東京の思い出は数々あるが、それをまとめ語るのはまだ後日にする。実感湧かないし。駒沢の塔は、東京で一つの心象風景。
きょうはふらっと見に行ってみよう。
東京の思い出は数々あるが、それをまとめ語るのはまだ後日にする。実感湧かないし。駒沢の塔は、東京で一つの心象風景。
きょうはふらっと見に行ってみよう。
さて、いま、夢中である。実は、小説を書いてみている。書き始めるとこれがまた悩み事が多く、何人称にするか、てにをは、という基本的なことから、キャラクター設定、話の進め方、全体の印象と噛み合わせ、何より最も大事な、何を伝えたいのか、を詰めて考え出すと、時間がいくらあっても足りないし、ひたすら集中する。作家の皆さん、あなた方は偉大です。辛辣な批評をしてごめんなさい。
というわけで、また続きを書きたいので、このへんで。
小池真理子「午後の音楽」、井上荒野「切羽へ」、真保裕一「最愛」、恩田陸「中庭の出来事」、辻仁成「海峡の光」、重松清「季節風 夏」、中山七里「さよならドビュッシー」、そして恩田陸「黒と茶の幻想」だ。月間賞は、と問われると、「黒と茶の幻想」と答える。
「午後の音楽」は、メロメロのメロドラマで、悪いが批評対象外だ。「切羽へ」は、本当に昔の日本映画のよう。誰かこれで作ってベネチアに応募して欲しいくらい。これが芸術性文学性とするのも何か抵抗を感じる直木賞。確かに、全体に、何もない岩の荒野を激しい風が吹きすさんでいるような感覚ではあった。
「最愛」は、うーむ、過去が明らかになっていく部分は「火車」にも似ているが、キャラクター設定など消化不良。
「中庭の出来事」・・「なんだわ」言葉に代表される、恩田特有の女性の世界に不思議を混ぜて、3層構造にした山本周五郎賞。読んでると、たぶん分からない部分がそのまま終わるんだろうな、と思う。得意のトライアル作品である。もうひとつ。
「海峡の光」これもひと昔前の小説のよう。主役は小林薫が似合いそう。芥川賞だが、こぢんまりしていすぎるのと、どうも感覚というよりは計算が見えて底が深くはない感じ。「季節風 夏」は出来がいいと思う。相変わらず、そ〜んな都合のいい話あるかいなと思いつつ、浸ってしまう。
「さよならドビュッシー」は、前も書いたが、ミステリーの鉄則その1。ある意味究極的だが、腑に落ちない部分も多い。このミス大賞。ラストはサガンと同じだな。嫌いではないが。ただドビュッシーの月の光やアラベスクは聴きたくなった。
「黒と茶の幻想」屋久島を旅する話である。「三月は深き紅の淵を」「麦の海に沈む果実」と連関がある。でも、ある意味恩田陸らしくなく、普通の現実。最初はきっと異空間に迷い込んだり、大自然の中で深夜に独りになったりするのかなと思うが全く違う。ドラマが無い訳ではないが、事件は何もない。学生時代の仲間、男女4人組が家族を置いて屋久島を旅し、過去や現在、謎と向き合う。4章は、4人それぞれの1人称で語られる。トライアル作品と言えなくもないが、シンプルだ。年代的にも自分にマッチして、何もなさが却って心地良く、屋久島の旅に憧れ、いい仲間の、美男美女の関係性にも単純に憧れる、美しい世界、でもある。女性はやはり、なんだわ言葉。この筆致に、結局のところ私は帰る場所に戻ってきたような感慨を抱く。「ドミノ」あたりからなにか恩田の作品が変わってきたような印象を受けていたが、こういう形で、学園もの以外でひとつ結実したのかも、と思った。
そんな感じの9月だった。はい。
めいっぱい精力的に、ゾウ見てライオン見てトラとヒョウとジャガー見て、インコとシロクマ見てパンダ見て、キリンとシマウマ見て、アニメ「ペンギンズ」ではキングと名乗るワオキツネザル見て、ゴリラ見て、カンガルー見てダチョウにレッサーパンダ見て、ペンギン見てサイとカバ見てから遊園地でジェットコースターと観覧車乗って、コアラ見て、子供動物園で羊やラマと戯れた。
帰りにママのお土産何がいい?と息子に訊いたら「カピちゃん好きだって、幼稚園の頃言ってたからカピバラ」と言ったのでぬいぐるみを買って帰った。妻曰く「自分が好きだから買ったのよ」
息子園内で走る走る。運動会でもリレーの第一走者で、ぼく早かったー?と気にしていたので、ヒザを上げて走る方法を教えたらさらに走っていた。実際には、運動神経がそこまで悪いとは思わないが、身体の大きい子には馬力で勝てない。本人は横で走った同じクラスの子に負けたのを気にしていたので、他は皆と同じくらいだったよ、という事実を答えておいたのだが、まあ1年生。何にせよこれから。親としては、いつか自信を持てるくらいになって欲しいのだが。
帰って息子、ママに「何見たー?」と訊かれた時、「動物園で普通に見られるものはもう全部見た!楽しかった!」と言っていた。パパは、園内完全禁煙がややキツかったが、まあ童心に帰って楽しんだのでした。次のレジャーを探しとこうっと。
生徒はグラウンド横の、観客席のように階段上になっている部分に座る。いいな、あれ。地面よりずっと楽だ。なにせ6学年なので、参加競技も、午前のダンス、リレーと午後の玉入れだけ。リレーは、赤白3組づつが小さな輪っかを持ってコーンを往復する対抗戦で3年まで同じ。4年からトラックを使ったリレーになる。高学年の、トラックのリレーを見ていて、抜くのは周りが盛り上がるけど、抜かれるほうは辛いんだよな・・と思った瞬間、しばらくぶりの記憶が蘇った。
6年生の運動会、私は紅白対抗リレーの、赤のアンカーだった。4年、5年、6年男女から、それぞれ代表選手1人づつが出て走る、メインイベントである。私は、足は遅くは無かったが、例えば学年全体で上から5人俊足のランキングがあったとしたら5番目くらいで、しかも1番から4番が全て白組に行ってしまった、という状況だった。ワンレースこっきり、同時に走るのはたった2人、アンカー。いやでも緊張感が増す。し・か・も、私の対手は、後に陸上100mで高校の県大会決勝に出場するやつ。学年でもズバ抜けて速い彼なのだった。ちなみにインターハイに出たかどうかは知らない。
さらにおまけに私の前までは赤リードで回って来る。私はリードを守り切るべく全力で走るが、最後の直線で抜かれてしまう。2回リハーサルで同じことをやられた私は、自分の役回りに耐えかねて、優しかった、3-4年のときの担任女性教師に訴えた。ちなみに彼女は、速い彼のクラス担任でもあった。そしたらその先生「仕方無いじゃない。あんたより◯◯くんのほうがずっと足が長いんだもの」と、嬉しそうに言い放った。そう、先生方にとっては、大歓迎のシチュエーションなのだ。父兄の前のメインイベントで、最後の大逆転劇。傷付くほどまだ私のデリカシーは発達していなかったが、なんか軽く扱われたことにつまらなさを覚えた。
こうなれば、本番での彼の不調かアクシデントを祈るしか無かった。競技のBGMはウィリアム・テル序曲。やつも緊張するかも知れない。ふふふ。・・しかしここでコケるようではインターハイに迫ることは出来ない?のか、結局のところ何も起こらず当然のリフレイン、私はウィリアム・テルのクライマックス、盛り上がる派手な演奏をバックに、ゴールテープの5メートル手前で見事にブチ抜かれ、自分の役割を全うしたのだった。クラスのガキ大将には嫌味を言われるしで散々だった。ああ、思い出すだに苦いなあ。俊足、というよりは才能があった彼とは、家が近く高校も隣で、帰りがけに会ったときは話していたが、たしか2年のとき、11秒00で県で2位とか3位とか言っていた。不運とは、恐ろしいものだ(笑)。
お弁当は三段重ねお重をいただく。やっぱ運動会のお弁当は美味し。なんかまだ、「小学校の」運動会、という実感がない。朝子供と一緒に行っていると、すれ違うクラスメートが、おう!◯◯!と名字呼び捨てで勢い良く声をかけてくる、それを聞いててもなんか不思議で、ちょっと嬉しい。幼稚園は全部名前で呼んでたから、これから息子は自分と同じように呼ばれるんだなと思う。多分息子も自分に息子が出来るまで気が付かないだろうが、世代の移り変わりとはこんなものなんだろう。
無事全ての競技が終わり、涼風の中帰って、お弁当の残りで晩御飯食べて、息子ぐっすり寝たのでした。