2019年9月29日日曜日

9月書評の6





写真は姫路城のお堀ですぐそこにいたオオサオサギとおぼしき大きめの鳥。

西武ライオンズが優勝し、ラグビーワールドカップでは日本がアイルランドに勝ちとスポーツ花盛りの週。きょう日曜日はワールドカップバレー女子最終戦、バスケ女子アジアカップは中国との決勝に世界陸上。

暑い、涼しい、昨夜は久々に窓開けたまま寝た。日曜の昼間は暑くて久々にエアコン入れた。台風は17号と同じような、九州と朝鮮の間を通る感じでこないだより北よりか。去年は台風が何回も関西を直撃したが、年により辿るコースが似てくるのは興味深い。日本への影響が小さいよう祈ってます。

◼️フィリップ・K・ディック

「ペイチェック」


ディック50年代〜70年代の中短編集。ふむふむ。


表題作の中編「ペイチェック」が映画化されるにあたって2004年に編集・出版された本だとか。ディックはこれまで何冊か読んできたが、長編でないのは初めて。


電子機器の整備技術者のジェニングスは自家用小型ロケット・クルーザーの中で目を覚ます。レスリック建設で2年間仕事に従事した後、記憶を消される契約にサインしていたのだ。ところが巨額の報酬の代わりに渡されたのは針金、バスの代用硬貨、緑色の布ぎれ、コード・キー、チケットの半券、小包の預かり証、半かけのポーカーチップといったガラクタだった。しかも大金の代わりにこれらを受け取ることを、過去のジェニングス自身が望んだらしい。やがてジェニングスは公安警察に追われる身となるー。(ペイチェック)


表題作のほか「ナニー」「ジョンの世界」「たそがれの朝食」「小さな町」「父さんもどき」「傍観者」「自動工場」「パーキー・パットの日々」「待機員」「時間飛行士へのささやかな贈物」「まだ人間じゃない」

12篇を収録している。「パーキー・パットの日々」は過去の短編集の表題にもなっているようだ。中には入手困難な作品もあるとのこと。ファンの人は知っている篇もあるのだろうか。


ソ連と国際連合との戦争の破壊兵器「クロー」の開発を止めるべく過去へと旅立つ「ジョンの世界」など、地球上がなんらかのダメージを受けて、残った人類が機械に支配されていたり、原始的な生活を余儀なくされているものが数篇入っている。


また子守ロボットが肉弾相打つ格闘を始める「ナニー」、ジオラマと現実の世界が逆転する「小さな町」、平和な一家が爆弾によりパラレルワールドへワープする「たそがれの朝食」などいかにも短編らしい向きの作品も入っている。


「ペイチェック」はどれかというと異質で、ガラクタの使い途が徐々に分かってくるのがストーリーの読みどころ。SFではあるがサスペンス・エンタテインメントといった向きが強い。映画向きだろうな、と思う。


短編は特にうまく収めるのが著者に課せられたタスクのようなもので、ディックもそれにならい、ラスト投げっぱなし、というパターンは少ない。


ディックといえば、小説世界の構築もさることながら、途中で物語の主人公のアイデンティティをぐらつかせるような仕掛けが持ち味の一つと感じているが、中短編ではさすがになかった。


でも、時代らしいSFの傾向とディックのエッセンスに触れることができたと思う。読後、書評を書くべくこうやって振り返ると、それぞれの篇に、思ったより強い印象が残っているのに気がついた。興味深い。


◼️川端康成「新文章讀本」


「川端康成と美のコレクション展」で買いました。よい文章、優れた文章とは?


姫路で開催されている「川端康成と美のコレクション展」に行きました。市立美術館と市立文学館の2会場で展示があり、美術的にも文芸的にも満足の量。思った以上に良かった。後ほど詳述します。


川端康成は創作の傍ら、せっせと新作の小説を読み、文芸時評をしていた。文壇を批判する長老や批評家への不満があったと言われる。この本は戦後昭和25年に刊行したもの。


坪内逍遥「小説神髄」以来の近代小説における文体の研究、さらに文章についての考察が展開されている。文章のための本だけあって、平明できれいな文、語彙も豊富。内容は逆にゴツゴツした読み応えを感じる。


川端康成が良いとする文章を書く作家は?

まずは徳田秋声。「天衣無縫とも称すべき」

「その淡々たる筆致は、文章論を超えて、秋声氏の個性を感じさせる。これを技巧と言うならば、正に神業にも似る。」


文章の例として「爛」から引用されている。すっきりとかつ淡々としているな、という印象を受ける。


さらに、志賀直哉。ベタ誉めである。「殊に人間の心理描写を主観客観の統一した世界に映し出すことにおいて、志賀氏の右に出る作家はいないであろう。」


志賀の文章については「十分に推敲されながら、その苦心が苦心として感じられぬところに余韻の風格を保つ。」

「首尾一貫した味を、地味な艶を消した文章で表現することで志賀氏は新しい文章道をきり開いたともいえようか。」


引用は「城の崎にて」の鼠のくだり。「独立した完璧の文章」「名文」と。印象的なシーンであり、よく覚えている。難しい言葉はない。んーちょっと残酷。志賀直哉はあまり数読んでないけど興味が湧く。


また、川端は泉鏡花を好んで読んだという。こちらも絶賛している。

「泉鏡花氏ほど、豊富で変幻極まりない語彙を持っている作家は恐らく空前であり、且つまた絶後であろう。」

「偏した趣味性を持ちながら、しかも雅語、漢語、俗語などの広い範囲から言葉を集めて来て、それが悉く氏の趣味を色どる花となっているのは、特記すべきことではあるまいか。」


引用は「歌行燈」最後の一節。評は「天才の才華が、けんらんと咲き誇ると言えようか。」


泉鏡花は先日初めて読んで、読みにくいけど強い印象を残す作家さんだと感じた。川端の評価は、すごく高い。もっと読んでみようかな。


取り上げたのはほんの一部で、永井荷風、里見弴、武者小路実篤、菊池寛、宇野浩二、芥川龍之介、佐藤春夫他の作家、そして親友の横光利一らにも言及がある。太宰にもふれている。


先に挙げたちゃんと読んで評する態度もそうだが、この本には著者の真摯な姿勢が読み取れる。批評家を手厳しく批判した下りもある。体系化された研究書というわけではないが言わんとすることは伝わってくる。


谷崎潤一郎については、川端は谷崎をセンテンスが長く、少し説明的 であるとしながらも「空想の大胆な発展、滔々と流れる大河のような力などがある」とし、「姿の大きい文章家」としている。


谷崎は、一見して文章が長いが、しかし見事に整理されているから読みやすく、かつ美しいと、私も思ったことがある。


近代文壇を網羅した面もあり、多くの著作の文章が引用してあるからとみ見こう見、どれも読んでみたくなる。面白い!


書評最後に里見弴の言葉を。元来、文章の大事は「現し方にあるのではなく、現れるものにある。」

そうだよな、とまったく共感した。


さて、「川端康成と美のコレクション展」。自らも収集家であった川端は膨大な美術品を収蔵していた。池大雅、与謝蕪村の画など国宝に指定されているものから、親交のあった東山魁夷をはじめとする近代画家たちの絵画、北大路魯山人など陶芸家の茶器などなど。ピカソもあった。これが半端な数ではなく、もうお腹いっぱい。堪能した。


また安藤忠雄設計の南館、北館に分かれたモダンな文学館。こちらには夥しい書簡、川端自身やなんと良寛なぞの書、ノーベル賞の賞状、メダルもあり、手紙の中には、芥川賞を自分にくれと懇願した太宰治の有名なものもあった。


惹かれたのは弱冠15歳で川端と一時婚約した伊藤初代の別れの手紙の現物や写真。いまでいえば中学3年生か高校1年生。子鹿のような顔をした、どのクラスにもいる活発な女の子といったイメージだ。印象的だった。


実は人が少なくて、ブンガクはやっぱり人気がないのかーと実感したけれど、その分ゆっくり回れた。秋の姫路城とセットにするとなかなかいいお出掛けになると思います。別に主催者の回し者でもなんでもないんだけど、私的にはおススメです。

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