3月は11作品11冊。短いものもあったが、それなりに読んだ。読み応えありのものもあった。写真は、「朱鳥の陵」の舞台、飛鳥にて、飛鳥寺近くの、蘇我入鹿首塚から甘樫の丘を望む。では、レッツスタート!
坂東眞砂子
「朱鳥の陵(あかみどりのみささぎ)」
壬申の乱もの。いやあ〜難しかった。けど、読みごたえあったなあ。
文武天皇の治世(700年ごろか)。常陸の国の夢解女(ゆめときめ)である白妙は、すでに亡くなった高市皇子(たけちのみこ)の妻、御名部皇女(みなべのみこ)が見た夢を解釈すべく新益京(あらましのみやこ・後の藤原京)へと召される。そこで白妙は、現上皇である先代天皇、持統天皇・讃良皇女(ささらのひめみこ)の心へ否応もなく入り込むようになる。
昔ある時ふと、井上靖「額田王」を読んでみてから、私は大化の改新から壬申の乱前後のファンになった。とはいえこの本と、手塚治虫「火の鳥・太陽編」くらいしか知識のない身、登場人物も多いし、別名も多彩で、人間関係を把握するためにネット首っ引きで読み込んだ。
大化の改新を成し遂げた中大兄皇子は、後の天智天皇である。時代は進み、病に臥した天智天皇は大海人皇子(おおあまのみこ)に「天皇にならないか」と持ちかけるが、「これはヤバイ」と思った大海人皇子は、断りを入れ、ライバルの大友皇子へ実権を移すよう進言し、自らはその日のうちに剃髪して吉野に下る。「いいですねえ」と受けたら、謀反の疑いで殺されるからだ。しかし天智天皇の死後、大海人皇子は兵を挙げ、大友皇子を破る。壬申の乱である。大海人皇子が後の天武天皇。そしてその妻が後の持統天皇、その孫が文武天皇。いやー久々に整理した。
物語は、少女であった、天智天皇の娘・讃良と、現代の白妙の両面から進む。身分の高い女と、都に慣れない、田舎の庶民の女、両方の女性の部分を描きながら歴史の裏面を綿密に描いている。天智天皇と天武天皇に寵愛された額田王(ぬかたのおおきみ)や柿本人麻呂、藤原不比等らこの時代のオールスターキャストをうまく絡ませながら、壮大な物語を織り成している。
故・坂東眞砂子は、「山姥」で直木賞を受賞しているので、いつか読みたいと思っていたら、書店で新刊が目に留まった。一周忌に合わせて文庫が出版されたという作品。力作で、生の女性の視点で、飛鳥時代の魅力に溢れた作品。
満足だ。また、奈良に行きたくなった。
島田荘司「御手洗潔と進々堂珈琲」
興味深くはあったが、うーんいまいち、今ニ。
短編2本、中編2本、京大生時代の御手洗が、浪人中のサトルに世界を旅してきた経験を語る。最初の短編はサトルの体験談。御手洗は、イギリス、アメリカ、そしてカシュガルでの話。
内容は、障害者スポーツ、戦時の朝鮮人の悲劇、カシュガルでの、戦争前夜の出来事と多岐に渡る。御手洗らしく、いろんな知識を散らしている。
最初は小粋なミステリーの短編集かと思った。内容はまずまずで、オチも用意しているが、島田荘司がどういったものを描きたかったのかがもう一つ掴めない。
御手洗潔は頭脳派ではあるが、これだけ万能だと、ちょっと鼻にもつく。なんか期待はずれだった。
小関順二
「2015年版 プロ野球 問題だらけの12球団」
やっぱり面白い。シーズン前の定番です。
育成型チームというのは「頼もしい」。アマチュアからドラフトで指名した選手がきちんと1軍の選手として戦力になっているのを見ると、そのノウハウばかりでなくチームの計画性や目の確かさまで信じられるからだ。FA補強が普通になった現在でも、いや、だから余計、新人で入った球団で育った選手、にはファンも愛着が湧くだろう。親から見ても、安心して子を預けられることだろう。
小関さんの素晴らしい分析を読んでいると、球団の特徴、トレンドと、そこに起こっている微妙な変化がよく分かる気がする。独特の数字を用いた理論は鋭いが、昨今流行りの難しい指数より、古い野球ファンの心を汲み取ってくれている匂いがする。
この10年の野球界は確かに激動だった。この先10年の新しい変化が、楽しみでならないが、ビジネスの方を向きつつ、ファンの心をまず忘れないで欲しいと思う。
「はじめに」にあるディケイド、10年の歌は、渡辺美里「10years」が好きです、はい。
筒井康隆「旅のラゴス」
名作とあちこちで紹介されている、SFの旅もの。落ち着いて聡明なラゴスの冒険旅小説。どんな、と訊かれれば、何回か読み直したくなるタイプの作品かな。
ラゴスは南方へ旅をしている。途中壁抜けをする男と出会ったり、巨大な鳥と大蛇のいる国を通ったり、長い間奴隷として働いたりと珍しい体験や苦難を経て目的の街へ辿り着く。彼が感じていた使命とは。
正直どんなものかな、と読んでみたが、SFだけでなくファンタジーのような設定もあり、また近代社会の歴史への警鐘的な部分もあり、さすらい性と知的さ、またハードボイルドの気味がミックスされている感じである。
なによりラゴスが聡明で意思が強く、完璧でいい男なので、安心して読める部分が、意外にこの物語の芯となっている。もちろん無理のある部分もあるな、とは思うが。
1986年、私が19才の時の作品である。筒井作品はあまり読んでないが、そもそもSFの出の人で、それぞれのエピソードにあまりつながりがあるとは言えないが、バタバタせず、ラストにはきちんと畳んだ感がある。
まあ、面白かったかな。
ジェローム・デビッド・サリンジャー
「フラニーとズーイ」村上春樹訳
うーん、難解だった、とか、特徴的だった、とか言うよりは、正直に、つまらなかったと言おう。
ここ最近では村上龍の「歌うクジラ」以来、読み進むのが困難であった。文章の中身が消化できないタイプの、例えが異様に多く機能していない文体である。
60ページ程度の「フラニー」と200ページを超える「ズーイ」から成っている。フラニーは名門女子大に通う二十歳の美しい娘で、ボーイフレンドとのデート中、情緒不安定に陥る。ズーイは彼女の五歳年上の兄で俳優。「ズーイ」の中では、フラニーはその後凹んでいて、家で皆を心配させている、といった設定。映画なんかでもよく目にする、家族風の会話をはさみながらストーリーは進行するが、いい味を出しているかというと疑問である。
数はそんなに多くはないが、そこそこにアメリカの小説を経験した中でも、面白くなかったな。
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