2011年10月4日火曜日

運動会の記憶

先週末は小学校の運動会だった。朝9時半からで、9時前に行ったが、幼稚園と違って、広いグラウンドに場所取りの人は少なかった。早い人は前日の夜から並び、いざこざも起きて殺気立っていた東京の幼稚園よりずっと平和である。さすがは山中の小学校?空は秋らしく高く、涼しい。

生徒はグラウンド横の、観客席のように階段上になっている部分に座る。いいな、あれ。地面よりずっと楽だ。なにせ6学年なので、参加競技も、午前のダンス、リレーと午後の玉入れだけ。リレーは、赤白3組づつが小さな輪っかを持ってコーンを往復する対抗戦で3年まで同じ。4年からトラックを使ったリレーになる。高学年の、トラックのリレーを見ていて、抜くのは周りが盛り上がるけど、抜かれるほうは辛いんだよな・・と思った瞬間、しばらくぶりの記憶が蘇った。

6年生の運動会、私は紅白対抗リレーの、赤のアンカーだった。4年、5年、6年男女から、それぞれ代表選手1人づつが出て走る、メインイベントである。私は、足は遅くは無かったが、例えば学年全体で上から5人俊足のランキングがあったとしたら5番目くらいで、しかも1番から4番が全て白組に行ってしまった、という状況だった。ワンレースこっきり、同時に走るのはたった2人、アンカー。いやでも緊張感が増す。し・か・も、私の対手は、後に陸上100mで高校の県大会決勝に出場するやつ。学年でもズバ抜けて速い彼なのだった。ちなみにインターハイに出たかどうかは知らない。

さらにおまけに私の前までは赤リードで回って来る。私はリードを守り切るべく全力で走るが、最後の直線で抜かれてしまう。2回リハーサルで同じことをやられた私は、自分の役回りに耐えかねて、優しかった、3-4年のときの担任女性教師に訴えた。ちなみに彼女は、速い彼のクラス担任でもあった。そしたらその先生「仕方無いじゃない。あんたより◯◯くんのほうがずっと足が長いんだもの」と、嬉しそうに言い放った。そう、先生方にとっては、大歓迎のシチュエーションなのだ。父兄の前のメインイベントで、最後の大逆転劇。傷付くほどまだ私のデリカシーは発達していなかったが、なんか軽く扱われたことにつまらなさを覚えた。

こうなれば、本番での彼の不調かアクシデントを祈るしか無かった。競技のBGMはウィリアム・テル序曲。やつも緊張するかも知れない。ふふふ。・・しかしここでコケるようではインターハイに迫ることは出来ない?のか、結局のところ何も起こらず当然のリフレイン、私はウィリアム・テルのクライマックス、盛り上がる派手な演奏をバックに、ゴールテープの5メートル手前で見事にブチ抜かれ、自分の役割を全うしたのだった。クラスのガキ大将には嫌味を言われるしで散々だった。ああ、思い出すだに苦いなあ。俊足、というよりは才能があった彼とは、家が近く高校も隣で、帰りがけに会ったときは話していたが、たしか2年のとき、11秒00で県で2位とか3位とか言っていた。不運とは、恐ろしいものだ(笑)。


お弁当は三段重ねお重をいただく。やっぱ運動会のお弁当は美味し。なんかまだ、「小学校の」運動会、という実感がない。朝子供と一緒に行っていると、すれ違うクラスメートが、おう!◯◯!と名字呼び捨てで勢い良く声をかけてくる、それを聞いててもなんか不思議で、ちょっと嬉しい。幼稚園は全部名前で呼んでたから、これから息子は自分と同じように呼ばれるんだなと思う。多分息子も自分に息子が出来るまで気が付かないだろうが、世代の移り変わりとはこんなものなんだろう。

無事全ての競技が終わり、涼風の中帰って、お弁当の残りで晩御飯食べて、息子ぐっすり寝たのでした。

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