ギリシャ語通訳」のもじりでやはり列車もの。正典にも出ているモリアーティ三兄弟が勢ぞろいする。国際スパイの話で、先に出た悪党たちの一部がまた出演する。


「最後の冒険の事件」がある意味最もシャーロッキアン的か。ホームズ(とその裏にいる人物?)のためモリアーティやモランの犯罪組織は壊滅的な打撃を被る。これは正典では多くが語られていない部分なのでなかなか興味深かった。正典「最後の事件」でホームズとワトスンが逗留したスイス・マイリンゲンの「英国旅館」に、また悪党たちが集結する。そしてホームズとモリアーティの決闘の地、滝に赴いたモランは2人の格闘を岩場で見る。そしてモリアーティの合図でー。


こうしてみるとただ面白そうだが、先述の通り、私には読みにくかった。もうホントに、正典からでもそんなマニアックな名前持ってきてもさすがに知らんがな、だったし、ましてホームズ物語以外からそうされてもなあと。文章は・・まあ興味あれば読んでみてくださいな。


登場人物をたぶんわざと多く出し、カオスの状況を作ってハチャメチャの中ある方向になんとか落とし、ちょっと離れてみれば上手いなと思ったりする。ニューマン氏ってそんな人かいな。


最高の頭脳を持つ教授も、下品なモランも、大騒ぎの冒険をするので、しまいに可愛く見えてくる。


「ギリシャ語通訳」のヒロイン、ソフィー・クラティディスが美貌のナイフ使いとしてモリアーティ一味に加わり活躍する。キム・ニューマン氏も巻末の「覚書および謝辞」で彼女の活躍をもっと読みたい?私もだ、と書いている。


そこは大賛成だった。愛溢れ過ぎる作品だった。


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