2014年11月25日火曜日
MIMASAKA!
2014年11月20日木曜日
Return to OSAKA
休む間も無く、日曜は岡山の山の方へ1泊、月曜に帰ってきて火曜は東京へ。まあ、これで多忙期間は終了。いま気が抜けとります。
読書も再開しなければ。とりあえず、ゆっくり寝よう。
2014年11月16日日曜日
2014年11月10日月曜日
秋雨
それにしても、週末ごとに雨降ってるなー。
土曜は仕事。日曜は休み。雨だったけど、単独でちょっとお出かけ。ブックオフで本買って、無印でベルトを買った。
ちょっと、のお出かけだったけど、前の日何の本を買うかは研究してあったのでダラダラはしなかった。今回は「読んだことのない作家さん」がテーマである。年間100冊以上読んでてもたくさんいらっしゃる。
今回、貴志祐介「悪の教典」、万城目学「鴨川ホルモー」、北村一光「ファントム・ピークス」。いずれも、ブックオフのブログ企画、「1万人が選んだ文庫100選」を参考にさせてもらった。ちなみに100のうちすでに読んでたのは25だった。
この楽しみな3冊に、北村想という人の「怪人二十面相・伝」とその続編の2冊も購入。たまたま目に付いたので・・。子供の頃の二十面相ファンとしてはそそられた。最近映画化された二十面相ものの元になった作品である。
いっぱい買って、3時間ほどの外出だったけど、うまい気分転換が出来た気分だったのでした。
2014年11月3日月曜日
寒到来
だいたいスーツも、毎年11月後半の寒さが来てからやっと衣替え、という感じだが、まもなくだ。
一昨日は東京往復。きのうは高槻の山中でお仕事。3連休唯一の休みのきょうはアウトレットに買い物。珍しくパパメインで新しいスーツを買いに行った。でも、アウトレットはやはりカジュアル中心で、色デザインサイズともに種類が無いし、店員さんは休日はなかなかつかまらず、時間を要した。
冬用スーツじゃなくてオールシーズンが欲しかったがこの季節余計少ない。妥協を重ねて1着購入したけど、こんな中よりは、量販店でもいいからゆっくり買いたいな〜と思った、正直。
アウトレットは山にあってちょっと寒かった。毎年紅葉は、直前まで暖かくて、急に寒波が来て、すぐ最盛期が終わってしまう。自宅の周りも含め山里はそろそろだ。
昼はそば飯。人多い。帰りの車中でうたた寝し(運転は妻)、夕方は読書。
早めに風呂入って、晩御飯は酒の塩焼きとミニグラタンとお吸い物にお漬物。息子を寝かしつけていまに至る。
去年のきょうは仙台に行ってたな。日中は寒くなかったが、夕方はホントに寒かった。
買い物1回すると、課題が見えるもので、眼鏡も古いし、カジュアルシャツあとひとつ買いたいし、ジーンズ新しいの必須だし、ズボンだけ擦り切れたスーツ、うまく同じ色味のものズボンだけ買えないだろうか、とか考える。
取り敢えずショップの店舗を確認しよう。
さて、少し本読んで寝ようかな。
2014年11月1日土曜日
10月書評の2
カート・ヴェネガット・ジュニア
「タイタンの妖女」
爆笑問題の太田光のオススメだそうだが、彼が言うとおりさっぱり分からなかった。
1959年に書かれた作品で、作者は後年、アメリカを代表する作家となったという。SFの名作とされる。妖艶な衣裳を身に付けたタイタンの女王などは出てこない。
愛犬と太陽系を彷徨っているウインストン・ナイルズ・ラムファードの屋敷に招かれた、若き大富豪マラカイ・コンスタント。ラムファードから、やがて火星に行って、ラムファードの妻ビアトリスと結婚して息子を設け、地球に戻った後、土星の衛星タイタンに行くことになる、と予言される。
火星と地球との戦いあり、タイタンでのやはりSFチックな生物の描写ありとそれなりに楽しめないこともないが、極端な設定と哲学的すぎる文章が、意味を確立してくれない。
アメリカにはフィリップ・K・ディックという非常にクセのある、SFや架空の設定に現代をミックスする大作家がいたし、ヘミングウェイの「老人と海」とか「キリマンジャロの雪」などでも、直接的に意味合いが受け取れる話は少ない。それがアメリカの文学の風潮なのだろうか。芸術的、哲学的なのは嫌いではないが、今回はまた特別しっくり来る部分はなかった。
まあ、こんなものなのだろう。しばらくこの類はお休みしようっと。
宮下奈都「誰かが足りない」
ツッと差し込むような短編集。感動を呼んだりはしないが、雰囲気がいい2012年本屋大賞第7位の作品。購入した上野駅の書店のしおりが気に入った。
就職に失敗したことで彼女を失い、コンビニの店員をしていることを郷里の親にも言えない男。夫を失ったことを受け入れられない老婦人。恋人に他人の尻拭い要員、とそしられ、あげく捨てられた女性係長。親を失い、引きこもりになった少年、などなどが、それぞれの希望を見出し、レストラン「ハライ」に予約を入れる。
宮下奈都は、「スコーレNo.4」に衝撃を受け、本屋で意識する作家になった。「くちびるに歌を」そしてこの作品、と読んだが、剥き出しの感性を、才能を感じさせる表現で自由に綴る、という特徴の片鱗を、今回も垣間見ることができた。
宮下奈都の特徴は、目新しいネタを取り上げるのではなくて、日常的なことを表現していく、という部分だと思っている。もちろん今回のレストランやオムレツの話のように、非日常なところはあるが、「スコーレ」なんて靴屋に就職した娘の話だし。どれだけ表現できるか、に挑んでいるようにも見える。
ただまあどうもこの2作品は抑え気味だ。悪くはないけど。また「スコーレ」をより進化させたような、なんでもない物語なのに、計算されたような、ビビッドで大きなうねりを感じさせる大作を待っている。
西山繭子「バンクーバーの風」
カナダ移民社会の話。野球の気分で購入。
カナダ・バンクーバーにはおよそ2万人の日本人移民とその2世、3世が居た。厳しい人種差別の中で、人々に希望を与える「朝日」という名の野球チームがあったが、カナダ人のチームを相手に負け続けていた。主力の1人、製材所で働く笠原礼治、レジー笠原はある試合で、勝つためのヒントを得る。
時代は明治維新後から日米開戦まで。当時は、国内では増える一方の人口を抱えきれない政府が移民政策を推奨していた。レジーの父親もまた、「カナダで3年働けば日本で一生食える」という政府の移民政策のキャッチコピーに乗って、現地で現実を知った次男坊である。カナダでは、日本人にはキツい肉体労働しか与えられず、賃金も安かった。
レジーの母親も、当時流行した、「写真婚」つまり現地から送ってきた、夫候補のさも豊かな暮らしをしているかのような写真だけで結婚を決め単身現地に渡った。レジーがほのかな恋心を抱く杉本せいは、洋裁の勉強をさせると騙されてカナダに渡り、女郎屋に売られた女である。行ってみたらもう戻れない、という運命の世界に生きた人々の物語でもある。
カナダ日系社会の複雑な問題を単的に捉え、その中で野球の素晴らしさを描く作品。
胸がスカッとする場面もあるが、実はあまり感動は無かった。ただ題材は非常に興味深いものだった。
太宰治「グッド・バイ」
気になっていて、えいっと購入。ま、280円文庫なんだけど。
100ページ余りの中に、「父」「おさん」「饗応夫人」そして未完の遺作「グッド・バイ」が入っている。
太宰治は、「人間失格」「走れメロス」しか知らない。「人間失格」は他者の目を気にする、異常なダメ男の話で、それなりに感情を刺激した。
今回は最初の2作品が、家庭を顧みない、しかし小心な夫の話。「グッド・バイ」は本来の80回の連載があったはずの、現代にも通じそうなマンガっぽいコミカルな話。妻子ある男が複数の愛人との縁を切るためにある女に協力を頼むのだが、妻役のこの女が、美人だけれど、金に意地汚いわ、とんでもない大食だわ、力が異常に強いわで逆に振り回されるハメになる。
「人間失格」では、人目を気にして、細かい事まで色んなことを考える、現実に即した姿が描かれていて、そこは共感できるところがあった。特に最初の2編では同じようなものを感じた。
「富嶽百景」や「斜陽」も読んでみようかな。
伊坂幸太郎
「バイバイ、ブラックバード」
なかなか面白かった。マンガな展開の中に、ちょっと深さを感じさせるような・・。
タイトルは、ジャズの名曲からと思っていたが、いや、作中にも確かにその曲は出てくるのだが、太宰治の未完の遺作、というか多く見積もっても4分の1くらいしか書いていない「グッド・バイ」を伊坂流にアレンジして完結させた小説である。
借金のトラブルで、「あのバス」に乗せられる事が決まっている星野一彦。最後にせめて、と付き合っていた5人の女性と別れるため、身長190センチ、体重200キロで金髪の自称ハーフ、口が悪く態度も大きい監視人、繭美と共に彼女達のもとへ訪れる。
太宰の原作では、星野役は「出来る」色男。繭美役のキヌ子は絶世の美女だが、このへんはだいぶ変えて伊坂流にしてある。
星野と繭美は、5人の彼女を巡って行くのだが、一つ一つの話が練りこまれているような感じで面白みを感じる。また繭美という強烈なキャラクターを生かしきっている。
伊坂は、ディテールを放っておいたりするし、刹那的で軽妙に過ぎるきらいもあって、あまり好きになれなかった。展開がマンガ的で、強いキャラに頼りすぎているような気もするし。
しかし、この前に読んだ「アヒルと鴨のコインロッカー」やこの「バイバイ、ブラックバード」は、初期の香りもして、なかなかいいと思う。
「あのバス」についての本人の話が、個人的に面白かった。ロシアの映画でたしかベネツィア映画祭で最高賞を取った「父、帰る」という作品がある。菊池寛の小説と同名、謎の多い話というし、さぞかし奥行きがあり、味わい深い作品かな、と期待して観に行ったら、まったく謎について一つも説明の無いストーリーで、パンフレットには監督談として「これは芸術だから」と書いている始末。やはりベネツィアは風変わりだ、と思った記憶がある。説明しない映画はいくらでもあるし、そこが評価されてベネツィアを獲ったことは理解している。しかし想像を巡らすことが楽しかったり、言葉以上に訴えかけるものがあるのが普通だ。ヨーロッパ&アジア映画はたくさん観たが、その中でもよろしくない方の異彩だった。
伊坂はこの映画を例えに出して、「その体裁が神話っぽいなと思いまして(中略・だから)読者を満足させる必要はないと判断しました。」と語るのだが、いや、あの映画は説明しなきゃいけなかった、それ都合良くない?と思わずツッコミを入れてしまった。
話の練度、皮肉も効かせているし、強烈なキャラクター、繭美と対称的な星野からは太宰特有のだらしなさも見える。ストーリーがキャラにうまく噛み合っている感じ。まるっきり違う話であるのに、太宰作品へのオマージュとして成り立っていると思えるところが面白い。
10月書評の1
2週連続で台風も来て、クライマックスシリーズもドラフト会議も日本シリーズもあって、だんだん涼しくなってきた。
10作品10冊。久々に借りた本も多かったので、それなりに幅は広がった。では今月もスタート!
ジョナサン・スウィフト
「ガリヴァ旅行記」
リリパットの国(小人国)では、クィンバス・フレストリン(人間山)と呼ばれ、ブロブディンナグ(巨人国)ではグリルドリッグという可愛らしい名を貰い、飛ぶ島ラピュタとその下界の領土バルニバービで過ごし、亡霊と魔法の島グラブダドリップではアレクサンダー大王やアリストテレスを呼び出してもらい、ラグナグでは不死の人間、ストラルドブラグを見て、馬の国フウイヌム国では、その徳の素晴らしさに一生ここで過ごしたいと思ったイギリス人船医ガリヴァ。やはり面白いが、理屈も長い。
政治批評などをしていたイギリスの文筆家、スウィフトはやがて政治の舞台では活躍の席を失い、後年狂気をも孕んだ人間嫌いとなる。
第1章、第2章は大きくなったり小さくなったりと児童文学的でもある。全体にアイロニー溢れる作風になっているが、物語が中盤以降になるに連れ人間風刺が進み、第4章、馬が理性的な支配者である国、フウイヌムでは人間によく似ているが知性のない家畜ヤフーに対し非常な嫌悪を示し、その主人達の自然で崇高な社会の在り方に心酔する。
ヤフーを嫌い、尊敬する馬たちと一緒に居たため、帰国してもヤフーに似た人間の臭いから何から気に入らず、ガリヴァは家族にも触る事すら許さず、馬を購入して可愛がる。
恐ろしく人類を分析、風刺、揶揄した大作だ。夏目漱石も不愉快を呼び起こす物語、という意味のことを書いている。
しかし架空の物語設定は素晴らしく、天才の作品と呼んでも差し支えないだろう。もう少し理屈っぽさを抑えたら最高。当時の習俗も考え方も目に出来て面白い。大人にとっても、まさに傑作と言えるだろう。
1726年に出版されたこの物語。私が手にしているのは昭和26年の訳本で、なかなか昔風の言葉遣いが面白かったりする。大学の頃買ったもので、だいぶボロなので新訳版を買って読もうかと思っていたが、旧い版で結局読んでしまった。人生でもう一度くらいは読むだろうから、その時に新訳版を買おう(笑)。
桜庭一樹「赤×ピンク」
エロで格闘系で過激で猥雑な物語かと思いきや、女の子のお話だった。
六本木の廃校となった小学校で夜な夜な繰り広げられるガールファイトショー。萌え系キャラで人気ナンバーワンのまゆ、アルバイトでもリングでも女王様のミーコ、空手家でバイク好きな、男っぽい皐月が、それぞれに一歩を踏み出す。
キャッチは抜群、すでにR−18で映画化もされた作品。エロだけど行き過ぎてなく、大人の漫画のような味付けの、基本はコミカルな展開。
怪しげで魅惑的な異空間を創り出し、主人公たちの身の上を語る、という展開だが、サクサク読めて、面白い。お色気たっぷりだが、さわやかに見えるほどだ。
ただまあオチが唐突だったり、実によくあるネタだったりと、設定以外は、あまり斬新ではない、かな。
私はめったに同じ作者やテイストの物を読まない。今回シクシク来る重松清と、世界的名作の次が、この作品。破滅的で、都会の若い女の現代的な生き様と言えなくもないが、最後はなんだかほんわかしてしまった。
三浦しをん「仏果を得ず」
文楽、人形浄瑠璃の話。変わらず独特のマンガチックな展開で、またネタが新鮮なチョイスかと思う。
文楽の大夫(語り)である健は、師匠の人間国宝・銀大夫から、「三味線の腕は良いが変人」という評判の兎一郎と組むことを命じられる。
こう書くと、結構シリアスな感じに見えなくもない。しかし、もちろん絶対服従ではあるが、師匠にもツッコミまくる関西風のドタバタで、設定も映像向きか。
健の芸の道、隠された真実、また恋、ベースとなる愛すべき周囲の人たち、と舞台や小道具は整っている。サクサク読めたし、実際知識的にも面白かったし、文楽を観に行きたくなった。
が、しかし、私の勝手な思い込みではあるが、三浦しをんには得心がいっていない。もう少し突き抜けたような、何かを感じさせる作品を描くことが、いつかきっと出来るはずだと思う。
ネタはそれは目新しい方が良い。マンガ的展開は、やがて飽きがくるし、都合が良すぎるとどこかでバランスが狂う。似たような話を書く作家は大勢いる。桜庭一樹が「私の男」を、角田光代が「八日目の蝉」を描いたように、いつかを期待している。
三浦しをん「あやつられ文楽鑑賞」
こぉのミーハーめ、というのがポイントのような気がする。
タイトルの通り、文楽=人形浄瑠璃の熱烈なファンである三浦しをんが、三味線、人形担当、大夫(語り)に話を聞いたり、著名な作品について取り上げたりと、入門編的な一冊。自らの著作、「仏果を得ず」のガイドブック的役割も果たしている。
新鮮なネタを探してきて、料理するのが上手い作者。今回は、語りの方へのインタビューが上手だな、と思った。取り上げる作品にしても「女殺油地獄」など聞いたことのあるタイトルもあるので、知識欲が刺激される。
そのミーハーぶりをことさら強調しているため、作品解釈や、作品の登場人物へのツッコミなど、軽く不快感を覚えてしまう。文章的にもどうも、ちょっと文才のある学生なら書けそうなテンポと言葉遣いだ、と思うし、女子、という立場を最大限生かしているな、とも感じられる。
私的には、ミーハーめにしているのは、おそらく計算だろうと思う。逆にコンプレックスがそうさせているのかも知れない。不快感も注目度の一つである。
ひとつ残念なことは、本書でも触れてある部分はあるが、光の当て方、また動かし方によって、人形の表情が変わる、と聞いたので、個人的にそれにも一章割いて欲しかったかな。まあ、自分で観に行きなさい、ということでしょう。(笑)
黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」
不思議の国の小学校。でも雑多な香りもする。
落ち着きがなく、常軌を逸した行動で小学校を退学になったトットちゃんは、自由が丘にある「トモエ学園」に入学する。電車の車両が教室で、好きな科目を自由に勉強してよくて、自然に触れ合う機会が多いという、楽しい学校だった。
1981年の作品。黒柳徹子の自伝であり、実在した小学校のユニークな教育方法を紹介している。トモエ小学校は、いまの自由が丘駅から歩いて3分、ピーコックと駐車場の所にあったそうで、よく行った身としては、さらに不思議な感じだ。
黒柳徹子もあとがきで書いているように、理想の教育を掲げる教育者は多いだろうが、それを実際にやるとなると大変難しい。こんなに上手く行くなんて、どこかにファンタジー入ってるでしょ、と読んでても思う。
でも上品だけど、どこかに匂う、大らかな、雑多な子供らしいスパイスがきいた文章が、説得力豊かに読ませる。こうなると事実がどうかはどうでもよく、最後にホロッとくるくらい、物語の中、子供たちをはじめとする登場人物達に肩入れしてしまっているのに気がつく。
ヴァイオリ二ストの千住真理子が、慶応幼稚舎での楽しい体験を著書「聞いて、ヴァイオリンの詩」で語っているが、小学校時代の印象、というのはやはり強いのだろう。
名作。個人的には、トットちゃんがなぜトットちゃんなのかも頷けるところがあった。また、鉄条網の下に穴を掘ってかいくぐり、またおしりから戻り、少し横にずれてこの行動を繰り返す、という幼時の黒柳徹子のパワーに大笑いするし、その面白さも理解できる気がする。