
「転機」という言葉を意識したのはいつだっただろうか。シャーロックホームズの「最後の事件」で、ホームズがワトソンに宛てて書いた、死を覚悟した手紙の中に、「僕の人生は転機を迎えていたのだし、これ以上僕にふさわしい結末はないだろう」という一文があって、妙に衝撃を受けたのを覚えている。春は転機の季節であり、思い出もある。
ここから先はグチだし、弱いが許して欲しい。
幼稚園生活は、良かった。近かったし、先生もみな優しく、行事も多く、3年間同じクラスだから友だちにも恵まれた。ママ友も、パパ友も。穏やかに卒園を迎える予定だった。
小学校は、留守宅のある西宮で通うと決めていた。転勤もぼちぼちだと思っていたし、息子には少々かわいそうだが半年1年で転校するよりは、と準備も進めていた。
地震が起こって、卒園式まであと1週間というところで、幼稚園は休みになった。余震の怖さ、物のなさ、原発などで、周囲の人は次々と首都圏を脱出した。我が家も、引越しはゆっくりとする予定だったが、卒園式前に帰ってしまおうかという話が現実味を帯びていた。
そして19日、卒園式はかなり縮小、そして地震に注意を払いながら、行われた。茶話会も、なし。でもやはり感動した。面接試験前にどんな園か見に行ったころからの月日が思い出された。私もだいぶ送って行った。雨の日も、雪の日も。いい年月だった。
本当なら、たくさんお呼ばれして、ゆっくり皆とお別れしていたはずが、卒園式から2時間と経たないうちに慌しく出発した。それでも3家族が見送りに来てくれた。
私の転勤は、無かった。単身赴任である。ともあれ引越しはしなければならないため、車に全員が乗って移動した。車に慣れていないクッキーが吐いたりしたがまあ想定内。途中渋滞につかまって、着いたのは深夜だった。翌日から、片付けたり、ママを休ませるために息子を長い散歩に連れ出したり、自分の用事を済ませたりして、きょう帰って来た。迎えてくれたのは、なにもない部屋、に思えた。
慌しく出たために、家の中はそのままの部分が多かった。息子のおもちゃやバッグ、カレンダーやシール、風呂で一緒に覚えたひらがなの表、幼稚園の制服・・しかし、そこにはなにもない。毎日同じ布団に寝ていた息子が居ない。幼稚園での日々とともに消え失せたようだ。世に同じ境遇のお父さんは普通にいるだろうが、早くもくじけそうだ。「東京に行って土曜日には戻ってくる?」なんとなく感づいている息子が訊いてくるのが痛かった。
ここからしばらく、頑張らなければならない。覇気はある。負けない気概ももっている。ただ、いまは、少々落ち込むのを自分に許して、正直にいたいのだ。関西に行きたくない、と言った息子に、これが転機なんだから前に進もう、と言った手前、頑張らなければ・・