平安神宮のごく近くの京都国立近代美術館、いわゆるキンビで美人画の大家・鏑木清方展を観てきました。なんつってもこの真ん中の「築地明石町」に尽きると思います。小股の切れ上がった女性、身体をくねらせた一瞬が大人っぽく美しい。
鏑木清方は近代小説初期の天才、泉鏡花の挿絵画家をしていた。文学に直感を発揮する人みたいで、樋口一葉「たけくらべ」のヒロイン美登利の絵も描いています。
こういう展覧会は、和服の模様、色遣い、対比などが良い刺激。絵日記も楽しかった。絵の全体はそれほど目立たなくとも、着物の柄に心惹かれたりもする。展覧会の楽しみを満喫した心持ちでした。同じ時間帯に回った人の中に、紺地に薄い黄色の帯でキメた年配の方がいらして小粋でした。
他のフロアではピカソや西の松園、東の清方、と美人画を比較された上村松園の絵もありました。
キンビの周囲はいくつもの美術館、府立図書館、舞台のロームシアターほかの文化施設が集まってる文化ゾーンです。近くの細見美術館へ移動。前から興味があった神坂雪佳の展示を観ました。神坂雪佳は琳派の影響を受けつつモダンなデザイン、陶器の図案などを考え続けた人。琳派の壮麗で品の良い作品も描く一方、この「狗児」という作品は可愛らしく柔らかい感じもあります。展示の数はそこまで多くはないですが、才能のマルチな躍動を感じさせた展示会でした。
平安神宮は蚤の市をやってて賑わい。友人に教えてもらった、タルトタタンが有名な店でテイクアウトし、居並ぶキッチンカーで昼食を買って岡崎公園でランチ。タルトタタンは苦甘くキャラメリゼされたリンゴが何層も載せてあって評判通り美味かった。
公園にある蔦屋書店で、貯まってたTポイントを使い、人気だという青山美智子の「赤と青とエスキース」を買っていま読んでます。
大阪に戻って中之島美術館でモディリアーニ展。事前に勉強して薄めの画集も見ていたから作風の進化やベルエポック時代のパリでの活動は概ね頭に入ってて、より楽しめたかな。多作ではないので同時代の画家の絵も多かったけども、最終コーナーにはモディリアーニのヌード、肖像画がずらりと並んでいて堪能の溜め息が出ました。
見ればだれの作品かがすぐ分かる明確な個性、深みを感じさせる極端なデフォルメで描かれた作品群に圧倒されました。背景が服と同系色だったり、塗り込んで模様を作った赤だったりして、その中の人物の存在感はオーラを感じるほど。
1日で美術展3階建てハシゴ。脚痛い😆家も含めると京都大阪兵庫でニア3都物語。この日1日でピカソの絵が何枚も観られたのはよかった。樋口一葉「たけくらべ」、最近ちょっと好きな泉鏡花の未読作品もこの機会に読もうかな。キンビの別フロアでやってた映画ポスター画展にはジュール・ヴェルヌ「海底2万マイル」があり、ノーチラス号に大イカ?がからみついてるのを見て、小学生以来の再読をしたくなりました。
◼️ 皆川博子「光源氏殺人事件」
うむむ。さすが御大、飽きさせない展開のサスペンスミステリー。阿蘇と京都と。
ところどころに入るエスプリ、表現。10年ひと昔とすればみつ昔とよつ昔の半ば前くらいの作品で、時代感もあるなと思う。オチはそうきたか!でひたすら文芸的だ。
旅行会社に勤める秋弘は父のいとこで、最初の妻が伯母である文学者・藤谷和正から、藤谷建設の会長綾子を紹介してやると持ちかけられる。秋弘は新規顧客開拓のため、藤谷家を訪ねた。和正はかつて札幌で若い妻の尚子の世話を秋弘に頼み、2人は不倫関係となり現在も続いていた。藤谷家で、秋弘はたまたま電話で「殺してやる」という言葉を聞いてしまう。声の主は、秋弘の元恋人で、藤谷一族の若き副社長・典雄とも付き合い、いまは恨みを抱くミキだった。
藤谷一族の熊本・阿蘇旅行に和正も同行することになった。ミキの兄、綱男が勤めるホテルに泊まった秋弘に、尚子はベタベタしようとする。秋弘と綱男に、長年連絡の無かったミキから電話が入る。そして翌日、尚子が失踪したー。
最初はなんでこんな設定?と思うくらい、やたら親族関係が入り乱れているところ、そして和正が秋弘へあたかも尚子を与えるようにしていることが、源氏物語との関係性、そのヒントである。
ストーリーの一要素として源氏物語の使い方もおもしろい。光源氏薨去で挟まれる、本文がなく後半の匂宮と薫の時代へのブレイクとなる「雲隠」の巻をポイントに持ってきている。魅力的な謎は知的好奇心をくすぐる。
私は与謝野晶子訳の源氏物語を先年完読した。川端康成が「源氏物語は日本最高の物語でいまだこれを超えるものは出ていない」と書いていたからで、読んだ後確かに、自分自身かなり変わったと思っている。宇治川の重く時に激しい瀬の流れが心にいつもあるような心持ちがし、宇治川を見に京都へ行ったりした。
うーんもっとよく読みこめば源氏と関係ある部分もあるかもしれない。机上でよく考えられたような話で、テイストに時代性が現れる。いわゆるメインの動機、また全体を俯瞰して出てくるトリックのようなものは、なるほどそうきたか、と思った。
ラストも時代的。えーと、柏木と紫の上?夕霧なら紫に憧れていたはずなのだが、柏木はどうだったかな。考えてしまった。
紫式部が源氏物語を執筆した場所と言われる御所横の廬山寺の入場チケットをしおりに、京都に行った日に電車の中で読了。一応雰囲気合わせました^_^
中心の舞台となる阿蘇の火口は子供の頃からなじみのある場所で雰囲気は分かる。ここは物語に沿っているわけではなさそうだ。
まずまずおもしろかった。
◼️ 谷釜尋徳「ボールと日本人」
蹴鞠、打毬・・明治維新以降もおもしろい。
タイトルの如く、ボールゲームを中心に古代から日本のスポーツを解説した本。なかなかおもしろかった。
720年に完成したといわれる日本書紀では、中大兄皇子と中臣鎌足が打毬(くえまり)の会で急接近したという内容の記述があるとか。源氏物語の若菜上では貴族たちが蹴鞠を楽しむ様子が描写されている。800年ごろに成立した万葉集には打毬(だきゅう)、ホッケーのスティックのようなもので球のようなものを打ち合う情景の記録がある。どちらも大陸から入ってきたものだった。
蹴鞠は貴族、公家、その後に実権を握った武士の間でもメジャースポーツとなり、競技場の企画わルールが早くから整備され、鞠や専門の靴の開発、生産などが盛んに行われた。なにせ「鞠聖」つまりスーパースターと呼ばれる人もいて、飛鳥井家と難波家という二大家元が君臨し、全国には鞠目代という指導者が配され、長らく愛された。茶の湯や和歌などもそうだが、武士は平安貴族の文化を嗜みとして身につけようとしたので、その延長かとも思えるが、庶民にも広まり、単純に楽しめたのもあるかと思う。
主に空中に浮かせてパスをする、その回数を競うものだったようだが、最高950回という数も記録されているとか。
打毬は武士の台頭とともに担い手が庶民の手に移り、「毬杖(ぎっちょう)」や「ぶりぶり」という遊びとして残った。時は下り徳川八代将軍吉宗の時代に武芸鍛錬の一環として奨励され、盛んになった。騎馬で、ラクロスのような網付きのスティック用のものでボールを保持し、板に開けた穴のようなゴールに放り込む。ディフェンスもいるから、それは激戦だったようだ。片手に手綱、片手にスティック。明治時代初期まで行われた。
そして明治維新となり、西洋のスポーツがなだれ込むように入ってくる。1800年代はヨーロッパでも科学、芸術が花開いた感がある。その大きな流れは極東の日本に届いた。さまざまなスポーツの組織ができ全国大会が催され、昭和にかけてスポーツグラウンドや体育館は急速に整備された。ボールを始めとする用具も進化した。
各スポーツの日本での萌芽を簡単にまとめてあり、なかなか興味深い。驚いたのはバレーボールで、オリンピック競技となったのが東京オリンピックからだということ。そんなに遅かったのかと。体育で経験した9人制バレーボールが普及していたようで、国際大会を意識して6人制導入に踏み切ったものの、6人制採用派と9人制擁護派で議論があり、東洋の魔女たちの金メダル獲得は6人制普及の決定打となったとか。
印象的なのは昭和初期には陸上ホッケーが大変に人気で、女学校や社会人チームでも盛んに行われたとか。日本の毬杖に通じるような気がする。蹴鞠とサッカーは競技の性質が違うと明確に書かれてはいるが、長くいろんな社会層に愛されたのだから、なんとか歴史のチカラでドイツやスペインにも勝ってほしいなあ、なんて無茶を考えてしまった^_^
2022年6月12日日曜日
クッキー
クッキーは先週の金曜日に逝ってしまった。12歳だった。数年前クッシング病に罹り体毛が抜けるなどしていたが、特にレオンが死んでから食欲がなくなったり、体調に波があった。足腰も弱って来た。
とはいえ、私がフローリングに座椅子で座っている脚の間にクッキーのベッドを置いて寝かせてやるとゴロゴロとして甘えていたし、まだ自分でトイレもふつうに行っていた。
それが、亡くなる2日前に歩けなくなり、次の日の夜は思い通りにならない身体がはがゆいのかしんどいのか、ベッドでヒンヒン鳴いていた。いつものように身体の近くにベッドを置き、ヒンヒン鳴いたらよしよししてやる繰り返し。しまいに膝にかかえると一時落ち着いて寝ていたようだった。
一緒に和室に寝るという妻に託して私は階下の部屋で寝る。夜中トイレに起きた時、またヒンヒン鳴く音が聞こえていた。
朝早起きして様子を見に行くと、今寝たところだとのこと。クッキーが目を開けてこちらを見たような気がした。30分後くらいに抱いて降りて来た妻が、こときれてる、と。
レオンは長く患っていたしその日ははっきりしていた。でもクッキーはあまりに突然だった。夜中に見に行ってやらなかったのが惜しまれた。
クッキーは息子が生まれてから我が家に来たので、いつもパパーっと寄ってきて愛想満点だった。レオンと正反対の運動嫌いで、私が散歩用のバッグを斜め掛けしようとするとさっさとバッグに潜り込む。抱えられて散歩するのが好きなようだった。
葬儀から1週間。クッキー、お前がいないとつまんないよ。美しかった東京時代、こちらでの暮らし、思い出が多すぎる。流星群を見ていたらつれてけと吠えたので、ダウンの懐に抱えてテラスで星を観てたっけ。
あっけない最後で、泣けなかった。いまもそう。もう新しい犬を飼う気力はないしね。
こんなにも立て続けとは思わなかった。呆然。しばらくロスりそうだ。生命は不思議。入っていればこんなに可愛かったり表情豊かで、動くエネルギーも動物の強さが漲る。そして命はいつか出て行く。残るのは不思議な抜け殻。
かわいいクッキー、さよなら。ありがとう。
とはいえ、私がフローリングに座椅子で座っている脚の間にクッキーのベッドを置いて寝かせてやるとゴロゴロとして甘えていたし、まだ自分でトイレもふつうに行っていた。
それが、亡くなる2日前に歩けなくなり、次の日の夜は思い通りにならない身体がはがゆいのかしんどいのか、ベッドでヒンヒン鳴いていた。いつものように身体の近くにベッドを置き、ヒンヒン鳴いたらよしよししてやる繰り返し。しまいに膝にかかえると一時落ち着いて寝ていたようだった。
一緒に和室に寝るという妻に託して私は階下の部屋で寝る。夜中トイレに起きた時、またヒンヒン鳴く音が聞こえていた。
朝早起きして様子を見に行くと、今寝たところだとのこと。クッキーが目を開けてこちらを見たような気がした。30分後くらいに抱いて降りて来た妻が、こときれてる、と。
レオンは長く患っていたしその日ははっきりしていた。でもクッキーはあまりに突然だった。夜中に見に行ってやらなかったのが惜しまれた。
クッキーは息子が生まれてから我が家に来たので、いつもパパーっと寄ってきて愛想満点だった。レオンと正反対の運動嫌いで、私が散歩用のバッグを斜め掛けしようとするとさっさとバッグに潜り込む。抱えられて散歩するのが好きなようだった。
葬儀から1週間。クッキー、お前がいないとつまんないよ。美しかった東京時代、こちらでの暮らし、思い出が多すぎる。流星群を見ていたらつれてけと吠えたので、ダウンの懐に抱えてテラスで星を観てたっけ。
あっけない最後で、泣けなかった。いまもそう。もう新しい犬を飼う気力はないしね。
こんなにも立て続けとは思わなかった。呆然。しばらくロスりそうだ。生命は不思議。入っていればこんなに可愛かったり表情豊かで、動くエネルギーも動物の強さが漲る。そして命はいつか出て行く。残るのは不思議な抜け殻。
かわいいクッキー、さよなら。ありがとう。
2022年6月9日木曜日
6月書評の2
最近美術館にも単館系映画館にも行ってないのでブックカバーのネタが切れた笑
インターハイ福岡県大会をバスケ沼部さんと鑑賞。ウィンターカップ優勝の福大大濠を同ベスト4の福岡第一が破った。大きな主力が残る大濠に対して第一はアジリティーで対抗、セカンドユニットの、本当に小さい2ガードが流れを変えた。すばらしい!大濠は試合をコントロールするPGがいないという弱点がハイレベルで明らかになり、リズムを崩してスリーも入らなかった。新チームがぶつかった壁。それにしてもアジリティーは強いなと。
Bリーグのブレイク期間は代表戦や高校の試合があって退屈しないな。
バレーのネーションズリーグもあって夜も楽しんでいる。
サッカーのブラジル戦、ワールドカップ本大会のおよそ半年前、というタイミングでこの結果をどう見るか。
ディフェンスは群を抜いて落ち着いていた長友を含めがんばってた。でもファールで止めざるをえなかった。ダーティーな守備やむなし、他に手がなかったわけだ。ここは忘れてはならない。
攻撃は、ブラジルの前線からの守備にひっかかり、前に進めない場面が目立った。一時戦術は伊東一択と言われた、主力の伊東がまったく機能しなかったし、ビッグチャンスはゼロだった。
ブラジルのコンディションは、圧倒的な戦績で南米予選を1位通過した後のフルメンバー、韓国で1試合を行い時差もなく悪くなかったと見る。またネイマールをフル出場させたことからも本番への、ある程度本気の強化のつもりと言えるだろう。
マイナス要素もありそう、でも私はポジティブだ。批判的でいいと思う。
日本代表の選手構成上、日欧のシーズンの状態からしてまだぜんぜん仕上がってないと見るべきだ。日本は本大会でアジア予選とはまったく違ったサッカーを強いられる。その切り替えの期間も必要だし、おおむね代表チームは大会前の最後の合宿で仕上がっていくものだ。前の試合のパラグアイははっきり言って弱かったし。
いまは、アジア予選後ホントの強豪の、少しマジなサッカーに触れたというのが大きい。だいたい、調子がいいと本大会でロクなことがあったためしがない笑。
ここから。ただ、善戦したとは思わない。勘違いしないよう頑張ってほしい。
◼️ 一色さゆり「ピカソになれない私たち」
なんでなのよという気持ち。学生の完走って感動する。
たしか東京芸大受験マンガの「ブルーピリオド」の参考文献か何かで見たのかなと。東京芸大出身の著者が綴る芸大4年次ゼミライフ。
芸大油画科、強圧的な指導で有名な森本ゼミには4人の学生がいた。離島出身、予備校に通わず独学で合格した汐田望音(もね)、画家の父を持ち実家から通う猪上詩乃、壁などにペイントするグラフィティのグループに出入りして、暗い過去を背負った小野山太郎、5浪で入り奇抜な発想を常に探している中尾和美。
誰もが認める才能を持ち、新人のコンペで優勝した望音は格好も地味でそっけない。詩乃は世慣れてこぎれいにし、画力も認められているが望音に対し強烈な嫉妬心を抱いている。他学科などの友達作りがうまく穏やかな太郎は「情熱が足りない」ことを自覚して落ち込んでいる。和美はサイケな格好が好きで理屈っぽく、画廊に売り込みをかけたりと積極的だ。
四者四様、それぞれの家庭環境や事情も描かれる。共通なのは担当教授の森本に3日間断食した後に絵を描くなど苛烈な課題を出され作品は罵倒されるということ。飛び抜けた才能の持ち主はほんのわずか、芸大生の等身大の迷いや苦しみがぐじゃぐじゃと描かれる。
途中、いくつも事件が起き、それぞれが少しずつ、変わってゆく。
自分は何を描きたいのか、という大テーマ。悩むだろうなあ〜。やっぱそう簡単には褒められたり認められたりしないのかなと興味を惹かれる。絵や創作の世界は想像もつかない。学生でまだ思考も若いだろうし。
実を言うと、締まってないな、というのが序盤の感想だった。もう少しキャラ付けや人間関係、あとやたら散らされる小さな謎も整理できるのではと思いながら読んでいた。個人の内面に迫る必要は理解できる。ただ視点の変え方は少し不自然だなとか。
だけども、紆余曲折でたどり着いた卒業制作が出来上がったときには、泣かされるんだこれが。若者の疾走と悩みと不条理の末の到達は気持ちいい。
ブルーピリオドの主人公も悩んでいる。芸大に入った後の心の持って行きよう、もう少し知りたい気分になっている。
◼️ 宮部みゆき「悪い本」
さすが。絵本でも、引きこまれる。いつまでも残るだろう。怖いわ。子どもはどう思うだろう。
怪談えほんシリーズの最初の本。書評を見て読みたくなった。それはまあ、皆川博子、綾辻行人、小野不由美、恒川光太郎っていう錚々たる人たちが書いているからそそられますよね。
「悪い本」には具体的なストーリーはない。悪い、とは、先々どんなことが待ち受けているか、きっとわたし(悪い本)のことをあなたはほしくなる、ということが抽象的な絵とともに短い文でとつとつと記されている。
これはたしかにいつか思い出すかも。怖いなあ。怪談シリーズの1としては充分すぎるけれど、子ども向け絵本としては怖すぎる。さすがというか。
現代文豪たちの詩の世界も楽しみどころかも知れない。
インターハイ福岡県大会をバスケ沼部さんと鑑賞。ウィンターカップ優勝の福大大濠を同ベスト4の福岡第一が破った。大きな主力が残る大濠に対して第一はアジリティーで対抗、セカンドユニットの、本当に小さい2ガードが流れを変えた。すばらしい!大濠は試合をコントロールするPGがいないという弱点がハイレベルで明らかになり、リズムを崩してスリーも入らなかった。新チームがぶつかった壁。それにしてもアジリティーは強いなと。
Bリーグのブレイク期間は代表戦や高校の試合があって退屈しないな。
バレーのネーションズリーグもあって夜も楽しんでいる。
サッカーのブラジル戦、ワールドカップ本大会のおよそ半年前、というタイミングでこの結果をどう見るか。
ディフェンスは群を抜いて落ち着いていた長友を含めがんばってた。でもファールで止めざるをえなかった。ダーティーな守備やむなし、他に手がなかったわけだ。ここは忘れてはならない。
攻撃は、ブラジルの前線からの守備にひっかかり、前に進めない場面が目立った。一時戦術は伊東一択と言われた、主力の伊東がまったく機能しなかったし、ビッグチャンスはゼロだった。
ブラジルのコンディションは、圧倒的な戦績で南米予選を1位通過した後のフルメンバー、韓国で1試合を行い時差もなく悪くなかったと見る。またネイマールをフル出場させたことからも本番への、ある程度本気の強化のつもりと言えるだろう。
マイナス要素もありそう、でも私はポジティブだ。批判的でいいと思う。
日本代表の選手構成上、日欧のシーズンの状態からしてまだぜんぜん仕上がってないと見るべきだ。日本は本大会でアジア予選とはまったく違ったサッカーを強いられる。その切り替えの期間も必要だし、おおむね代表チームは大会前の最後の合宿で仕上がっていくものだ。前の試合のパラグアイははっきり言って弱かったし。
いまは、アジア予選後ホントの強豪の、少しマジなサッカーに触れたというのが大きい。だいたい、調子がいいと本大会でロクなことがあったためしがない笑。
ここから。ただ、善戦したとは思わない。勘違いしないよう頑張ってほしい。
◼️ 一色さゆり「ピカソになれない私たち」
なんでなのよという気持ち。学生の完走って感動する。
たしか東京芸大受験マンガの「ブルーピリオド」の参考文献か何かで見たのかなと。東京芸大出身の著者が綴る芸大4年次ゼミライフ。
芸大油画科、強圧的な指導で有名な森本ゼミには4人の学生がいた。離島出身、予備校に通わず独学で合格した汐田望音(もね)、画家の父を持ち実家から通う猪上詩乃、壁などにペイントするグラフィティのグループに出入りして、暗い過去を背負った小野山太郎、5浪で入り奇抜な発想を常に探している中尾和美。
誰もが認める才能を持ち、新人のコンペで優勝した望音は格好も地味でそっけない。詩乃は世慣れてこぎれいにし、画力も認められているが望音に対し強烈な嫉妬心を抱いている。他学科などの友達作りがうまく穏やかな太郎は「情熱が足りない」ことを自覚して落ち込んでいる。和美はサイケな格好が好きで理屈っぽく、画廊に売り込みをかけたりと積極的だ。
四者四様、それぞれの家庭環境や事情も描かれる。共通なのは担当教授の森本に3日間断食した後に絵を描くなど苛烈な課題を出され作品は罵倒されるということ。飛び抜けた才能の持ち主はほんのわずか、芸大生の等身大の迷いや苦しみがぐじゃぐじゃと描かれる。
途中、いくつも事件が起き、それぞれが少しずつ、変わってゆく。
自分は何を描きたいのか、という大テーマ。悩むだろうなあ〜。やっぱそう簡単には褒められたり認められたりしないのかなと興味を惹かれる。絵や創作の世界は想像もつかない。学生でまだ思考も若いだろうし。
実を言うと、締まってないな、というのが序盤の感想だった。もう少しキャラ付けや人間関係、あとやたら散らされる小さな謎も整理できるのではと思いながら読んでいた。個人の内面に迫る必要は理解できる。ただ視点の変え方は少し不自然だなとか。
だけども、紆余曲折でたどり着いた卒業制作が出来上がったときには、泣かされるんだこれが。若者の疾走と悩みと不条理の末の到達は気持ちいい。
ブルーピリオドの主人公も悩んでいる。芸大に入った後の心の持って行きよう、もう少し知りたい気分になっている。
◼️ 宮部みゆき「悪い本」
さすが。絵本でも、引きこまれる。いつまでも残るだろう。怖いわ。子どもはどう思うだろう。
怪談えほんシリーズの最初の本。書評を見て読みたくなった。それはまあ、皆川博子、綾辻行人、小野不由美、恒川光太郎っていう錚々たる人たちが書いているからそそられますよね。
「悪い本」には具体的なストーリーはない。悪い、とは、先々どんなことが待ち受けているか、きっとわたし(悪い本)のことをあなたはほしくなる、ということが抽象的な絵とともに短い文でとつとつと記されている。
これはたしかにいつか思い出すかも。怖いなあ。怪談シリーズの1としては充分すぎるけれど、子ども向け絵本としては怖すぎる。さすがというか。
現代文豪たちの詩の世界も楽しみどころかも知れない。
6月書評の1
6月初日にショパンコンクール4位の小林愛実のリサイタルへ行ってきた。出てきた時にすわ、本物だ、とキンチョー。ずーっと聴いてたからね。
コンクール三次のプレリュード17番、ノクターン13番op48-1、そして一次で最初に弾いたノクターン14番op48-2が至極だった。曲もいいし、そのピアニズムが人の心地良いところにピタリとハマる。すばらしい!
シューベルトのソナタ19番に、コンクール2次のショパンのワルツで締めたのでした。良かった!
◼️ 長野まゆみ「東京少年」
大人たちの複雑な家族、友人関係と、少年。
独特の小道具と肌感覚が好ましい。
中学生の祝常緑(ことぶき・ときわ)、通称ロク。祖父が死に、プラントハンターの父・朔郎が外国にばかり出かけているため、父の従弟で大学研究室員の季郎と3カ月前からぎくしゃくとした雰囲気で暮らしている。
生まれてまもなく離婚した両親をつなぐ黒椿について情報を得ようと、花の雑誌を介してペンネーム「Katori」とやりとりしていた。かつての家で見つけた黒椿の写真の裏面には「Tsunomegawa」と記されていた。
14歳の誕生日までまもなくのある日、フルーツ屋の息子の大学生で頼れる兄貴的存在の光さんの仕事を手伝った後、持って行けと高級枇杷の函を渡される。中には常緑へ、と名指しの誕生日カードがあり、「Tsunomegawa」という鮮明な署名がー。
なにやらミステリーのような幕開け。物語はロクの行く末とその出生の秘密をめぐり、二転三転。父と母・紫(すみれ)に加えて、さまざまな植物の栽培をしている墨花亭の連玄菊(むらじ・はるあき)、その弟の玄藤(はるひさ)に光と、大人たちの関係性はけっこうごちゃごちゃである。持ち味のボーイズラブ風味も散らしてたりして。
長野まゆみらしく、というか今作はちょっと初期風味に、小難しくオシャレな漢字、創作した?という読み、不思議めで興味と食欲を突っつく食べ物飲み物もたくさん。
軽いところから洋盃(グラス)、玻璃杯(ゴブレ)、薄荷水(スペアミント)、苹果酒(リンゴしゅ)、白雨(ゆうだち)、舗(みせ)、泡立てミルクと蜂蜜の珈琲、胡桃で風味をつけて牛乳で煮込み蜂蜜を入れて飲む紅茶、ホワイトカァランツにレッドカァランツ、これはヨーロッパ産の小さな果実で和名フサスグリ、房酸塊らしい。レンゲ蜜、アカシア蜜、トチ蜜、ボダイジュ蜜、調べたら全部あるみたい。
やっぱり長野まゆみはこうでなくっちゃ。
表現の面でも、何気なく、変わったものでなくても、肌なじみがいいというか、物語のベースがささくれ立っているなか、響くものを出してくる。
◇雨でずぶ濡れになり、迎えにきた光さんのバイク後部座席に乗せてもらう。
「光さんの背中も濡れている。水が介在するせいなのか、乾いた服のときよりも寄り添う躰の感触が鮮明だった」
◇父とケンカして外へ飛び出し、高速道路が頭上に走る運河の縁で、夜。
「夜間灯を瞬かせたヘリコプターが頭上を過ってゆく。夜天は晴れ、接近中の火星が見えている。天文年鑑と首っぴきの天文部の連中の情熱を、さっぱり理解しないぼくではあったが、こんな夜の紅い星には意味を求めてみたくなる」
抽出して見るのとはまた違い、物語中ではこれらの文はハッとさせたり、視覚がやるせない気持ちを象徴していたりする、抜群の表現だったりする。
ロクいわくの「黒蝶椿」は朔郎、連、そして紫の人生にさえ深く絡みついているものだった。果たしてその正体は?
長野まゆみには「東京理科少年」という名作があったなそういえば。つながりはなさそうだ。
らしい作品。まだまだ読みたいぞ。
◼️伊与原新「八月の銀の雪」
科学は短編小説に向いてる気がする。
東大大学院で惑星宇宙物理学を研究し博士号を得た著者の短編集。物語のコアは広い意味での科学。物語に応用すると良い味と、こだわりを生むかなと思った。
表題作のほか、
「海へ還る日」「アルノーと檸檬」「玻璃を拾う」「十万年の西風」の6篇が収録されている。タイトルに好奇心を刺激される。
「八月の銀の月」は地球の核、コアの話。就職活動に苦しむ男子学生が心ならずもマルチ商法の手伝いをすることになり、コンビニ店の外国人店員が絡む。
「海へ還る日」はシングルマザーが博物館でクジラの絵を描いている婦人と知り合い、その誘いによって癒されていくもの。クジラの歌が焦点かな。
「アルノー」は鳩。私はかつてマンガ「レース鳩777(アラシ)」を熟読したクチなので興味津々で読み込んだ。新聞社が実際に使っていた伝書鳩の歴史。主人公は夢破れた不動産管理会社の契約社員で、住人を追い出しにかかっている男。
「玻璃を拾う」なんかこのタイトル、探偵ガリレオシリーズを思い出したりして。ガラスアートの作品をSNSになにげなくアップした大阪女子がクレームを受ける。作成者はなんとツレのはとこで、京都在住の男に直接会うことになった。ガラスアートは極小の珪藻ガラスというものだった。これも生物学かな。
「十万年の西風」は原発関係の仕事をしてきた男が、本格的な凧で気象観測をしている年配の男性と出逢う。
どれも屈託を抱えた男女が出口の光を見たような気になる話。切り口はなかなか新鮮。科学への好奇心のみならずアートやそこにまつわる仕事、歴史も興味深い。
短編は余韻が大事。後味はどれもいいものがある。ちょっと主人公の事情への解決へ合わせようとしている、という感覚もあるが、おもしろい。もっと読みたくなる。
さて、次はどんな題材が待っているのだろう?
コンクール三次のプレリュード17番、ノクターン13番op48-1、そして一次で最初に弾いたノクターン14番op48-2が至極だった。曲もいいし、そのピアニズムが人の心地良いところにピタリとハマる。すばらしい!
シューベルトのソナタ19番に、コンクール2次のショパンのワルツで締めたのでした。良かった!
◼️ 長野まゆみ「東京少年」
大人たちの複雑な家族、友人関係と、少年。
独特の小道具と肌感覚が好ましい。
中学生の祝常緑(ことぶき・ときわ)、通称ロク。祖父が死に、プラントハンターの父・朔郎が外国にばかり出かけているため、父の従弟で大学研究室員の季郎と3カ月前からぎくしゃくとした雰囲気で暮らしている。
生まれてまもなく離婚した両親をつなぐ黒椿について情報を得ようと、花の雑誌を介してペンネーム「Katori」とやりとりしていた。かつての家で見つけた黒椿の写真の裏面には「Tsunomegawa」と記されていた。
14歳の誕生日までまもなくのある日、フルーツ屋の息子の大学生で頼れる兄貴的存在の光さんの仕事を手伝った後、持って行けと高級枇杷の函を渡される。中には常緑へ、と名指しの誕生日カードがあり、「Tsunomegawa」という鮮明な署名がー。
なにやらミステリーのような幕開け。物語はロクの行く末とその出生の秘密をめぐり、二転三転。父と母・紫(すみれ)に加えて、さまざまな植物の栽培をしている墨花亭の連玄菊(むらじ・はるあき)、その弟の玄藤(はるひさ)に光と、大人たちの関係性はけっこうごちゃごちゃである。持ち味のボーイズラブ風味も散らしてたりして。
長野まゆみらしく、というか今作はちょっと初期風味に、小難しくオシャレな漢字、創作した?という読み、不思議めで興味と食欲を突っつく食べ物飲み物もたくさん。
軽いところから洋盃(グラス)、玻璃杯(ゴブレ)、薄荷水(スペアミント)、苹果酒(リンゴしゅ)、白雨(ゆうだち)、舗(みせ)、泡立てミルクと蜂蜜の珈琲、胡桃で風味をつけて牛乳で煮込み蜂蜜を入れて飲む紅茶、ホワイトカァランツにレッドカァランツ、これはヨーロッパ産の小さな果実で和名フサスグリ、房酸塊らしい。レンゲ蜜、アカシア蜜、トチ蜜、ボダイジュ蜜、調べたら全部あるみたい。
やっぱり長野まゆみはこうでなくっちゃ。
表現の面でも、何気なく、変わったものでなくても、肌なじみがいいというか、物語のベースがささくれ立っているなか、響くものを出してくる。
◇雨でずぶ濡れになり、迎えにきた光さんのバイク後部座席に乗せてもらう。
「光さんの背中も濡れている。水が介在するせいなのか、乾いた服のときよりも寄り添う躰の感触が鮮明だった」
◇父とケンカして外へ飛び出し、高速道路が頭上に走る運河の縁で、夜。
「夜間灯を瞬かせたヘリコプターが頭上を過ってゆく。夜天は晴れ、接近中の火星が見えている。天文年鑑と首っぴきの天文部の連中の情熱を、さっぱり理解しないぼくではあったが、こんな夜の紅い星には意味を求めてみたくなる」
抽出して見るのとはまた違い、物語中ではこれらの文はハッとさせたり、視覚がやるせない気持ちを象徴していたりする、抜群の表現だったりする。
ロクいわくの「黒蝶椿」は朔郎、連、そして紫の人生にさえ深く絡みついているものだった。果たしてその正体は?
長野まゆみには「東京理科少年」という名作があったなそういえば。つながりはなさそうだ。
らしい作品。まだまだ読みたいぞ。
◼️伊与原新「八月の銀の雪」
科学は短編小説に向いてる気がする。
東大大学院で惑星宇宙物理学を研究し博士号を得た著者の短編集。物語のコアは広い意味での科学。物語に応用すると良い味と、こだわりを生むかなと思った。
表題作のほか、
「海へ還る日」「アルノーと檸檬」「玻璃を拾う」「十万年の西風」の6篇が収録されている。タイトルに好奇心を刺激される。
「八月の銀の月」は地球の核、コアの話。就職活動に苦しむ男子学生が心ならずもマルチ商法の手伝いをすることになり、コンビニ店の外国人店員が絡む。
「海へ還る日」はシングルマザーが博物館でクジラの絵を描いている婦人と知り合い、その誘いによって癒されていくもの。クジラの歌が焦点かな。
「アルノー」は鳩。私はかつてマンガ「レース鳩777(アラシ)」を熟読したクチなので興味津々で読み込んだ。新聞社が実際に使っていた伝書鳩の歴史。主人公は夢破れた不動産管理会社の契約社員で、住人を追い出しにかかっている男。
「玻璃を拾う」なんかこのタイトル、探偵ガリレオシリーズを思い出したりして。ガラスアートの作品をSNSになにげなくアップした大阪女子がクレームを受ける。作成者はなんとツレのはとこで、京都在住の男に直接会うことになった。ガラスアートは極小の珪藻ガラスというものだった。これも生物学かな。
「十万年の西風」は原発関係の仕事をしてきた男が、本格的な凧で気象観測をしている年配の男性と出逢う。
どれも屈託を抱えた男女が出口の光を見たような気になる話。切り口はなかなか新鮮。科学への好奇心のみならずアートやそこにまつわる仕事、歴史も興味深い。
短編は余韻が大事。後味はどれもいいものがある。ちょっと主人公の事情への解決へ合わせようとしている、という感覚もあるが、おもしろい。もっと読みたくなる。
さて、次はどんな題材が待っているのだろう?
2022年6月1日水曜日
5月書評の9
Bリーグファイナルをバスケ沼部さんと盛り上がり、女子代表のオーストラリア3連戦をやっぱり盛り上がり・・毎日のように話している。一生の友人たちでありますように。
息子さんは春のリーグ戦を、部活の、ではなく学校のコロナで辞退。もうこの時期ホントおかしな対応としか言いようがない。東京なんて罹患者は何千人いて重傷者はひと桁前半だというのに。
で、引退試合となるトーナメント戦の前日に着地を誤って靱帯損傷、欠場となった。いまも松葉杖をついている。
コロナに翻弄されたこの3年、ケガが多かった6年間。まさに象徴する集結となった。心からかわいそうだと思う。本人はさほど落ち込んでなくて大学でもバレーやる!と言ってるのが救いだ。
◼️ 伊藤計劃「ハーモニー」
身体の状態全てがデータ化された超健康世界。テロと混乱が向かう先はー
早逝の作家伊藤計劃。たしか第1長編の「虐殺器官」は最近読んだ、と書評を探してみたらもう3年前だった。
未来型の世界を組み上げ、ロジカルに展開されていくのが持ち味だったかなと既視感がよぎる。今回は少女たちのお話から。
核戦争で放射能性の癌に苦しんだ人類は、身体に組み込むWatchMeというソフトウェアを開発、感知した不調をただちに治療するという超健康世界を実現していた。3人の女子高生、ミァハ、トァン、キアンはミァハの提案で自殺を企てるが、ミァハだけが死んだ。
月日が経ってWHOの上級螺旋監察官になったトァンは派遣されていたアフリカで酒とタバコの密取引がばれ、本国に送還される。キアンと久しぶりに会い、ランチを共にしていた時、眼の前でキアンが突然の自殺、システムを悪用したテロで、世界では6000人以上が同時に自殺を図っていた。ミァハの影を感じたトァンは独自の捜査を始めるー。
緻密に組み上げられた未来世界。私もだが、腹痛になったりするたびにこんなシステムないかなあと人がおそらく想像したことがある健康管理システムを使った世界を小説で堅牢に実現した感がある。そしてヒトはどうなったか。人間である自分、とは何か、を考えさせる。
序盤はその世界の説明がやや冗長に感じたけれども、信じられないような大規模テロが起きてからは読むのも加速した。練り込まれたベースで動くキャラクターもまずまず魅力的、エピソードには常に痛みが伴い、刹那感も漂う。バクダッドの喧騒と時が進んでいないような食堂にホッとする感覚も新鮮だった。
それなりに面白く読み進んだけれど、ちょっとノって行けない感覚があったのも確かかな。分かるようで、展開される人間味に移入できない。それも持ち味か。
久しぶりのオールザッツSFの時間を楽しみました。
(追記)
アニメ映画の予告を見て、書き足りない気持ちが刺激された。ひとつの焦点は、ミァハに対するトァンの想いだろう。映画などで強調されることもある、少女の時にしかない、束の間の、思い出深い友情。今でも心に響く言葉を持ったリーダー格のミァハだけを死なせてしまった裏切りの残滓。
怖いけれど、会いたい気持ち。直感は事実となる。ミァハに向けて、動き出す。しかし、道は分かれていた。たった1人気持ちを共有できたキアンは目の前で残酷に自死させられた。
ウェットな部分、少女期の追憶はそのまましつこいくらいに記されている。そして大人になった今、ミァハの行動はクールで、抑えられている。そのバランスを保ったまま、クライマックスへとなだれ込む。
描き方1つ、セリフ1つで変わりそうな部分。実際アニメの予告ではやはり本よりちょっとエモーショナルだった気がする。絶妙に抑えた、いけずにも思えるところはなかなか心憎いかも、なんて考えた。
息子さんは春のリーグ戦を、部活の、ではなく学校のコロナで辞退。もうこの時期ホントおかしな対応としか言いようがない。東京なんて罹患者は何千人いて重傷者はひと桁前半だというのに。
で、引退試合となるトーナメント戦の前日に着地を誤って靱帯損傷、欠場となった。いまも松葉杖をついている。
コロナに翻弄されたこの3年、ケガが多かった6年間。まさに象徴する集結となった。心からかわいそうだと思う。本人はさほど落ち込んでなくて大学でもバレーやる!と言ってるのが救いだ。
◼️ 伊藤計劃「ハーモニー」
身体の状態全てがデータ化された超健康世界。テロと混乱が向かう先はー
早逝の作家伊藤計劃。たしか第1長編の「虐殺器官」は最近読んだ、と書評を探してみたらもう3年前だった。
未来型の世界を組み上げ、ロジカルに展開されていくのが持ち味だったかなと既視感がよぎる。今回は少女たちのお話から。
核戦争で放射能性の癌に苦しんだ人類は、身体に組み込むWatchMeというソフトウェアを開発、感知した不調をただちに治療するという超健康世界を実現していた。3人の女子高生、ミァハ、トァン、キアンはミァハの提案で自殺を企てるが、ミァハだけが死んだ。
月日が経ってWHOの上級螺旋監察官になったトァンは派遣されていたアフリカで酒とタバコの密取引がばれ、本国に送還される。キアンと久しぶりに会い、ランチを共にしていた時、眼の前でキアンが突然の自殺、システムを悪用したテロで、世界では6000人以上が同時に自殺を図っていた。ミァハの影を感じたトァンは独自の捜査を始めるー。
緻密に組み上げられた未来世界。私もだが、腹痛になったりするたびにこんなシステムないかなあと人がおそらく想像したことがある健康管理システムを使った世界を小説で堅牢に実現した感がある。そしてヒトはどうなったか。人間である自分、とは何か、を考えさせる。
序盤はその世界の説明がやや冗長に感じたけれども、信じられないような大規模テロが起きてからは読むのも加速した。練り込まれたベースで動くキャラクターもまずまず魅力的、エピソードには常に痛みが伴い、刹那感も漂う。バクダッドの喧騒と時が進んでいないような食堂にホッとする感覚も新鮮だった。
それなりに面白く読み進んだけれど、ちょっとノって行けない感覚があったのも確かかな。分かるようで、展開される人間味に移入できない。それも持ち味か。
久しぶりのオールザッツSFの時間を楽しみました。
(追記)
アニメ映画の予告を見て、書き足りない気持ちが刺激された。ひとつの焦点は、ミァハに対するトァンの想いだろう。映画などで強調されることもある、少女の時にしかない、束の間の、思い出深い友情。今でも心に響く言葉を持ったリーダー格のミァハだけを死なせてしまった裏切りの残滓。
怖いけれど、会いたい気持ち。直感は事実となる。ミァハに向けて、動き出す。しかし、道は分かれていた。たった1人気持ちを共有できたキアンは目の前で残酷に自死させられた。
ウェットな部分、少女期の追憶はそのまましつこいくらいに記されている。そして大人になった今、ミァハの行動はクールで、抑えられている。そのバランスを保ったまま、クライマックスへとなだれ込む。
描き方1つ、セリフ1つで変わりそうな部分。実際アニメの予告ではやはり本よりちょっとエモーショナルだった気がする。絶妙に抑えた、いけずにも思えるところはなかなか心憎いかも、なんて考えた。
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