この半期は、外書の古典を多くしたり、日本の名作を入れたりと、ちょっと工夫した。その一方、借りる本がけっこう溢れてきた。社内文芸ネットワークが機能してきた成果だが、本というものは、少なくても、多くても困るもの。ふふふ。(謎)
サラ・グラン「探偵は壊れた街で」
新しめのアメリカン・ミステリー。クールな女探偵が複雑な謎に挑む。けっこうハチャメチャな方。
ハリケーンによる洪水で、大きな被害を受けたニューオリンズ。自称世界一優秀な探偵、クレア・デウィットは、行方不明になった当地の地方検事補の捜索を依頼される。洪水で亡くなった見方も出来る一方、嵐の後の目撃証言もあり、捜査は困難を極める。
「ちょっと変わったアプローチのもの」貸してくれた方はこんな表現をした。確かに、女探偵ものは数あれど、幾つかの特徴は認められる。
一つは活動的でありながら、非常にクールなタイプの中年の女探偵であること。また、ニューオリンズという土地に、密着度の高い話の展開であること。また、上にも書いたが、探偵自身が、クールでありながらけっこう退廃的でハチャメチャで、そして母性溢れるストーリーになっているという事だ。
クレアの過去のことなどで、かなり幻想的な部分もある。クレアが孫弟子に当たる師の探偵の著書にある言葉も、哲学的かつ現実的で、いい味を添えている。事件の流れもまあすっきりしているか。謎もまずまず明瞭に解き明かされる。
この作品で幾つかの賞を獲り、クレア・デウィットはシリーズ化され第2作ももうすぐ出るとか。なんか、今の時代でありつつも、アメリカの古典的な風味もプラスした、どこかいいなと思ってしまう小説である。
米原万里「オリガ・モリソヴナの反語法」
最後ホロリとしてしまったな・・。戦中戦後、スターリン、フルシチョフ、プラハの春、そしてゴルバチョフにまでかかる歴史もの。
弘世志摩は子持ちバツイチ、40代のロシア語翻訳者。父親の仕事の関係で、フルシチョフ時代、チェコ・プラハにあるソビエト学校に通っていた。そこで出会ったダンスの個性的な老女教師、オリガ・モリソヴナと自らが出会った人々の謎について、1990年代の今、モスクワで調査を始める。
作者自身も共産党員の父の赴任について、プラハのソビエト学校で学び、帰国後当時の友人を探し歩いたりしている。報道方面の同時通訳やコメンテーター、エリツィン来日時の随行などを経験し、ロシア語とロシアに対しての豊富な知識と持ち実践を積んでいたようだ。
ストーリーは志摩が調査を進めるうち、スターリン政権での粛清の嵐、女囚強制収容所の過酷な実態、運命に翻弄された人々の運命といったものが明らかになる。
夫や父親が逮捕・処刑された女性や子供たちの姿は、幕末の水戸藩にも通じるが、バレエ、踊りを一つの柱に、エキセントリックなオリガ・モリソヴナのはっちゃけた言動振る舞い、またソビエト学校の奔放で活発な少女たちの様子が、暗くなりがちな物語にユーモアと明るさ、そして光を与えている。
かなり前に読んだ「プラハの春」を思い出した。戦後の世界的な国家的混乱、壮大な人工的実験とも言える思想的な国家の成り行きが産み出した凄惨な実態と喪失感までもが漂っている。
ところどころ
一時期よく出たような日本批判も見受けられるし、巻末に収録されている対談に、共感とともに違和感を覚えないでもない。
しかし、この小説のラストは何とも言えない、一筋の感動を醸し出す。長い作品だったけど、読んでよかった、と思った。
米澤穂信「愚者のエンドロール」
んー、話の最後の方は上手く作り込んであると思ったけれど、ちょっとパワーダウンかな。「氷菓」に続く古典部シリーズ第2作。
「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に。」がモットーの省エネ主義者、折木奉太郎は高校1年生の古典部員。文化祭を前にして、2年のクラスが作りかけの映画の試写会に他の部員とともに招かれるが、脚本担当の女子が倒れたからと、映画の成り行きの謎解きを頼まれる。
本格推理ではなく、ライトノベル過ぎるものでもない。会話とキャラクター付けはちょっと奥深めに、というテイスト。うーん、謎のネタが、何というか、破天荒過ぎて、いつものミステリ感覚にも入って行けなかった。入って行かないようにしてるのかも知れないが。
最後は、まあ、こうでなくちゃね、という展開にはしてあるが、もうひとつである。前作は初登場のキャラの説明や謎が面白く新鮮だった反動かな。
シャーロック・ホームズの話も出てくるのだが、推理ものとしてホームズは・・というくだりは、誰もが思っていることだろう。私もそう思う。ただちょっと考えてしまう思考方向だ。
指摘をひとつ。ホームズ物語の舞台が19世紀半ば、という文があるが、ホームズが活躍したのは、どう考えても1880年代から1900年代初頭であり、半ばは当たらない。
そういう心の狭い心象もまた、あまり評価しない原因かも。いやー。ごめんねっ。
コナン・ドイル「四つの署名」
よく息子の寝かしつけの時にホームズ物語をアレンジして聞かせる。先日までは「バスカヴィル家の犬」だった。
「実はホームズさん、足跡はあったんですよ」
「ほう、男のですか?女のですか?」
「それが、大きな犬の足跡だったんです!」
などと効果満点に魔犬の話を盛り上げた。(笑)。で、次はこの作品がいいんじゃないかと思って何度目かの再読をした次第。やたらホームズづいた6月。
事件が無くて退屈しているホームズと、同居のワトスンの部屋へ、メアリ・モースタンという娘が相談に訪れる。ここ数年、差出人不明で、大きな真珠が贈られて来ていたが、贈り主と思われる者から、お会いしたいという手紙が届いたという。
話の成り行きは、いかにもワクワクしそうな、たぶん当時の読者が喜んだであろう要素がたっぷりだ。謎の財宝、怪人、追跡劇・・そしてラブストーリーでもある。
ドイルは、シャーロック・ホームズに関して、最初は「緋色の研究」とこの「四つの署名」を書いた。評判としてはそこそこだったという。次に書いた短編「ボヘミアの醜聞」が大変な評判となり、ホームズは世界的な名声を博すようになった。「ボヘミアの醜聞」は話し終わった時に息子も「面白かった!」と言ってたっけ。「まだらの紐」は怖かったらしい。
さて「四つの署名」。いかにも派手めな冒険譚ではある。アジア方面への、欧米人の都合の良い見方も垣間見える。推理が入り込む余地はちょっと少なめだ。しかし最初の2つの長編は、シャーロッキアン的に大きな要素を含んでいる。
ホームズの麻薬癖(ちなみにこの時代は禁止されていなかった)、ホームズの名言、現代の警察犬のようなトビーの活躍、ベイカー・ストリート・イレギュラーズの再出演、ワトスンの結婚、女性というものに対しての、ホームズのスタンス。
それに、うがってみれば効果を狙っているように見えるが、全体の雰囲気や流れは、うまく噛み合っていい効果を出している。見逃せないのが、様々な立場の人の生活感までもを出していること。ホームズが物語として多くの人の心を掴んでいる所以でもある。
これで200ページちょっと。映画は
2時間以内、小説は250ページがちょうどいい。もちろん粗さもあるが、今回も、割り切ってスッキリ読めた。
上橋菜穂子「狐笛のかなた」
いやー引き込まれてしまったな。満足。読みたかった一冊。「鹿の王」で本屋大賞の上橋菜穂子、2003年の作品で野間児童文芸賞受賞作。
春名ノ国の夜名ノ森の端に住む少女・小夜は人の心の声を聴くことができる能力があった。ある日、小夜は犬たちに追われた子狐を懐に隠して逃げることになる。駆け出した方向には里人の出入りが禁じられている森蔭屋敷があり、小春丸という屋敷の男の子に、危地を救ってもらう。
基本は児童文学なのだが、これは間違いなく大人向けの話でもあると思う。文化人類学者でもある上橋菜穂子の世界の作り方は奥深さを感じさせる。
上橋菜穂子は「精霊の守り人」他の守り人シリーズが大ヒットした。アジアを基本に置いた、しっかりしたファンタジー、というのが近年評価されたポイントのひとつだという。
守り人シリーズが、中央アジアの民族を念頭に置いていたのに比べ、こちらは明らかに古代の日本が舞台である。霊力を得ると言われる恐ろしい霊狐、呪術師や結界、カミの世界との間にある「あわい」となかなかワクワクするフィールド設定だ。また、日本が持つ美しさ、幽玄さ、そして怪しさまで、表現する手法は幅広い。
隣国との勢力争い、跡目騒動があったりして、時代劇のような様相も帯びるが、最後にはある意味児童文学らしい結末へと進む。一歩引いてみると。謎が謎のまま残されたり、小夜の能力が全面開花という訳ではなかったり、まとまっていない部分も正直あったりする。
しかしドキドキしながら、終わらないよう念じながらページをめくる感触は楽しかった。
宮部みゆきの解説にあるように、上橋菜穂子のこの世界に旅に出て、読後ようやく帰還した感じだった。