2021年1月30日土曜日

1月書評の1




年頭の読書は川端康成のノーベル文学賞受賞記念講演。

最近解説をかねて長々書くことが多い。そして研究したりする。楽しいね。

◼️川端康成「美しい日本の私」


「美しい日本の私」は、1968年、川端康成がノーベル文学賞を獲ったときの、スウェーデンで行った受賞記念講演です。


この本は記念講演を軸に昭和の初めから40年代までのさまざまな川端の文章を集め、「美へのまなざし」「戦争を経て」「日本文化を思う」というタイトルで大きく3部に分けられています。


さて、「美しい日本の私」はやや長めの随筆、といったくくりの作品です。といってもページ数にすれば15ページほど。


冒頭13世紀の道元の歌、


春は花 夏ほととぎす 秋は月

冬雪冴えて冷しかりけり


を始めとして、いくつかの歌を例に取り、四季折々の自然の美を賞でる心を説いています。

さらに、良寛、芥川龍之介の遺書、一休、華道、日本庭園、焼きもの、さらに平安の王朝文学から古今集まで、様々な例を取りながら、日本古来の美について自ら感じるところを訥々と述べています。


かつてインド出身はいましたが、それより東の国としては当時初のノーベル文学賞。日本文化を世界に紹介せねば、という意識が強すぎたのか、ちと小難しく総花的で評価はそこまで高くないようです。人によっては、小説家は文章はうまいけど講演はそうと限らない、と言ったりします。


ただ私は、この随筆集にはかなり影響を受けました。もうやばい、やばい、と思いながら再読しています。


「哀愁」という、よく取り上げられる一篇があります。敗戦後の日本について述べたもの。


「戦争中、殊に敗戦後、日本人には真の悲劇も不幸も感じる力がないという、私の前からの思いは強くなった。感じる力がないということは、感じられる本体がないということでもあろう。

敗戦後の私は、日本古来の悲しみの中に帰ってゆくばかりである。私は戦後の世相なるもの、風俗なるものを信じない。」


続けて、川端は自身の「虹」に表した悲しみと、織田作之助「土曜夫人」のそれとが似通っていると書いています。また、浦上玉堂の風景画やシャイム・スーティン、歪んだ絵に特徴があるロシアの画家に惹かれるものがある、としています。


「日本古来の悲しみ」とは何か。全集で、まずは「虹」を読んでみたいと思っています。



さて、やはりこの随筆集の中で目立つのは、日本史上最高の物語は「源氏物語」であって、いまだ源氏を超える物語は出ていない、と言い切っていることでしょう。紫式部はユネスコ関連の「世界の偉人100人」に日本人として唯一登録されています。


そして、大意を言えば、川端は戦後の価値観、ことにさらに流れ込んできた西洋文化、おそらく占領政策で直接的に流れ込んできたアメリカ文化、を信じない、と。きっぱりと否定しています。「哀愁」は戦後まもない1947年の随筆。


22年の時が経った1969年、ノーベル文学賞受賞の翌年には、かつて日本が諸外国の文化を取り込んで素晴らしい文化を花開かせていったように、いま西洋文化を消化して新しい文化を、と希望を込めてこう書いています。


「おおよそ千年の昔に、日本民族は中国唐朝の文化を自分流ながら受け入れこなして、平安王朝の美を生み出したのです。」


「過去のあらゆる時代に、日本独特の文化をつくり築いて来たのですから、民族の力が決して衰えていない今日、世界の文化に日本の新な創造を加えるであろうと、わたくしは思いたいのです。」


この本に受けた影響、感銘。


・春は花夏ほととぎす秋は月

        冬雪さえて冷しかりけり

という道元の歌をそらで言えるようになった。


・源氏物語を通読した(後述)。他の古典も有名なものはだいぶ読んだ。


・世界の文化を消化した、日本独自の文学とは?少なくともハルキではないような笑、などと考えるようになった。


まあもちろんそれだけではないんですけれど^_^いろいろ日本文化についての探究の書で、私は興味深かったです。めっちゃやばい本です。これを川端康成文学館で買ったのが密かな満足です。ひとつ枕草子から「あてなるもの」の段を分析してたりします。


あてなるもの・・水晶の数珠。藤の花、梅の花に雪の降りかかりたる。いみじう美しき児(ちご)の、いちごなど食ひたる。


あてなるもの、は上品なもの。情景が浮かんで来ますね。美を求める川端の心情とセンスは日本の1000年前に振れます。


源氏物語について、ちょっと。川端シンドロームの私はこの本に影響されて源氏物語を通読し、人生ちょっと変わった気になりました。幸い関西在住なので、嵐山や、執筆したと言われる紫式部の元住居や宇治十帖の舞台、宇治へ行って平等院鳳凰堂を見て、浮舟が身を投げた宇治川を渡り、源氏物語ミュージアムを訪れたりできました。


源氏物語には底流に感じるものがあって、それは読んだものにしか分からない、も思います。谷崎潤一郎「細雪」に源氏の、底に流れている色彩を感じたのですが、文庫あとがきに、谷崎本人が「源氏物語を意識したかとはよく聞かれる」と書いていました。川端の創作するイメージのようなものの一端に触れられたのかな、なんで考えも浮かびます。



日本文学に関する川端のまとめは、なかなか心をくすぐります。


坪内逍遥「小説神髄」に始まった日本の近代文学は、ロマン主義から人間の生の姿を描く「自然主義」へ進み、それに反する形で夏目漱石や谷崎潤一郎、芥川龍之介が大正文学を彩りました。


パブロ・ピカソのキュビズムがあれほど認められたのは、世が新しい芸術を求めているタイミングだったから、と読んだことがあります。個人的にはピカソは圧倒的な技術に裏打ちされた面もあったと思っています。


関東大震災を経て、世は大正文学から、新しいものを求めた、川端康成や横光利一が興した「新感覚派」。川端はその非常に美しい文章と感覚をひっさげて昭和文学のトップランナーとなり、日本の近代文学史は川端のノーベル文学賞受賞によって1つの結実を迎えました。いまは、文学、なんてものがあるのか、という大量生産の大衆文芸の時代、と思うこともあります。言葉遊びがより先行しているな、と考えることもあります。


でも、いまは過渡期であって、近い将来、川端の言うように、きっと日本の文学は、「世界の文化に日本の新な創造を加えるであろう」と、私も信じています。


◼️川端康成「美しい日本の私」


「美しい日本の私」は、1968年、川端康成がノーベル文学賞を獲ったときの、スウェーデンで行った受賞記念講演です。


この本は記念講演を軸に昭和の初めから40年代までのさまざまな川端の文章を集め、「美へのまなざし」「戦争を経て」「日本文化を思う」というタイトルで大きく3部に分けられています。


さて、「美しい日本の私」はやや長めの随筆、といったくくりの作品です。といってもページ数にすれば15ページほど。


冒頭13世紀の道元の歌、


春は花 夏ほととぎす 秋は月

冬雪冴えて冷しかりけり


を始めとして、いくつかの歌を例に取り、四季折々の自然の美を賞でる心を説いています。

さらに、良寛、芥川龍之介の遺書、一休、華道、日本庭園、焼きもの、さらに平安の王朝文学から古今集まで、様々な例を取りながら、日本古来の美について自ら感じるところを訥々と述べています。


かつてインド出身はいましたが、それより東の国としては当時初のノーベル文学賞。日本文化を世界に紹介せねば、という意識が強すぎたのか、ちと小難しく総花的で評価はそこまで高くないようです。人によっては、小説家は文章はうまいけど講演はそうと限らない、と言ったりします。


ただ私は、この随筆集にはかなり影響を受けました。もうやばい、やばい、と思いながら再読しています。


「哀愁」という、よく取り上げられる一篇があります。敗戦後の日本について述べたもの。


「戦争中、殊に敗戦後、日本人には真の悲劇も不幸も感じる力がないという、私の前からの思いは強くなった。感じる力がないということは、感じられる本体がないということでもあろう。

敗戦後の私は、日本古来の悲しみの中に帰ってゆくばかりである。私は戦後の世相なるもの、風俗なるものを信じない。」


続けて、川端は自身の「虹」に表した悲しみと、織田作之助「土曜夫人」のそれとが似通っていると書いています。また、浦上玉堂の風景画やシャイム・スーティン、歪んだ絵に特徴があるロシアの画家に惹かれるものがある、としています。


「日本古来の悲しみ」とは何か。全集で、まずは「虹」を読んでみたいと思っています。



さて、やはりこの随筆集の中で目立つのは、日本史上最高の物語は「源氏物語」であって、いまだ源氏を超える物語は出ていない、と言い切っていることでしょう。紫式部はユネスコ関連の「世界の偉人100人」に日本人として唯一登録されています。


そして、大意を言えば、川端は戦後の価値観、ことにさらに流れ込んできた西洋文化、おそらく占領政策で直接的に流れ込んできたアメリカ文化、を信じない、と。きっぱりと否定しています。「哀愁」は戦後まもない1947年の随筆。


22年の時が経った1969年、ノーベル文学賞受賞の翌年には、かつて日本が諸外国の文化を取り込んで素晴らしい文化を花開かせていったように、いま西洋文化を消化して新しい文化を、と希望を込めてこう書いています。


「おおよそ千年の昔に、日本民族は中国唐朝の文化を自分流ながら受け入れこなして、平安王朝の美を生み出したのです。」


「過去のあらゆる時代に、日本独特の文化をつくり築いて来たのですから、民族の力が決して衰えていない今日、世界の文化に日本の新な創造を加えるであろうと、わたくしは思いたいのです。」


この本に受けた影響、感銘。


・春は花夏ほととぎす秋は月

        冬雪さえて冷しかりけり

という道元の歌をそらで言えるようになった。


・源氏物語を通読した(後述)。他の古典も有名なものはだいぶ読んだ。


・世界の文化を消化した、日本独自の文学とは?少なくともハルキではないような笑、などと考えるようになった。


まあもちろんそれだけではないんですけれど^_^いろいろ日本文化についての探究の書で、私は興味深かったです。めっちゃやばい本です。これを川端康成文学館で買ったのが密かな満足です。ひとつ枕草子から「あてなるもの」の段を分析してたりします。


あてなるもの・・水晶の数珠。藤の花、梅の花に雪の降りかかりたる。いみじう美しき児(ちご)の、いちごなど食ひたる。


あてなるもの、は上品なもの。情景が浮かんで来ますね。美を求める川端の心情とセンスは日本の1000年前に振れます。


源氏物語について、ちょっと。川端シンドロームの私はこの本に影響されて源氏物語を通読し、人生ちょっと変わった気になりました。幸い関西在住なので、嵐山や、執筆したと言われる紫式部の元住居や宇治十帖の舞台、宇治へ行って平等院鳳凰堂を見て、浮舟が身を投げた宇治川を渡り、源氏物語ミュージアムを訪れたりできました。


源氏物語には底流に感じるものがあって、それは読んだものにしか分からない、も思います。谷崎潤一郎「細雪」に源氏の、底に流れている色彩を感じたのですが、文庫あとがきに、谷崎本人が「源氏物語を意識したかとはよく聞かれる」と書いていました。川端の創作するイメージのようなものの一端に触れられたのかな、なんで考えも浮かびます。



日本文学に関する川端のまとめは、なかなか心をくすぐります。


坪内逍遥「小説神髄」に始まった日本の近代文学は、ロマン主義から人間の生の姿を描く「自然主義」へ進み、それに反する形で夏目漱石や谷崎潤一郎、芥川龍之介が大正文学を彩りました。


パブロ・ピカソのキュビズムがあれほど認められたのは、世が新しい芸術を求めているタイミングだったから、と読んだことがあります。個人的にはピカソは圧倒的な技術に裏打ちされた面もあったと思っています。


関東大震災を経て、世は大正文学から、新しいものを求めた、川端康成や横光利一が興した「新感覚派」。川端はその非常に美しい文章と感覚をひっさげて昭和文学のトップランナーとなり、日本の近代文学史は川端のノーベル文学賞受賞によって1つの結実を迎えました。いまは、文学、なんてものがあるのか、という大量生産の大衆文芸の時代、と思うこともあります。言葉遊びがより先行しているな、と考えることもあります。


でも、いまは過渡期であって、近い将来、川端の言うように、きっと日本の文学は、「世界の文化に日本の新な創造を加えるであろう」と、私も信じています。

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