2020年10月18日日曜日

9月書評の6




9月は12作品12冊。穏やかな感じ。シェイクスピア詩集は今後のためになった。もうすぐ「ナイル殺人事件の封切り。楽しみだ〜。

◼️アガサ・クリスティー「ナイルに死す」


アガサの色、往時のミステリの雰囲気、トリック・・なぜこんなに面白いー?名作を堪能する。


分厚いけれども、あっという間に引き込まれ、ザクザクと読み進む。やはりアガサ・クリスティーは稀有な作家、現在に至るまで、ミステリ界でひときわ明るい星だ。


最近「オリエント急行の殺人」の映画がリメイクされ、そのシリーズでもうすぐ「ナイル殺人事件」が公開されるというので先に耽読。


1937年の作品で舞台は大部分がエジプト・ナイル川を航行する船の上。船室、船の構造を使った展開は「オリエント急行」に似ていて、ミステリ好きの心を刺激する。


大金持ちの一族で、美貌とビジネスの手腕までも併せ持つリネット・リッジウェイは親友ジャクリーン・ド・ベルフォールの恋人サイモン・ドイルを奪い結婚、新婚旅行でエジプトへ赴く。ところが傷心のジャクリーンが2人につきまとう。当地にはエルキュール・ポワロも休暇旅行で訪れており、リネットから相談を受け、ジャクリーンを諭すがジャクリーンは忠告を聞かず、ポワロに自分の小型拳銃を見せる。


ナイル川のクルーズの夜、酔ったジャクリーンはサイモンの脚に発砲して怪我を負わせる。そして翌朝、リネットが射殺体で発見されたー。


船にはラブ・アフェアの当事者のみならず、リネットのアメリカでの財産管理人やイギリスの弁護士、ドイツの医師、リネットの友人の従兄弟親子、女流作家と娘、老婦人と従姉妹の娘と看護師、考古学者と社会主義者などが乗り合わせる。さらに逃亡中の危険な殺人犯も乗り込んでいるという。第23の殺人、高額な宝石の窃盗と、事件は複雑な様相を見せる。犯人は誰なのか・・。


多くの登場人物を絡めた本格推理もので、非常に楽しく読み進めることができた。


アガサの魅力は色々ある。今回で言えば、大富豪で美人、完璧な女を中心にした、目を惹く設定であること、だからこそ陰謀がうごめく印象を強く与えること、本筋ばかりでなく、随所にロマンスが生まれること。


さらに陸を離れた乗り物という限定された舞台での犯罪、綱渡りのように行動し潜む犯人のサスペンス感、盛り上げ、後半に畳み掛けるように事件が起こり、一見ごちゃごちゃした状況をほどいていく鋭敏さ、スマートさ。


そしてやはりポワロそのものの魅力を挙げないわけにはいかない。気取ったベルギー人。しかしその言動は時に詩的で示唆に富む。その実事件の本質を衝く、一風変わった恰好よさ。その存在感は心地いい。



今回用いられたトリックそのものは、現代の目で見ると、用意周到すぎるし、そこまで目新しいものではない気がする。特にびっくりする場面もない。そういう意味では時代感も感じる。


しかし、この物語、この舞台、ロマンスと陰謀が多い話の流れにはマッチしていて、無理なく流れるような気がしている。映画用の話としてはバッチリで、この上に目を剥くようなトリックとなると、少々過剰かもと思う。


ただそうは言ってもやはり登場人物たちの言動や観察から、ぼんやりと読み手が思っていたことが、最後の整然とした謎解きでピタピタとはまっていくのは見事。


ケネス・ブラナーでより魅力的にドレスアップされるはずの新しい映画が楽しみだ。



ヨーロッパから見ればまだ植民地があり、移動といえば列車と船の頃、時代特有のエキゾチックな感覚。




◼️アンナ・キャサリン・グリーン

    「霧の中の館」


作品に触れて楽しむ、アメリカ推理小説の母。ドキドキの展開。


書評を読んで、初めて知る人の小粋とされる短編集を読むのが最近の楽しみ。アンナ・キャサリン・グリーンは1878年の長編、「リーヴェンワース事件」が出世作となったベストセラー作家さん。ポーがアメリカ推理小説の父ならば、アンナ・キャサリンは母だとか。ほお、知らなかった。


◇「深夜、ビーチャム通りにて」

ビーチャム通りの一番端の家に住む新婚の妻レティは吹雪のクリスマスイブの夜、夫の出張で家に独りで取り残される。しかも、家には夫が持ち帰ってきた社用の大金が。そして家には次から次へと暴漢が入ってくるー。


まだ電気のない時代で、猛吹雪だけでも1人はいやなのに、夜にしかも大金がある。ミステリーというよりは短編サスペンス。終わりがシンプルだが、この後どうするんだろうなどと思ってしまう。


夫が馬でフェアバンクスに出張というのに時代感。フェアバンクスはアラスカので間違いないのかな。そりゃ遠いし寒い。


入り込んできた男は図々しくいやらしい。可愛いレティを心配していると、そこに第2の男。救世主か悪魔か?そこから解決まで早いし小技も効いている。


◇「霧の中の館」

霧の深い寒い晩、宿を求めて彷徨っていた旅の男は大きな館に辿り着き、入れてもらうが、そこでは裕福な当主の遺言の申し渡しのため、欲に駆られた親族が集まってきていた。


男は、自分は受け取る資格がないと辞退して出た女・ユーニスを探しに行く。2人は出逢い、食糧を調達に館に戻ると、まさに遺言執行の場面。驚くべき事態に・・。


途中明らかにネタばらしまでと焦らしだなという描き方があった。伸ばして引っ張って・・なかなか凄惨な場面に。最後はちょっとしたハッピーエンド。これもサスペンス型の小説。



◇「ハートデライト館の階段」


金持ちが次々と溺死する事件が起きた。賭け事の借金で首が回らなくなっていた若者は質屋に行き、大金を作ってくれる人物を紹介され、父親が死んだら借金を返済するという誓約を記した架空の借用証にサインさせられる。怖くなった若者は父の紹介で警察幹部に相談に行った。


老刑事が駆け出しの頃を振り返る構成。仕掛けとしてはまあ面白い。ラストは館もの的な解決となむている。



◇「消え失せたページ13


晩餐会の食事のあと別室で火薬産業ビジネスに関する書類を確認していた発明家のスピールハーゲン氏が、誤って薬の入った飲み物を供されて眠り込む。気がつくと書類の13ページめ、肝心の調合法明細だけが失くなっていた。


関係者全員の身体検査では見つからず、密室の中で消えてなくなったとしか思われない。その書類は翌朝早くヨーロッパへ向けて出航する船に持参することになっていた。深夜呼ばれたバイオレット・ストレンジはパーティー会場からイブニングドレス姿で駆けつけ、ヴァン・ブルックリン邸の因縁にまつわる、開かずの扉の向こうへと探索に出る。


お嬢様探偵、バイオレット・ストレンジ登場。150年以上も前なのに、イブニングドレス姿で駆けつけるコスプレぽい演出。これも本格館ものの系統だった、バイオレットは実直で、話し方が端正、汚れ仕事に怯まず独自の捜査。ホームズものを思い出させる。


さて、館でバイオレットを迎えたのは恋人、ロジャー・アップジョン。ロジャーは次の篇にも登場する。


◇「バイオレット自身の事件」


事件の話ではなく、バイオレットから恋人ロジャーへの打明け話。なぜバイオレットは探偵稼業でお金を稼いでいるのか、手紙という形でその身の上が明かされる。


実は、これが一番読みやすく、筋道だった話だった。辛い内容ではあるものの、不穏な場面、雰囲気がないからかな。


お嬢様探偵ヴァイオレット・ストレンジについてヴァン・ダインは、誰が最も優秀な女性探偵かについて、もっともチャーミングで有能で、同時に、もっとも、適切に工夫されている、と評している。確かにもう少し読みたい。日本語訳も少ないそうだが、探して読みたい。


アンナ・キャサリン・グリーンは売れっ子作家となったが1900年代初頭、アメリカ文学が純アメリカ英語、口語体で書かれるようになると、イギリス英語風、フォーマル体、婉曲的文体のグリーン作品の人気には翳りが忍び寄った。この社会的現象も興味深い。


館ものの、屋内の描写がちょっと頭に入ってきにくい書き方の作品もあり、手ばなしで感心したわけではない。が、時代がホームズに近く、ガス燈に馬の、当時の雰囲気が察せられて、読み手として気持ちがいいかも。作品はもう少し読みたいかな、と思わせる。


それにしても、1800年代後半から科学、芸術など、様々な動きが欧米で爆発している。アンナも時代が生んだ女流作家、というものだろうか。






◼️「シェイクスピア詩集」


旅路の果ては、恋人たちのめぐり逢い。

やっぱこの言葉が一番好きかな、今のところ。


シェイクスピアのソネット集より抜粋、また劇中歌特集やシェイクスピアの長編物語詩「ヴィーナスとアドーニス」、「ルークリース」から印象的な部分を抜いてある。英語原文と訳、ページ下部の脚注も嬉しい。


ソネットとは十四行詩のことで、韻を踏むルールがあるそう。シェイクスピアの劇の台本は韻文で書かれており、だから、当時の劇作家たちは、なによりも詩人であらねばならなかったらしい。


ちなみにさだまさし「道化師のソネット」も・・十四行になってた!


ではいくつか。


◇ソネット集(18)

「君を夏の一日と比べてみようか?

だが君のほうがずっと美しく、もっと温和だ。

五月には強い風が可憐な花のつぼみを揺らすし

夏はあまりにも短いいのちしかない」


集中最も有名というソネットの書き出し。夏は過ぎ去るが、君の輝きはこの詩に永久に生き続ける、といった意味だろうか。


シェイクスピアのソネットでは最初からしばらく恋人の美しさを礼賛しているのだが、それは女性でなくて青年であることに大きな特徴がある。当時としては大胆な設定だったらしい。


◇(73)


「死の分身である黒い夜が奪ってしまう。」


語感だけでチョイス。夜は昼の死、という考え方があったという。(18)にもあるように、夜は輝きや光と対になる存在のようだ。


◇(130)


「白状するが、ぼくは女神が歩くのを見たことがない。

でも、ぼくの女は、歩くときには地面に足をつけている。

とはいえ、ぼくが愛するその人は稀有の人だと思う、

いい加減な比喩で表現されているどんな女性と比べても。」


さて、後半は賛美の対象が女性となる。その女性は黒髪に黒い瞳をした、いわゆるbrunetteブルネットの女性とされている。詩の中でシェイクスピアは金髪blondeが正統と読める表現があり、含む意が感じられる。その間に入れ込んでいるものが心のどこかに響く、シェイクスピアらしい気がする。

 

なんか面白い。劇中歌を一つだけ。


◇十二夜


Journeys  end  in  lovers  meeting.

旅の終わりには恋する同士が結ばれるのだ。


このセリフ、シャーロック・ホームズでも引用されている。モリアーティ教授と格闘の末滝壺に落ち、死んだと思われていたホームズが実は生き延び、3年間の空白を経てベイカー街の部屋へ戻ってきたのが「空き家の冒険」。自分の命を狙ったモラン大佐を捕まえた時、


「やあ大佐、旅路の果ては、恋人たちのめぐり逢い、なんて昔の芝居のセリフじゃないが、久しぶり。」


と声をかける。ホームズも粋だが、言葉そのものがロマンティックで恰好いい。


この巻には出てこないけれども、私がシェイクスピアを読むきっかけとなった「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズ17巻に出てきた言葉は書き留めてある。



「ああ、 歓び以外の思いは、すべて空に消えてゆく。数々の疑惑も、先走った絶望も、ぞっとするような不安も、緑色の目をした嫉妬も」(ヴェニスの商人)


「きれいなきたない、きたないはきれい」

(マクベス)


「愚か者ほど自分を賢いと思い込む。そして賢者は、自分を愚か者だと思う」

(お気に召すまま)


劇の脚本と、詩そのものとを比べると、シェイクスピアはそれぞれテイストが違うようだ。私的には、どちらかというと劇の方が好きかな。



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