2011年3月22日火曜日

記録と想い

まずは、今回の地震、津波による災害で亡くなられた方に心から哀悼の念を表したい。また、1人でも多くの人が救い出されて欲しい。本当に、心から。

11日は、都内10Fのオフィスで地震に遭った。私は阪神大震災を経験しているが、あのときはなにせ起きぬけで、激しい揺れの時間も、今回はかなり長かったと思う。しかも2回。怖かった。会議室の屋根板が一部曲がってはみ出していた。家族も無事で、ほっとした。深夜まで会社にいて、地下鉄が動き出したところで帰り、1時半ごろ家に着いた。仲のいいお隣も今夜女所帯ということで、2階に2家族寝ていた。朝また大きな地震があり、眠れなかった。

土日と買い出しに行ったが、街もスーパーも落ち着いているように見えるものの、一番近いスーパーは、パンは売り切れ、カップめんのたぐいはひとつもなし、卵もなし、ポテチなどのお菓子類もほぼなし、トイレットペーパーもなし。食品が無いわけではないし、他のスーパーを回ってだいたいのものは買えたが、やはり不安な心理は皆の心にあるようだ。

阪神のときは、電気は思いのほか早く復旧したものの、水道は1カ月、ガスは3カ月止まったままだった。経験から言って、被災生活は長い。なんとか少しづつでも良くなっていくことを願いたい。

計画停電の話が出て、月曜日は1時間遅れて出社した。帰りも渋谷で大混乱していたので、5キロ1時間だからと歩いて帰った。翌日から朝は1時間ほど早く出て、帰りもいつもと別ルートにしている。30分歩くが、いつどうなるかわからないからだ。バスも一部燃料不足で突然運休になったりした。

原発のこともあり、余震も怖い。息子とクッキーは大物なのか、余震があってもぐーぐー寝ている。ちょっと救われるが、昼間も目と手の届くところに置いておかないと気が休まらない。

アップは出来なかったが、先週書き溜めていたものを本日上げた。自分の貴重な記録なので、タイムラグはあるが残しておくことにする。写真は息子が地震前にたまたま撮っていた日本地図である。深い意味はない。

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