2026年1月31日土曜日

1月書評の13

◼️ 津村記久子「ポトスライムの舟」

芥川賞。小説らしい作品だな、と。読みやすく展開は、把握しやすい。

たまたまではあるけど、最近芥川賞を読むことが多い。中には、博多弁で言うといっちょん分からんやったり、やたら理屈が多かもんもあるとばい。しかしながら、この作品は平易な言葉で、設定も展開もオチも分かりやすい。ただ、そこに含まれている意味を言葉でうまく表現できない。

長瀬由起子29歳は、工場でベルトコンベアの乳液のキャップをチェックする仕事をし、夕方からは友人のヨシカが経営するカフェで働き、夜は入力の内職をしている上、土曜日はパソコン教室でお年寄り相手にメールの送り方などを教えている。ある日、工場に貼ってあるポスターの163万円で世界一周、というふれ込みに、この金額は自分の工場の年収と同じ、と気づき、節約を始める。そんな折、母親と住む4LDKの古い持ち家に大学の同級生・りつ子が幼い娘を連れて、ほぼ無一文で家出してくるー。

「ポトスライムの舟」自体は100ページくらいの作品。主人公ナガセの前日譚「十二月の窓辺」も収録されている。

離婚した母に、離婚協議をしているりつ子、離婚を考え始めた、工場でともに働く岡田さん。回りがいろいろと動く中、目標である貯金に向けて働く、細かくカネの計算をしては心を痛めるナガセ。止まらず働く女に、束の間の休息が訪れる。そして心境の変化が・・?

最近意図せず関西ものに当たる気がしている。ポトスライムの舟」は奈良が舞台で関西弁も多い。そしてそちこちに奈良の細かいあるある、が散りばめられる。さて、この作品はお金の算段を中心にストーリーが進む。周囲に影響されて、働いて、エアポケットが生じて、というわかりやすい展開だと思う。

では、何を掴み、どう変わっのか。成長したり、自信を取り戻したり、というのはわかる気がする。ただそれを、えも言われぬグネグネしたような感情、変化の度合いと瞬間をどう表現していいのが、ホントにむずかしい。分かる気はするけど、この胸の中のもの、これがこの作品を読んだ時残るものでは、という気もした。

タトゥー、百科事典が好きなりつ子の娘・恵奈との触れ合い、自転車で走る、など印象的で計算されてそうな要素が織り込まれていていて非常にテクニカルだなと思えてしまう。

等身大の物語、平易な文章とあまり波のない展開。しかし何かある、という確信、あまり言葉にしたくないような気もすふ。様々な知識。小説らしい作品だな、と思ったりした。

モーツァルトの🎹コンチェルト20番

週末はオケ。ソリスト髙木竜馬さんでモーツァルトピアノ協奏曲20番。一度聴きたいと思っていた。モーツァルトはピアノコンチェルトを27曲も作曲しているけども、コンサートでの演奏のされ方を見ていると、20番は人気曲のようだ。

弾むようなイメージのモーツァルト曲とは異なり、デモーニッシュで不穏なメロディであること、だから刺さるようなフレーズも多いと思う。時に緊張感を込めて、硬く、またクールに。楽しめた。聴けて良かった。

近くのオジサマが熟睡、ずっといびきが聞こえてた。寝るのはいいけど静かにね、ってなとこかな。

ショパンコンクール出場者リサイタル

ショパンコンクール本大会に出場した東海林茉奈さん。大会後初の国内リサイタルは地元で。

モーツァルトソナタ5番、グリーグ抒情小曲集より7曲、そしてとても好きな曲、シューベルトソナタ13番。柔らかく、希望と未来の予感に溢れるようなタッチ。

後半はオールショパン。ノクターン、大会でも多くの奏者が弾いていた木枯らしのエチュード、バラード4番に英雄ポロネーズ 、ラ・チ・ダレム変奏曲と盛りだくさん。

MCは苦手だと言われましたが説得力が備わり、演奏は・・ポーランドで学び、ショパンコンクールに向けても弾き込んだであろう、その積み上げてきたものを感じた気がしました。表情も引き締まり、音は柔らかく粒が立ち、しっかりして揺るがない印象。

東海林さんは予備予選で惹かれたピアニストの1人。丸い音、アクセントの付け方がとても良かった。私の好きな内田光子さんに少し似てる感じがしました。

アンコールのプレリュードを弾いた後、お見送りに出てきてくれました。芦屋の子、今後も応援してます😊

1月書評の12

◼️ ロバート・シーゲル「白いクジラ」
 
壮大で芳醇な、地球規模のネイチャー・ファンタジー。3部作2作め。

興味深いザトウクジラの生態をもとにして、人間目線とはまるで違う独特のファンタジーを創作している。可愛らしく微笑ましく、しかし時事的な出来事を取り入れ、深刻な事態が強調される。そしてその中で、荘厳な生への賛美、をクジラ社会の歌や伝説・神話的な、海底での奇跡体験を交えて見事に描き出している。

真っ白なクジラ、雄クジラのフラレカナは同じ群れ(ポッド)の雌クジラ・アリーアとともに沈没船を探検する。そこには大型で肉食の、とんでもない生き物が住んでいた。2人はいきなり襲われるー。

オキアミの大漁場、<世界の果ての氷>への旅。シャチやアホウドリの仲間との付き合い、滋養を蓄えた仔クジラは大きく成長し、「幻視」に遭い「孤独の巡航」へと旅立つ。歌を作り、歌い、耳を澄ます。セイレーンのような危険な生物や石油の流出に遭い、閉じ込められて人間に襲撃される。

私が最も印象的だったのは、治癒の効能がある<炎の泉>への潜航。冷たく水圧の強い深海へ、潜ってゆく。プレートテクトニクスの始点、巨大な陸塊がじりじりとお互いから遠ざかっている場所。地球の裂け目からは赤いマグマが見える。マグマは海水で冷やされて蒸気を発している。心に話しかけてくる声。そして、幻視のような体験。

3部作の最初の作品「歌うクジラ」はフラレカナの父親フルナの物語だった。この2つめは10年後に出版された。次の世代の成長記。石油の流出や捕鯨に反対する団体の活動、核実験で海が死んだエリアなどジャーナリスティックな要素とも大いに取り込んでいる。軸のひとつが人間との触れ合いだ。

もちろんクジラ目線。だからこそおもしろい。昨秋「パトリックとクジラ」というドキュメンタリーっぽい映画を見て大いに刺激を受けた。人間との邂逅、ドローンの導入で自然相手の撮影でも様々なアングルから撮れはする。しかしクジラ目線はほとんどない。ましてや、クジラの生態をよく分かった上で、行動を物語にしてしまう、という描き方には感嘆のあまり唸る。

歌を作り、歌うフラレカナ。海底洞窟その他の情景描写はとどまるところを知らず、表現のキャパが非常に豊かで深い。

完結編の「世界の果ての氷」も読む。独特のファンタジー&ネイチャーストーリーは心地よい。

ザトウクジラのブリーチング(ジャンプ)を見てみたいなあ。

2026年1月25日日曜日

1月書評の11

◼️ 黒岩重吾「斑鳩宮始末記」

古代ものは趣味の1つ。聖徳太子の時代。国内外の不穏さと、殺人事件。

幕末はまあ特別として、時代ものは遡っていくほど好きかな。戦国<源平・鎌倉<平安<奈良・飛鳥・斑鳩という感じ。読んで奈良の独特な土地の芳香に触れると、不思議な感慨が湧いてくる。黒岩重吾氏や永井路子さんは史料を自分なりに分析してその理解を作品に活かしているところが好ましい。

時は物部氏vs蘇我氏戦争から10数年後の西暦600年。皇太子である聖徳太子は、有力豪族ら既得権益を守ろうとする勢力からの反発がある中、身分に関わらず能力に応じて位を与える冠位制度を定めようとしていた。また大陸では隋と高句麗が激しく対立し、援軍の要請も来ていた。

聖徳太子の右腕である秦河勝、その下で調首子麻呂(つぎのおびとねまろ)は犯罪捜査に当たる舎人の長。太子に抜擢されたお役目だ。農家に押し入って15歳の娘を犯して殺した上一家3人を斬殺した事件で、娘に婢として仕えるよう迫っていた中級官人が犯人として浮かび上がる。役所に行く途中の子麻呂は蔓草を結んだ罠に転倒し、飛んできた矢を必死にかわした。誰が、なぜ狙うのかー。

この時代はなかなか複雑。渡来系が活躍する時代、蘇我氏も、主人公子麻呂も、その上司の秦河勝も渡来系氏族である。外国の宗教である仏教が入ってきた時、廃仏派の物部守屋と崇仏派の蘇我馬子との間で大戦役が起こった。結果は蘇我氏の勝利。この物語にも、物部氏側に立った武人、村長らへの迫害や、蘇我氏サイドで戦ったものの、その後馬子と微妙な対立関係にある聖徳太子の立場がベースとして反映されている。

犯罪の動機として、奴婢の女性の悲哀がかなり強く描かれている。自然というかアダルトな話もそれなりにある。身分の高い、また裕福な男はこの時代、複数の妻を持ち、婢女に手を出すのも罪ではなかった。捻っていて興味深いのは、聖徳太子と意を汲んで、獣欲を持つ男に憤りながら、捜査上の関係者の婢女と子麻呂もまた深い関係になり一時期のめり込んでしまうこと。当然、当時でも反則である。

神功皇后の時代から、歴史的にはおそらくもっと古くから、古代は内憂外患の状態であり、暗殺も横行し安定しない。聖徳太子が没した後、一族のいわゆる上宮王家は蘇我入鹿に攻められあえなく滅亡している。その不安定さと少しの神話性が小説になると興味を惹く。想像力が掻き立てられる気がする。

生真面目な子麻呂には、魚足という、鷹揚で世慣れていて有能な年上の部下がついている。このバランスが絶妙だ。しかして犯罪の非道さに比して動機がパターンづいていて、刹那的な気もした。これだけベースを敷いていたらも少し何かあっていいかも、と。

黒岩氏の作品では「紅蓮の女王 小説推古女帝」「落日の王子 蘇我入鹿」「剣は湖都に燃ゆ 壬申の乱秘話」など読んだ。ちょっと古いけども、古代の著作は多いだけにまだまだ先々楽しみだ。

夜空と雪

日曜の朝はうっすら積もったけども基本は晴れなので日中は舞うくらい。たまたま帰りにバーッと降ってダウンが濡れた。やれやれ。寒いけども星がきれい。衝からしばらくの木星が、さんざめく冬の星座の一角で輝き、にぎわいを増している。

見て寝るのが日課です⭐️

ノアールカカオという紅茶にハマった

ノアール・カカオがめっちゃ美味かった。

趣味のひとつは書店めぐり。あべのハルカスに小村雪岱展を観に行った後、阪堺電車に初めて乗って4つめ北畠から歩く。SNSで興味を持っていた阿笠不文律さんを訪問。1階が新刊、2階が古書と読書スペース。

ソフトクリームと飲み物の喫茶もあり、お勧めされたカカオ風味の紅茶をいただく。本格紅茶、いつも量が多いと言われるので、遠慮なく残してくださいね〜、と。ふだん紅茶は飲まないし、残すかも、と口をつけたら止まらなくなり、2杯半くらいを一気に完飲。こんな経験ほとんどなくてびっくり🫢。

冬場は水分を摂らない、朝ご飯いらい水分とってないお昼、ということもあろう、特にこの日は極寒で温かい飲み物が身に沁みたというのもあっただろう。でもそれを差っ引いても絶対美味だった。風味豊かで、口当たりが良くて、喉と胃を刺激する。飲んだ後は胸と腹がポカポカした。

店主さんに伝えると、ふだんコーヒーしか飲まない方からそういう声はよく聞くんです、とのこと。へええ。私だけじゃないんだな😲古書1冊購入して帰る。いいお散歩だった。

小村雪岱

明治から昭和にかけて活躍した日本画家・小村雪岱(こむらせったい)。友人推しの雪岱の展覧会へ行ってきました。

大阪駅から南南西、大阪環状線で20分弱の天王寺。聖徳太子が建立した四天王寺由来の区名。で、駅は阿倍野区との区境にありまして、日本2位の高層ビル、あべのハルカスにある美術館。大阪で雪岱の大規模展は初めてだとか。

シンプルで細い線、端正な構図。色合いの妙とアイディア、着物の柄の描き方にうなる。泉鏡花に私淑し、「日本橋」の表紙絵デザイン(川沿いの土蔵並びに蝶)で世に認められた。超売れっ子となり挿絵、資生堂のイメージの意匠、舞台の背景案の絵など大活躍した。

「雪岱」という雅号も泉鏡花がつけたらしい。

白黒の挿絵でも構図と、黒の使い方に妙があったり、美人画は本人も認める能面顔だが微妙な違いがあるとか、泉鏡花の挿絵は、後に江戸の美人画の大家鏑木清方が入ってきたとか。清方の絵もあった。松園、清方、最近見た堂本印象など美人画は特徴を掴みやすい。

私は本読み&泉鏡花好きなのでやっぱり装丁に瞠目した。可愛らしいのもあれば、原色ベースに一部だけ情景を描いたものもあり、「日本橋」の表紙も、ググってみると本の形のものが見れたりして、うーん、すばらしい😊😎

絵はがき買って気持ちよく出てきました。

2026年1月23日金曜日

1月書評の10

切れちゃったのでもう1回。焼き菓子(ロシアケーキ)は京都寺町通の老舗、村上開新堂さん。美味しい😋

◼️瀬尾まいこ「あと少し、もう少し」

ホロリはよくあるけども、読了後すぐグッときてしまった。型通りの青春小説なのに不覚?いやそうじゃないたぶん。中学生の駅伝大会。寄せ集めのメンバー6人のモノローグ。よくある形かもだど気持ちよく感動した。

駅伝には好きなシーンがある。中継所でスタートの位置に出ているランナーがラストスパートをかける前の走者に大きな声をかける。両手を挙げて、笑顔だ。ここだー!ラストー!来いー!もう少し!がんばれ!笑顔。

勝手なイメージかもしれないが、仲間への熱い気持ちと、これまでの歩み、ここでこその人間性が見える気がしてこの上なく清々しい気持ちになり、微笑みながらグスッと来る。

瀬尾まいこさんは心に留めている作家の1人。気になっていたこの作品を、駅伝華やかなりし1月初めを過ごして、読んでみる気になった。

秋に行われる中学最後の駅伝大会は6人で18キロをつなぐ。地域でとても盛り上がるイベントでもある。地区大会で6位に入れば県大会に行ける。今年のチームは陸上部が3人。部長の桝井と引っ込み思案だが速い設楽の3年生に、桝井を慕っていて物怖じしない2年の俊介。大会出場のため、毎年他部の有力な選手を陸上に熱心な顧問が引っ張ってくる。他の中学も似たようなものだが、異動で顧問が転勤、代わりに来たのはまるでシロート、美術の若い女性教師・上原。桝井は学校一の不良、太田に声を掛ける。やがて吹奏楽部で皮肉屋の渡部、頼まれるとイヤとは言わないお調子もののジローがメンバーに加わるー。

区間ごとに視点が変わるオムニバス。メンバーそれぞれのバックボーンをモノローグで掘り下げていく。顧問の上原もいい味を出している。家族の存在感もほどよく短く上手に描かれている。

手法自体は変わっているとは言えないし、クライマックスはもちろん駅伝の本番。描き方で勝負、という感覚だった。丁寧に、絶妙に組み込む。特に渡部と俊介の会話には惹かれるものがある。ランナー同士の絡みも、長くなくて、かつ気の利いたやりとりが光る秀作。

著者は京都府北部の中学校の教師をしていて、その経験から学校、学生を描く作品がいくつかあり、鄙びた地域の描き方が特徴の1つ。今回もそうだった。

やはり駅伝ものは盛り上がる。ランものは、やがて感動シーンが来ると分かっていてもやっぱり感動する。おどおどした設楽から不良の太田へ、太田からノー天気なジローへ、ジローからクールな渡部へ、渡部から俊介へ、そして俊介から桝井へ、つながれる。その設定の出来過ぎさを醒めて受け取られないように書く筆は平易な言葉で、前に出過ぎず、自然と、という感じで考え抜かれたことをさらりと描く。

予定調和が、読了後すぐグッと来て少し反応していた。それは駅伝の持つ、根源的なパワーが強く現れたものなのかな、なんて考えた。

1月書評の10

すメンバーに加わるー。

区間ごとに視点が変わるオムニバス。メンバーそれぞれのバックボーンをモノローグで掘り下げていく。顧問の上原もいい味を出している。家族の存在感もほどよく短く上手に描かれている。

手法自体は変わっているとは言えないし、クライマックスはもちろん駅伝の本番。描き方で勝負、という感覚だった。丁寧に、絶妙に組み込む。特に渡部と俊介の会話には惹かれるものがある。ランナー同士の絡みも、長くなくて、かつ気の利いたやりとりが光る秀作。

著者は京都府北部の中学校の教師をしていて、その経験から学校、学生を描く作品がいくつかあり、鄙びた地域の描き方が特徴の1つ。今回もそうだった。

やはり駅伝ものは盛り上がる。ランものは、やがて感動シーンが来ると分かっていてもやっぱり感動する。おどおどした設楽から不良の太田へ、太田からノー天気なジローへ、ジローからクールな渡部へ、渡部から俊介へ、そして俊介から桝井へ、つながれる。その設定の出来過ぎさを醒めて受け取られないように書く筆は平易な言葉で、前に出過ぎず、自然と、という感じで考え抜かれたことをさらりと描く。

予定調和が、読了後すぐグッと来て少し反応していた。それは駅伝の持つ、根源的なパワーが強く現れたものなのかな、なんて考えた。

1月書評の9

◼️ アントニン・レーモンド「私と日本建築」

「私に現代建築の原則を教えてくれたのは、日本の建築であった」

日本に住み、愛し、多くの作品を残したレーモンドの論文・講演。

レーモンドといえばフランク・ロイド・ライトの弟子として来日、帝国ホテルの建設に携わった。それから独立、ライトの影響を脱して、シンプルかつ美しい数々の建築を日本で手がけた。東京女子大学、群馬音楽センター、南山大学などが代表作のようだ。群馬音楽センターはテレビで特集を観て、上から見たらザリガニのような、大変興味深いフォルムに感銘を受けた。現代のトップランナー、隈研吾の著書では東京・麻布の私邸の造りに強いインスピレーションを受けた旨のことが書いてあったと思う。

群馬音楽センターのようにデザインチックなものもある。が、その多くは方形のシンプルなデザインでその中に少しく遊びがあり、まとまって、洒落ている。彼は来日したその日から日本の建築と文化に強く惹かれ、日本の建築を研究して自らのスタイル、確固としたビジョンを創造した。日本愛が溢れる文章。

1919年12月31日、ライトとともに横浜に着いて東京までの道のりを車で移動する車中で市井の人々を見た時からレーモンドは好印象を日本に抱いている。日本建築に関しても、開口部が広く、オープンであり、自然と結びついていて、季節にも気を配していることにいたく感銘を受けている。

欧米は防犯という意味合いからも、家は、大げさに言えば要塞化し、窓も覗きに行かなければ外が見えない、という大きさだったようだ。確かに日本家屋は縁側など庭に面した部分は広く外が見え、外光に当たるようになっている。この本にも書いてあるが、出入りができるガラス張りのフランス窓は、ヨーロッパで導入されたころは違和感がある、という受け止め方もあったとか。神戸北野の異人館街ではサンルームが多く設けられていて、そのギャップにも考えるところがある。

日本には建築家はおらず、大工の棟梁がいて、棟梁は易者に相談する、という風習があったのだそう。最初懐疑的だったレーモンドは易者の話も吸収した、と。棟梁は土壌の質、土地の起伏、風や地震の状態、飲料水の供給、水はけなどの情報を易者に提供する。易者は要求された建物にその土地が合うかどうか、その他の衛生条件が揃っているかどうか、などを助言するシステムだったらしい。もちろん諸条件を考慮した上で、易者らしく「めでたい日」を決めていたともある。

レーモンドが感心したのは2人で部屋の位置や方角などを決めていたことのようだ。冬の日光、夏の風通しを考えて居間は南か南東、常駐の部屋は北にはおかず、玄関やトイレになる。ふうむ、西洋ではあまり考慮されなかったような書きぶりだが、逆に不思議だ。

時代も感じる。1888年チェコ生まれのアメリカ人レーモンド、同年代にはコルビュジェやグロピウス、ミース・ファン・デル・ローエがいた。威厳を前に押し出したような古い建築から、おおざっぱに言えば機能優先のシンプルなデザインの現代建築へと転換しようという時期。また人口も増え、集合住宅等も必要に迫られていた。

日本の建築は、民族的な特質、気候条件などから必要なものが優先、機能を考えている、例えば見えないところに収納する、などがあり、ないのはモニュメンタルな発想だけ、とレーモンドは言っている。その点も伊勢神宮を例に挙げ、権威のある建築物も、大きさによる印象を拒否した、釣り合いへの認識があり、素材を活かしすっきりとしていると受け止めている。

時代を考えれば、確かにごてごてと装飾した威厳重視の建物からモダンへの脱却の過程で、日本建築のシンプルさ、例えば柱を隠すのではなく素材のままきれいに見せる、などはある意味ショッキングでさえあったのではないかと推察できる。この方向性からは、装飾にもこだわるライト建築に相容れないものを感じていたのだろうとも思う。 

また、日本に西洋建築が入ってきたのはまさに端境期を迎えようとしていたころで、ヴィクトリア朝風建築などが嫌いらしいレーモンドはその不運を説いている。実は市井の建築好きとして、この辺は響くものがある。まあ鎖国を解いたばかりの日本が模倣するのは自然の流れと言えるだろう。

写真で見る限り、レーモンド建築は、特に学校等大規模な建物は長方形が基本で、各区切り造りを揃えていて画一的。そこに少しずつ目を惹く工夫を凝らしてある。また、群馬音楽センターのようにかなり意匠を凝らしているものもある。一度ゆっくり見て回る機会を持ちたいものだ。

気持ちよく日本建築の美点が分かった本でした。

1月書評の8

◼️ 高野秀行「巨流アマゾンを遡れ」

だいぶ前の本ではあるが、活き活きと、また独特の味ある探検記。

高野秀行の本はたまに読む。「幻獣ムベンベを追え」「ミャンマーの柳生一族」「謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア」。最初に読んだのはたしか「西南シルクロードは密林に消える」だったんじゃないかと思う。

まずなかなか題材の少ない秘境を攻めているということ、「幻獣ムベンベ」のようにハチャメチャもやってくれるし、適度に物慣れているやり方での探検の語り口に加えて、独特の抑えたおかしみに惹かれるところがある。秘境や危険そうな状況へと突っ込んでいく中、冷静に記していると思う。

アマゾン源流、というだけでロマンが湧く。世界の河川の全水量のうち、その5分の1がアマゾン河を流れるという規模で、河口の幅が320キロ。かなり内陸でも河幅は乾期で11キロ、雨期で56キロというから、やっぱり日本とはスケールが違う。毎日のように通勤で目にする大阪の淀川は幅も広いなと思うが下流の幅は800mとものの数ではない。

旅はブラジル、北大西洋側の河口近くの町・ベレンから始まりジャリ、マナウス、テフェ、コロンビアに入ったところのレティシア、ペルーのイキトスで河を遡るのは終わり、飛行機でクスコへ飛んで、源流のあるミスミ山を目指し標高5000m超の高地を進む。

市場の様子や現地人の風俗、呪術師にとにかく暑いマナウスの様子などを描いていく。南米大陸の真ん中テフェでは巨大魚ピラルクやマナティを追いかけたり、ワニ狩りを見たり、焼きピラニア定食を食べたり、機関銃やピストルを手にした男たちに押し入られたりエピソードに事欠かない。

ブラジルでは原始生活を営む部族に九州ほどの土地が与えられている。その部族にも取材に当たるが、やはり若い世代が都会へ出ていて、当時ですでに現代の波は押し寄せているようだ。星野道夫氏の著書で、アラスカの若者が自らのアイデンティティを見失い、酒に溺れる、という社会現象が描かれていたことを思い出す。

まあその、アマゾンのジャングルの船ツアー、たとえば河岸の木の上にジャガーやアナコンダがいる狭い川を遡る、というイメージではない。基本は遡っても小さくない船舶が行き交う河である。途上はたしかにスリルに満ちているところもあるし、ペルー側から来た仲間は散々盗難に遭い、ほうほうの体で落ち合ったけれども、基本は河沿いの、村のような町の紀行だ。

旅の諸現象から導き出されるものを書くのがひとつの決めどころかと思う。様々なトラブルに見舞われ、シビアな場面もある。筆者は、観察をもとに、平静な分析と抑えた感想を伝えている。それが納得を生む気がする。

ちなみに1991年に書かれたものを編集し、2003年に文庫で出た本です。源流を探る、というテーマかと思って、もう少し科学的な分析があったりするのかと誤解していたが、旅もの。これはこれで面白かった。

訪れた青い世界

大学生の息子が最近よく夜の散歩をしてて、なんてことないのだが、どこ歩いたとか、夜景を観てる人がいた、停まってる車も多かったとか報告してくるので、ちょっと興味が出て、私も夜歩く。滅多にないこと。近所を歩くことじたい、犬がいた頃にはふつう、いまはごくごくマレ。

この辺は夜景の名所でよく坂の上に車が止まっている。

で、見つけたのが、たぶん防犯灯の、異様に青い光。色的に犯罪の抑止効果があるということで導入されてるらしいが、効果のほどはどうも疑わしいようだ。でもこの異空間の感覚、いいんじゃないですか。ドラマか映画みたいで。

この日は天気も良く、遠出しようかな〜という考えはあったけど、どこかにブレーキをかける気分があってやめた。買い物もしたかったし。思い切って行っとけば、なんてヘンに悔やむ気持ちもあったりして。でも早く帰って、のんびりゴロゴロ、気持ちよく休んで本読んでました。

平日起きる6時前はまだ暗い。下弦の細い月の上に、夏の盛りの星座、さそり座のアンタレス。大寒の今週は寒いとか。たしか去年も大雪が降って難儀したような。いよいよいちばん寒い時期。

川の公園には山茶花の赤🟥がそちこちに。日常生活の彩りを感じて、なあんちゃってね。

2026年1月18日日曜日

31年めは御影にいた

晴れて暖かい休日、気になっていた名建築・神戸市東灘区の御影公会堂へ散歩してきました。

いま神戸市立図書館が入っているKIITO (カッコいい!)の前身の建物を設計した清水栄二の手による。モダンではあるけど、大阪ガスビルと同様になんか近未来的なものも感じさせる外観デザイン。

アーチ、白亜、中はまさにモダン建築のイメージ。天窓が洗練された雰囲気を与える。で、太い柱が多いなと。

灘は酒どころ。白鶴酒造の嘉納家から寄付された資金を主に、1933年、昭和8年に竣工、神戸への空襲で被災したが改修工事が行われ1953年、昭和28年に使用再開した。講道館柔道創始者、柔道の父、日本体育の父にしてすぐ近くの灘高校の事実上の創立者、嘉納治五郎の業績展示コーナーが設けられている。

この日は1月17日。震災から31年。ニュースで各地の追悼イベントの模様が流れていた。いまも発生時刻の午前5時46分にはあれほどの人が集まる。関西に大地震は来ない、日本の高速道路が倒れるはずがない、という無邪気な信心があっけなく崩れ去り、唐突に陥った、あまりにひどい状況に、人は途轍もないショックを受けた。経験を継いで伝えていくのも大事。でももう、学校で教える側の先生も体験していない世代に入ってきているし、考えるものはある。

御影公会堂は犠牲者が最も多かった東灘区にあってほとんど被害がなく、1年にわたり避難所となり市民の命を守った。太い柱が多いのは、頑丈であることの証か。

震災直前には、老朽化からファサードを残して取り壊す計画が発表されていたがうやむやになったとか。どう転ぶか分からないもので、とりあえず今日訪問することが出来る。

名建築家にして階段の魔術師、村野藤吾設計の輸出繊維会館が解体されるとか。なんとか見学したいものだ。と、つれづれでした。

1月書評の7

◼️石井遊佳「百年泥」

芥川賞。成り行きは分かりやすい、が、この現実、飛翔通勤とか長年泥に埋まってた人が、とかどこかおかしいぞ?笑

1つ前に読んだ芥川賞作家の作品が衒学的でいかにも最近の純文学、ってテイストで、意味分かんないとこはひたすら文を追うことだけに終始したのに対し、こちらは分かりやすい文体と事情。メインの設定への展開は早い。

悪い男にひっかかり多重債務者となったわたし。返済のため、元夫のあっせんでインド南東部のチェンナイへ渡り、日本企業と取引の多い一流のIT企業でエリート新入社員相手に日本語を教えている。もちろん資格などない。ある日雨季の大雨であたりは大洪水となり、数日後、わたしが会社へ向かうために渡る大きな橋の両側には大量の泥が。住民はそこから人を掘り出して「七年間もどこほっつき歩いてたんだよ」「なんだよ、こんなところで寝てたのか」などと言って生きてる相手と再会を喜んでいるー。そして、わたしと、生徒のリーダー格、デーヴァラージの過去がー。

お読みの通り、どこかおかしなところがあって、特権階級にのみ翼をつけて飛翔通行することが認められており、とはいえ法律違反の暴翔族もいて衝突事故が起きたりする。

途中からファンタジーを現実の目線で見る形に移行する?コミカルで軽いテンポに真逆の、シビアな環境、過去の事情が入る。そのギャップもバランスが良い。そしてなにより、不思議で、いいかげんで、能天気なインドの大衆、人口も多く優秀な若者をたくさん抱える彼の国の神秘さ、深さをも感じさせる。

著者は東大でインド哲学仏教学を専攻し博士課程まで行っている。またネパールやインドで日本語教師もしていたとのこと。自分のベースを活用して描いた物語のようだ。大阪・枚方市出身。

「日本でマクドナルドは<マクド>といいます、はいみなさん大きい声で<マクド>」

もちろん「ク」にアクセントがあるんだろう。言うまでもないが<マクド>は関西特有の短縮系で関東や私の出身の福岡では<マック>と言うはずだ。思わず苦笑、おいおい、まっいっか知らんけど。

まあ最初ちょっと丁寧でない流れかな、回収もないしという気がしたが、展開の速さは好ましいし、全体の雰囲気とテンポを作るもとにはなってるかなと。あとでじっくりと振り返るし。楽しめる純文学でした。

1月書評の6

◼️ 上田岳弘「太陽・惑星」

発想のジャンプが興味深いのと、既視感と。芥川賞作家のデビュー作。

えー、個人的密かな満足ですが、タイトルに星系が入った本3連投です。上田岳弘は「ニムロッド」で芥川賞。今回初読みはそのデビュー作らしい。

IQの高いドンゴ・ディオンムは自分の精子で作った新生児を売るビジネスを中央アフリカで行っていた。その"赤ちゃん工場"を国連の視察団が訪れる。日本の春日晴臣は性欲が強く、カレン・カーソンは地位と学識のある夫との生活が息苦しく離婚寸前、ケーシャブ・ズビン・カリは嗅覚が異常に鋭く、厳しい上司への報告書のことで憂鬱になっているトマス・フランクリン、の一行。

アフリカからの帰路立ち寄ったパリで一行は通り魔の凶行に遭う。元アイドルの日本人娼婦・高橋塔子をさらって逃げた犯人を、ディオンムの血統上の息子、トニー・セイジが追うー。(太陽)

「太陽」は最終的に辿り着くものの発想が面白い。それぞれ事情のある登場人物を何人も描き、結集する。赤ちゃん工場も連綿と続く時間感覚を表しているようで巧みなギミックだと思う。また、ナマの性欲を俗っぽく描くことで人間らしさも漂う。

間に挟まれる科学や歴史、そこから派生する哲学的な叙述は、上記との対比こそ鮮明ではあるが、正直衒学的でくどくどしいかな。ただ、読み終わった後に太く筋が通ってそうなものを感じるのもまた確か。ふむ、純文学的っていうことだろうか。

設定として、やがてPC、スマホといった中間的な媒体はなくなる、その先はー、という論は他の作品でも見た。自ずからそういう帰結になるんだなと。

まあ2つの作品で文芸のバリエーションに浸ったということで。「ニムロッド」もいずれ読んでみようかな。

1月書評の5

成人の日はきぼうの、最近にはなかなかないくらいの好条件。明るい光が真上を通っていった。去年もたしか成人の日が好条件。何かあるのかな・・🧐

◼️ 斉藤国治「星の古記録」

古代から近代までの星の記録を、現代の計算で検証する。エピソード満載で楽しすぎる。

30年以上前の本だけど、いま注目されてるみたい、との情報を得て本屋に行くと、話題の本、的に前面に展示されていた。ほー、まずは読んでみようと。

日本書紀の星食、月が星を覆い隠す現象、の記録から入って、次は日食の記録、惑星同士の接近・合犯などを著者自身も行っているらしい現代の計算で検証していく。惑星、月、太陽の動きは一定の条件は付くがほぼ特定できるからだ。

藤原定家がものした「明月記」(12世紀)に聞き書きとして、かに座の新星爆発の記事があるのは有名な話。中華の記録と比較したり、ものによってはヨーロッパなどの記録と照合したりして、事実か否かを探っていく。

日本ではかなり早くから天文官がおり、緻密な観測を行い、記録を残していることが分かっている。1つ1つをひも解いていかれるエピソードを読むのが楽しい。私は奈良・安倍文殊院で安倍晴明が天文観測をしたと伝わる展望台を見たことがあるけども、飛鳥時代の記録もあるからそこはロマンだなと。

また、この千数百年の間には、超新星爆発があり、隕石がいくつも畿内に落ちた記録があり、ハレー彗星への言及、南極老人星=カノープスが見えた記録にまで踏み込む。天文学的価値が少し見えた感じがしてなるほど、と思ったりした。

おもしろかったのは、おおいぬ座の一等星シリウスに関して。紀元前700年のバビロンでは「銅のように輝く」と書かれ、古代ローマ時代には「この犬星の赤味たるや、火星よりもずっと濃い」などと表現されている。大昔、シリウスは赤かった?というのを検証している。いまはもちろん安定した青白色だ。なぜ?なかなか楽しい。

終盤は明治初期の話。金星の太陽面通過、という現象の観測結果により地球と太陽の間の正しい距離が導き出せるのではないか、というアイディアをハレー彗星のエドモンド・ハレーさんが思いついた。世界の天文学者は一斉に注目した。が、何しろ金星、古代の言い方では太白、の太陽面通過は1回起きるとその8年後にもう1回、そこからは100年以上のブランクが空くチョー希少な現象で、ついにハレー自身は巡り会わなかった。

そして1874年に起きた時のこと。どの地域でちゃんとお昼に、どれくらい見えるかは限定されていて、しかも世界のできるだけ離れた地点で複数の観測を行ったほうが良い。有力な国は世界中に観測隊を派遣した。明治7年の日本にも、外国の観測隊が複数到着した。おおむねトラブルはなかったようだが、明治維新間もない日本での大騒動の、その顛末がおもしろい。もちろん観測の詳しい記述もある。

もう一つは皆既日食の、やはり海外の派遣隊のエピソードで、明治20年、すでに太陽コロナの写真が撮られる時代であり、興味深い。

歳星は木星で名前の由来が十二支につながっていたり、三星合は天下の大乱、3つの惑星が接近すると大乱が起きる、とか、「熒惑守心(けいわくしゅしん)」、熒惑つまり火星がさそり座のアンタレス付近に留まると王が死ぬ、などの大凶兆であることなどなかなか言葉を調べて出てくる知識もおもしろい。土星は填星(てんせい)、水星は辰星。

私が生きている間に、ダイナミックな天文現象が、あってほしいな、いやきっとある、と思える。微笑。ベテルギウス爆発?なんて。

大原美術館の名品展

休館中の大原美術館所蔵の作品が大阪の展覧会で見られるとのことで、10年ぶりに会いに行ってきました。

なんといっても、日本にあることが奇跡と言われているエル・グレコの「受胎告知」。エル・グレコの作品自体、日本には2つしかないものの1つ。10年前の倉敷でも最も印象に残り、たしか絵はがきあります。

ピカソの「頭蓋骨のある静物」(撮影不可)、モネの「睡蓮」も見たみた、と思い出す。マティス、マネ、ドガ、ピサロ、ボナール、コローは相変わらずスカッと風景が遠く抜けて心惹かれる。シニャックの点描画は色彩も美しい。

名前が知られてない画家の作品も響くものがあった。紫陽花、少女、赤い服の女・・

そして、フンフンと見回っていると、あった。エドヴァルド・ムンク「マドンナ」。

先日ムンクの言葉を原田マハが訳し、作品紹介もある本を読んだばかりで、表紙絵は「マドンナ」。なんというタイミングかと意表を突かれビックリ🫢「マジか・・」と思わず呟く。

本の表紙は油画(1点もの)、展示は比較的収集しやすかったのだろうリトグラフ。大原美術館の作品を買い集めた児島虎次郎はこのマドンナ=聖母マリアについて、油画のものは妖艶だが、石版画は重たい美しさがありファム・ファタルのようだとの評。たしかに神々しさと美しさの混交はある。やはりムンクだけあって不安と謎めいた雰囲気があるけど。そして周囲に描いたものがマリアの胎内に宿り、隅に描出したイエスになるということか。ムンクらしいというか・・😅

ちなみにこのリトグラフは250〜300枚ほどあるとはいえ、1枚数百万から1億超えの価値だとか。

いいタイミングで、いい作品に出逢った。美術の神さまのお導き?呼ばれちゃった?

行った美術館はあまり広いところではなく、今回の展示数も多いとは言えなかったけども満足😎😆

マドンナとあじさいの絵のポストカード買って帰りました。

真珠の耳飾りとおくびょう鳥

フェルメール「真珠の耳飾りの少女」本物が大阪に来るとか。びっくり🫢私の部屋にも絵はがきを置いている。そうじのため動かしただけで「あれ?あの女の人の絵は?」とかつて幼い息子が気がついたほどの存在感。観たいな〜。

3連休初日、ナナゲイ=十三の第七芸術劇場で「おくびょう鳥が歌うほうへ」を鑑賞。

生物を専攻しロンドンの大学院に通っていた女性はアルコール依存症に陥り心の傷を抱えて、故郷のスコットランド・オークニー諸島に帰る。学問の道と恋愛の喪失、さらには家庭での暗い過去がフラッシュバックする中、母の勧めで得た、おくびょう鳥、ウズラクイナの保護・観察活動の仕事のためより鄙びた島で独り暮らすことに。光は見えるかー、というもの。

ベストセラーの原作を元にした作品とのこと。何かしらの踏み外した道からの立ち直り、という題材は他にもあり、映画としてどう描くか、が核心になると思う。

今回はイングランド島の北の果ての島々の厳しい自然を舞台として、決してハデではない暮らしや風俗を丁寧に取り上げ、絵数もうまく増やしているな、という点に好感を持った。ラストもいい。

主演のシアーシャ・ローナンさんがなにしろ印象的でした。

加えて、昔「橋の上の貴婦人」という作品で若い画家と不倫に陥る良家の夫人を好演していたサスキア・リーヴスと画面で再会したのも嬉しかった。

帰って春高バレー準決勝。
清風vs駿台学園の東阪対決はフルセットの末、清風が勝利。いやーほんとに死闘、激闘ですごくハラハラする試合だった。清風の1年生アタッカーの足が攣り、本人は出る、という態度だったもののはた目にも無理で無念の交代、先輩たちががんばった。大会3連覇中の駿台学園も1年生がエース、第5セット清風14-13駿台、駿台のサーブで清風の攻撃を拾い、エースに上がる。しかしスパイクはオーバーしてしまいゲームセット。夢破れ連勝が止まった駿台。歓喜の清風、どちらも涙😭

翌日3連休中日はぐっと冷え込みしかも風がめっちゃ強い。こんな日の朝、お餅を焼いて砂糖しょうゆで食べるのはやめられない冬の楽しみ😋

図書館と本屋とスーパーで買い物。さっと帰って春高決勝。女子は東九州龍谷をフルセットの末下したインターハイの覇者・金蘭会が、国スポ優勝の就実にストレート勝ち。名門に連勝で1年の掉尾を飾った。

男子はエース岩田を中心に攻撃が強力かつ、ボールが🏐落ちないレシーブ力で清風に3-1で京阪対決の頂上決戦を制し優勝。

今大会も楽しかった。選手たち、ありがとう、おつかれさま👍👍

2026年1月10日土曜日

1月書評の4

◼️ 笹生陽子「きのう、火星に行った。」

くさくさした日常からの、脱却。兄弟と、友だちと。火星がいいね。

児童文学の笹生陽子さんは賞を取った「ぼくらのサイテーの夏」がいいイメージで記憶に残ってて、折あればまたと思っていた。出版された本としては初作品らしい。正直、星とか宇宙といったタイトルには惹かれてしまう笑

小学6年生、山口拓馬は何事にも醒めていてやる気のない性格。教室で寝ている間、金持ちの息子で子分の多い木崎の企みにより、地域の連合体育大会ハードル走の代表にされてしまう。おまけに家では夢見がちで宇宙の好きな幼い弟・健児が病気療養から帰ってきて調子が狂う。そんな中、同じハードルの選手、大きくてトロい"でくちゃん"に練習に誘われるー。

スナックのプレゼント抽選で当たったゴーグル、宇宙関係のビデオ、オオカミの話など弟・健児の興味の対象は多く口数が多い。兄の拓馬は、文句が多く、いつも何かにムカついていて遂に健児にひどい仕打ちをもしてしまう。

児童文学だけに、後半は様々なことが上手い具合に流れ始める。心地よい成長の感覚。クライマックスでの血には巧みだなあと感心。タイトルの理由も絶妙だと思う。赤!

健児やでくちゃんとの触れ合い、理解を進めるくだりがゆっくりと進行する。突飛で飛躍している発想と、めっちゃいい人の代表、でくちゃんの人柄。そして迎える成長へとジャンプするきっかけ。いきなり性格が変わった感じもするし、良い方向ばかりに流れてるかな、という感想はあるものの、微笑みを浮かべながら読み終われる。

やはり著者の作品は好感を残す。他の作品も読んでみよう。

1月書評の3

◼️ 森茉莉「薔薇くい姫・枯葉の寝床」

少年・若者と年長者の同性愛。溢れこぼれる耽美な表現。

森茉莉は後輩女子がすごく好きと言っていたので関心はあり、図書館で見かけたので手に取ってみた。中篇、というのかが3篇収録されている。「薔薇くい姫」は森鴎外の娘である自分と周囲の名を変えコミカルに描いている。「枯葉の寝床」「日曜日には僕は行かない」は見出しに書いたような、耽美的な同性愛小説。

大学に勤め小説をものすギランは美しい17歳の少年を囲いレオと呼んでいた。稚く少年らしい美しさを持ち、計算高く振る舞うレオをギランは溺愛する。しかしその筋の店でオリヴィオという麻薬中毒者に目をつけられたレオは彼に攫われ、鞭を使ったサディスティックな仕打ちを受ける。嫉妬に突き動かされたギランは、遂にある行動に出るー(枯葉の寝床)

発表は昭和30年代の2つの小説。しかし特に「枯葉」では主軸の2人はロォルスロイスなどに乗り、どれかというと大正や昭和初期モダンのような裕福で欧羅巴風の活動をする。本郷や銀座、有楽町などでいいレストランに入り、宝石を買い、パル・マルをふかす。朝ごはんや間食も、チィズにパン、葡萄など。贅を尽くしたような衣装も身につける。そして情事にも耽る。

あまりどぎつすぎるような表現はないものの、2人がじゃれあってイチャイチャする場面は、それこそ言葉を尽くして美しく描かれており、感嘆する。

少年と壮年の感情の行き来、計算、事件、サド、嫉妬、となると行き着く先はやはり破滅か。「日曜日」もまた衝撃的な事件で終わっている。うーんある意味そうなければ、という流れかな。私にとっては魔夜峰央の漫画世界が小説となり、絵がない分、丁寧にじっくりと文字で表された感覚がある。

まあその、ジャンルとしてはあまり、てな作品たちでした。森茉莉は今度どの作品がよかったか後輩に聞いてみよう。

1月書評の2

◼️ エドヴァルド・ムンク著 原田マハ訳
「愛のぬけがら LIKE A GHOST I LEAVE YOU」

「ムンクの言葉」の訳と作品の紹介。いやいや、ボトムの不安と、謎めいた描出に没頭。

ムンクは自伝執筆のために、かなりの数の日記をしたためていた。それらは手紙なぞとともに多くが生国・オスロのムンク美術館で管理され、英訳が進められているとか。美術ものの文芸ジャンルで日本を代表する作家の原田マハが訳したムンクの言葉と、代表作のほとんどをカラーで紹介した本。心への響き方が良い本。

「私は疲れて、ぐったりしていた。
立ち止まってフィヨルドを眺めていると、
沈みゆく太陽、雲が赤く変わっていった。
まるで血のように。
どこからから聞こえる叫び声が、
私の耳を貫いたように感じた。
私はこれを絵に描いた。」

デフォルメされた人間、ぐねぐねとうねる海、そして赤く、帯のように塗られた空に橋。どうしようもなく動揺する心、不穏な気配、人間の心のうちが描き出されたような色彩。

あまりにも有名な「叫び」は1893年、ムンク30歳の作品。ライフワークの「生命のフリーズ」というシリーズの1つである。日本でもだいぶ前に叫びのビニール人形が売り出されたりしてブームがあったと記憶している。

ムンクも他の画家と同じように、生涯さまざまな描き方、モチーフを使い分けているが、その中でも自分のものとして確立した一個の個性がここに代表されているのでは、と思う。

「アートと自然」「友人と敵」「ノルウェー」「健康」「ムンク自身」「愛」「人生観」「お金」「死」というパートに分けて、ムンクの短い文が記されている。

「燃えるような上下の唇が、私の唇に重なる。天も、地も消え失せた。ふたつの黒い瞳が、わたしの目をみつめていた」

グチや批判も多いが、特に愛の章では、かなりダイレクトな文が多く遠回しではない。そして、眼、瞳に強い印象を抱いたのがよく分かる。

木版画の「接吻Ⅳ」は寄り添いキスをする男女の顔が一体化していて微笑ましい、直接的なメッセージを静かに放つ作品だ。

ヌードの聖母マリア「マドンナ」は異質でかつ清らかなものを感じさせる。

ドイツやパリで活動しつつ、祖国のノルウェーでも多くの創作をしたムンク。特に若い頃は作品に対しての批判が多く、収入も少なく苦労したようだ。40歳代にようやく認められたものいろいろ紆余曲折もあったらしい。若年期の作品はあまりクセが見えない。上記の個性が見え出したころには怪しい、おぞましい、という受け止められ方があったようだ。それだけ人の心を動かしていた証左かもしれないなと。

私の感覚では緑と赤を強く使う画家さんだな、と捉えている。刺激的な題材、底知れぬ不安を喚起するような筆致の一方で、「家壁の前の自画像」「クラーゲリョーの春」「橋の上の少女たち」「庭のリンゴの樹」などは緑が前に出て穏やかだ。「家壁の前の自画像」も顔にも緑を多用している。

「心がざわめいていると、風景は印象的なものになる。その風景を描くことで、人は自分の気分を視覚化できる。自分の気分、これが重要だ。自然は単なる手段に過ぎないのだから。」

「アートワークは結晶(クリスタル)のようなものだ。結晶には、魂と意志がある。アートワークも同じように、魂と意志がなければならない。精巧な面と線だけでは、作品とは言えない。」

あまりメタファーとか訳わからない言葉は少ない。そこに物足りなさを覚えたような、どこか文筆家としての閃きを感じるような。ずっと読みたかった本を夢中で読了。あまたいるこの時期のヨーロッパの画家の中で、ひと目で分かり、観る人の心を動かす個性を確立した人の作品を鑑賞するのは楽しい。ムンクの作品は、怪しく、時におぞましい?から、若い頃や晩年の穏やかさも目立つ気がする。おもしろく特別感のある1人だと思っている。

しぶんぎ座流星群2026

流星群はmeteor showerとか、
meteor swarmと英語で言うらしい。

1月4日の早朝は毎年のしぶんぎ座流星群観測。寝る前はおそらく雨と雪が混じったものが静かに降ってた、が、4時に起きてみると奇跡的な快晴。

さっそく冬観測用のチョー厚着、毛糸の帽子とネックウォーマーも必需品。折り畳みのキャンプ用チェアとテラス据え置きの椅子に身体を沈めて待つ。風がなくてさほど寒くない。厚着のコツは足先手先が冷たくなるのを防ぐこと。

手先は保温用と防寒用の手袋🧤2枚にカイロ、足は真冬用厚手の靴下に内側モコモコのブーツ。

くっきりと美しい北斗七星、柄杓の柄を延ばした春の大曲線、アークツルスからスピカ、レグルスがよく見える。北側は今年最初の満月に木星と明るすぎるランデヴー、流星観測にはかなり悪条件😅

それでも月に背を向けるように座り、粘っていると2時間ほどで🌠12個をゲット。中の1個はギラッというかビカビカッというか、光の道が銅剣のように広がる感じの光り方で思わず「おお、デカっ!」と声を出した。

全体的にストロークが長いものはほとんどなく、キラッ、スッ、ピカッという瞬間的なものばかりでさほど記憶に残るmeteorはなかったかな。去年は静かに光り始め、緑色の光を放ったかと思うとゆっくり分裂するように消えた美しい、自分の流星群観測史に残る流星があった。

でも天候が良くて満足。しぶんぎ座流星群は
"Quadrantids"というとか。夜明けとともに星は消えて観測終了。1個小さいのが流れて、さあこれでキリがついたと折りたたみ椅子を片付けてたらあっという間に明るくなり、ああ終わりの朝の空、とすがすがしい心持ちになる。流さずおいといた風呂の湯を追い焚きして身体を温めて、朝ごはん食べて気持ちよく寝た。

で、午前から高校バスケ🏀ニューイヤーカップをテレビ観戦。主力がほとんど3年生だった福岡第一は?とかウィンターカップ優勝の福大大濠や準Vの東山の新チームは?など興味は尽きない。

大濠は東山に勝ち、3Qまで競り合った八王子を4Qにゾーンプレスで突き放して連勝。そして、デカくて超高速バスケ🏀を展開する中部大第一に、最終Qで逆転勝ち。王者の貫禄を見せつけた。

八王子には去年インターハイで無念の敗戦を喫してて、大濠サイドに絶対負けてはならないという気概を感じた。

発見は中部大第一。数年前、190cm台の有望選手を何人も擁してインターハイを制したもののここ数年は上位進出がなかった。しかし新チームは大きい。そして197cmの音山らが果敢にリムアタックをし、さらにスリーも狙ってくる。トランジション、プレスディフェンスも速く激しい。ハイレベルな試合における終盤のスタミナや選手層に課題を残したものの、今年の強豪の一角を担うだろう。

時代は、かつてセンター、ポスト役だった190cm後半の選手もスモールフォワードやシューターのような走り、ドリブルワークを駆使ししたプレーをする方向に向かっていると実感する。

ウィンターカップに燃えて、映画を2本、本を読んで、流星群観測、また🏀と楽しんだ冬休みだった😊

2026初映画

寒波到来、風もあった2日は、一番分厚いダウンを着て朝から外出。初営業の元町映画館朝イチで映画始め。寒いからというのもあるのか入り口の扉閉め切りで、開始だいぶ前から入って座っててOK。チケットもなし、web販売なしすべて現金、当然のように自由席。大阪はミニシアターも座席指定制だけど、神戸はたまに行く3つの館はすべて自由席。なんか好きやねこういうとこd(^_^o)

台湾の女性監督の作品「鯨が消えた入り江」。

BL風味あり、バイクで旅する台湾のロードムービーであり、青春もの、心癒し物語。最後にはファンタジー色となり奇跡も。多少都合のいいとこは目についたけどもうまく多重の要素を成立させている。最後は🥲🥹ホロリ、でした。2026初泣き満足。パンフレットって昨今高い。でも元町映画館では援助ゴコロもあって納得の作品なら買おうかなと。まあ男子2人の写真集みたいでしたわよ😅

映画好きさんによるとこれは初出の時、1週間限定公開!などで出て、その後散発的に各映画館で上映されてるそう。ふむ🧐ともかく悪くない作品でスタートでした。

年明け初雪

毎度おなじみUSJの新年花火🎆。これまでよりも一際明るかったような。 1日は家から出ず、調べ物をして本を読んで、筋トレしてお雑煮食べて格付けチェック見てました📺

ぐっと冷え込んだ2日は予報通り雪がチラつき、帰宅後の夕方は一時的にサーッと降った。本格的な寒さの季節。はや休みもあと2日。だいたいウィンターカップが29日まであるからそこから休みって感じ。でも1日外出せずこたつでぬくぬくしてたら、居心地良すぎるね😎それが正月休みってもの。

ぐだぐだ書きましたが、2026年もどうぞよろしくお願い致します。m(€_ _)mペコリ

2026年1月2日金曜日

2026年1月書評の1

◼️ 斉藤倫「ポエトリー・ドッグス」

迷い込んだバーのマスターは、ディオージー。出てくるのはカクテルと、詩。

斉藤倫は「ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集」にハマった。その後、人気絵本作家のjunaidaが絵を描いた「せなか町から、ずっと」も読んだ。

この本も「ゆびをぱちん」と同じように、短い物語が何篇もあり、そこで詩が紹介されていくというもの。

いつも酔っ払って2軒、3軒目に辿り着く、住宅街の奥深いところにあるバー。マスターは犬で、オススメのカクテルを作り、そして2つほど、詩を差し出してくれる。

主人公は会社勤め。普通に2足で立ち服を着てシェイカーを振る犬のマスターと微妙な会話をしつつ、詩を読んで思索を深めていく。悲しげで、虚無感に苛まれているようだ。季節が巡り、年月を経るに従って環境や状態も変わっていく。

最近はとかく物語の構成に目が行ってしまってクリティカルに見てしまう。映画にしろ小説にしろギュッとしたものなので演出は当然ある。精巧さも嫌いじゃないが、なにかその、むつかしかったりさかしいものではなくて、感じることのできる物語はないかな、なんて勝手に思っちゃっていた。そんな時に記号などを多用する最果タヒの本を読み、よく詩を読む文芸師匠に教えを受けた。

「わけわからなく感じたら『ゆびをぱちん』に戻れば良い」との指導を受けてたところ、たまたま図書館で目に入ったこの本を手に。これもお導きか笑

で、主人公は短い篇中で思索を深めていく。死んだ愛犬、犬とは、にんげんとは、その境界とは、他諸々。

紹介されている詩は、ランボーほかの外国のものもあるけれど、大半は日本の詩人の作品だ。萩原朔太郎は鋭く怜悧、朔ちゃんの親友の犀、室生犀星は生活感の中の空虚さか。草野心平はやはりカエル?で宮沢賢治はエナジーと熱さあふれる修羅。草野心平は賢治の死後、いち早く彼の全集を編集している。

文豪も入っている、ただ私にはあまりなじみのない詩人さんが多数派。

読み進むにつれてどこか幻想味が高まり、主人公が何に傷ついているのか、そして、犬のマスターは・・バーの存在は・・と分かっていくようになっている。喪失と新たな地。救いがあって良かった。底流にあるものは「ゆびをぱちん」と多分同じ心の旅路。詩人である著者の体験かも知れない。

詩は文、文章として理解するものではなくて、感じるもの、か?根源的な思索を深めるのは哲学的であり、私的には表現の方に目が向く。

詩にあたるは、わけわからないことも多いが、感じる、ことかも知れない。いいタイミングで、良い方に転がった気もする。斉藤倫は、賞を取った作品は未読でもあるし、また読んでみよう。

年の瀬

(2025/12/31の記事です)
年越しそばと、紅白。ドーナツはサッカー⚽️日本代表の某選手プロデュースのお店、引き締まった味で美味しい😋寒い時に御座候の回転焼き白あんはホコホコでやめられない😆抽選で当たった映画招待チケットを期限ギリに使い切りました😎

何かイベントが終わった後、流行語大賞を決めよう、という遊びをやることがあります。意外にそのイベントの過程を振り返ることができるからです。

読書ランキングはじめ、振り返りを作ると、けっこう1年長かったんだなあと、スイーツこんなに食べたのか😅なんて思ったり。次の年へ向かうステップですね😊

今年は、音楽において、また文芸においてもインパクトのある年でした。趣味を同じくする仲間とよく話しました。日常も、トラブルはあったものの、比較的穏やかに過ごせたかと思います。

あまり何も考えてない楽天家。とはいえ、身体的なエイジングも感じており、また人生の節目も迫っているので、そのへんはキチンと対応しなくては、というのが2026年の抱負ですかね。

今年もお世話になりました。
来年もよろしくお願い致します。(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ペコリ