2015年6月1日月曜日

5月書評の2




古い本が続けば、新刊文庫が読みたくなる。ラインナップが地味だなあ、と思えば、派手な、話題を呼んだり映画化されたものが読みたくなる。でも、例え外れても、自分で良いと思われる本を探して買うのは嬉しいね。

朝井まかて「ちゃんちゃら」

庭作りに視点を置いた時代もの。親しみの持てるエンタメ。

元浮浪児で、腕のいい植木職人、名前は「ちゃら」。自分を育ててくれた辰蔵、その娘の百合、水扱いの得意な福助、石職人の玄林とともに暮らしている。江戸ではその頃、前世を読んでは、幸運を招く庭作りをさせる「嵯峨流正法」が、勢力を伸ばしていた。

「恋歌」で直木賞を受賞する2年前、朝井まかてのデビュー2作目。タイトルに意外性があり、また出だしがすっきりとして素晴らしく、清冽なイメージで物語が進む。キャストの造形もまずまず親しみやすい。

一つの特徴は、ここ最近流行りというか基本のポイントと私が感じている、造形の仕事、職人の作業をしっかりと描いていること。

作庭とはどういうことか、どんな作業があり、職人が何に重心を置くのか、という部分を丁寧に描いている。これは、山本兼一が「火天の城」で、また高田郁が「みおつくし料理帖」シリーズで表現していることで、とても新鮮に感じ、興味を抱く。

解説には得意は植物系と書いてあるので、それが活かされた形だろうか。「恋歌」ではそういう感じはなかったので意外でもあったが。

時代物の基本はテンターテインメントなので、最後はやや休息展開気味だし、途中の話が無いので、元浮浪児で暴れん坊のちゃらが、ここまで高次元な職能を身に付けていることに違和感を感じる部分もあったし、生い立ち、赤毛のことなどももっと知りたかった気もする。シリーズで読みたかったかな。

水野敬也「夢をかなえるゾウ」

2008年のベストセラー。あっという間に読めた。

そこそこの企業に勤める若いサラリーマン、僕がある日目を覚ますと、ゾウの形をした自称神様のガネーシャが目の前にいた。濃い関西弁をしゃべるガネーシャは、成功したいなら自分の言うことを聞け、と、僕に様々な指南を始める。

古代から現代まで、多くの偉人の例を挙げながら、成功するためには、といくつもの課題を出すガネーシャ。関西弁だから理屈っぽさは薄まり、主人公・僕のサラッとした控えめなキャラクターがうまく噛み合っている。

内容は決して難しくなく、ふむふむ、と読み進めることが出来る。断片的な知識しかなかった偉大な事業家の話をいっぺんに読めるから得した気分になる。

関西弁が薄めているとはいえ、途中はやっぱりくどく、また大した激変も無いのであまり揺さぶられはしないが、へえーという感じで興味深く読んだ。

三崎亜記「鼓笛隊の襲来」

ふーむ、すらすらと読める、不思議な短編集。隠喩作品も極まれり。

赤道上に発生した戦後最大規模の鼓笛隊が日本に上陸する!政府は災害対策緊急閣議を開き、千人規模のオーケストラで迎撃、住民は家財を持って逃げ出すかシェルターに避難する。鼓笛隊とは?

表題作のほか、20ページほどの短編が並ぶ。ちょっと異常な社会、SF的な前提、様々だ。

三崎亜記は「となり町戦争」で認められ、「失われた町」、この作品と3つともが直木賞候補になった。選考委員はもちろん名だたる作家さんばかりなのだが、中には「現代の安部公房」という賞賛の声も有るようだ。

こういった短編集は、バリエーションのひとつの作品かもしれない。変わった前提は少しは楽しめたが、心の中の何かを衝くかというとそうではない。

「となり町」は確かにちょっと変わったそれなりに面白い作品だったが、その後は正直、いまひとつ。しばらくはいいかな。

宮下奈都「窓の向こうのガーシュウィン」

独特の表現手法を読むのが、小さな楽しみ。エラ・フィッツジェラルド聴きたくなるな。

自分に欠けているものに静かに納得するようにして育った私は19才のホームヘルパー。仕事で訪れた先の額装屋さんで手伝いを頼まれ、年配の「先生」、その息子で額装屋の主人、さらに先生の孫で同級生だった隼との、暖かい交流が始まる。

たまたまツイッターで本人の新刊文庫に関するつぶやきを見てしまい、つい買ってしまった。宮下奈都は同い年の作家である。

今回はけっこう表現が「暴れて」いるのでなかなか楽しめた。数ある作家の中で思い切った手法を用い鮮やかな感覚を浮かび上がらるのが特徴で、それを読むのは私の小さな楽しみだ。
 
前回も書いたが、宮下奈都は「スコーレNO.4」が隠れた名作で、「よろこびの歌」でも賞を獲った。他はあまり読んでないが、今回は大変小ぢんまりとした作品だと思う。くすぐられるものはあるのだが、そろそろまた、大きな流れを兼ね備えた著作も読みたいものだ。

熊谷達也「荒蝦夷」

面白かったなあ。ワクワクしながら読んだ。久々に、読了が残念だった。

時は8世紀、大和朝廷は、東北地方の諸部族を従えようと蝦夷政策に力を入れていた。伊治公呰麻呂(これはりのきみあざまろ)は大和朝廷に帰順している蝦夷の一部族の長で強大なカリスマ。強い兵たちを持ち、優れた知略と冷徹なやり方で、一筋縄では行かない男だった。

私は古代に興味があり、蝦夷反乱の代表的存在として舞台やドラマにもなったアテルイの話はかねがね読みたいと思っていた。アテルイを主人公とした高橋克彦の「火怨」をいつか、と思っていたが、ここまで縁が無かった。

この本の主人公は呰麻呂がアテルイの父親だった、という設定になっている。呰麻呂はなんでもありの逞しい将で、大和朝廷や、周囲の力を持った部族を相手に複雑な駆け引きを展開する。

古代のことでもあり、残忍残酷な描写も少なからずあるが、当時の情勢や地理的な状況、そして蝦夷、大和朝廷側の権謀術数、キャラクター設定も面白い。朝廷側の近衛隊長、道嶋御楯とアテルイ、やがてアテルイに向き合い反乱を鎮圧する坂上田村麻呂の若き3人を微妙な距離感で登場させている。

熊谷達也の直木賞受賞作「邂逅の森」は私的ランキングで3年前のグランプリ。久々に手に取ったが、やっぱり面白い。それは彼の、東北人としての矜持と無関係では無いだろう。

パウロ・コエーリョ
「ベロニカは死ぬことにした」

「アルケミスト」は面白かったが、こちらは・・うーん、分かんない。

若く美しく知的な女性、ベロニカは、自分の未来に希望を見出せず、また社会に対する自分の無力さを感じ、睡眠薬自殺を図る。目覚めた時、ベロニカは精神病院にいて、自殺の影響で心臓が傷つき、余命は長くて1週間だと告げられる。

つと距離を取って見てみると、自殺者が命を取り留めたけれど、余命わずかと自覚するシチュエーション、また病院に居る人々のそれぞれの過去、そして舞台がこの数年前に激しい民族紛争を経験した旧ユーゴのスロベニアになっていることと、面白い設定ではある。

ヨーロッパでも、さして日本でも映画化され話題となった。なんとなく自殺、というのも目を引く現象なのだろう。芸術系ではあるが、大きなストーリーの流れとしては、なるほど、という感じで、スケールの大きさを感じる。

が、やはり具体的な会話や思考の流れと、現象の説明がどうしたって分かりにくいところがあり、結果として実感を持って響いて来ない。まあ海外の小説にはよくあることだが。

解説に他の作品の概要も載っているか、この人は世界を旅したからか大きなベース、設定の天才的な面白さは買いのようだ。次は分かる作品でありますように。(笑)

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