2020年2月23日日曜日

2月書評の4






先週は1週間東京でカンヅメ仕事となった。こんなに長く出張したのは久しぶり。上がトランプ来日の際に食べたハンバーガー屋さんのランチ。下が代々木上原の名店、野菜中心の中華、ジーテンの蒸し餃子。

前半は約束を入れず、さっと晩飯食ってホテルに帰って洗濯、読書、朝は仕事場に近く時間があるから朝一番にホテルの朝食、戻って身の回りの支度、洗濯もの取り入れ、ベッドで柔軟&筋トレ、終わったらシャワー浴びて着替え、とリズムを作った。柔軟筋トレは滞在中しなかったのは1日だけ。強い寒波もなかったが、やっぱりちょっとしんどかったかな。3月はまた移動距離が長い。がんばがんばー。


◼️乃至政彦「平将門と天慶の乱」


平将門には迫力ある妖感がある。後への影響も含め壮大な物語。


平将門が起こした天慶の乱は、坂東(関東)を一時平定し、新皇を名乗るものだった。鎮圧は意外に早かったが、まさに平安の大乱だった。


私の日本史知識はマンガに依るところが大きく、雑誌「小学◯年生」の付録についていた日本史マンガが大元である。鑑真、大化の改新、平将門の最期、頼朝立つ、桶狭間の戦い、元寇、勝海舟と西郷隆盛の談判・・よく覚えている。平将門は最後の戦いだけがクローズアップされていて、当時前後関係がよく分からなかった。


筆者は豊富な出典から物語を紡いでいるが、天慶の乱は940年、しかも坂東の地で起きたこともあり、やはり大雑把な感じもあって(失礼)、謎も多い。


数年前読んだ高橋克彦の「鬼シリーズ」に将門の首が晒されている描写があって、人智を超えたような力があることを感じさせた。東京・大手町にある将門塚については関係者が病死したり、事故に遭ったりという伝説もあるらしい。将門の首が宙を飛び、祟りを撒き散らしてなかなか死ななかったり、首のない胴体が首を追って移動したりと、それはもう不穏な、超人、いや鬼のような逸話には事欠かないようだ。


天皇の髄兵で清涼殿に詰めるエリート集団「滝口の武士」として少年期を過ごした平将門は、父の死去により職を辞し、所領の下総に帰る。そこで親戚たちとの武力による抗争を制するが、生き残った関係者が将門をたびたび朝廷に訴え、何度も調査されるうちに不信感を抱くようになる。そして親族に唆されたこともあってついには坂東帝国を築く。上野、下野、下総、上総、安房、相模、伊豆に親族を国司として置く除目を行い、自分は桓武天皇の子孫であり、日本の半分を統治することになったとしてもおかしくない、といった意味の書状を太政大臣、藤原忠平に送る。


忠平と将門は滝口武士であった頃から信頼関係があり、将門に追い散らされた者たちからの訴えを聞いた際にも忠平は将門を信じたかった。しかし将門は謀略に引っかかり、常陸の国庁を制圧し、兵がひどい掠奪を行ってしまうー。将門は強く、なおかつ滝口武士時代に培った遵法精神もあり、人気があった。

坂東では中央に対し、自分たちから出た王を立てた、という熱気は大変強かったという。


官軍として対峙した藤原秀郷、平貞盛の連合軍に将門軍は数的不利にもかかわらず頑強に戦ったが、強風の中、矢が将門に当たるー。


この天慶の乱の流れから、清和源氏、桓武平氏という武士集団が出来上がっていく。将門が鬼のような存在として過度にクローズアップされるのはそれだけこの大乱が与えたインパクトが強かったということだろう。また武士、という階層の形成にも大きく影響したのは面白い。


マンガでは、10倍の勢力の相手に対して戦う前、将門が兵たちに現状を伝え、抜ける者は抜けて良い、と静かに告げる。兵たちに逃げ出す者はなく、顔を輝かせて力強く叫ぶ。


「大将、俺たちは坂東の武者だぜ!必ず勝ってみせるとも!」


将門は兵の数は少なくとも、戦況を有利に導く術に長けていたようだ。だから、ということもあるが、将門が信頼されていたこと、当時の熱気をダイレクトに表す創作だった。なんつったっていまなお覚えてるんだから。今回その姿が、あまりマンガとずれていなかったことに、少し安心している。


◼️芥川龍之介「侏儒の言葉・西方の人」


アフォリズム。芥川が世の物事について残した名言集のようなもの?まあ、ふむふむ、って感じ。


新潮文庫のシリーズで最終巻のこれだけ読んでなかった。芥川の思考と斬り方に触れる。前半は世事について芥川なりの名言集のようになっている。「西方の人」はクリスト(イエス・キリスト)について同様の、評価のようなもの。


「星」や「修身」、「天才」、「兵卒」等々社会的な事件、政治、文芸についても書いている。正直取り止めがない印象。死を前にした30代半ばの芥川の言葉。


「創作」

創作は常に冒険である。所詮は人力を尽くした後、天命に委(ま)かせるより仕方はない。


「古典」

古典の作者の幸福なる所以は兎に角彼等の死んでいることである。


てな感じである。古典は、クラシック音楽の名プレイヤーのことなんかも考えると、その通りかもなあなんて思った。


「作家」

文を作るのに欠くべからざるものは何よりも創作的情熱である。その又創作的情熱を燃え立たせるのに欠くべからざるものは何よりも或程度の健康である。


・・なんかイメージ外だなあ。でも熱いところがあって少しホッとする。谷崎と論争しただけあって創作的情熱に溢れてたんだろうなと。


芥川は「羅生門」の後に書いた「鼻」が夏目漱石に賞賛され流行作家となった。初期の王朝ものに特徴がある一方、「河童」では社会を痛烈に批判し論争を巻き起こす。そして死の間際に書いた「歯車」などは死の匂いが濃厚で、魔界の香りすらする。


学生時代に猛烈に読書したといい、聖書に沿って批評のようなものを加えている「西方の人」もこんなに読み込んでいるんだ、とその博識ぶりに感嘆する。私的には阿刀田高の「旧約聖書を知っていますか」「新約聖書を知っていますか」で読んだなあという流れがあってそれなりに楽しめた。聖書も物語だと再認識。


クリストはジャアナリストだ、文化人だ、と評価し、また処刑前に発した「わが神、わが神、どうしてら私をお捨てなさる?」(文中より)の意の


「エリ、エリ、ラマサバクタニ」


の言葉を引いてより人間的だと印象付けている。共産主義精神を持っている、という評が時代らしくて、現代の受け止め方とはまた形が違うような、強い関心を持っていたことが伺える気がする。


松本清張は芥川の文学世界を「知恵の遊び」と評したらしいが、より「創作」感の強い作品群を見ていると、知識と努力、ひねった思想に裏打ちされていたんだな、と感じた。


小難しくもあるし、なかなか共感できるわけではないが、参考になった。

2月書評の3






昼の気温は4月並みに上がったが朝晩は風が冷たい。バレンタインと子どもの誕生日。もう高校生、早いなあー。

◼️あさのあつこ

「スポットライトをぼくらに」


スノーフレーク、言葉がいい。また雑多卑俗なエネルギーは確かに少年期の心に共鳴するかも、と感じた。


軽い児童小説っぽいもの読みたいな、と思ってチョイス。あさのあつこ氏は、アダルトな時代もの「弥勒シリーズ」は読んでるが、児童ものは読んだことがない。「バッテリー」もノータッチ。


樹(いつき)は父が高利貸しや大人の歓楽店なども含む事業を広く手がけているこわもての成り上がり社長で、周囲から敬遠されることもある中学生男子。秀才でなんでもできる達彦、母が病弱で「いい子」で通っている美鈴とは幼稚園からの幼なじみだ。それぞれが進路に対して鬱屈した思いを抱く中、樹は父の店の1つ、トップレスバー「フラワーヘブン」のダンサーでフィリピン人のハル・ナンシーと仲良くなるー。


ハルがつぶやく言葉、スノーフレークの中で踊ってみたい、が効いたストーリー。


恋心というわけではないがハルに拘り、商品としてしか見ない父や常連客に反感を抱く樹、荒れ気味で先輩に体育館裏へ連れて行かれる達彦、いい子だが葛藤をかかえる美鈴、それなりに波のある進行で、優しく、苦くて甘く終わる。


田舎町が舞台で、昔を思い出させる。自転車でどこへでも行っていた中学時代。一駅離れたゲームセンターのあるスーパーを囲む街は風俗店もあるオトナの歓楽街だった。家の周囲にはヤンキー上がりの若夫婦が住むアパートがたくさんあった。


そういった雑多な環境を、尻込みすることなく、心のどこかに熱源のようなものを感じて、けっこう大らかに受け止めていたような気がする。やっぱ大人のお姉さん的な人には口に出せない憧れもあったかな。


私が読んだ文庫は発表されてから20年近く後に出たもの。樹、達彦、美鈴の後日談を収録してある。スイートな味わいの物語だったが、まあ感性のいいところを刺激されたかな。


◼️ジョルジュ・シムノン

「世界の名探偵コレクション メグレ警視」 


探偵小説かもしれないがミステリではない。メグレが不機嫌になると「キター」となる。不思議に好きだなあ、メグレもの。


コナン・ドイルの後、アガサ・クリスティーらミステリ黄金期から現代まで連綿と続く、いや、さらに現代的なフィルターがかけられた推理小説はその形が既にして出来上がっている感もある。メグレ作品はその形に決してはまっていない。謎があって、冴えた斬新なトリックがあって、証拠と動機に基づいたフェアで合理的な謎解きがある、というミステリ仕立てとはかけ離れている気もする。


メグレは材料を集めたり、しつこい捜査を重ねたりするが、多くは犯罪が発生した環境や関係する人物の描写に独特の味があり、どこかぼんやりした印象をも与える。メグレの捜査なり考察は表面的なものを捉えていて、真相はメグレの頭の中にしかない。全てが判明したとき、確かにハッとさせられることはあるが、全体の心理的雰囲気を巧く作っていて、謎解きよりもそちらの方が効いている感じで、より小説的だ。あるいは双方が折り合う瞬間が良かったりもする。


メグレといえば、名探偵コナンに出てくる目暮警部は知ってる、という方も多いかと思う。メグレが今ひとつマイナーなのはやっぱり、いわゆるフェアなゲーム的ミステリではないからだろうと思う。


今作はタイトルの通り「世界の名探偵コレクション」というシリーズの一つ。20ページ足らずのものから60ページ超の普通の短編まで、7つの作品が収録されている。いずれ劣らぬ名作ばかりで、メグレの魅力を余すところなく伝えている。


いちばん短い「蠟のしずく」、少しく複雑に見える「メグレと溺死人の宿」、引退後の「メグレとグラン・カフェの常連」が良かったかな。


シムノンに興味を持ったのは、パトリス・ルコント監督の映画「仕立て屋の恋」の原作と知った時から。ふつうのキレ良いミステリも好きだが、心理描写に重きを置いたメグレものが、大好きだ。


メグレが不機嫌になると、これは解決へ向け順調なんだな、と「キター(≧≦)Oー♪」感を持ってしまう。


次が楽しみだなあー。「仕立て屋の恋」のパンフも見直そう。

2020年2月11日火曜日

2月書評の2






新型肺炎、コロナウィルスはさほど心配ないことが分かってきたものの、発生源の中国・武漢の死者は毎日増えていて、やはり不気味である。オフシーズンにもう少し京都行きたいなと思ってたが、避けた方が賢明なのかもなこの時期。今週末は20度近くまで気温が上がるそうで、慌てて夏物スーツをクリーニングに出したり雑事に専念。

このままあったかくなったら、暖冬極まれりですな。雪は2回パラっと一瞬降っただけ。この先移動の予定が混んでるだけにあんま気温の上下動は歓迎でない。まあいつもの通り、風邪ひかないコツは、寒さを寄せ付けないこと、で厚着気味に乗り切ります。

数年前に妻にプレゼントされたブーツ。いやー男がつやーにブーツとか履ききらんばいと敬遠してたが、一回試すと以外に動きやすく、近い外出のときには履いていくこともある。ようやくその気になったのに、もう暖かくなるなあ。

◼️「教科書で出会った名詩100


過去の自分に出逢えます。読みたくなるタイトル。シンプルで良かった。


書評で見かけてモーレツに読みたくなり、図書館で借りてきた。解説が付いているものと思ったが、大枠のジャンル分け以外は詩の作者プロフィールと出典、最低限の語注くらいであとは詩を羅列していくだけ。なんか逆に教科書っぽくていいな、と。サクサクと読み進んだ。


さて、ポピュラーな作品、例えば中原中也「汚れつちまつた悲しみに」とか萩原朔太郎「竹」とか、がりりと噛んだ高村光太郎「レモン哀歌」、また宮沢賢治「雨ニモマケズ」とかあるのだが、高名なものだけで書評が終わってしまいそうなので、今回はわざと避けて取り上げたい。だいたい詩集読んでかつて書評も書いたし。


とか言ってトップはトーソンさんの「初恋」だったりする。島崎藤村は詩集を読んだことがないと言い訳。


◇◇

まだあげ初めし前髪の 

林檎のもとに見えしとき

前にさしたる花櫛の

花ある君と思ひけり


初々しい。可愛く美しい。透き通った思春期の色が見える名フレーズ。


◇◇

からまつの林を過ぎて  

からまつをしみじみと見き

からまつはさびしかりけり

たびゆくはさびしかりけり


北原白秋「落葉松」


実家近くに大きな庭のある邸宅があってそこに天を指す落葉松があった。2階の窓からも見えるし、田んぼのあぜ道を通って間近に行くこともできた。子ども心にその情景に心惹かれていた。この詩を教科書で読んだとき、妙にシンクロして心に浸み込んだのを思い出した。そうだった。いまは都市高速が通って見る影もない。


「落葉松」の2つ前に掲載されているアポリネールの言葉が共鳴する。


日も暮れよ 鐘もなれ

月日は流れ わたしは残る


◇◇

ふらんすへ行きたしと思へども

ふらんすはあまりに遠し

せめては新しき背広をきて

気ままなる旅にいでてみん


萩原朔太郎「旅上」


聴いたことのあるポエム。萩原朔太郎だったのかとこの出逢いを喜ぶ。忘れてたかな^_^朔ちゃんらしくもなく(?)きぱっと希望に溢れてていいねー。


◇◇

公会堂を建てるために

山から人々は松を伐ってくる。

松やにの匂ひが村中に流れて

大きな丸太がごろりごろりところがされる

(中略)

力ある人々の たのもしい木の切り口

沢山の年輪がめまぐるしく渦まいて

これは何十年と静かな(繰り返し)山の中で

たくはへられてゐた肥え松の匂ひ


茨木のり子「松」


また思い出話だが、実家の近く、犬の散歩コースに大きな丸太をたくさん置いてある製材所があった。可愛がっていた黒犬と、小さな弟たちと寒風の中、力強く清冽なものを見た気持ちが甦る。松かどうかは分からないが。詩は想像力をかきたてることも多いが、思い出に呼びかける力もある。


◇◇

わたしを束ねないで

あらせいとうの花のように

白い葱のように

束ねないでください  わたしは稲穂

大地が胸を焦がす

見渡すかぎりの金色の稲穂


新川和江「わたしを束ねないで」


後の方には娘や母という名を名付けないで、という言葉もある。自由でいたい、という気持ちあふれる詩篇に目が止まった。


◇◇

二人が睦まじくいるためには

愚かでいるほうがいい

立派すぎないほうがいい

立派すぎることは   長持ちしないことだと

気付いているほうがいい

完璧をめざさないほうがいい


吉野弘「祝婚歌」


東京から転勤するときに、文芸の師の女性から吉野弘の詩集をいただいた。私はもう結婚して10年は経っていたが、この言葉は今でも胸に染みる(笑)。確かまだ結婚3年以内、新妻だった師匠には何か感ずるところがあったのだろうか。大学の友人の結婚式が間近にあったのでさっそく使わせてもらった。


◇◇

ほっまぶしいな

ほっうれしいな


みずは  つるつる

かぜは  そよそよ

ケルルン  クック

ああいいにおいだ


草野心平「春のうた」


これって単純にノスタルジー。あったなあ、と。


◇◇

私の耳は貝の殻

海の響きをなつかしむ


コクトー「耳」


うっトシがバレそうだが、漫画「巨人の星」で高校から巨人に入った若き星飛雄馬が、宮崎キャンプで出逢い恋した日高美奈。余命いくばくもない美奈が海岸のデートで口ずさんでいた言葉である。ここで書かないと一生取り上げないかもと。


◇◇

カムチャッカの若者が

きりんの夢を見ているとき

メキシコの娘は

朝もやの中でバスを待っている

ニューヨークの少女が

ほほえみながら寝がえりをうつとき

ローマの少年は

柱頭を染める朝陽にウインクする

この地球では

いつもどこかで朝がはじまっている


谷川俊太郎「朝のリレー」


教科書にあったなあと。子供の頃、爽やかで不思議で、目の前に世界が広がっている気がしたものだ。カムチャッカの若者がきりんの夢、最初の取り合わせが意外で、でもどこか腑に落ちて面白い。絵本から児童本、作品を量産し広く活躍。谷川俊太郎は素晴らしい。


結局それなりに皆が知っているものが多くなった気がする。現代の教科書が読みたくなったな。息子のが家にあるんで久しぶりに開いてみようか。今回は、最近の掲載分も多いのだろう、知らない作品も多く、興味深かった。


教科書で読んだ詩や小説はいつまでも覚えているし、こんな風に再会すると、頭の片隅から記憶が流れ出る。あの頃、という名の駅で降りて、昔通りを歩いた気分です。




◼️青山文平「半席」


時代もの最近のお気に入り。ミステリとしての評価も高い。


青山文平の江戸もの。直木賞を受賞した「妻をめとらば」と松本清張賞の「白樫の樹の下で」を読んで、気に入っている。今回は若い目付役の成長物語を含んだミステリ仕立ての連作短編。


1800年代初頭、27才の目付役片岡直人は、早くに勘定方へと移り、出世の道を歩みたかった。父子の代で2回、御目見以上のお役目に就けば、代々旗本となる。儒者でもあった父は1回だけ。直人の立場は「半席」だった。


目付役は監察として種々の調査、内偵を行うため役外でも頼りにされ、報酬付きの個人的な頼まれごとも少なくないが、出世を重んじる直人は出来る限り背を向けていた。しかし、人たらしで庶民グルメの上司、目付役組頭の内藤雅之から、裏の仕事を引き受けていくうちに、変わっていくー。



この時代は刃傷沙汰、犯罪が起きても事実があれば刑罰が決まる。事実の自白が重んじられ下手人が理由を言わない場合「なぜその行いに至ったか」が解き明かされないことも多い。内藤から振られる裏の仕事は、言葉のように血なまぐさいものではなく、遺族らからの頼みでこの「なぜ」を調べて欲しい、というものだ。直人は材料をもとに考え、犯人が話すようにポイントを突いた質問をする。そこには人間くさすぎる動機があった。



話の構成は、ミステリとして大変魅力的だ。

・筏の上で寒たなご釣りをしていた老侍はなぜ突然走り出して自ら水に飛び込み死に至ったのか。(半席)


・八十歳以上でまだ役に就いているものの集まり、その和気藹々とした席で、主催者の永年の友は、なぜデザートの真桑瓜を見るや突然斬りかかったのか。(真桑瓜)


先に異常な事態を印象づけるのは、シャーロックホームズか初期の探偵ガリレオか、王道って魅力的ですね〜。


もうひとつ、謎の解決には要素がかまされていて、ある時は露天のニセ系図作り、あるときは娼婦のヒモ、謎の男、にこやかな沢田源内。市井で沢田と交わす会話に、直人は貴重なヒントを得る。


後半、迷い自分に向き合う直人が、長く、少しファンタジックに描写される。そしてラストに向けて、直人の通う道場主が襲われ、そして直人もまた・・。


犯行の動機にもひとつ納得できない気がした篇もあったが、よく出来た巻だと思う。内藤の魅力は増していき、糸口を掴むために沢田を求める直人の心境にも必然の変化がある。最後に危機的な盛り上がりが来て、結末がつく。


江戸ものは時代考証や知識でベースを敷いていく場合が多い。青山文平は詳細で、豊かに見える。今回はまた、内藤が次々とホントに美味そうなものを注文するからいい奥行きが出ていてそそられる。


誤解を恐れず言えば、青山文平にはどこか「軽さ」があるから好きなのかも。時代ものの十分な下地を作って信じられる世界を作り出し、決して押し付けがましくなくサクサク読める。直木賞の「妻をめとらば」け、進化していたような気もした。


まだまだ読みたい作家さんだ。

2月書評の1




もらったチケットでBリーグを観に行った。エヴェッサ大阪はいま西地区1位。オーバーカンファレンスで東地区5位の秋田ノーザンハピネッツと。大阪の天日ヘッドコーチとか、秋田のベテラン、古川孝敏とか昔仕事で観ていたので懐かしい。エヴェッサはbjリーグに所属していたチームということもあり、演出も上手。実業団リーグ時代はやっぱ地味だったし地域のイベント色が濃かったが、今回はホームということもあって、チームにサポーターがちゃんとついていて、よりプロっぽい色も見えた。

高い値段の前の方は空席もあり、端のほうはガラガラ。またUSJの近くJR桜島から舞洲へ向かうバスは本数が少ない上に激混みで、いまどき現金払い。私は1時間前に桜島に行って1本バス見送り、10分前くらいに着いた。もう少しバスを増やすだけで楽なのに、とまだまだ感を残した。

まあでも楽しかったよなーっと。

◼️白洲正子「西行」


和歌のスーパースター、西行の旅と想い。虚実入り混じるその人生。


松尾芭蕉「おくのほそ道」は、芭蕉が憧れる西行の500回忌に江戸を発ち、西行の歌枕を巡った旅である。読んで、自然に西行への興味が湧いた。アテルイなど蝦夷と大和朝廷の戦いは好きなジャンルということもあって、「おくのほそ道」では特に多賀城などのくだりにはそそられた。ちなみに西行は、ひと時代前の能因法師の歌枕を巡ったとか。歌の心は繋がるものか。


この本を読んだ感想は色々あるが、まずは西行って本当に研究されていて、今もって多くの人々に好かれている歌壇史上のスーパースターなんだなあ、ということ。興味を持ってこのかた、そんな気はしていたけれども。死後ではあるが新古今和歌集に入撰集1位となる94首が収録されている。


鎌倉時代目前の平安時代末期の人。当時から優れた歌人として名声が高く聞こえ、多くの時代人と交流もあった。源頼朝、源義経との出逢いにも触れてある。


百人一首に入っている歌。


嘆けとて月やは物を思わする

かこち顔なるわが涙かな


嘆け悲しめと月は私に物思いをさせるのか。本当は恋の悩みのせいなのに、月の仕業のように流れるわが涙ではないか。


かつてエリート集団の北面の武士であった西行は、待賢門院への身分違いの恋心に苦しみ、出家したとも言われている。


出家したとはいえ、しばらく洛中洛外をうろうろしていた西行、やがて奈良の吉野山に庵を結び、熊野で修行を積み、陸奥へと旅する。仏道は心がけているが放浪、さすらいの身の上である。


陸奥(むつのく)の奥ゆかしくぞおもほゆる

壺の碑(いしぶみ)そとの浜風


宮城・多賀城址にある壺の碑、青森・陸奥湾の東海岸である「そとの浜」ともに古くから知られた歌枕。この項では取り上げられてないが、私的には「おくのほそ道」で読んだ、山形・象潟での


象潟の 桜は波に埋もれて

花の上こぐあまの釣り舟 


が好きだ。桜好きの西行。


ところでお初の白洲正子氏。なんか思い入れが強いこともあり、基本的な説明がなかったり、西行の道行きを追うのはいいが文があっちこっちへフラフラしている紀行文のようで、しかも学説や一般に西行に言われていることについていきなり強い意見が出て根拠を書いてなかったりして、中盤まで正直読みにくく時間がかかった。


しかし後半になると、私が文調に慣れたのか、西行の基礎知識が多少分かったからなのか、少しずつ感じ入り、面白く読めるようになってきたから不思議。白州氏の


「あげくのはては、ごらんのとおりの伝記とも紀行文ともつかぬものになってしまった」

というあとがきの文にくすっと笑ってしまった。


高野山に入ったが相変わらずあちこちへ出かける西行。都では保元の乱が起こり、西行と親近の崇徳院が讃岐へ流島となってしまう。崇徳院はかつて西行が恋したという待賢門院と祖父・白河法皇の不義の子で天皇位にも上った。西行は多くの手紙のやり取りをし、当地で院が没した4年後に讃岐を訪れた。


松山の波の景色は変らじを

かたなく君はなりましにけり


「かたなく」は跡かたもなくなったという意味で、西行の深い悲しみが見える。白州氏の、西行と崇徳院、当時の世情、探訪の旅の表現と相まって、心に響いた。


年老いた西行は、2度目の奥州への旅に出る。その途中、富士を詠んだ歌。


風になびく富士の煙の空に消えて

ゆくへも知らぬわが思ひかな


これは西行が自賛歌の第一に挙げていたそうだ。白州氏は万葉集の山部赤人に比しても、その大きさと美しさに遜色なく、万葉以来脈々と生き続けたやまと歌の魂の軌跡を見る思いがする、明澄でなだらかな調べ、と最大級の表現をしている。


時に恋心を、時に風流、そして自分を持て余すかのような感情の吐露もある。漂泊の和歌マスターは伝説も多く、全国にたくさんの碑もある。しかし、虚実の入り混じった掴みにくい人物像、とのこと。私も心に実像が思い浮かばない。


「おほかた、歌は数奇のみなもとなり。心のすきてよむべきなり。」


一生かけて数奇を求めた西行。枠にはまらない行動と歌の抜群の冴えは人を惹きつける。だいぶ疑義はあるらしいが辞世とされている歌。


願はくは花の下にて春死なん 

そのきさらぎの望月のころ


和歌や漢詩の本、その書評を書くのは、読みながらピックアップした作品の一部や言葉をメモして、本を何度も読み返しながら組み立てる。時間がかかるが、とても楽しめる。


次は春は花、夏ほととぎす、秋は月、の明恵の話が読みたいかな。



◼️芦原すなお「雪のマズルカ」


スカッとする未亡人探偵。キッパリしてて、かわいらしくて、強くて、嵌められやすい?


とてもテンポが良く、サクサク読める。その要因の一つは主人公の女性探偵。


笹野里子。3年前、探偵だった夫が亡くなり、自分が探偵になった。41回めの冬を迎えた妙齢である。気に入らない依頼は「お気に召さないのでしたら、どうぞよそへ」とはっきり告げる。しかし徹底的な鉄面皮なのではなく、「いやね」とか「馬鹿言ってらっしゃい」とかかわいらしい言い回しが板についていて、警視庁の捜査一課長をメロメロにさせている。各種格闘技をマスターしており、夫の形見のリボルバーを携帯している。


この本には4つの短編が収録されているのだが、この方、高確率でダマされている。それを承知で調査に取り組んでいるのかも知れないし、いかにも侮られている、というのは女性探偵ものとしてリアルかもしれない。


高校生のドラ娘の非行をやめさせて欲しい、浮気な女優の怪しい行動を調べて欲しい、

殺された猟奇惨殺事件の犯人を捜して欲しい、

代議士の友人のマズい写真等を捜して欲しい


といった依頼。一筋縄ではいきそうもない。富豪の老人、俳優、コンパニオン、代議士の同窓生といったクセのある依頼人とややヘンクツな里子ののコミカルなやりとりも読みどころのひとつだ。


探偵ものではあるが、これはミステリではなくサスペンスを含んだ楽しい読みもの、という感じである。ダマされて、危険な目に遭う笹野里子の切り抜け方はなかなかハードボイルドだ。探偵小説としてはひとつの反則でもあったりするが、そこがまたスカッとするところではある。


最後の短編では、六本木のホステスと車で海にダイブして亡くなったという夫の最期の真相が分かる。言ってみればボロボロである。でも、正直に強く生きていく里子にやっぱり魅力を感じさせて、締めている。


この本、笹野もの連作短編はうまく一冊で収まっているような感もあるが、続きを読みたくなる。続編ないのかな。


直木賞フリークだった私は芦原すなお「青春デンデケデケ」も読んだ。高校生のバンドもので、初々しすぎる色合いだったなと、今思う。「上手い」芦原すなおをもう少し読んでみたいかな。

2020年2月3日月曜日

1月書評の7




1月は13作品13冊。文豪を一冊、古典を一冊、ホームズ関連を一冊、時代ものを一冊、海外SFを一冊なんて予定を立てても、やってるとすぐに計算は崩れる。今回も時間がかかった。

筋トレに腕立て伏せ、プッシュアップ5回ワンセット増やす。

さして語ることのない週末。近所にある土地に山茶花が咲いている。ちょっとホッとする。

◼️カレル・チャペック「山椒魚戦争」


コメディ風社会派SFの金字塔か。ヒトラーをディスったチャペック。

ちょっと理屈も多いが、山椒魚を題材に大仰な社会現象をおもしろおかしく展開している。後半はついに・・という感じで盛り上がる。人類の大きな敵は人が育てた、という視点。


エッセイ集で手塚治虫氏が海外SFの第1位として挙げていて興味を持った一冊。マンガ的でもあり、確かに面白い。友人のリケジョがまたチャペック好きで、かねがね噂は聞いていた。


ヴァントフ船長は、山椒魚が真珠貝を取ってくるのを目の当たりにして、山椒魚の集団を定期的に見に行き、真珠を集めるようになる。やがて小学校の同窓で実業家のボンディ氏に出資を持ちかける。


ボンディ氏は、山椒魚に知性があるのを見抜き、また海底の浚渫工事、海岸の埋め立て、人工島建設が出来るという特性を生かして、各国へ大量に売買するようになる。


個体にもよるが、山椒魚は人語を解し、また喋り、人間にはできない作業を無償で手早く片付ける。犬やサメなど外敵から守るために、人は山椒魚に自衛のための武器を渡すのだった。


山椒魚は保護されたこともあり爆発的に増え、世の中は大騒ぎ。生体の研究が進み、人間と同等の知性を持つ山椒魚を認め、服を着せようとしたり、学校教育を受けさせる運動が起きたり、愛護協会が出来たりする。はては領土拡張欲や民族間の争いのない山椒魚を理想の姿のように捉える論調も出てきて山椒魚派の詩人や海洋派の画家まで現れる。


やがて軍事目的、国家目的の工事が増え、各国は山椒魚と工事に関する国際協定を結ぶ。世界の海岸線はその形を変えてしまったー。


しかし、すでに人類の何倍もの数となりプレゼンスの増しすぎた山椒魚に警戒の声が出てくると、世論は一転、山椒魚反対派の団体が次々にできてくる。すると山椒魚は大地震を起こしたり船を沈めたりと人間に警告し、交渉の席へ人間の代理人を送り込むー。


この物語が発表されたのは1935年。ヒトラー率いるナチスが政権を握ったのが1933年。ドイツと国境を接し、やがてナチスドイツに支配されるチェコのチャペック。この小説はヒトラーとナチスを大いにディスったものとされている。


地位が上がってくるにつれ、山椒魚へ向けた、激励的なスローガンが叫ばれるがその中に


「山椒魚よ!ユダヤ人を追放せよ!」


というものがあったり、また人類との交渉を求め放送で話すチーフ・サラマンダーは実は人間で、明らかにヒトラーを模しているとされる。世界は山椒魚の台頭の前に、自国の利益ばかり考えて一致しようとしない、というのも当時の国際情勢を皮肉っているのだろう。


実際ヒトラーはチャペックを敵とみなし、チェコ侵攻の際すぐに自宅を襲った。しかしチャペックは前年に死去していた、とか。


もしも人類に匹敵する生物が現れたら、という仮定のもと、騒然となる世の中を大げさに演出してコメディチックなつくりともなっている。もととなる思想と戦術は明確で遠大だなあと感じた。


最後は人類と山椒魚との軍事衝突になる。面白いのは人類が山椒魚を称賛したりして大騒ぎしていた時に、山椒魚のほうのリアクションがあんまり伝わってこないように思える。それが、騒ぎの中当事者の山椒魚は大勢でヌボーっしてて勝手に社会が盛り上がってる、という感をよく表している。


チーフ・サラマンダーが実は人間?というのもそれを助長してるかな。


マンガ的社会的な展開、ベースが当時の国際情勢で痛烈な皮肉を含んでいる。この作品はSFのひとつの金字塔なんだろうなあ、と思った。