休みを取って京都へ。目的があった。相国寺というところの美術館で、「伊藤若冲と琳派の世界展」をやっていた。1750年頃の画家。友人からの情報で興味を持っていた。最近狩野永徳が主人公の「花鳥の夢」を読んだからかも知れない。狩野永徳は安土桃山時代の人で、長谷川等伯とのライバル関係は有名。また、琳派というのは俵屋宗達らによってやはり桃山時代に創始され、尾形光琳・乾山によって定着した一派のことらしい。
伊藤若冲は京都の錦市場にあった青物問屋の跡取り息子として育ち、後に絵画の道に入った。相国寺とは縁が深い。ともかく、阪急で京都へ。意外に混んで座れずびっくりする。烏丸で地下鉄乗り換え。ホームにまた人が多い!若者ばかり。私と同じ今出川駅でぞろぞろ降りていく。
そう、相国寺というのは同志社大学の隣にある。そりゃ多いわ。新しくモダンな同志社の校舎、すぐ向こうには御所の森が見える。
相国寺はすぐ見つかった。併設の美術館まで少し歩く。静かな入り口、静かな館内。涼しい。月曜日の午前中でも人はまばらに居たが、それにしても少ない。でもその分、実にのんびり出来た。第一展示室が琳派の展示で、若冲が無く、訝しんで行った第二展示室、そこにあった。雄々しく迫力のある龍、どことなくユーモラスな鶴、虎、象。若冲が得意とした鶏がたくさん。野菜、そして襖絵の植物、葡萄や芭蕉。林良の模写である鳳凰も素晴らしい。
なんというか、筆の使い方が、荒いかと思えば細心だったり、コミカルな絵かと思えば、ディテールにこだわってたり、全体として、力強さ、新鮮さ、大らかさまでも感じた。これが天性なのだろうか、というくらい。いやー良かった。売店を見て、もう1回展示室を観に行って、龍図のしおりと絵葉書セット買って帰った。
余韻に浸りながら、大学前の「京楽食堂」でごはん山盛りのメンチカツ定食を食べ、少し観光しようかとも思ったが、暑くあまり歩きたくなかったので(笑)電車に乗って帰ってきて、映画「海街Diary」を観た。こちらはまあ、うまく四姉妹がキャラ分けされたところに上手さを感じたが、波がどうも無さ過ぎた。
さて、私は正直、学術的なことには社会人になってから目覚めたクチである。まったく鈍かった学生時代の終わりに、ある師匠が「いい絵に出会ったら、1時間ずっと観てても飽きないものだ。オレは『裸のマハ』がそうだった。」と仰ったのをよく憶えている。
社会人になってから、いい絵とは、という話になり、大先輩の上司が、「それは良いものを数見ないと分かるようにはならん。」と仰ったのを聞いて、あれこれ観るようになった。楽しかった。まるでアカデミック、アーティスティックに目覚めた若者で、映画といえば単館系、芸術系を小さなカルチャーセンターのようなところまで観に行き、美術展のスケジュールは常にチェックし、モネの「睡蓮」や「橋の上の貴婦人」に感動し、東京に行ったときは新宿でゴッホの「ひまわり」を観た。
朝日新聞が出していたビジュアルアートシリーズの本を買い、自分でもデッサンを始めたりした。
ある時、自宅近くの駅前で、即興の展示即売会をやっていた。屋外だったが、私は、名前も知らない画家の作品に夢中になった。ついに出会った、という感触を得た。「後ろ向きのバレリーナ」という絵で、ジャン・ジャンセンという画家のものだという。繊細なタッチと線、シンプルだが、テーマが発しているなんとも言えない魅力に惹きつけられて、1時間とは言わないが、30分はずっと観ていた。値段も高く、その時は買わなかったが、以後、大変人気のある画家さんで、長野県にはジャンセン美術館なるものがあると知った。
後年妻が、絵を買いたい、と相談してきたのがジャンセンのバレリーナの絵だった、というのは素晴らしい偶然である。値段も落ち着いていて、即断だった。
その後あまり溺れたわけではなく、美術への関心は結局のところ人並みだ。印象派からピカソの抽象画以外、それからルネサンス期と興味は揺れ動き、最近はかつてはあまり観なかった日本画もよく観ている。
こう考えると絵画は素晴らしい。人生に潤いを与える。億万長者になったら、ぜひ有望な若手画家のパトロンにでもなってみたい。(笑)いや、これからも、細々と興味を持ち続け、日曜美術館とかまた観ようかな、なんて気になっているのであった。
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