すっかり紫陽花の季節。だが、まだ朝晩ひんやりとして、5月の続きみたいだ。まあだいぶ暑くはなってきた。
毎年6月でいったん半期のランキングを発表しているが、今年はここまで心を掴まれたものがまるでない。なんか出てこないかのう。うーむ。
息子は修学旅行。オバマが先日訪れた広島に行くそうだ。
辻村深月「朝が来る」
子供が欲しい夫婦の一部の現実。それはよく分かった。
夫と6歳になる息子、朝斗と3人で暮らしている佐都子の家に、朝斗の母親を名乗る女から電話がかかってくる。女・片倉ひかりは「子どもを、返してほしいんです。」と告げる。
私はこの本を読む前に、出来るだけ予備知識を入れなかったので、実際はこの先のストーリーは、ちょっと考えていたのとは違って、いい意味で裏切られた。
子供が欲しい夫婦に、どのような葛藤があるのか、さらにはどんな手段があるのか、その現実の取り挙げ方は斬新で、非常に興味深かった。以前に読んだ角田光代の「ひそやかな花園」という小説をも思い出した。
後段は視点が変わって、うまくいかない女の子の話。うーむ。こちらは、正直新鮮味が無くて、トータルとしては、ふれこみのように「号泣必至」とはならなかった。最後の奇跡は、意表を衝いていて、明るさを感じさせて終わる。釈然とはしないが、単館系、一部のヨーロッパ芸術系映画にあるような、映像系のラストだな、と思った。
辻村深月は、デビュー作「冷たい校舎の時は止まる」が良かった。「凍りのくじら」は、中心のストーリーはもひとつだったが、仕掛けがとても面白かった。直木賞作品の「鍵のない夢を見る」「太陽の坐る場所」「島はぼくらと」はそこそこ、という感じだった。
あくまで個人的な感想ではある。でももう一度、ほう、という作品が読みたい気がする。「メグル」「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」あたりもいずれ読んでみよう。
塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」
いわゆる東ローマ帝国滅亡の日。確かに、なかなか落ちない。
ビザンチン帝国(東ローマ帝国)は、トルコ軍の脅威にさらされていた。すでに、かつてのほとんどの領土はなく、首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)などわずかな勢力圏が残されたのみの状態だった。そして1453年、トルコの弱冠22歳のスルタン、マホメッド2世は、堅固な要塞都市、コンスタンティノープル攻略を決断する。
この作品は、史料を詳細に検討し、大きな動きのほか、皇帝とその側近、市井の商人、宗教関係者、軍医、トルコのスルタンの小姓などの目線を交えて、コンスタンティノープル陥落前夜、そして陥落の日を描いた壮大な物語である。陥落を体験した帝国側の何人かは生き残って現在も残る史料を書き残している。
330年から続く東ローマ帝国というものとその重さ、ヴェネツィア商人、ジェノヴァ商人、そして現地のギリシア人の葛藤、西欧カトリックとの関係性等が述べられている。また地理的なものも、コンスタンティノープルの要塞都市ぶり、戦いの流れも非常に詳しく語られ、想像力がかき立てられる。
かつてこの本を紹介した方が、「なかなか陥落しません」と言っていた。その意味かどうかは分からないが、出てくる人と背景をはじめの方に紹介してあるのだが、後にポンと名前が出てきても、「この人誰だったっけ」となり途中でこんがらがる。また、言葉は尽くされていると思うが、もう少し地図や挿絵での説明があれば地理も分かりやすいのに、と思った。これらの理由で中盤までは読むのにけっこう時間がかかった。
確かに数が非常に少ない帝国側は、トルコ軍の進撃に対しよく防衛するが、だからなかなか陥落しない、というわけではないかと思う。(笑)
しかし中盤を過ぎて慣れてくると、話がダイナミックになることもあって一気に読める。教科書には年号と事実しか書いてなかったが、こんな意味があったんだな、と興味深いものはあった。
「ローマ人の物語」などで著名な塩野氏はこれが初読み。すでに買ってある「ロードス島攻防記」も楽しみだ。
似鳥鶏「シャーロック・ホームズの不均衡」
ラノベ系ミステリー。ホームズ、の文字が入ってなければ買わなかっただろう。結局内容には関係なかったが、まあそんなもんだ。
かつて両親を殺された、高校3年の直人と小学校3年の七海の兄妹。七海を引き取りたい、という人の誘いで、施設からあるペンションに出掛けるが約束の人は来ず、翌朝に突然、殺人事件を目の当たりにする。
舞台設定や物語の進め方はさすがラノベというか、大富豪とメイド姿で美女のボディーガード、悪辣なの国際陰謀期間、アクションなどなど楽しめるように作ってある。親しみまで出てくるから不思議で、続編読みたいなあ、などと思ったりする。実際その可能性をも念頭に置いているのだろう。
セリフの中に必要度不明の文言も出てくるが、それもお茶目というもの。
謎の方は、けっこう本格的な密室・不可能ものミステリーが3つも楽しめる。
物語の芯はあまり濃いとは思わないが、まあこれはこれで、と思うものだった。
三浦しをん「神去(かむさり)なあなあ日常」
林業の村と日常を三浦しをん流に。ちょっとのペーソスも込めて、ってとこかな。
卒業したらフリーターになるつもりでいた横浜の高校3年生、平野勇気。しかし担任と母親の策謀で、三重県の携帯電話も通じない山村、神去村に送り込まれる。勇気は、30歳くらいの金髪の所帯持ち、ヨキの家で寝起きしながら、林業の修行をすることになったのだった。
ちょっと前映画にもなった作品。林業の今と村人たちの暮らし、山への畏れ、恋模様などを、三浦しをんらしく、軽妙で、マンガチックに描いてある。決して暗くはならないが、どこか言いたいことをにじませている、といった抑えた感じが今回はあったかな。
三浦しをんは「まほろ駅前多田便利軒」で、20代で直木賞を取り、2012年には辞書編纂の物「舟を編む」で本屋大賞を受賞した。他私が読んだのは、人形劇の文楽を舞台とした「仏果を得ず」、そのエッセイ「あやつられ文楽鑑賞」、大学生駅伝ものの「風が強く吹いている」といった作品たち。
「まほろ」を除けば、斬新で確固としたネタに沿い、決して難しくならず基本はコメディタッチで、その世界を描いてみせる、というものだ。「風が強く吹いている」はちょっと熱血でほお、と思ったりした。
さて今回も、あっという間に楽しく読めた。ベースの世界も親しみが湧き、番外編もあるそうなので読みたくなった。これがトップの大衆作家の力だろう。しかし、私は、三浦しをんがどこかに隠している、もっと熱く文学芸術的な心の叫びを読みたいな、なんて思っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿