2026年1月2日金曜日

2026年1月書評の1

◼️ 斉藤倫「ポエトリー・ドッグス」

迷い込んだバーのマスターは、ディオージー。出てくるのはカクテルと、詩。

斉藤倫は「ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集」にハマった。その後、人気絵本作家のjunaidaが絵を描いた「せなか町から、ずっと」も読んだ。

この本も「ゆびをぱちん」と同じように、短い物語が何篇もあり、そこで詩が紹介されていくというもの。

いつも酔っ払って2軒、3軒目に辿り着く、住宅街の奥深いところにあるバー。マスターは犬で、オススメのカクテルを作り、そして2つほど、詩を差し出してくれる。

主人公は会社勤め。普通に2足で立ち服を着てシェイカーを振る犬のマスターと微妙な会話をしつつ、詩を読んで思索を深めていく。悲しげで、虚無感に苛まれているようだ。季節が巡り、年月を経るに従って環境や状態も変わっていく。

最近はとかく物語の構成に目が行ってしまってクリティカルに見てしまう。映画にしろ小説にしろギュッとしたものなので演出は当然ある。精巧さも嫌いじゃないが、なにかその、むつかしかったりさかしいものではなくて、感じることのできる物語はないかな、なんて勝手に思っちゃっていた。そんな時に記号などを多用する最果タヒの本を読み、よく詩を読む文芸師匠に教えを受けた。

「わけわからなく感じたら『ゆびをぱちん』に戻れば良い」との指導を受けてたところ、たまたま図書館で目に入ったこの本を手に。これもお導きか笑

で、主人公は短い篇中で思索を深めていく。死んだ愛犬、犬とは、にんげんとは、その境界とは、他諸々。

紹介されている詩は、ランボーほかの外国のものもあるけれど、大半は日本の詩人の作品だ。萩原朔太郎は鋭く怜悧、朔ちゃんの親友の犀、室生犀星は生活感の中の空虚さか。草野心平はやはりカエル?で宮沢賢治はエナジーと熱さあふれる修羅。草野心平は賢治の死後、いち早く彼の全集を編集している。

文豪も入っている、ただ私にはあまりなじみのない詩人さんが多数派。

読み進むにつれてどこか幻想味が高まり、主人公が何に傷ついているのか、そして、犬のマスターは・・バーの存在は・・と分かっていくようになっている。喪失と新たな地。救いがあって良かった。底流にあるものは「ゆびをぱちん」と多分同じ心の旅路。詩人である著者の体験かも知れない。

詩は文、文章として理解するものではなくて、感じるもの、か?根源的な思索を深めるのは哲学的であり、私的には表現の方に目が向く。

詩にあたるは、わけわからないことも多いが、感じる、ことかも知れない。いいタイミングで、良い方に転がった気もする。斉藤倫は、賞を取った作品は未読でもあるし、また読んでみよう。

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