先週は1週間東京でカンヅメ仕事となった。こんなに長く出張したのは久しぶり。上がトランプ来日の際に食べたハンバーガー屋さんのランチ。下が代々木上原の名店、野菜中心の中華、ジーテンの蒸し餃子。
平将門には迫力ある妖感がある。後への影響も含め壮大な物語。
平将門が起こした天慶の乱は、坂東(関東)を一時平定し、新皇を名乗るものだった。鎮圧は意外に早かったが、まさに平安の大乱だった。
私の日本史知識はマンガに依るところが大きく、雑誌「小学◯年生」の付録についていた日本史マンガが大元である。鑑真、大化の改新、平将門の最期、頼朝立つ、桶狭間の戦い、元寇、勝海舟と西郷隆盛の談判・・よく覚えている。平将門は最後の戦いだけがクローズアップされていて、当時前後関係がよく分からなかった。
筆者は豊富な出典から物語を紡いでいるが、天慶の乱は940年、しかも坂東の地で起きたこともあり、やはり大雑把な感じもあって(失礼)、謎も多い。
数年前読んだ高橋克彦の「鬼シリーズ」に将門の首が晒されている描写があって、人智を超えたような力があることを感じさせた。東京・大手町にある将門塚については関係者が病死したり、事故に遭ったりという伝説もあるらしい。将門の首が宙を飛び、祟りを撒き散らしてなかなか死ななかったり、首のない胴体が首を追って移動したりと、それはもう不穏な、超人、いや鬼のような逸話には事欠かないようだ。
天皇の髄兵で清涼殿に詰めるエリート集団「滝口の武士」として少年期を過ごした平将門は、父の死去により職を辞し、所領の下総に帰る。そこで親戚たちとの武力による抗争を制するが、生き残った関係者が将門をたびたび朝廷に訴え、何度も調査されるうちに不信感を抱くようになる。そして親族に唆されたこともあってついには坂東帝国を築く。上野、下野、下総、上総、安房、相模、伊豆に親族を国司として置く除目を行い、自分は桓武天皇の子孫であり、日本の半分を統治することになったとしてもおかしくない、といった意味の書状を太政大臣、藤原忠平に送る。
忠平と将門は滝口武士であった頃から信頼関係があり、将門に追い散らされた者たちからの訴えを聞いた際にも忠平は将門を信じたかった。しかし将門は謀略に引っかかり、常陸の国庁を制圧し、兵がひどい掠奪を行ってしまうー。将門は強く、なおかつ滝口武士時代に培った遵法精神もあり、人気があった。
坂東では中央に対し、自分たちから出た王を立てた、という熱気は大変強かったという。
官軍として対峙した藤原秀郷、平貞盛の連合軍に将門軍は数的不利にもかかわらず頑強に戦ったが、強風の中、矢が将門に当たるー。
この天慶の乱の流れから、清和源氏、桓武平氏という武士集団が出来上がっていく。将門が鬼のような存在として過度にクローズアップされるのはそれだけこの大乱が与えたインパクトが強かったということだろう。また武士、という階層の形成にも大きく影響したのは面白い。
マンガでは、10倍の勢力の相手に対して戦う前、将門が兵たちに現状を伝え、抜ける者は抜けて良い、と静かに告げる。兵たちに逃げ出す者はなく、顔を輝かせて力強く叫ぶ。
「大将、俺たちは坂東の武者だぜ!必ず勝ってみせるとも!」
将門は兵の数は少なくとも、戦況を有利に導く術に長けていたようだ。だから、ということもあるが、将門が信頼されていたこと、当時の熱気をダイレクトに表す創作だった。なんつったっていまなお覚えてるんだから。今回その姿が、あまりマンガとずれていなかったことに、少し安心している。
◼️芥川龍之介「侏儒の言葉・西方の人」
アフォリズム。芥川が世の物事について残した名言集のようなもの?まあ、ふむふむ、って感じ。
新潮文庫のシリーズで最終巻のこれだけ読んでなかった。芥川の思考と斬り方に触れる。前半は世事について芥川なりの名言集のようになっている。「西方の人」はクリスト(イエス・キリスト)について同様の、評価のようなもの。
「星」や「修身」、「天才」、「兵卒」等々社会的な事件、政治、文芸についても書いている。正直取り止めがない印象。死を前にした30代半ばの芥川の言葉。
「創作」
創作は常に冒険である。所詮は人力を尽くした後、天命に委(ま)かせるより仕方はない。
「古典」
古典の作者の幸福なる所以は兎に角彼等の死んでいることである。
てな感じである。古典は、クラシック音楽の名プレイヤーのことなんかも考えると、その通りかもなあなんて思った。
「作家」
文を作るのに欠くべからざるものは何よりも創作的情熱である。その又創作的情熱を燃え立たせるのに欠くべからざるものは何よりも或程度の健康である。
・・なんかイメージ外だなあ。でも熱いところがあって少しホッとする。谷崎と論争しただけあって創作的情熱に溢れてたんだろうなと。
芥川は「羅生門」の後に書いた「鼻」が夏目漱石に賞賛され流行作家となった。初期の王朝ものに特徴がある一方、「河童」では社会を痛烈に批判し論争を巻き起こす。そして死の間際に書いた「歯車」などは死の匂いが濃厚で、魔界の香りすらする。
学生時代に猛烈に読書したといい、聖書に沿って批評のようなものを加えている「西方の人」もこんなに読み込んでいるんだ、とその博識ぶりに感嘆する。私的には阿刀田高の「旧約聖書を知っていますか」「新約聖書を知っていますか」で読んだなあという流れがあってそれなりに楽しめた。聖書も物語だと再認識。
クリストはジャアナリストだ、文化人だ、と評価し、また処刑前に発した「わが神、わが神、どうしてら私をお捨てなさる?」(文中より)の意の
「エリ、エリ、ラマサバクタニ」
の言葉を引いてより人間的だと印象付けている。共産主義精神を持っている、という評が時代らしくて、現代の受け止め方とはまた形が違うような、強い関心を持っていたことが伺える気がする。
松本清張は芥川の文学世界を「知恵の遊び」と評したらしいが、より「創作」感の強い作品群を見ていると、知識と努力、ひねった思想に裏打ちされていたんだな、と感じた。
小難しくもあるし、なかなか共感できるわけではないが、参考になった。