気がついてみると少し間が空いた。
さて、先週土曜は大雨。ずっーと降り続いてどこへも行かず、しかし日曜はかなり暑いザ・ピーカン。外仕事でバテた。
朝起きして、ブラジル戦を観た。まあその、開始直後の、ネイマールのゴールがすべて。フレッジが胸に当てて落としたボールを、ワンバンダイレクトで右上隅へ見事なコントロール。なかなか見れないゴールだった。
けちょんけちょんの3-0。言うことは無い。彼我の差は明らかだったと思う。
時差や環境への慣れ、海外遠征では2試合めの方が動きがいいと言うが、2戦めのイタリア戦は、前半の途中まで日本が2-0という信じられない展開となった。
が、結果は勝てる試合を取れず3-4。あーあ。これにて敗退決定。午前7時キックオフで、後半の途中で家出て、駅までの道で結果を調べて、「あー、負けたらしいよ」と会社の後輩に言った瞬間「えーっ!負けたんですかー!?」大声で近くに居た女子高生がびっくりして振り向いた。
金曜日、東京日帰り。また雨、雨。遅かったので、友人宅に泊まろうかとも思ったが、この日は帰らなければならなかった。予定は少し早く終わり、新幹線を早めて、なんとか最終バスに間に合った。
土曜日、参観日。久しぶりの小学校。2、3時間目が参観に当てられていて、慣れてるお母さんはもう2時間めだけで帰ったりして、3時間めは人が少ない。先月やっていた校外探検の発表と、算数。お父さんばかり、とも聞いていたが、夫婦が多く、ことさらパパばかりという訳ではなかった。
帰って昼はハンバーガー、食べて寝て、夕方公園でキャッチボール&サッカー。息子は明らかに左の方が遠投がきくしコントロールも良い。ついに左用グラブ買う時が来たか?
サッカーは、空気をパンパンに入れたボールというものは、とってもコントロールし難いことを味わう。公園は土で、石ころや木の根っこなどがあるため、速いボールをダイレクトで蹴る、その直前にイレギュラーしたりして扱いにくい事この上ない。芝はまた違うのだろうが、日本代表のミスキックを責める気持ちが、5%くらい減少する。凸凹してるピッチでの代表戦もあるし、DFラインでやっちゃったら怖いよな〜。晩御飯はニョッキ、あさりの酒蒸し。
で、早起きしてメキシコ戦。いいハイペースでの試合となったが、この形は、メキシコの方が格段に慣れているようにも見えた。
1-2で3連敗。勝ち点ゼロ。記憶にあるコンフェデ杯でも一番のボコボコか。
でもね、と思う。良かったんだよ、これで。アジア予選終了すぐ、遠征続き、という時期の不運もあったけど、地理的にも、ホームのブラジルと、中米のメキシコが相手というのもあるんだけど、これが、まぎれもない、1点の曇りもない、いまの日本と世界の差だと受け止めないと。
ほんのりした自信を持ち続けても、利は全く無い。前回のワールドカップでいい成績を取り、ヨーロッパのクラブへ行って揉まれた選手たちのプライドを1回折るには、ちょうど良かったかもとさえ感じる。
少し寝て起きて、久々に息子と2人でお出掛け。天気涼しく、小雨。散髪して、ねり消しゴム探したが無く、本屋でポケモンファン買って、ガリガリくん鉛筆とお菓子とポケモンのシール買って、アクタの1Fの創作オムライス屋という店でオムハヤシ食べさせて帰る。お土産はプリン。おなかすいた、おいしいおいしいとばくばく食べていた。帰り道、紫陽花がそこここに咲いていた。紫陽花には毒があるから、触っちゃダメだよー、と話しながら帰る。
帰って寝て、本を少し読んで、息子とトランプ。神経衰弱大敗、スピードはムキになってなんとか2勝1敗。きゅうりを収穫して、ひと口ステーキとマカロニサラダ。地球ってどうして出来たの、と言うので、宇宙の始まりから解説する。ベッドでは昔話を読んでやって寝かしつける。
さてさて、ザッケローニは、ここのところ采配が当たっていない。交代策も、狙いが外れているように見える。しかし、それはこれまでの代表監督もそうだった。ヒディンクや、一時期のトゥルシエのようなバチッと当たる交代策を持っている監督の方が稀だと思う。
新しい選手を使わないことや、コンディショングや采配に、内的な不満は漏れて来ているか?ジーコの時のようではないと、まだ思えるのだが。
監督解任論も出ている。悲観論も多いが、大いに議論すべし。もちろんこれまでのチーム作りの検証も必要だろう。悔しい、と思う心が大切だ。日本のサッカーは監督に対するプレッシャーも少ないので、強くなろうと思ったら避けては通れない道である。本田が言っているとおり、日本には、「勝ち方」というテキストが、未だに無い。これを手に入れるかどうかは、えらい違いなのだ。
個人的には、ここまで、主にアジアを相手にしてうまく行き過ぎていた、という思いがある。そして今の考えは、ザッケローニに適度なプレッシャーをかけてやれば、きちんともうひと仕事するのでは、いうものだ。
ザックにとっても、コンディショニングも含め、いいタイミングでの、痛い思いだったのでは無いだろうか。選手たちも、監督も、どうするか、非常に興味深い。
2013年6月23日日曜日
2013年6月14日金曜日
雨の水道橋
東京出張。今回は、水道橋方面にご用である。東京ドームは、大学2年になる春休みに、ワセダの友人を訪ねて、1週間東京旅行した時に初めて行った。当時オープンして間もなかったような気がする。
近くは、東京在住中にレンジャーショーを観に、家族で行った。遊園地で遊ぶー?と聞いたら、用が終わったら早く帰りたがる息子、やだ、と行ったのであっさり帰ったような記憶がある。
出張の常でついブックオフに足を運び、本を買ってしまう。荷物重くなるっちゅうに。
それにしても今回は雨ばかりだった。関東より北東は、台風の影響で涼しめ。妻からのメールでは35度越したとか。えーっ。帰りの新幹線は、当然西に向かう。横浜で雨が止み、静岡から名古屋はずっと曇り。なんだ、関西も曇ってるかも、という願いは、滋賀で虹が見えた途端に砕かれた。
新幹線は、冷房がきつめでやや肌寒かったが、扉が開いた途端にムッとした。気温31度。しかし夕方で陽射しがなく風も吹いているからか思ったより過ごしやすい。帰るのは山だから、より風が出て、気温も少し低い。窓全開にしたら、強い風で涼しかった。でもま、暑くはなるんだろうな。これから。
近くは、東京在住中にレンジャーショーを観に、家族で行った。遊園地で遊ぶー?と聞いたら、用が終わったら早く帰りたがる息子、やだ、と行ったのであっさり帰ったような記憶がある。
出張の常でついブックオフに足を運び、本を買ってしまう。荷物重くなるっちゅうに。
それにしても今回は雨ばかりだった。関東より北東は、台風の影響で涼しめ。妻からのメールでは35度越したとか。えーっ。帰りの新幹線は、当然西に向かう。横浜で雨が止み、静岡から名古屋はずっと曇り。なんだ、関西も曇ってるかも、という願いは、滋賀で虹が見えた途端に砕かれた。
新幹線は、冷房がきつめでやや肌寒かったが、扉が開いた途端にムッとした。気温31度。しかし夕方で陽射しがなく風も吹いているからか思ったより過ごしやすい。帰るのは山だから、より風が出て、気温も少し低い。窓全開にしたら、強い風で涼しかった。でもま、暑くはなるんだろうな。これから。
2013年6月9日日曜日
ミッド近畿
近畿というのはよく2府4県と言われる。大阪府、京都府に兵庫、奈良、和歌山、滋賀。三重や、徳島、福井を加えることもあるそうだ。「畿」というのは「都」という意味であり、近畿は畿内とその周辺地域、という意味らしい。三重は奈良のお隣だし、かつて奈良に何度も都が置かれたれたことやヤマト政権のことを考えると、近畿と言ってしっくりくる感じもある。
さて、通過したことはあるが留まった事はない三重県、その鈴鹿に出張した。いや、昔、伊勢志摩は行ったことあったっけ・・。
ともかく先週の仙台に続き鈴鹿である。大阪環状線の鶴橋駅まで行って、近鉄特急に乗り換えて名古屋方面へ1時間半。しかし、日帰りだからか、新幹線じゃないからか、「旅、ビータ」ではなく、「お出掛け」という気分になってしまうのはなぜかしら(笑)。名古屋は確かに旅なんだけど。
帰りも混んでない特急で明るいうちに帰り着く。やっぱりお出掛けだな・・。値段で計るわけではないが、片道3500円くらいだし。
夜の番組で歌手が自分の持ち歌で挑戦者とカラオケ採点勝負をする、というのを見ていた。石川ひとみが登場し、「まちぶせ」を歌った。こういう企画を見ると、プロとは、売れる歌とは、というのが分かる気がする。
歌は、挑戦者も上手く、実際カラオケの得点も高かった。しかし、石川ひとみのほうが、ずーっと魅力的で、個性的で、可愛く、心をくすぐった。昭和歌謡なので、この日出場した歌手の皆さん、やはりお年を召された影響も出ていたが、それでも魅力があった。以前別の番組で、杉田かおるが久しぶりに「鳥の歌」を歌っていたが、普段のキャラはどうしたの?というくらい輝いていたことを思い出した。
日曜はママ髪チョキチョキでお留守番。10時に起きたが、昼も眠くて、息子と遊びながらうたた寝した。夕方ようやく公園にサッカーしに行く。隣でサッカーしている近所の子たちのうち、女の子の顔面にボールが当たり、鼻血。パパ介抱。幸いすぐ止まった。その後も息子とじゃれじゃれで、寝る時きょうは歴史の話を、と言われたので、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のお話をし、なぜ江戸時代が終わったか、というあたりで寝息が聞こえ始めた。冒頭の会話。
「昔むかし戦国時代のお話、・・」
「知ってる。劉備はいたの?」
イナズマイレブンが最近、タイムスリップする展開になっていた。劇中に歴史上の人物が出て来て織田信長やら坂本龍馬やらが登場するのだが、日本だけでなく、諸葛亮孔明や劉備玄徳も、はてはジャンヌダルクやアーサー王まで出て来る。
だから、戦国時代、と始まった瞬間、息子は、中華のほうの春秋戦国時代かと思ったのである。「えっと、それは中華、中国のほうのお話で、殷周春戦秦漢三国だから・・日本の戦国時代より1500年ほど昔だねえ」ととっさに応えたが調べたところ実際は2000年は前であった。
屋上ではナスの花が咲いた。あじさいの季節なのに雨降らず、の梅雨である。
さて、通過したことはあるが留まった事はない三重県、その鈴鹿に出張した。いや、昔、伊勢志摩は行ったことあったっけ・・。
ともかく先週の仙台に続き鈴鹿である。大阪環状線の鶴橋駅まで行って、近鉄特急に乗り換えて名古屋方面へ1時間半。しかし、日帰りだからか、新幹線じゃないからか、「旅、ビータ」ではなく、「お出掛け」という気分になってしまうのはなぜかしら(笑)。名古屋は確かに旅なんだけど。
帰りも混んでない特急で明るいうちに帰り着く。やっぱりお出掛けだな・・。値段で計るわけではないが、片道3500円くらいだし。
夜の番組で歌手が自分の持ち歌で挑戦者とカラオケ採点勝負をする、というのを見ていた。石川ひとみが登場し、「まちぶせ」を歌った。こういう企画を見ると、プロとは、売れる歌とは、というのが分かる気がする。
歌は、挑戦者も上手く、実際カラオケの得点も高かった。しかし、石川ひとみのほうが、ずーっと魅力的で、個性的で、可愛く、心をくすぐった。昭和歌謡なので、この日出場した歌手の皆さん、やはりお年を召された影響も出ていたが、それでも魅力があった。以前別の番組で、杉田かおるが久しぶりに「鳥の歌」を歌っていたが、普段のキャラはどうしたの?というくらい輝いていたことを思い出した。
日曜はママ髪チョキチョキでお留守番。10時に起きたが、昼も眠くて、息子と遊びながらうたた寝した。夕方ようやく公園にサッカーしに行く。隣でサッカーしている近所の子たちのうち、女の子の顔面にボールが当たり、鼻血。パパ介抱。幸いすぐ止まった。その後も息子とじゃれじゃれで、寝る時きょうは歴史の話を、と言われたので、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のお話をし、なぜ江戸時代が終わったか、というあたりで寝息が聞こえ始めた。冒頭の会話。
「昔むかし戦国時代のお話、・・」
「知ってる。劉備はいたの?」
イナズマイレブンが最近、タイムスリップする展開になっていた。劇中に歴史上の人物が出て来て織田信長やら坂本龍馬やらが登場するのだが、日本だけでなく、諸葛亮孔明や劉備玄徳も、はてはジャンヌダルクやアーサー王まで出て来る。
だから、戦国時代、と始まった瞬間、息子は、中華のほうの春秋戦国時代かと思ったのである。「えっと、それは中華、中国のほうのお話で、殷周春戦秦漢三国だから・・日本の戦国時代より1500年ほど昔だねえ」ととっさに応えたが調べたところ実際は2000年は前であった。
屋上ではナスの花が咲いた。あじさいの季節なのに雨降らず、の梅雨である。
2013年6月1日土曜日
5月書評の2
仙台のこのホテルは、ちょっと最近無かったくらい狭くて古い。値段に合わない。ブラックリスト入りである。ちなみに写真は名古屋のビルである。このままだとお蔵入りなので使っちゃえということで。 ^_^
さて、最近思うのだが「面白い」とか「痛快」という感想を持つ作品と、感動する作品と、暗いが重厚な作品と。いつもランキングを作っているが、どれを優先させようかと迷う事がある。
良い作品、はどんな物語のことなのだろう。そんなことを考えつつ、後半もSTART!
東野圭吾「真夏の方程式」
周囲からすごくいいから読みなさいと薦められ、文庫になるのを待っていた作品。ガリレオシリーズ第6作。海の美しい玻璃ヶ浦で出会ったガリレオと少年、2人と同じ宿に泊まっていた客が遺体で見つかったー。
うーん、すらすら進んだが、重苦しかったし、科学実験は手すさび程度にしか出て来ず、ガリレオはロッキングチェアーデテクティブ、安楽椅子探偵に徹している。少年の描きこみが足りない気もする。
ただ、なぜ序盤のほうでガリレオがそう言ったのか、というのが後のほうで明快に分かる、つまり推理の過程がきれいに見えるし、最後まで謎が残るので、それが快作と言われる所以だろう。
私には、他人が面白いと言うと斜めに構える、というあまのじゃくなところがある。論理の筋道を見せる妙は快作、舞台設定も美しい。映画はどんな感じなのだろう。
五十嵐貴久「For You」
「交渉人」など、映像化される作品が多い五十嵐貴久初の恋愛ものだそうだ。
これは、「真夏の方程式」や「舟を編む」などと違って、貸してくれた人が、「うーん、これは、ちょっと・・」と言ってた作品(笑)。たぶん私が、恋愛そのものを扱ったのはダメ、と言っていたのを気にしたのだろう。
しかし、思った以上にめっちゃ楽しめたな、という感想だ。何より芯になる、高校生たちの日常生活、その雰囲気が共感できる。金八先生が高校生のとき、紅白が百恵ちゃん、というのは、私より3、4年くらい上の世代の話だが、ただのノスタルジーではない色合いがうまく出ていると思う。最後のタネ明かしは想像がついたので、まあ付録。
やっぱ、まっすぐ好き合えるのは、素晴らしいね。(照れ)
桜庭一樹「荒野」
中学1年生になったばかりの女の子、荒野のパパは愛人多数の売れっ子恋愛小説家。そのパパが新しく再婚することになった相手の連れ子は、中学の同級男子だった。
この見出しでは正確に物語を表せない。実際は、ちょっと変わった環境で思春期を迎えた女の子の、日常生活、青春、恋愛の話だ。
桜庭一樹は3作品めだ。直木賞受賞作「私の男」と日本推理作家協会賞の「赤朽葉家の伝説」。まったく遊びの余地のない「私の男」に比べると、トーンは違うが「荒野」は「赤朽葉」とよく似ていると思う。
愛人関係にまつわる「女」、少女が「女」になって行く過程・・表現も工夫して、女性作家ならではの視点も多くいれ、会話も、北村薫を思わせる軽妙なものが多い。
面白く読んだ。「赤朽葉」もそうだが、家にこだわることで、ずっと見守っていたい気分にさせるし、キャラクターもそれぞれ魅力的だ。名前が変なのは、この作家の好みか(笑)。
ただ、意図的にか、男性もしくは男子の描きこみ方が不足と感じるし、設定の都合の良さも気になる。どの作家でも、女を描こうとするとどうもオトコが軽くなる傾向があるような・・。それからついでだが、口語ではまずない、「のろのろ」「とろとろ」といった文語独特の表現は、あまり多いといい気はしない。
スコット・フィッツジェラルド
「春の夢」
村上春樹訳、「華麗なるギャツビー」を書いたフィッツジェラルドの若き日の短編集ということだ。ハルキ好きの読書仲間に、東京を出る際贈っていただいたもの。ようやく読めた。
アメリカの文学には、ヘミングウェイを代表とする、独得の芸術的要素がある。いまも、アメリカン・ポップスの詩にさえ、その影を見ることができる。面白いと見るか、極端に言うとわけわかんない、と見るかは好みだろうし、こういうところに、ネィティブの言葉で理解出来ない部分の限界を見る気もする。
この作品もまた、似たようなところがある。シチュエーションで読ませる、シンプルだが、直接的な行動や台詞で読ませる手法は、人間的で、間接的なものを残し、読み手に考えさせる。いまの日本の小説とは確かに一線を画しているが、んー、たまにはいいか、ってな感じかな。
城島充「ピンポンさん」
かつて卓球の世界チャンピオンとなり、引退してからはその豊富な人脈と辣腕で国際舞台でも活躍した荻村伊智朗。その疾風のような、孤高の人生を支えたのは、町の卓球場を経営する「おばさん」の存在だった。
綿密な取材が文面から滲み出る。練習、プレー、そして晩後年の活躍まで、自我の強い荻村に比して、「おばさん」が強く浮かび上がるようになっている。
試合の描写などは、やはりかなり過去のものもあるせいか、正直結果先行で、もうひとつ手に汗握るものを感じない。以前バスケットものを読んだが、それはバスケ好きをくすぐるものがあった。そういった引き、スポーツドキュメンタリーとしての魅力としては、個人的にはそこまで感じ入れなかった。卓球ファン、プレイヤーの方はくすぐられただろうか。もちろん作品の主眼がそこに無いような気もするが。
しかし、仕掛け、というわけでもないだろうが、荻村氏の死後、あとがきまでを読み切った際、感動が身体の中に湧き上がった。人が若い時は走り、家庭の主役となり、そしていい時代は過ぎ去って行く。「おばさん」のような方が居てくれればどんなにいいだろう。あまり詳しく見ることの無かった卓球の世界を知ることもでき、興味深くはあった。
さて、最近思うのだが「面白い」とか「痛快」という感想を持つ作品と、感動する作品と、暗いが重厚な作品と。いつもランキングを作っているが、どれを優先させようかと迷う事がある。
良い作品、はどんな物語のことなのだろう。そんなことを考えつつ、後半もSTART!
東野圭吾「真夏の方程式」
周囲からすごくいいから読みなさいと薦められ、文庫になるのを待っていた作品。ガリレオシリーズ第6作。海の美しい玻璃ヶ浦で出会ったガリレオと少年、2人と同じ宿に泊まっていた客が遺体で見つかったー。
うーん、すらすら進んだが、重苦しかったし、科学実験は手すさび程度にしか出て来ず、ガリレオはロッキングチェアーデテクティブ、安楽椅子探偵に徹している。少年の描きこみが足りない気もする。
ただ、なぜ序盤のほうでガリレオがそう言ったのか、というのが後のほうで明快に分かる、つまり推理の過程がきれいに見えるし、最後まで謎が残るので、それが快作と言われる所以だろう。
私には、他人が面白いと言うと斜めに構える、というあまのじゃくなところがある。論理の筋道を見せる妙は快作、舞台設定も美しい。映画はどんな感じなのだろう。
五十嵐貴久「For You」
「交渉人」など、映像化される作品が多い五十嵐貴久初の恋愛ものだそうだ。
これは、「真夏の方程式」や「舟を編む」などと違って、貸してくれた人が、「うーん、これは、ちょっと・・」と言ってた作品(笑)。たぶん私が、恋愛そのものを扱ったのはダメ、と言っていたのを気にしたのだろう。
しかし、思った以上にめっちゃ楽しめたな、という感想だ。何より芯になる、高校生たちの日常生活、その雰囲気が共感できる。金八先生が高校生のとき、紅白が百恵ちゃん、というのは、私より3、4年くらい上の世代の話だが、ただのノスタルジーではない色合いがうまく出ていると思う。最後のタネ明かしは想像がついたので、まあ付録。
やっぱ、まっすぐ好き合えるのは、素晴らしいね。(照れ)
桜庭一樹「荒野」
中学1年生になったばかりの女の子、荒野のパパは愛人多数の売れっ子恋愛小説家。そのパパが新しく再婚することになった相手の連れ子は、中学の同級男子だった。
この見出しでは正確に物語を表せない。実際は、ちょっと変わった環境で思春期を迎えた女の子の、日常生活、青春、恋愛の話だ。
桜庭一樹は3作品めだ。直木賞受賞作「私の男」と日本推理作家協会賞の「赤朽葉家の伝説」。まったく遊びの余地のない「私の男」に比べると、トーンは違うが「荒野」は「赤朽葉」とよく似ていると思う。
愛人関係にまつわる「女」、少女が「女」になって行く過程・・表現も工夫して、女性作家ならではの視点も多くいれ、会話も、北村薫を思わせる軽妙なものが多い。
面白く読んだ。「赤朽葉」もそうだが、家にこだわることで、ずっと見守っていたい気分にさせるし、キャラクターもそれぞれ魅力的だ。名前が変なのは、この作家の好みか(笑)。
ただ、意図的にか、男性もしくは男子の描きこみ方が不足と感じるし、設定の都合の良さも気になる。どの作家でも、女を描こうとするとどうもオトコが軽くなる傾向があるような・・。それからついでだが、口語ではまずない、「のろのろ」「とろとろ」といった文語独特の表現は、あまり多いといい気はしない。
スコット・フィッツジェラルド
「春の夢」
村上春樹訳、「華麗なるギャツビー」を書いたフィッツジェラルドの若き日の短編集ということだ。ハルキ好きの読書仲間に、東京を出る際贈っていただいたもの。ようやく読めた。
アメリカの文学には、ヘミングウェイを代表とする、独得の芸術的要素がある。いまも、アメリカン・ポップスの詩にさえ、その影を見ることができる。面白いと見るか、極端に言うとわけわかんない、と見るかは好みだろうし、こういうところに、ネィティブの言葉で理解出来ない部分の限界を見る気もする。
この作品もまた、似たようなところがある。シチュエーションで読ませる、シンプルだが、直接的な行動や台詞で読ませる手法は、人間的で、間接的なものを残し、読み手に考えさせる。いまの日本の小説とは確かに一線を画しているが、んー、たまにはいいか、ってな感じかな。
城島充「ピンポンさん」
かつて卓球の世界チャンピオンとなり、引退してからはその豊富な人脈と辣腕で国際舞台でも活躍した荻村伊智朗。その疾風のような、孤高の人生を支えたのは、町の卓球場を経営する「おばさん」の存在だった。
綿密な取材が文面から滲み出る。練習、プレー、そして晩後年の活躍まで、自我の強い荻村に比して、「おばさん」が強く浮かび上がるようになっている。
試合の描写などは、やはりかなり過去のものもあるせいか、正直結果先行で、もうひとつ手に汗握るものを感じない。以前バスケットものを読んだが、それはバスケ好きをくすぐるものがあった。そういった引き、スポーツドキュメンタリーとしての魅力としては、個人的にはそこまで感じ入れなかった。卓球ファン、プレイヤーの方はくすぐられただろうか。もちろん作品の主眼がそこに無いような気もするが。
しかし、仕掛け、というわけでもないだろうが、荻村氏の死後、あとがきまでを読み切った際、感動が身体の中に湧き上がった。人が若い時は走り、家庭の主役となり、そしていい時代は過ぎ去って行く。「おばさん」のような方が居てくれればどんなにいいだろう。あまり詳しく見ることの無かった卓球の世界を知ることもでき、興味深くはあった。
5月書評の1
いま仙台である。仙台は涼しい、明日は寒いですよ、とタクシーの若い運転手さんに脅された。だいじょぶ。コートまで持って来たおかげで荷物が重くなったんだから。夕方フリーだったのでブックオフでまた本買ってしまった。また重くなる(笑)。
紀行はまたにして、今回書評。5月は、短いようで長かった。10作品10冊。今回も2回に分けて。ではSTART!
金城一紀「GO」
2000年上半期の直木賞受賞作。船戸与一「虹の谷の五月」と同時受賞である。窪塚洋介、柴咲コウ出演で映画化された。在日朝鮮・韓国人の主人公が辿る、ハチャメチャで険しい、社会的な日常の物語。
感想は、面白かった。村上春樹ぽいところや、石田衣良的な色も見える。知的な趣味、社会問題、バイオレンス、純愛、親子というものが、バランス良く、気持ち良く織り込んである。映画的物語。
作者自身が在日朝鮮・韓国人で、主人公と同じ道程を辿った半自伝小説だそうだ。体験談だけに、思考も含め、エピソードがリアルであり、題材を超えて、全体的なパワーを感じさせる筆致だ。
しかし、というところがあるとすれば、主人公にはもちろん陰があるが、抜群の才能もあり、最近そういう小説を読むことが多いせいか、どうも煮え切れない部分も感じてしまう。しかし、充分に面白い作品だった。
江國香織「号泣する準備はできていた」
2003年下半期直木賞受賞作。江國香織お得意の短編集である。女性のまとまらない恋愛心理の本、と見受けた。レズも離婚も不倫も裏切りも、何でもあり。短いながらも極めて現代的な内容で、女性受けするだろうな、と思う。
2003年は、本格的にデジタルな仕事を始めた頃だった。妻と結婚して5年、妻が前年仕事をやめてから買い始めたミニチュアダックスフントのレオンを猫可愛がりしていた頃だったと思う。
その頃の恋愛観などまったく分からないが、それ以前から男女のことは盛んで生々しく、当然の様に感情もまとまりがつかないものだったのであり、最近の女性作家に多く見られる様に、その生々しさを表現を尽くして炙り出す一翼を担う1人が江國香織なのではなかろうか。現代的で活動的、恋愛にも解放的な女性の、感情に依って立つ心理をさりげなさ過ぎない程度に描いているように見える。
ただ、これだけさらりと、思い切った手法もなく表現を絞って書ける作家も珍しい。面白いことに、学生時代江國香織に影響された人はずっと好きみたいだ。分かるか、と問われると、心情として理解は出来ないのだがそれでも、作品そのものから、一種の力強さを確かに感じる一冊だった。
辻村深月「凍りのくじら」
藤子・F・不二雄が好きだったカメラマンの父は失踪、母は入院中。進学校に通いつつ夜遊びや恋愛も楽しむ女子高生・理帆子の前に、写真のモデルになって欲しい、という少年が現れてー
うーん、今回は内容を上手く書けてない紹介文だ(笑)。通常と逆に、この作品の難点を先に書くと、作品の中の要素がひとつの目的に向かっていないので、全体の構成がやや薄く思えるのと、肝心のネタを解決する鍵が見えること。事件にしてもオチにしても、ああ、やっぱりか、という感じがするから損をしていると思う。
しかしながら、この作品は傑作だ。多くを占めるだめんずとの恋愛に関しては、最後のほうは突飛だが、背伸びしてなくて共感が持てる。若い、恋愛現役世代が描いてるな、という確かな感触がある。
また、ドラえもんの道具になぞらえた章立ても見事。その道具についての薀蓄の部分も、読んでいて楽しかった。忙しいこともあり、読むのに1週間近くかかってしまったが、1回に読む量が少ない分集中して読めたように思う。面白い作品だった。
藤原伊織「名残火 てのひらの闇 �」
藤原伊織絶筆の作品。前作「てのひらの闇」のキャラクターが活躍する。企業社会の暗部を描く。
中身はもんのすごくビジネス的。サラリーマンには言葉の使い方等がある程度しっくりくるが、おそらく意識してのものだろう。だからか、いつもの気楽さは影を潜めている。
多くの感想を思いつかないが、ハードボイルド、アクション、バイオレンスにプラスして、今回は謎の一部を行間のものとしている部分があり、ちょっと気に入った。痛快な部分もたくさん盛り込んだ、藤原伊織らしい作品だった。
高田郁「夏天の虹 みをつくし料理帖」
シリーズ第7弾。想い人より、料理の道を選んだ澪。心は激しく動揺し、ついには身体に、料理人として深刻な変調を来す。その中、大事件が勃発する!
長くここまでしか刊行されていないようなので、勝手に完結編かと思っていたが、まだまだ続くと知り、喜んでいる。苦難の巻である。今回は「牡蠣の宝船」がうまそうだが、そこかしこに出てくる料理はみな食欲をそそる。
俵おにぎりや蕗ご飯が食べたい。
紀行はまたにして、今回書評。5月は、短いようで長かった。10作品10冊。今回も2回に分けて。ではSTART!
金城一紀「GO」
2000年上半期の直木賞受賞作。船戸与一「虹の谷の五月」と同時受賞である。窪塚洋介、柴咲コウ出演で映画化された。在日朝鮮・韓国人の主人公が辿る、ハチャメチャで険しい、社会的な日常の物語。
感想は、面白かった。村上春樹ぽいところや、石田衣良的な色も見える。知的な趣味、社会問題、バイオレンス、純愛、親子というものが、バランス良く、気持ち良く織り込んである。映画的物語。
作者自身が在日朝鮮・韓国人で、主人公と同じ道程を辿った半自伝小説だそうだ。体験談だけに、思考も含め、エピソードがリアルであり、題材を超えて、全体的なパワーを感じさせる筆致だ。
しかし、というところがあるとすれば、主人公にはもちろん陰があるが、抜群の才能もあり、最近そういう小説を読むことが多いせいか、どうも煮え切れない部分も感じてしまう。しかし、充分に面白い作品だった。
江國香織「号泣する準備はできていた」
2003年下半期直木賞受賞作。江國香織お得意の短編集である。女性のまとまらない恋愛心理の本、と見受けた。レズも離婚も不倫も裏切りも、何でもあり。短いながらも極めて現代的な内容で、女性受けするだろうな、と思う。
2003年は、本格的にデジタルな仕事を始めた頃だった。妻と結婚して5年、妻が前年仕事をやめてから買い始めたミニチュアダックスフントのレオンを猫可愛がりしていた頃だったと思う。
その頃の恋愛観などまったく分からないが、それ以前から男女のことは盛んで生々しく、当然の様に感情もまとまりがつかないものだったのであり、最近の女性作家に多く見られる様に、その生々しさを表現を尽くして炙り出す一翼を担う1人が江國香織なのではなかろうか。現代的で活動的、恋愛にも解放的な女性の、感情に依って立つ心理をさりげなさ過ぎない程度に描いているように見える。
ただ、これだけさらりと、思い切った手法もなく表現を絞って書ける作家も珍しい。面白いことに、学生時代江國香織に影響された人はずっと好きみたいだ。分かるか、と問われると、心情として理解は出来ないのだがそれでも、作品そのものから、一種の力強さを確かに感じる一冊だった。
辻村深月「凍りのくじら」
藤子・F・不二雄が好きだったカメラマンの父は失踪、母は入院中。進学校に通いつつ夜遊びや恋愛も楽しむ女子高生・理帆子の前に、写真のモデルになって欲しい、という少年が現れてー
うーん、今回は内容を上手く書けてない紹介文だ(笑)。通常と逆に、この作品の難点を先に書くと、作品の中の要素がひとつの目的に向かっていないので、全体の構成がやや薄く思えるのと、肝心のネタを解決する鍵が見えること。事件にしてもオチにしても、ああ、やっぱりか、という感じがするから損をしていると思う。
しかしながら、この作品は傑作だ。多くを占めるだめんずとの恋愛に関しては、最後のほうは突飛だが、背伸びしてなくて共感が持てる。若い、恋愛現役世代が描いてるな、という確かな感触がある。
また、ドラえもんの道具になぞらえた章立ても見事。その道具についての薀蓄の部分も、読んでいて楽しかった。忙しいこともあり、読むのに1週間近くかかってしまったが、1回に読む量が少ない分集中して読めたように思う。面白い作品だった。
藤原伊織「名残火 てのひらの闇 �」
藤原伊織絶筆の作品。前作「てのひらの闇」のキャラクターが活躍する。企業社会の暗部を描く。
中身はもんのすごくビジネス的。サラリーマンには言葉の使い方等がある程度しっくりくるが、おそらく意識してのものだろう。だからか、いつもの気楽さは影を潜めている。
多くの感想を思いつかないが、ハードボイルド、アクション、バイオレンスにプラスして、今回は謎の一部を行間のものとしている部分があり、ちょっと気に入った。痛快な部分もたくさん盛り込んだ、藤原伊織らしい作品だった。
高田郁「夏天の虹 みをつくし料理帖」
シリーズ第7弾。想い人より、料理の道を選んだ澪。心は激しく動揺し、ついには身体に、料理人として深刻な変調を来す。その中、大事件が勃発する!
長くここまでしか刊行されていないようなので、勝手に完結編かと思っていたが、まだまだ続くと知り、喜んでいる。苦難の巻である。今回は「牡蠣の宝船」がうまそうだが、そこかしこに出てくる料理はみな食欲をそそる。
俵おにぎりや蕗ご飯が食べたい。
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