2011年11月30日水曜日

晩秋の刺戟

ケーブルカーに、ロープウエーを乗り継いで、摩耶山に登った。もう関西に20年住んでいるが、登ったのは初めて。遅めの紅葉と神戸市街が綺麗だった。

安達千夏「モルヒネ」を読んだ。長編恋愛小説、と銘打たれているが、それだけではない。実に濃密で、共感は出来兼ねるけれど、感じ入った。繰り返し、手を変え品を変え供される、表現の山。計算というよりは、流れを重視して、練り上げた感じだ。11月の書評はまた別項で挙げるが、月間MVPである。恋愛小説で、初めて素晴らしいと思わされた。

イタリア映画「やがて来たる者へ」を観た。パルチザンに悩まされるナチス軍が、遂にゲリラが出没する村の人々を虐殺する、という実話に基づいた話で、1人の美しい少女を中心に描く。久しぶりの、本格的な、単館系映画、映像が綺麗で、短いシーンで、さまざまな人間模様も取り込んでいて、見応えはあった、が、ラストは余りに悲惨で救いが無く、暗い気分にさせられた。

忙しかった後の、束の間の、文化的刺戟。ようやく落ち着き始めたかな。

2011年11月25日金曜日

プチっと再訪

仕事の都合で東京に3泊した。まあこの写真を見れば、どの辺りに用があったのかは分かるでしょう。

実家に帰った時もそうだが、東京を分かっているとやはり便利で安心できる。今回は多忙につき、友人も懐かしい場所も訪う余裕が無かったが、まあまだ時間も経ってなくてなんか気恥ずかしいし、次回その次くらいは何か考えるかな。

「下町ロケット」「境遇」読み終わり、いま「モルヒネ」恋愛は、理不尽なもんである。以上。今月の余力では、あと1冊くらいかなあ。

2011年11月15日火曜日

10月書評&近況

引っ越しのバタバタでしていなかった10月の書評を少し。さすがに4冊しか読んでいない。重松清「季節風 秋」、婦人公論文芸賞受賞作、角田光代「空中庭園」各作家の短編集である「最後の恋」、また去年の本屋大賞の2位、窪美澄の「ふがいない僕は空を見た」である。

「季節風」は、もはや同じ感想。これで四季を読み切った。最初の、文房具屋のばあさんものが、出来過ぎの話とはいえ秀逸。大したものだ。「最後の恋」は、なんと男性のお薦めで、どんなもんだろう、という感じで読み込んでみた。「最後の恋」の捉え方でまた違ってくるかと予想していたところが、まあ、概ね同じ思想だった。柴田よしきは「うまい」と唸った部分があり、阿川佐和子のファンタジーは思い出しやすい。ラストを飾る角田光代は切ない。個人的には、恋愛は短編に向かないなと感じるが、まあ読む方のトライアルとしては面白かった。

時間の関係で、家ではハードカバーの「ふがいない」を読み、通勤路では「空中庭園」と同時進行した。どちらも、最近流行りの、登場人物1人称の章立てで、正直ストーリーも被っているイメージがあった。ネガティブな点を書くと、もはや読み物はセックスの描写が出て来ないとリアリティがないんだろか、とも思ったりした。どうも設定もストーリーも極端だし。ただ、「ふがいない」は最後に泣いてしまった。矛盾もにもあまりきれいでないストーリーにもやや辟易したのだが、何なのだろう。最後が真っ直ぐであったからかも知れない。計算ならば、絶妙だ。それとも瑞々しさか。「空中庭園」は相変わらず角田光代に出て来る男はふがいない、と苦笑してしまった。テーマの絞り方は面白く思ったが、理解出来ないような部分もあった。しかしながらやはり残るものはあったからさすがである。

関西に帰ってはや1週間が過ぎた。転勤発表、送別、引越し、各種手続きに新職場と、正直疲れ気味で、今日は1日ゆっくり休んでいた。冷えて来たし、風邪ひかないようにしなければ。

送別の品、皆本を沢山くれた。当分読むものには困らないが、今はあまり時間も出ない。11月は詩集「二人が睦まじくいるためには」吉野弘を読んで、いま安達千夏「モルヒネ」で、次か同時進行は、池井戸潤「下町ロケット」だ。その次の「境遇」まで読み切ってしまいたいのだが・・難しそうだな。写真は友人が送って来た、屋久杉。いいなあ〜。「黒と茶の幻想」ですな。拝んで寝よう。

2011年11月6日日曜日

いま関西へ向かう新幹線の中だ。ここ数日は、昼夜を徹して引越し準備。単身赴任だからと言うなかれ、その前に5年も妻子犬と住んでいたので、荷物は予想外に沢山あって、本当に骨が折れた。孤独な辛い作業だった。昨夜?寝たのは4時半である。んで、7時半に起きて最後の準備をしていた。引越し屋さんも、2tトラック1台で済むと思っていたのが、急遽もう1台呼んでいた。

がらんとした部屋で、仲の良かったお隣家族と思い出話。ヘロヘロな私の様子に同情して、コーヒーと、晩ご飯のカレーを差し入れてくれた。きょうのお昼はななめ向かいの奥さんがハンバーガーセットを買ってきてくれた。皆さんに感謝である。

立ち会いは、結構きっちりと長めだった。終った後、ハンバーガーを速攻で食べ、お隣に最後の挨拶、ゴミを急いで片付けて、家主さんと、斜め向かいのご家族に挨拶して、駅へと向かった。東京への哀愁は、もうここまでだいぶ感じたので、今はそう無い。でも、こんなにいいんだろうか、と思うほど送別してくれた皆さんに感謝である。送別の品も沢山貰った。

引っ越して来た時は息子がまだ1歳ちょっとで、東京3日目、段ボール箱で足の踏み場の少ない部屋で、初めて歩いた。以来、小さい時、幼稚園の時代と、家族で楽しいときが過ごせたと思う。環境にはとても恵まれた。

それまでもよく出張はしていたが、やはり来ると住むとでは全く違う。皆そうだとは思うが、東京の良さも身を持って分かったし、改めて地震の怖さも思い知った。二子玉川、六本木ヒルズ、恵比寿ガーデンプレイス、東京ディズニーランド、浅草の人力車に紙芝居、六本木から歩いて行った東京タワー、銀座博品館やブルガリタワー、皇居に国会議事堂、品川プリンス、ラゾーナ川崎、山中湖や伊豆への家族旅行も皆思い出深い。仕事ではやはり銀座に六本木、それぞれに、胸に残る写真の様な景色が今もある。

写真は、息子が好きだった六本木ヒルズからの東京タワー。ホントに皆さんに感謝。次回からは関西での日記。さよなら、東京。進む道は決まった。後は、まっすぐ向かうだけだ。

2011年11月2日水曜日

天空への想い

引越しはつらい。生来のだらくさであり、これまで妻に任せていたのでなおさら。「何かあったら言って下さい」という近在の方の言葉に「ツラくなったら電話しますのでお茶でも呼んでください〜」と言うのが ネタになってしまった。

先日、東京スカイツリーに行って来た。かつて東京タワーには家族で行ったし、六本木ヒルズからよく観ていたが、スカイツリーは初めてだ。

東京スカイツリーは、浅草からぶらぶら歩いてすぐ。まさに下町風情。タワーの方は末広がりでデザイン的、フォルム的にカリスマ性が在って、さらに言えば高台で場所もいい。しかしスカイツリーはまた格別で、印象を一言で表すと「どデカい」だ。天空に真っ直ぐ伸びた巨塔は、雲と空を近くに思わせる。ランドマークタワーは生活圏の人々の日常と化す。誰もが、雨の日も晴れの日も、毎日何かと見ては、自分の存在している土地を思う。

小学生の頃、地元に巨大な電波塔があり、田んぼの真ん中の、電波塔の真下から上方を臨むと、一番先の、人が入れるようになっている部分が、空に浮いているようだった。あの頃も毎日見ていた。そのイメージを思い出す。

駅のすぐ横で、周りは雑多な街。やがて整備されていくのだろう。

春に転勤になったら、東京も最後だから、家族でスカイツリーを観に行こう、と話していた。新しい東京の象徴を見て帰ろうと思っていたが、東日本大震災が起きて、観に行かないまま、私は単身赴任になった。今度は本当に最後。少しすっきりした。